2009.01.14

伏見稲荷大社・達成のかぎ

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さて、もう少し伏見稲荷さんと、「達成のかぎ」について、補足。
この写真は、数年前の夏に訪ねた時のものです。
全国に3万もあるらしい、稲荷神社の総本社が、この「伏見稲荷大社」。

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楼門や拝殿、本殿などが並ぶところも荘厳ですが、圧巻はやはり、稲荷山をめぐる参道に立ち並んだ「千本鳥居」でしょう。どこまでも続く赤い鳥居の中の道は、まったくもう、不思議な雰囲気です。

そしてこの稲荷山には、下社・中社・上社と鎮座し、そのそれぞれにたくさんの神様が祭られているほか、命婦社、荷田社、大八嶋社、などなどが、鳥居のトンネルにつながっています。全部を回るのはとても大変ですが、途中には休憩所もいくつもあって、美味しい稲荷寿司やうどんが食べられますよ。

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稲荷山の上、見晴らしのいいところからは、京都南部の眺望も楽しめます。

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そして、楼門前のお狐が咥えてはった、「鍵」。

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それを象った「達成のかぎ」というものをさずかってきました。

付属していた説明文によれば、これは「稲をはじめとする多くの宝物を納める倉庫の鍵を象っております」とのこと。
「稲荷」という言葉は、古くは「稲生」「稲成」とも書かれ、稲の豊作を何より願ってきた日本列島の住民の切実な思いがこもっています。そしてこの鍵は、運を良い方へ導き、願い事達成の得となるそうです。

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うちは、京阪で行ってきましたが、JRの駅もあります。こっちには駅舎があって、やはり神社の一部分のような造りです。

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その近くには、ランプ小屋という煉瓦作りの小さな建物があって、現存する旧国鉄の建物としては最古だとか。

かつては祇園社と稲荷大社が、平安京の二大神社として、五条通りを境に北が祇園、南が稲荷の氏子圏だった時代もあるそうです。
創祀から1298年の歴史を誇る伏見稲荷さん、重なり合った鳥居のように、見どころも歴史も楽しみところも、奥深いです。

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2009.01.07

2009初詣に、伏見稲荷へ

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ずいぶん、更新しないまま過ぎてきましたが、なんとか元気にやっております。

遅れましたが、あけましておめでとうございます。

年末年始は、郷里の長野県飯田市で過ごしておりました。
天気もよく、家族みんなで穏やかなお正月を迎えることができました。

さて、京都に戻ってきて、まず初詣と思い立ち、でかけたのが伏見稲荷さん。
5日に行ってまいりました。
トップの写真はその総門です。

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もう平日だからとタカをくくって行ったのが大きな間違いで、神社の駐車場は勿論、近辺の駐車場も満杯のありさま。仕方なく東福寺あたりまで戻って100円パーキングへ車を置き、京阪電車で行きました。
伏見稲荷駅からして、ご覧のようにお稲荷さんの境内のような作りになっております。

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京阪とJRと、二つの伏見稲荷駅から、続々と参詣人が押しかけ、ご覧のにぎわい。さすがは日本のお稲荷さんの総元締めですな。

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とは言うても、この門前、わしは日ごろ、用事でわりと通っているんですが、普段はほんまに、ひっそりしたものなんですよ。

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さて、トップに掲げた写真の総門前には、青銅の大きなお狐さんが、狛犬然としていますが、その向かって左のお狐さん、口に「鍵」を咥えてはるんですな。
お参りして、おみくじを引き、破魔矢をいただいてきたのですが、その授与所に、「達成の鍵」というものもあったので、これもいただいてきました。また別稿で紹介しましょう。

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茶店で稲荷寿司ときつねうどんを食べましたが、さすがに美味しかった。
その並びには、神具を売るお店が並んでいて、その品揃えはとても賑やかで、見ていても楽しいです。

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やはり、キツネ関係のモノがずらりと並んでおりますね。

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お土産には、キツネ面のせんべい。これもいろんな種類がありました。

わしとしては、もうひとつの名物である「スズメ焼き」をほおばって、一杯やりたいところでしたが、何しろ車で行ったもので。
それに、スズメを売っている店はそんなになく、あっても「国内産」をえらく看板で強調していたところを見ると、鳥インフルエンザの恐怖も影響しているんでしょうな。
スズメよりはウズラを焼いている店のほうが多かったように思いました。

