2005.06.30

小説「流れのほとりで」第十七回

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 あの日、英輔は呼び出されて、祇園白川畔に赴いた。辰巳大明神近く、祇園の象徴とも言える吉井勇の歌碑に、菊の花が供えられていたのを見た記憶があり、「かにかくに祭」の翌日、十一月九日だったようだ。
 昼下がりの花街は、まだ眠ったように静かで、ほとんどひと気がなかった。英輔はわざとラフな服装をし、膝の擦り切れたジーンズで大またに歩き、とあるお茶屋の玄関に立った。
 案内を請うと、「仕込み」と思われる化粧気のない少女が取り次ぎに現れ、英輔が名乗ると緊張した面持ちで
「どうぞ、お通りやして」
と丁寧に腰を折り、上がるように促した。
 畳敷きの暗い廊下を進むうち、二・三人の女の笑い声が、襖の中から漏れてくる。やがて坪庭が明るく開け、その向こうに、茶室らしき離れが見えた。
「おかあさん、よろしおすか?」
仕込みの子が細い声で訊ねると、茶室の中から、張りのある女の声が響く。
「さあ、ずっとこちらへおこしやす」
 仕込みの小さな手が襖を開くと、炉の向こうにゆったりと座る五十年配の、大柄な女性が見えた。声はまだ、三十代かと思うほど艶やかである。英輔の目には高級そうとしか判断できない縞の和服を着て、柔和に笑っている。
「こないな商売をしてますよって、朝は遅おすし、夜はなんやかやありますよって、えろう半端な時間にお呼びたてしまして、ほんまにすんまへんことどした」
 屋形(いわゆる置屋)を兼ねたこのお茶屋のあるじらしい風格を滲ませる相手に気圧されまいと、英輔は精一杯気負って挨拶した。
「こちらこそ、無理を言って申し訳ありません。やっとお会いできて、ありがたく思います」
 この女主人に会うために、何度となく電話し、ほとんどが「いま、おかあさんはいやはりゃしまへん」という返事に苛立ってきた英輔だった。今日こそ、と意気込み、勧められた座布団に肘を張って座った。
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2005.06.18

小説「流れのほとりで」第十六回

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 恩田と美沙子が去って、翌日は寒波が訪れ、京都は薄い雪に覆われた。
 英輔はまた、出町柳で川を見ていた。ふさいだ気持ちを少しは晴らそうと、歩いてやってきたのである。
(ここから仰ぐ比叡山は、故郷飯田の風越山に似ている、と思うのは、自分だけだろうか・・・)
 共に飯田から京都に来た沢井は、故郷を捨てている。言葉も京都弁を使い、京都人になりきろうとしている。だが、英輔にそれは出来ない。
(あいつのやり方は、間違っている。どんなに金を稼いで、京都に人脈を作っても、あいつは京都を好きなわけじゃない。京都に溶け込もうとしているわけではないんだ)
 しかし、省みて自分はどうなのか、という問いが、英輔をさいなむのだ。
 美沙子を見て思い出した、かつて自分が恋した舞妓・・・彼女とは無残に訣別を迎えるしかなかった。その時点で英輔は京都を去っても良かった・・・いや、そうすべきだったかもしれない。
 亀の形の飛び石を、無邪気に跳ねて行く少女たちを眺めながら、英輔は、封印していた記憶を掘り起こす。
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2005.06.10

