2005.02.20

「商店街」の価値

okara

わしが、ここんとこ今熊野商店街について書いているのは、ありきたりの京都案内をしたくないという気持ちもあるが、もっと本質的には、こういう地域に根ざした商店街というものの存在が、古いお寺や神社に劣らず、京都にとって欠かすことのできない大事なものだと思うからである。

わしのふるさとは長野県の南部の伊那谷。行政的には、今は飯田市に含まれているが、わしが住んでいた頃は下伊那郡鼎(かなえ)町であった。
今、そのふるさとで、商店街は崩壊している。中央道という高速道路のインターチェンジ近くに、郊外型の大型店舗が続々と出来て、わしの実家近くにあった小さな商店街は壊滅した。
だから、わしが帰省するとその生活は次のようになる。
「車で、高速のインターチェンジ近くの幅広い通り・アップルロードへ行き、イオングループの大型ショッピングセンター・サティで買い物。サティ内のゲームセンターで子供と遊ぶ。近くの回転寿司・アトムボーイで食事。その近所の巨大カラオケボックスで歌い、近年幾つもできた温泉の一つで汗を流し、帰宅」
便利でそこそこ楽しく、快適ではある。しかし、ふと虚しくなる。
(ここでしか出来ない体験が、一つもないじゃないか!都会の郊外での暮らしと一緒じゃないか!)
だが、もう遅い。田舎ではあっても、小鮒の釣れる川はなく、うさぎ追える山などはさらに遠い。そして、「小京都」の風情を誇った城下町・飯田市の旧市街は、ひたすら空洞化し、郊外であるわが実家の近所に、日本のどこでも観れる景観が栄えるばかり。

そんなわしの眼に、今熊野商店街は、いとおしくかけがえがないのである。
わしの住んでいるのは山科で、ここは京都と言うても、らしさがほとんどない。現にわしの今日の生活は以下の通り。
「息子を連れて、山科駅前のNOVAへ。授業が終わると、隣のTUTAYAでビデオをレンタル。下の階のスターバックスでカフェラテをテイクアウト。駅前商業施設のラクト内のマクドナルドでハッピーセットを買い、おやつ。ラクト内のスーパーで夕食の材料を買い、帰宅」
わしがふるさとに戻ったときの生活と、あまりにも似たテイストであるのはおわかりだろう。
便利だがあまりに画一的でうそ寒くなる。だから、わしは、平日に通りかかる今熊野商店街の、ここにしかないお店がいとおしくてたまらない。京都だからこそ生き残っている商店街がほんまに大切に思えて仕方がない。

もっとも、今熊野商店街にもコンビニはあるし、あろうことか、ここにあるスーパーは最近、24時間営業になってしまっている。ふるさとのサティ近くに、飯田駅前から移転してきた西友が24時まで営業していると知ったときと同じような衝撃を受けた。
便利さと引き換えに、わしらは何か大切なものを失い続けているのではないか?
手作りのおからを、店頭でおばあちゃんがすくって売ってくれる、今熊野商店街の名もないお店こそが、まっとうではないのか?

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