今まで、伏見稲荷さんに初詣に行ったことはなかったんですが、なにしろこの不景気。
景気回復、商売繁盛を祈願してまいりました。
明るい年となりますように。

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2007.11.21

鴨川散策 その4 団栗橋から四条大橋

まだ11月7日の鴨川散策の記事の続きですが、もうしばらくお付き合いのほどを。

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松原橋の次に見えてくるのは、団栗橋。
これも小さな橋ですが、流れには直角に架かっています。

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このあたり、水深が結構あって、魚も多い様子。
ここには、アオサギでなく白い鷺が居ました。形と大きさからすると、よく見かけるコサギでなく、チュウサギかな?それともアマサギ?

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いかにも魚が好みそうな凸凹したコンクリートの護岸に、釣り人が腰を据えていました。こちらもいかにも常連と言う雰囲気。

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団栗橋の辺りは、投網で魚を捕ってお客に供するのを売り物にしている料理屋さんもあると、かつて聞いたのですが今はどうなんやろな。

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よく整備された散歩道を行くうち、四条大橋が見えてきます。

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橋の南西のたもとにそびえるのは、中華料理店「東華菜館」。
大正15年に、ヴォーリズ建築事務所が設計して建てた、スパニッシュ様式の建物だそうで、入り口の前を通ると、いつもタコだの巻貝だのの彫刻がいっぱい貼りついている玄関に見入ってしまいます。

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そういえばわし、四条大橋はもう、しばらく渡ったことがないと気づきました。
この橋自体は、三条や五条のに比べると、そんなに個性がないような・・・

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ここの橋の下には、鴨が住み着いているようで。棲家っぽい雰囲気があります。

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さらに、橋の下の真ん中辺り、何か不思議なオブジェのようなものが・・・


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鴨川散策 その3 五条大橋から松原橋

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さて五条大橋のかみから、対岸を見ると、「料理旅館・鶴橋」の古雅な建物。
木造三階、総檜作りの堂々たる風格で圧倒されます。

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そしてこの日は、その手前の流れに、ユリカモメの一群が居ました。冬の風物詩として親しまれる彼ら。家に帰って新聞を見ると、やはりこの日に琵琶湖でも確認されたらしく、飛来したばかりのようでした。

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さらにかみへ上っていくと、見えてきたのは松原橋。豊臣秀吉が五条通を押し下げる前は、ここが五条大橋だったと聞いたことがあります。

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小ぶりで素朴な感じの橋の街灯の天辺に、カラスがのんびり留まって日を浴びてました。

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この橋も、正面橋のように、流れに直角でなく、斜めに掛かっております。

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松原橋のかみの対岸には、また、趣のある建物。
これも、もとは老舗料理旅館で、改装し「ザ・リバー オリエンタル」というレストランとして繁盛していたのですが、耐震性に不安があるということで、先ごろ、閉店になってしまったそうです。一度行っておきたかったな。

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ここいらには、なにやら一面に小さな花が咲いて、川原を埋め尽くしておりました。

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近寄って目を凝らすと、なかなか繊細で可憐な花でした。なんていう名前やろ。

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2007.11.15

狩野永徳展、そして清水寺

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11月14日、気合を入れて、開館前に京都国立博物館へ出かけ、「特別展・狩野永徳」を観てきました。
9時10分ごろに着いたら、もう100メートルぐらいは行列していましたが、30分ほど経って入場させてもらえました。

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薄暗い館内は、絵の前に人が貼り付いて、ちっとも進まないので、人気のある絵のほとんどは、人の頭越しに観るという結果に(涙)。

それでも、永徳という人は、細密な画風から、豪放な描法まで、天才的に駆使した人だったのね。というくらいは頭に入りました。

でも、なんちゅうても、力強い松とか岩とか、唐獅子の巨大な絵がかっこええわ。あんだけ、パワーで圧倒される絵画が日本画にあるのは、嬉しい。

で、混雑の中で、要領よく見ようと複雑な動き方をしたもんやから、あちこちで人にぶつかり、「すんまへん」と謝ることを繰り返し、ふらふらになって、会場を出ました。

ここに来たからには、常設展も見ないともったいない。
なにせ収蔵品が多いので、部分的にしか常設してないため、観るたび新しいものがある。
仏像、刀剣のコレクションを堪能しました。
十一面観音さんは、フィギュアスケートのキムヨナちゃんみたいに凛々しく清艶なお顔をしてはった・・・