小説「流れのほとりで」第十五回

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 冬にしては明るい日差しが鴨川を照らしている。英輔は穏やかな気分で、恩田夫妻を連れ、水面を眺めた。
「差し出がましいことをしてしまったかと、内心びくついてたんですけど」
英輔の言葉に、恩田はかぶりを振る。
「いえ、いい勉強をさせてもらいました。美沙子のためにも、しっかり仕事を取って稼がないといけないと思って焦って、危ういことの片棒を担がされるところだった。お礼を言いますよ」
 美沙子が顔を上げて、恩田を見つめる。表情が曇っている。それに気付かない様子で、恩田は上機嫌に続けた。
「今、少し教えていただいて、京町家に改めて興味が持てました。それで、新しいアイデアも浮かんできたんですよ」
「ほう?どんなことでしょう」
相槌を打つ英輔に、恩田は熱弁を振るい始める。
「バブル崩壊と、テロばやりで外国旅行がすっかり下火になって、代わりに京都が大ブームだ。東京のデパートでも毎日のように京都の物産特集をやってるし、ついには、京都の町並みを取り入れた、上品な和風テイストのショップも出来つつある。そして、ご存じないと思いますが、東京にも舞妓がいるようになったんです」
「え?なんですって」
英輔は耳を疑った。恩田はここぞと得意げに声を上げる。
「浅草に芸者がいるのはご存知でしょう?あそこに、振袖さん、というのが出来たんですよ。今まで、京都の舞妓にあたる若い半人前の芸者を半玉と言ってましたが、舞妓とはまるで格好が違ってたでしょ?それを、ほとんど舞妓と同じ姿にしたんです。正確には半玉がそのままなったわけじゃなくて、雇用形態は新しい形らしいんですが、まあ、そんなことはどうでもいい。特に外人客には舞妓そのもので通用します。その振袖さんを、正確に作った京町家に置くことで、一層グレードは上がるじゃないですか」
 唖然としていた美沙子が、恐れをなして口を挟んだ。
「あなた、何を言ってるの?新しいアイデアってまさか・・・」
「東京に、小京都を作るんですよ。もう、それらしいものは既にあるんですが、振袖さんと組み合わせることで集客力は大幅にアップします。舞妓さんのいる京都が東京に出来るんだ。日光江戸村など目じゃない、京都村、これは受けますよ。私がその町家を設計して・・・」
 激しい虚脱感とうそ寒さに身をさいなまれ、英輔は橋の欄干を握り締めた。救いを求めるように向けた視線が、哀しみに満ちた美沙子の目と交錯した。
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2005.06.04

小説「流れのほとりで」第十四回

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 いかにも京都らしいお茶屋の続く前を、英輔は通り過ぎ、恩田と美沙子を招いたのは、あまり古くもない住宅の前である。
「祇園新橋伝統的建造物群保存地区、って言いまして、あっちのお茶屋のほうこそが京町家の典型みたいに見えますが・・・」
英輔は、照れたように顔をほころばせ、説明を始める。
「お茶屋は二階でお客をもてなすんで、普通の町家より、二階が大きいんですよ。で、わかりづらいんで、こっちの方で観てもらいます。二軒の家が、ほとんどくっついて建てられているでしょう?」
恩田と美沙子が、英輔の指差す先を振り仰ぐ。
「屋根を見てください。隣り合った家の屋根の高さが僅かに違っていて、重ねてありますね。あの重なっている部分の屋根を、ケラバって言うそうです。あの小さな屋根で、隙間の壁に雨が降り込むのを防ぐんです。」
恩田が敏感に頷く。
「そうか・・・町家は、こうやって隣り合って続いているから存在しうるんだ。単に統一した綺麗な景観という以前に、それでないと保全が難しい・・・」
「さすが、本職ですね、おれは、本で読みかじっただけなんで、あまりえらそうに講釈するのもなんですが、隣がなくなって、町家が単独で立つと、あの側面の壁が剥きだしになります。防水も何もしてない壁なんで仕方なく板を張ります。焦がした杉板とかなら、格好がつきますが、値が高いし耐久性もあまりないので・・・ほら、あそこみたいにトタン板を張るところが多い。するともう、風情も景観も台無しになっていくわけですよ」
 恩田は空き地に面して無残にトタン板の壁を晒している町家を見て、腕組みをした。
「古ければ、京町家、というわけではないんだね」
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2005.06.03

小説「流れのほとりで」第十三回

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 彼女も、ふるさとの川の名前を言ったはずなのだが、英輔はそれを記憶していない。あの頃の英輔は、祇園の白川の流れに映る舞妓姿に夢中だった。そしてその景色は、彼女のいなくなった今も、昔のままにあった。
 遠い声のように聞こえたのは・・・白川の瀬音だったのかもしれないと、英輔は川岸でぼんやりと思う。
「ここも、流れのほとりの街だったな・・・」
そう呟いた背中に、聞き覚えのある声が響いた。
「南原さんじゃないですか?京都は狭いって言うけど、たしかにそうだな」
胸に痛みを覚えながら振り返ると、恩田の顔が日の光の下でほころんでいる。その少し後ろには、美沙子が顔を心持ち伏せている。
「ご忠告ありがとうございました。京都で仕事はしたかったんですがね、今日の夕方に新幹線に乗りますよ。で、御覧の通り、土産物を漁ってるところです」
恩田は屈託なく英輔に語りかけ、手に提げたいくつもの紙袋を振って苦笑した。
 なんとなく息苦しくて、英輔は恩田から視線をそらし、美沙子を見る。美沙子の色白の顔に不審の色が浮かぶ。
「南原さん、お顔、腫れてません?」
「あ、いや、ちょっと二日酔いでね・・・」
慌てて恩田の方に向き直り、英輔は無理に笑顔になる
「そうですか、じゃあ、これで、お別れですね」
「うん・・・いや、お願いがあるんですが」
恩田が真面目な表情になり、手にした袋を石畳に置く。
「ニセモノの町家を飾り立てて高く売りつける仕事、と南原さんは今回の件をおっしゃいましたね」
「ええ・・・」
たじろぎながら、英輔は恩田のひたむきな視線を受け止める。
「これでも、建築家のはしくれなのに、京町家についてはあまりに不勉強でした。だからあの沢井氏の魂胆も見抜くことは出来なかった。泥縄で恥ずかしいんですが、本物の町家を、教えてもらえませんか」
「いま、これから、ですか?」
「ええ。厚かましいお願いですが」
 意外な言葉に、美沙子が目を見張っている中、しばし沈黙が流れた。英輔の胸には、どこか爽やかな小さな感動が生まれている。
「いいですよ、喜んでご案内します!」
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2005.06.01

小説「流れのほとりで」第十二回

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 暗澹たる気分で、ただひたすら足を動かし、英輔は鴨川を東に渡って、祇園の路地に踏み込んでいた。
 無知と、無鉄砲と、理想とで突っ走っていた若い頃、英輔は奇跡のように一人の舞妓に出会い、恋をした。成就するはずのない想いに燃え上がり、思いあがり、学生生活を棒に振った。
 それから幾年月・・・その舞妓の顔すらも忘れていたつもりだった。なのに、今、鮮明に浮かんでくるのはなぜだと、自問する。
(似ているのか・・・?美沙子が)
 厚い白塗りの下の素顔を、英輔は記憶の彼方からたぐりよせる。そうだ、彼女もまた、京都生まれではなかった。中学まで過ごしたふるさとの話を、隠れ家のように使ってデートした御幸町錦の小さな暗い喫茶店で、無邪気に話してくれたのではなかったか。

「うち、京都に来て、鴨川と比叡山が見えたとき、安心したん。川があって、その向こうにおっきな山が見えるんは、うちのふるさとの景色とおんなじやったから・・・」
「へえ!おれも、そうおもったよ。おれの場合は、鴨川に当たるのが、松川、比叡山は、風越山・・・って、言っても知るわけないよな」
「うん、しらへん。でも、いつか見てみたいな」

 遠い声が耳を打つ。
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2005.05.02

小説「流れのほとりで」第十一回

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 怒号する沢井に向かって、その息が掛かるほどに顔を近づけた英輔は、ささやいた。
「恩田の奥さんの、美沙子さんはな・・・市田柿を知ってたよ」
「はあ?なんのことやねん」
「おれの生まれ育った家、お前の田舎のうち、美沙子さんの実家。天竜川を挟んで、三つをつなぐと綺麗に正三角形になるんだ。美沙子さんは、おれたちと同郷なんだよ」
「それが、なんやちゅうのや」
 顔をそむける沢井に、英輔は噛み締めるように言った。
「おれと美沙子さんは、京都を見る目が似てた。おれたちの、ふるさとは、どうしようもなく変わって行ってしまってるけど、京都は辛うじて変わらずにいる。だから、京都を守りたいと思うんだ」
「寝言抜かしてる場合か・・・」
喚きかけた沢井の胸倉を、英輔は掴んだ。
「お前は、京都弁らしいものを身に付けて、地元の人間みたいな顔をしてるけど、おれと同じで、どうしようもなくヨソサンなんだよ。ワルぶって、金儲けに走って、いつか後悔する時が来るぞ。ヨソサンだから、平気で京都壊しをしたんだって、ずるい京都人に、責任を全部押し付けられて、スケープゴートにされるんだ、わからないのか?」
「けっ!!」
 沢井は力まかせに、英輔の手をもぎ離し、唾を吐いた。そのまま、英輔に背を向けて門に向かって歩いていく。
「お前に説教されるほど、落ちぶれたくないわ。時間の無駄やった」
捨て台詞を残して、沢井の姿は寺町通りに消えた。