足を棒にして、博物館を出ると12時。休日で家に居る嫁はんに電話して「お昼どないしよ?」と聞くと、「たまにはひとりで豪華にランチ食べて、ゆっくりしてきよし」とのありがたいひとこと。まあ、嫁はんもたまには家で羽を伸ばしたいんやろな。

というわけで、歩いて五条通まで行って、とある店で昼食。その勢いで、久しぶりに清水寺へ参詣。
明日から夜間特別拝観やけど、紅葉がどんなんか見たろ・・・

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勢いというのは恐ろしいもので、まだ「子安の塔」までは行ったことがないことに気づいて、境内全部見てしまいました。
紅葉は、まだほんの少しでした。

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2007.11.13

鴨川散策 その2 正面橋から五条大橋

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七条大橋から北へ歩くと、すぐに見えるのが正面橋。
この橋に関連し、以前、正面通についても記事を載せたことがあります。
http://ryu3.cocolog-nifty.com/dragontail/2005/06/post_1727.html
この橋は、川の流れに対して直角になっていない、妙に傾いた角度で架けられています。なんでやろな?

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さて相変わらず、水面ばっかり見て歩いていると、正面橋手前の水中に、ハエジャコと異なる、ちょっと大型の魚影を発見。雑魚の群れめがけて、獰猛俊敏に突進するこやつは、紛れもなくブラックバスではありませんか。
そんなに数は居ないようですが、やはり鴨川にも侵略してますな。

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正面橋をくぐると、鷺と鴨が一緒に群れている珍しい風景。これは岸からパン屑を投げてやっている人が居て、そこに群がっていたのでした。魚を狙う鷺と、基本的に植物食の鴨ですが、どっちもパンは食べるのですねえ。

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よく整備された散歩道と、雑草生え放題の川原・・・のんびり歩いていても、汗ばむほどの陽気。
やがて見えてきたのは五条大橋。

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この橋の下の流れの段差でも、アオサギが餌を摂っていました。

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国道一号線が走っている橋なので、その幅は巨大。おそらく鴨川最大。
ということはとても良い雨除けの屋根になるわけですな。

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欄干や擬宝珠などは、京都の橋、弁慶と義経の出会いの場、などを意識したつくりになっているけれど、日夜車の行き来が絶えない現代的な橋であります。

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2007.11.09

鴨川散策 その1 七条大橋付近

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下の記事で述べたような事情で、11月7日、鴨川を散策しました。
出発は七条大橋。柳の樹に穏やかな日差しの照る、散歩には格好の日和。

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堤を降りて川のほとりに来て見ると、流れは結構豊かで、川原の植物もよく茂り、そして鳥たちが思いもかけず伸びやかに生息していました。
このアオサギ、見つけたときはまさに獲物の魚を飲み込んだところでした。

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そのあとも、流れの真ん中に行って、妙な角度で首を傾げていたのは、やはり魚を狙っていたのでしょう。

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水中を透かしてみれば、驚くほどたくさんの魚影。

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水面にも跳ねていたこいつらは、オイカワやカワムツなどのいわゆる「ハエジャコ」の類でしょう。
生き物を見るのが好きなわしは、もうひたすら水面を見ながら、鴨川左岸を遡って行ったのです。

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2007.11.08

狩野永徳を観るはずが

ようやく時間が出来たので、7日の昼ごろ、京都国立博物館でやってる、「特別展・狩野永徳」を観ようと、東山七条へ勇んで出かけたのである・・・が!

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こんな平日、どんなに混んでいてもたいしたことはなかろうとたかをくくっていた。博物館前に着いても別に行列はなかったので安心した。
それが大間違い。
受付で「2時間待ちです」といわれて仰天。
なにしろ、ここは敷地が広大なので、とにかく入場は出来るが、どうやら建物の前で並んで待たねばならないらしい。
3時には用事があったので、鑑賞は断念せざるを得なかった。

空いた時間どないしようと途方にくれたが、すぐに「歩こう」と思いついた。
ブログ仲間のyumeさんがこの間、鴨川沿いに長い散策をされていたのが印象に残っていたのである。
健脚のyumeさんには及びも付かないが、天気もいいことだしと、七条大橋を出発した。

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結果的にとても気持ちの良いときを過ごす事ができて、災い転じて福の思いである。
鴨川散歩の写真と感想は、これから、数回に分けて載せよう。

それにしても、各種イベント、展覧会などの混雑振りは、以前とは比べ物にならないのだなあ・・・

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2007.11.02

百万遍・秋の古本まつり

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左京区は百万遍・知恩寺で開かれている「秋の古本まつり」に、ずいぶん久しぶりに足を運んだ。


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どうやら、今回が31回目になるらしい。境内には、京都古書研究会加盟店が、18軒、露店を出していて、古本で埋め尽くされている。

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鐘楼はチャリティーオークション会場、阿弥陀堂は入札コーナーとやらで、目玉商品が並んでいるようだ。

なにしろ、古本市なので、音楽も子どもの歓声もなく、本を探す人々が黙々と露天をめぐっているだけの静かな雰囲気である。食べ物や飲み物の屋台も少しはあれば良いのに・・・
でも、結構若い人々が多い気がした。制服の高校生が意外と目に付いた。ひょっとして修学旅行生なのかな?

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会場の外に、古本まつりの幟が立ち並んでいるのも、わしには結構見慣れた感じである。あまりこの古本まつりで買ったことはないけれど、なじんだ秋の風物詩ではあった。

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会期は11月4日まで。開場時間は午前10時から午後5時までだそうだ。

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2007.09.21

京都観光でもご注意を

彼岸の入りも過ぎたのにまだ京都は暑いです。
さて、涼しくなって行き、木々の葉も色づいてくれば京都はさらに賑わってゆくでしょう。

京都の観光については、様々な情報が溢れていますが、
マイナスの面、注意しなければならぬこと、の情報はなかなか表に出てこないと思います。

わしがこのところ、京都で気になっていることをひとつ。
「ひったくり」が増えているような気がするのです。

携帯メールで、京都府警からの「ひったくり情報」が毎日のように入ってくるのですが、「ひったくり」はかつては深夜とか寂しい場所とかが主な舞台でした。
それがこのところ、場所も時間も選ばなくなってきた印象です。

四条だの烏丸だののにぎやかな場所、そして人目の多い時間帯にも起きています。

昨日20日には、午前10時に今熊野小学校南側で、高齢女性が
          午後6時半ごろに市役所付近で仕事帰りの女性が連続で被害に遭っているそうです。

被害者は女性が圧倒的ですが、男性でもやられています。複数で飲み歩いているサラリーマン、家族連れの観光客も被害に遭ってます。

せっかくの京都観光で、ひどい思い出を持ち帰らないように、
どうか十分に気をつけてください。

☆歩道は車道の反対側を歩くこと。
☆肩にかけるバッグはたすきがけに。ハンドバッグには貴重品を入れない。
☆歩道を走ってくる自転車・バイクに警戒すること。

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2006.06.29

みやこめっせ10周年 その3(京都検定関連)

みやこめっせ10周年イベントの、もう一つの柱は、いわゆる「京都検定」に関連するものでした。
すでに「京都検定」についてはここでも何度か触れましたし、わしも2級合格、1級不合格という輝かしい戦歴を誇ります(笑)
そして今年、「歴史都市・京都から学ぶ ジュニア日本文化検定」というものまで発足し、11月下旬に行われることとなりました。
通称・ジュニア京都検定。詳しくはここを参照。

イベント会場では、このジュニア京都検定をベースにした「京都遊学館」という展示コーナーがあり、舞台では「皆でチャレンジ!家族で京都検定」という催しもありました。

で、豪華景品に釣られて、我が一家も「家族で京都検定」に参加(苦笑)
つまりは舞台の上から司会者が問題を言い、観客は渡された○×カードを掲げて、最後まで残った数家族が景品をもらえるというやつです。
「お父さんは京都検定2級やし、お父さんと同じ答えを出せば景品もらえるよ!」と嫁さん。
「景品、なんやろ?」すっかりもらえる気になっている息子。
「おう、ま、まかせとき!」一抹の不安を覚えつつ、胸を張るわし(汗)