 殴られて痛む頬を、寒風になぶらせながら、英輔は裏通りを行く。煤け、壁土も剥がれて老朽化している町家が目に留まった。二階の虫籠窓(むしこまど)の隙間に、小さな人形がある。瓦土で焼かれた鍾馗(しょうき)だ。魔除けのために、京町家にはよく庇のうえに見かける。おそらく、家の者にも忘れられているであろう埃だらけの鍾馗が、みじめな自分の姿に重なって見えて、英輔は深く嘆息した。

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2005.04.30

小説「流れのほとりで」第十回

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 二日後の昼下がり、英輔はまた、沢井に呼び出されていた。
 寺町丸太町を下がったところの、ひと気のない神社の境内。紅梅が社殿に寄りかかるようにして咲いているのに見惚れていると、玉砂利を荒々しく踏みにじる音がした。
 振り返った英輔の目に、沢井は明らかに不機嫌で、目の光は凶暴ですらある。
「なんで、こないなとこで待ち合わせしたか、わかるか!」
沢井の声は、咆え声に近い。英輔は唇を噛んだ。
「わかるさ。ここは、こんな時期にはまるっきり人が来ない。それと、おまえのオフィスに近いしな」
「一発、しばいたらな気がすまへんわ!あんだけ、踏み外すな、言うたやろが」
 沢井は唾の掛かるほど、英輔に顔を近づけて、鬼面となって喚く。
「恩田のおっさんに、ようも、余計な忠告さらしたな。ただの古いぼろ家を、町家に仕立てて高く売りつける、いんちき商売に加担すな、やと!おまえ、何様のつもりや!」
力任せの平手打ちに、英輔は砂利の上に打ち倒される。
「このクズが!恩田のおっさんには、大学の助教授で、アルバイトに京都のガイドをしとる、言うて紹介したったんは、わしの思いやりやったんやで。ほんまはなんやねん?わしが紹介してやるガイドの仕事以外、今、おまえに収入あるんか?」
 ひきつった顔で、英輔は立ち上がり、精一杯の気力で沢井に向き合う。容赦なく罵言が襲う。
「お前があの文学賞受賞して、わしが祝賀会、開いてやったな?あれから何年経つ?いまだに、本の一冊も出せへんやろが。そやのに、作家やと?原稿料一円も稼げへん作家がおるか?わしの紹介してやるガイドの仕事と、女にたかって、やっとこ食いつないでるおまえや。身の程わきまえたらんかい!」
 歯を食いしばって、顔面を紅潮させ、英輔は沢井ににじり寄る。
「言われなくても、わかってるさ、そんなこと・・・」
「わかってへんわ!おまえ、恩田の嫁さんに、惚れよったやろ。このクソ餓鬼が、色ボケが!」
 野卑な叫びも、静まり返った境内に吸い込まれ、外にはほとんど漏れない。
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2005.04.29

小説「流れのほとりで」第九回

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 両側を生垣の続く、とても長い参道をゆっくりと登って泉涌寺に着くと、英輔は少し疲れた様子の美沙子に、悪戯っぽく笑って、さらに少し東山に踏み込んだ。
 その小さな塔頭には、思いがけないほど広い庭園があって、うららかな陽光が緋毛氈に射し込む書院で、美沙子は大きく伸びをした。
「こんなに静かで景色の良いお寺を、独り占めできるなんて」
「天気がいいからね。頼んでおいたから、すぐに、お薄が来るよ」
英輔の言葉に、膝を投げ出して座っていた美沙子は、少し慌てて正座した。
 やがて、作務衣を着た老婦人がやってきて、抹茶を点ててくれる。神妙な顔で座っていた英輔は、老婦人が運んできた菓子を見て、目を丸くした。
「これは・・・」
そのとき、美沙子もそれに気付いて、英輔と同時に同じ言葉を発した。
「懐かしい、市田柿」