第一問
「これは簡単です。平安京が出来た当初、堀川大路はなかった。○でしょうか×でしょうか!」
舞台の上から明るいお姉さんの声。
(???ええと、堀川って、当初の大路にあったかなあ・・・なかったような気が・・・)
で、わしは○を掲げたのです。
「正解は、×でした~~~」
「ええ~~~~!?お父さん!」家族の非難の絶叫、落ち込むわし。
京都検定2級取得のお父さんの権威、一撃で失墜(わはははは)・・・・

で、お父さんは頼りにならぬと、嫁さんは「ジュニア京都検定」のテキストを買ったのです(爆)
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家に帰って「なんやこんな子供向け・・・」と思いつつ、ページをめくってみました。
「!!」
衝撃が走りました。面白いのです。読みやすくわかりやすくて、しかも情報量は十分すぎるほど。
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挿絵、写真はオールカラーでふんだんに使われていて目に面白く、構成も工夫されていて、知識の羅列であくびが出る大人版「京都検定」テキストとは比べ物にならぬ完成度。ありがたいのは、漢字に読みがながふってあるので、難読の京都の地名、人名も難なく読めるのです。
これは、京都を知るにはこの上ない素晴らしいテキスト。自信を持ってお勧めできます。
定価952円ですが、たしか京都市の小学5年生には全員、無料で配布されるはず。素晴らしいことだ。
「西陣織の手機(てばた)、今は紋紙の代わりにフロッピーディスクを使うのが主流です」なんてことがちゃんと書いてあるんですよ。

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2006.06.28

みやこめっせ10周年 その2(食)

さて、みやこめっせ10周年イベントは、産業やものづくりの展示だけではもちろんありません。
「食」に関しても、「京都の食探訪」と大きくテーマが掲げられて、充実した、よだれの出る展示がされていたのです。

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中でも圧巻は、綺羅星のごとき京都の老舗料亭の料理が、ずらりと展示されていたこと。
もちろん、蝋細工などでない実物です。一度は行きたい名店の自信作は、まさに目で味わう京料理の粋ばかり。
端から全部写真に撮りたくなりましたが、なんだか浅ましすぎると思ったので、一枚だけ。
ほとんどの展示は実際に出される料理に近いもののようでしたが、これだけは料理を素材にして自由に製作した美術品のごとき一品でした。

そして、それら老舗の何店かのお弁当が、2日間、日替わりで食べられたのです。ちょっと値は張りますが、この機会にと奮発して後悔はなかったでしょう。
そのほか、京菓子の展示もあり、漬物や麩などのお土産店、みたらし団子など気軽に味わえる屋台も沢山出ていました。
でもって、わしは、あっちを覗き、こっちで味見するのにかまけて、写真を撮るのをすっかり忘れました(苦笑)

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さて、この日、我が一家はどんな昼食をとったのかというとですな・・・
会場内にそんなに食が充実しているのを知らなかったので、到着そうそうに、みやこめっせ附属のレストランに入ってしまったのですよ(;;)
まあ、良い雰囲気ではありましたし、清水焼の大皿に盛られた「ほっこりあんかけ」はボリュームもたっぷりでした。

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「夏御膳」というお弁当も、一つ一つのおかずがきちんと作られていて京料理らしかったです。
しかし、オーダーが通っていずに、ずっと待たされて何も出てこないうちに、「珈琲お持ちして良いですか?」と聞きに来たときは切れましたよ(怒) 謝ってすぐ持ってきてはくれましたけど。

そういうわけで、このイベント、食に関しては大いなる不満と後悔にまみれたわしらでした(苦笑)。
(さらに続きがあります)

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2006.05.29

花山天文台で天体観望会

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清水寺から東に向かって、東山連峰の峰の一つに、花山天文台があります。
正しくは「京都大学大学院理学研究科附属花山天文台」です。
昭和4年に設立されて、77年に及ぶ日本有数の歴史ある天文台。
山科のわしの住まいから、輝く銀のドームが見えて、ずっと中に入ってみたいと思っていたのですが
ついにこの5月27日、「第一回天体観望会」が開かれ、往復はがきで応募した抽選に当選して、参加することが出来ました。

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地下鉄蹴上駅に夜7時に集合し、ミニバスに分乗して、東山ドライブウェイ経由で、山の上に到着。
あいにく空は一面の雲で、星を見ることは出来ませんが、憧れのドームを前にして胸が高鳴ります。

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息子もわくわくして、歴史のしみこんだ階段を駆け上がっていきました。

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おお、これが45センチ屈折望遠鏡です!
レンズはツァイス製。もともとは30センチのものだったそうで、ドームもそれにあわせて設計されているため、まっすぐ焦点をあわせるだけの容積がなく、二つ折りの形にしてあって、接眼レンズは対物レンズのすぐ近くにあります。そのため、覗くためには望遠鏡の傍らに、エレベーターがありました。乗せて貰いましたが、これが、フォークリフトを大きくしたようなもので、揺れてスリル満点(苦笑)

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曇天で星は望めなかったものの、ドームの旋回、開閉の実演もしてくださり、
「おお、動くぞ!かっこいい~~」と喝采しました(^^)

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そして、ドームの外周にあるベランダから見た夜景の素晴らしかったこと。
写真で見えるドームは、別館18センチ太陽Hα望遠鏡ドームで、その向こうに京都の市街の輝きがあります。

望遠鏡見学の後、小さな教室でスライド・ムービーを上映しながらの講演を拝聴しました。
講師の台長、案内の大学院生さんたち、皆笑顔で素人の我らを歓待してくださり、楽しい時間でした。
わしとしては、宮澤賢治の「銀河鉄道の夜」のような雰囲気を味わわせてもらった気分で、大満足です。

設立当時は理想の観測環境だった花山天文台も、いまは溢れる街明かりで夜の観測はあまりできず、太陽活動の観測に重点を置くと共に、学生の実習教育に力を入れているそうです。惑星などの観測は、昭和43年に設立された飛騨天文台に主役を譲りましたが、そこで集めたデータや、人工衛星からのデータなどは、花山天文台が集積、解析しているとか。

天体観望会は今回が初めてだったようです。わしが参加したのはどうも「ファミリーコース」だったらしく、家族連ればかり数組、15人程度でしたが、その次の集団(嫁さんによれば男性ばかりだったようで、「天文オタクコース」か?・笑)も来ていました。
そしてこれからも、こうして一般市民を対象にしたイベントを開くと聞きました。
次回は8月5日を予定しているとのこと。また、9月末にはより参加しやすい「一般公開」を行うとのことです。

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2006.05.22

みどりしたたる上賀茂

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葵祭には行けなかったけれど、快晴の日曜日、久々に上賀茂神社=賀茂別雷(わけいかづち)神社へ行って来ました。

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日頃は目にすることが出来ない国宝の本殿・権殿の特別公開をやっていまして、初めて拝観する事が出来ました。写真は本殿前の細長い殿舎・棚尾社に登り、楼門を写した物。
京都検定で勉強して本殿・権殿が「三間社流造り」だということを知っていたのですが、それが、正面の柱が四本あって間(あいだ)が三つあり、入母屋の屋根が正面側のみ長く作られて流れるような様子であることを、今回説明を受けて知ることが出来ました。

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由緒ある社殿も趣深いですが、この時期の上賀茂神社は、境内に溢れる新緑と、それを映して流れる水が美しいです。
賀茂川上流の柊原から取水して流れる明神川は、上賀茂神社に近づくと御生所(みあれ)川、御手洗(みたらし)川と名前を変え、東北側の山から流れ込む御物忌(おものい)川と境内で合流すると、「なら(奈良または楢と表記)の小川」となります。

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新緑を水面に映して流れる水で、うちの息子ははしゃいで水遊び。ほとりでのんびりお弁当も食べました。
目も心も洗われるような気持ちのいいひとときでした。

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上賀茂神社を出ると、川は明神川と呼ばれるようになり、川沿いの社家町を東にたどっていくと、天然記念物のカキツバタ群落で知られる、大田神社があります。