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 老婦人が驚いて二人の顔を見比べる。英輔と美沙子はもっと衝撃を受けて、見つめ合った。
「この干し柿、たしかに市田柿ゆうて、信州の名産らしゅうおすけど、お二人はそちらの方どすか?」
 老婦人の言葉に頷きながら、美沙子はおずおずと英輔に尋ねる。
「南原さんは、飯田の人なんですか?」
英輔は、干し柿に手を伸ばし、真っ白に粉を吹いているひとつをつまみあげた。
「この柿、おばあちゃが毎年、何百個も皮を剥いて、二階の軒下に吊るしていたよ。あの頃は、日本全国、秋になればどこでもこれを作ってると思っていた。いちだがき、ってブランド名みたいになって、こっちで売られてるのを見たときは、びっくりした・・・」
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2005.04.23

小説「流れのほとりで」第八回

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 山科の喫茶店から、タクシーを走らせて東山トンネルを抜け、英輔は東山七条の智積院に美沙子をいざなった。
 冬にしては驚くほどの明るい日差しが、書院の庭園を照らしている。瀧音が聞こえ、池の豊かな水面が広がっていた。 
「そんなに大きな庭ではないんだけど、迫力あるでしょう?」
「ええ、山がすぐそこで、わあ、池は、縁側の下まで!」

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 二人は縁側に座って、しばし庭を眺めた。
「枯山水のお庭より、この方が心が潤ってありがたいわね、特に冬には」
笑顔の美沙子に、英輔も笑って頷いた。
「ここは、真言宗のお寺で、禅寺じゃないですしね。僕も、水のある風景のほうが好きなんです。川のほとりで育ったからかな。京都も、流れと山の景色があるから、すぐに馴染んだというか、どこか懐かしいんですよね」
「懐かしい、うん、わたしもそれには同感だわ」
 二・三人のグループの観光客が二組ほどやってきただけで、ずっと庭は静けさの中にあった。気がつくと一時間近く、座っていたことに気付いて、英輔は立ち上がった。
「美沙子さんは、歩くのは自信ありますか?」
「ええ、山育ちだから」
生き生きとした表情の美沙子に、英輔は泉涌寺まで歩いていくことを提案した。
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2005.04.22

小説「流れのほとりで」第七回

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 英輔の言葉に、美沙子は喜びの色を浮かべて、紅茶を啜った。
「今日、そのいんちきな仕事の打ち合わせに行ってるけど、夜にはまた、恩田に会ってそう言ってくださらない?」
「いいですよ。」
英輔は軽く応えたが、美沙子は信頼しきった様子で、少女のように目を輝かせる。
「憧れの街だわ、京都は。わたしみたいはおばさんはもちろん、若い人にだって、そうなんだから。・・・ほら、舞妓さんにしてくれるっていうか、舞妓体験、舞妓変身どころ、っていうの、あるでしょ?あれ、人気なのよね。わたしももう少し若かったら、やってみたいと思った」
「あれですか・・・僕らは、ニセ舞妓って呼んでますが」
英輔は苦笑した。そして、遥かな記憶が蘇って、知らず知らず口調が鋭くなっていた。
「最近はほんとに、化粧の仕方、自毛で髪を結う方法なんか、本物そっくりになってますけど、ニセモノだってことは地元の人間には一発でわかりますよ。本物はね・・・あの、高いおこぼって下駄で、走るように歩くんです。出来ますか、素人にそんなこと?・・・本物の舞妓は、自分の時間なんてないですからね・・・いつも追われるように急いで、京都の花や景色を見に行くこともなくて、屋形とお茶屋、狭い花街のなかだけで青春を潰して」
 あっけにとられて見つめる美沙子に気付いて、英輔は慌てて口を閉ざした。
「南原さんは、舞妓さんのことも、詳しいんですね。個人的なおつきあい、あったのかしら?」
「そんなの、無理ですよ。僕みたいな階級じゃ、お茶屋遊びなんて、一生できません」
「階級って、おおげさね。南原さん、沢井さんのお話じゃ、本職は日本文学の助教授なんでしょ?」
英輔は微かにひきつった笑顔で早口に答えた。
「ええ、学者は貧乏なものと決まってますよ。さて、夕方までまだ時間がありますね。どんなところをご案内しましょうか」
 陽気に声を上げながら、英輔は脳裏に浮かんだ面影を振り払おうとしていた。ふく髷に結い上げた髪、白塗りと紅の下に輝いていた誇り高い表情、憧れ、恋慕したただ一人の妓・・・
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2005.04.15

小説「流れのほとりで」第六回

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 その喫茶店は山科の住宅街にあって、洋館が違和感なく郊外の景色に溶け込んでいる。
 英輔は、暖炉の前の席に美沙子を導いて腰掛けた。
「年季の入ったテーブル・・・市外にもこんな素敵なお店があるのね、京都って」
「あの、ここも京都市内なんですけどね」
 目を輝かせて室内の調度を見まわす美沙子に、英輔は苦笑した。ベイクドチーズケーキと紅茶を二人分注文すると、英輔は真顔になり、テーブルに手を置いて美沙子に訊ねる。
「それで、ご主人に内緒で、相談というのは・・・?」
 茶色のスーツ姿の美沙子は、白い首を曲げて、窓の外を眺めた。独り言のように言う。
「あの、沢井っていう人が、恩田にさせようとしている仕事・・・ご存知?」
「いや・・・私は、ガイドですから。ただお客様に京都を案内するだけですよ」
「京都のおんぼろ民家を、できるだけ安く改修して、まちや、に見せかけて、喫茶店や雑貨屋をしたいと思っている人に売りつける・・・いんちきな商売の片棒を担がされようとしてるの」
 英輔は言葉に詰まり、コップの水を飲んだ。

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「私は、京都が好き。なんか、日本の中でも、ひとつだけ特別に憧れる街。だから恩田には、そんな、京都を壊していく仕事に関わって欲しくないの。南原さんも、京都のガイドなら、京都を守っていきたいでしょ?なんとか、ならないかしら・・・」
 紅茶とケーキが運ばれてきた。英輔は黙ってフォークを取り、チーズケーキを口に運んだ。美沙子もそれに習う。
「・・・美味しい!」
「でしょ?・・・ここは、30年、ケーキも、料理のソースも全部手作りでやってきたお店なんです。それこそ、こんな郊外の不便な場所でね。値段は安くはない。でも、この店を愛する人は多い。だってここは、憧れの店だから・・・そうですね、京都も、憧れの街でいなくては、いけないと思いますよ」

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2005.03.31

小説「流れのほとりで」第五回

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 先に立って歩く英輔の背中に、恩田がぶっきらぼうに声を掛ける。
「しかし、なんだね。町家作りの家なんて、そんなに多いわけじゃないんだ。あの宿は立派なモンだったが」
「どんどん減っていきこそすれ、増えることはありませんからね。元通りの形を保ってる家なんか、貴重品です。ほとんどは、窓をサッシにしたり、土間に床を張ったり、土壁にトタン板を貼ったり、住みやすくして、不細工になってしまってますよ」
「寒いからなあ、京都の冬は・・・確かに底冷えがする・・・まだかい?すぐそこだと言ったじゃないか」
 口を尖らす恩田を、妻が笑った。
「まだ、5分くらいしか歩いてないじゃない。あ、鴨川ね?川沿いの灯りが綺麗」
 四条大橋を渡って、繩手通を北上し、祇園白川に出る。道に設置された白熱電球に似た光を放つ照明が、並ぶお茶屋を映し出す。
「これは・・・実に京都らしいな」
嘆声を上げる恩田の横で、妻が呟く。
「でも、なんだか、映画のセットみたい・・・ここだけこんなに、らしくしてると」
 英輔は、意外な感じがして、恩田の妻を振り返った。