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杜若の花は、暑い日ざしの下で、少し疲れ気味に見えました。花の最盛期は過ぎたようでしたが、沢山の人々が訪れていました。

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学生時代にここを訪ねたときはほとんど人が居なかったのに較べると、驚くほど知られるようになったようです。
それでも、保存に力を尽くす方々のおかげで、杜若の景色は昔どおりでした。

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2006.05.20

雨間の東福寺

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雨の続く京都ですが、おかげで新緑はますます瑞々しくなっています。
紅葉で知られる東福寺の通天橋は、青葉の波で埋まっています。

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暗い空の下で、臥雲橋も人通り少なく、静かです。

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時間がないんでわしは、臥雲橋の上から通天橋を眺めただけですが、カエデの若葉のヴォリュームはさながら緑の深淵ですね。

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塔頭もそれぞれ新緑で彩られており、白漆喰の塀に若葉が鮮やかでした。

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2006.05.17

新緑の青蓮院 2

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青蓮院には、様々に有名なものがあるのですが、国宝・青不動に続くものは、この一文字型手水鉢でしょうか。
豊臣秀吉が寄進したもので、堂々とした風格があり、これ一個で見事な景観を作るほどです。

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庭園は龍心池という池を中心にしていて、跨龍の橋と言う石橋が架かり、洗心滝が配されているとのこと。豊かな水の周りに、瑞々しい新緑が溢れ、この時期が一番明るく清々しいでしょう。

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重なる緑と水は、東山の山麓という環境の中、深い陰翳を作り出していて魅力的です。

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ちなみに、書院の北東部分には、小堀遠州が築いたという「霧島の庭」があるのですが、残念ながらその霧島ツツジは散ってしまっていました。深い木立に囲まれた一角で、咲いていたらさぞかし秘境じみて美しかったと思います。

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回遊路は工夫されているのか巧まずしてそうなっているのか(いや、工夫されてるに決まってるな・汗)、千変万化の景色を見せてくれました。


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2006.05.15

新緑の青蓮院

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得浄明院で一初を見て、さて次はどこに行こうかと思ったとき、近くの青蓮院の新緑が美しいだろうと気付きました。

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門の外に見事なクスノキの大樹が並ぶ、天台宗三門跡のひとつ。粟田御所の名前もあります。
このblogでは以前、「巨樹」でとりあげたことがあったり、夜景として門の写真を掲載したことはあったけれど、考えてみたら中に入るのは、初めて?

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池泉回遊式の庭園は、新緑の輝きに溢れて見事でした。

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花灯窓を通してツツジの鮮やかな色が見えます。

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書院の窓の外に咲き誇っていました。

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国宝の青不動の絵は、複製しか見れませんでしたが、陰翳に富んだ境内の雰囲気に魅了されました。
しかし、不動堂始め、古建築は老朽化が進行しているようで、建て替えのための寄付を募っていました。

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2006.05.13

一初咲く得浄明院

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一初というのは、アヤメ科で、初夏に咲くアヤメ類の中では一番早く咲くところから名づけられたそうだ。

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その清楚な花が見られるという、東山の得浄明院。今月13日まで「春の特別公開」を行っているのをくみちょーさんの「京都人ブログ2」で知り、訪ねてみた。

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尼寺らしい清々しい佇まいの中、白い一初の花は、さらに清浄な別天地の如き中庭に咲いている

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思っていたよりもずっと小さく可憐な花だった。

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本堂の前には、青の一初も2輪ほど咲いている。

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こちらのほうが、花の特徴はわかりやすい。大きな三つの花弁にギザギザしたものが重なっているのが独特なのだそうだ。

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長野市にある善光寺の京都別院として建立されたのがこの尼寺で、本堂は善光寺と同じ作り。地下の「戒壇めぐり」も体験させてもらった。本尊阿弥陀如来の下に迷路のように作られた通路は、踏み込むと数歩で真っ暗。普段生活していれば絶対に体験できない真の闇である。
わしは、先頭に立ったのだが、頭が天井・・・いや、床にぶつかるのではないかという怖れに駆られ、踏み出すのにとても勇気が要った。それでも、行程の真ん中にあるという「錠前」に触れることが出来、触りながら念ずると叶えられるという「一つだけの願い」を一心に唱えたものである。日頃は全く不信心のくせに(苦笑)。