 僅かの徒歩で凍えた恩田は、席に着くなり熱いウーロン茶を求めた。
「僕は酒があまり飲めなくてね。でも、美沙子は日本酒がいいんだろ?」
 すぐに先付(さきづけ)に貝柱の和え物が届き、白川に面した座敷で、川面に踊る灯りを見ながら、三人は食事を楽しんだ。
「奥さん、いい飲みっぷりですね、もう、お代わりを頼まないと」
 味噌仕立ての牡蠣の椀がでて来たときには、最初の銚子が空いてしまっていた。美沙子は生き生きと目を輝かせ、次にやってきた向付(むこうづけ)に箸を付ける。鯛と車海老の刺身が古伊万里の絵皿に盛り付けられている。
「お皿も綺麗だけど、お刺身のツマのセンスがいいわね・・・これ、海草?」
 好奇心と食欲を溢れさせて、なおかつ食べ方の涼やかな恩田の妻=美沙子を見ているうちに、英輔は胸の中がほのぼのと暖かくなってきた。
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2005.03.24

小説「流れのほとりで」第四回

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 玄関を上がると古風な帳場があり、その横が応接間になっている。程なく女将に案内されてやってきたのは、四十歳代とおぼしき夫婦だった。きちんとスーツを着た夫は痩せ型でフチのない眼鏡に理知的な光をたたえている。妻は紬の和服姿に艶やかな黒髪が美しい。
「建築設計事務所をやってはる、恩田さんと奥さんや」
沢井はにこやかに恩田と握手し、英輔を見る。
「ほんで、こっちがガイドの南原です。なんでも融通効く男やさかい、思いっきりわがまま言うてくださいよ」
豪放に笑って肩を叩いてくる沢井に合わせて、英輔は微笑した。頭を下げながら、素早く客の二人を観察する。夜の京都を案内するガイド、通り一遍の観光では飽き足らない客を満足させるのが、英輔の役目であった。

 恩田氏は、東京郊外に事務所兼用の自宅を持ち、主に住宅の設計をしている。妻はその事務を手伝いながら趣味の水彩画教室を開いているという。二人とも東京出身で、大学時代に知り合ったそうだ。
 沢井は二人を英輔に引き合わせるとすぐに車で去った。英輔は夫妻を案内して宿を出た。
「お食事は、懐石を予約してあります。すぐそこですから、歩いていきましょう」
「南原さんは、京都弁じゃないんですね?」
恩田が、英輔に尋ねる。
「ええ、京都に来たのは二十歳前で、こっちのアクセントはどうにも身に付きません。変な京都ことばを喋るより、元の言葉を通す方がましだと思ってます」
「そのほうが、私には気楽ですわ。京都の言葉って柔らかくて耳に気持ちよく響くけど、どうもなにを思っているのかわからないところがあるもの」
恩田の妻が笑って言う。夜道でもその笑顔は花のように明るい。
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2005.03.23

小説「流れのほとりで」第三回

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「地獄てなんや・・・大層やの」
沢井はハンドルを握りながら、呟くように返す。
「きっと、どんな町にもあるんだと思うさ。京都じゃそれが一目でわかってしまう。あまりにも対照的だからな」
「確かに、俺らの最初に住んだトコは、学生アパートちゅうコンクリートの箱で、夏は蒸し風呂、冬は冷蔵庫やったがな・・・地獄呼ばわりはないやろ」
 沢井は苦笑いしている。
「まあ、そないな御託は、お客さんに披露したらええ。辛口の京都案内いうて、わりと受けとるさかいな。けど、踏み外したらあかんで」
「わかってるさ・・・」
 英輔はシートに身体を埋めて、流れ行く河原町の明かりをぼんやり見た。

 その宿は、四条河原町の賑わいからほんの少し離れただけの場所にあったが、本格的な町家造りが屋並に溶け込み、静謐なたたずまいである。一日三組しか泊めない小さな旅館で、元は日本画家の家だったそうだ。
 沢井は大胆に狭い路地にベンツを乗り入れ、宿のまん前に停車する。素早く車を降りて、英輔を連れて玄関に向かう。
 格子戸を開けると、花と香のかおりが漂った。案内を請う沢井のがさつな声が静寂を破る。
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2005.03.15

小説「流れのほとりで」第二回

gokuraku

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 その時、黒い風を巻くようにして一台のメルセデス・ベンツが橋を渡ってきた。英輔の眼前を通過し、三角州の公園の入り口で停まる。運転席の窓が開き、顔を突き出した男が、抑えた声で叫ぶ。
「さっぶいなあ、はよ、乗りや!」
 英輔は顔をしかめ、車に歩み寄ると、助手席のドアを開いて乗り込んだ。
 運転席の男は、丸顔に口髭を生やしているが、英輔と同年輩である。タートルネックのセーターにスーツを着込んでいる。そのよく光る目が、英輔のくわえている煙草に留まった。
「まだ、そないな時代遅れのモン、吸うてんのかいな」
 英輔は唇から煙草をむしりとり、フロントパネルの灰皿に押し付けて消す。その煙を露骨に迷惑そうに避けながら、男は車を発進させた。出町橋を渡り、豆餅の「ふたば」の前を南へ下がって、今出川通を渡ると、河原町通を南下する。
「時代遅れで悪かったな。けど、そういうお前だって、古臭い町家で儲けようとしてるんじゃないか」
「そうやで。けどそれがいま、京都では一番、新しい商売なんや」
得意げに男は笑う。その笑顔はひどく愛嬌がある。髪を短く刈り、小太りなので余計にそう見えるのかもしれない。
「まちや、に憧れてる『よそさん』に、適当なボロ家を改装して、カフェでもやらはったら、言うて貸し付ける。ごっつ、喜んでもろてるで」
「いったいその幾つが、一年もつのかな」
「ええ夢を見てもらうんやんか。その夢が続くかどうかは、ご本人さんの才覚やな」
陽気に喋り続ける男は、名前を沢井道男という。信号待ちになったとき、沢井はふと、英輔に顔を向けて聞いた。
「お前、橋の上で高野川の上の方を見とったな。俺は、三角州の前で、言うたやろ。さぶいのになんでや?」
 英輔はフン、と鼻から息を吐いて呟いた。
「俺たちが、伊那谷から出てきて、初めて京都に下宿した町を見てたのさ。お前が忘れたがってるモノをさ」
 沢井は顔を前に向けなおし、青信号で車を発進させる。英輔は言葉を続ける。
「天女の舞う極楽を描いた絵が、長い年月を経て地獄絵みたいに見えてくる。それでなくても、京都には極楽と地獄が背中合わせに存在しているってな」
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2005.03.13

小説「流れのほとりで」第一回

kawaihasi

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 なだらかな山々に囲まれ、街中でも鮎が獲れる清流に潤された京都は、さながら全体が美しい庭園である。
 しかし、京都の幾つかの名園は、もともと墓地であったり、古墳の石組みを庭石に流用したという、知られざる一面をもつ。
 極楽浄土を地上に再現したと思われる庭が、実は地獄の上に築かれたものなのかもしれない。

 南原英輔(みなみはら えいすけ)は、疲れた足で、高野川に掛かる河合橋の欄干に寄りかかっていた。
 橋を東に渡れば、叡山電鉄出町柳駅の賑わいがあるが、川は暗く灯りを吸い込み、橋の西たもとは北方の糺の森の闇に繋がっている。
 二月の末、観光客の最も少ない京都。英輔はコートの衿を立てて、煙草の煙を吸い込んだ。三十代に掛かろうとしている男の顔が、火口に照らされて浮かぶ。
「遅いな・・・」
焦れた言葉が漏れる。寒風に背を向けて、英輔は歯噛みした。こんな場所を待ち合わせに指定した相手にも、それに従うしかない自分にも腹が立っていた。
 そして、腹が立つといえば・・・この橋の上から見る光景だと、英輔は思う。今は夜の闇に隠されているが、高野川の左岸、つまり東側と、その反対側は、あまりに対照的だからだ。
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☆例によって、構想不足のまま、強引に書き始めます。流れの行方はまだ、わしにもわかっておりませんが、できるだけ鮮烈に、わかりやすく、面白く、そして、少々痛い小説にしたいと思います。よろしく!

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