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知恩院に近く、華頂学園の敷地に接して北側にある。女子学園と尼寺、むくつけきわしには縁のない場所にも、こうして訪れることが出来たのは、阿弥陀如来のお導きか(^^)(ちなみに、わしの郷里飯田には、善光寺の本尊が一時期おわしたという「元善光寺」があるのだ)
境内は一初のほかにも、様々な花が植えられて美しかった。

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2006.05.10

青空にツツジ

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5月になり、黄砂の影響もなくなって、空は青く爽快である。
青空をバックにツツジ(躑躅)の花が目を楽しませてくれている。

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山ツツジは単色で、花もそれほど大きくないのだが、園芸種は実に多彩。こういう感じに丸く樹を整えて咲かせるのが多いようだ。京都では蹴上浄水場が、こんな形のツツジで埋め尽くされるので有名だが、一般公開されていた連休中はまだ余り咲いていなかったとのこと。

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所要の途中、夕方の陽射しが余りに明るく、空が綺麗だったので、思わず撮影。

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場所は何度となく紹介しているこの智積院です。北門に近いこの建物は、大きな金堂とか宝物殿・書院などと違って公開されていない部分ですが、屋根の形と、そこに続く長い白い築地塀がカッコイイので気に入っています。

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2006.05.07

梅小路蒸気機関車館

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連休のひと日、京都駅の西側にある梅小路公園を訪れ、芝生で弁当を食べてのんびりしたあと、蒸気機関車館も久々に覗きました。
ここは国鉄の機関車庫だったところをそのまま蒸気機関車の博物館にしたところで、かつての二条駅舎もそのままに移転してきて使われております。
わしはとりたてて鉄道マニア、SLマニアというわけではありませんが、蒸気機関車のダイナミックな勇姿を見るのは大好きです。

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以前このblogで、京都が原爆の投下目標だったことを記しましたが、米軍が原爆投下ポイントとしていたのが、まさにこの転車台です。京都盆地のど真ん中、空から見て間違えようもなく目立つ巨大な輪っか。
今も展示している機関車を引き出し、体験乗車の短い線路に載せるために現役で使われております。

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車庫内にはいくつもの蒸気機関車が真っ黒な巨体を並べていて壮観。なかでも最大のC62のヴォリュームは圧倒的ですな。

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新幹線などがいくら大パワーで速くても、この巨大な車輪がかもし出す神話的威圧感は真似できません。

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構内の短い線路をバックして戻ってくるだけの「スチーム号」も、たくましく黒煙を噴きあげ、力強い汽笛を鳴らしています。蒸気機関車は、男の子をわくわくさせる魅力でいっぱいなのだ。息子も目を輝かせて飽きることなく展示してる機関車の運転台を上り下りしてました。

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2006.05.03

友あり遠方より来る・2

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インターネットで得た友人がまたひとり、新緑の京都に訪れてくれたので、勇んで案内させてもらった。
まずは東山七条の智積院で、長谷川等伯らの障壁画を見、ツツジの咲き始めた庭園を観賞。ゴールデンウィークのさなかだが、ここはとても静かで、雨上がりの池に映る緑が鮮やかだった。

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そこから程近い三十三間堂はやはり、修学旅行生たちをはじめとする団体さんで混んでいた。しかし、堂内に入れば、仏様たちのほうがもっと混んでいるのである(笑) 1001体の千手観音さまの迫力は、何度観ても荘厳極まりない。向こうがかすんで見えるお堂の長さにも茫然としてしまう。

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昨日とうって変わって肌寒い中、昼食には祇園へ案内した。白川の畔、もとお茶屋だったというお店「祇をん かにかくに」で、フランス料理のシェフが作る和洋折衷のランチ。

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引出し付きの重箱には、繊細極まりない前菜が載っていた。腹ペコだったわしはあっという間にペロリ。温和で優しいこの日のお客・Tさんにはよく似合うお店だったが、がさつなわし向きではないなあと痛感(苦笑)

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白川のせせらぎに面して、大きく窓をとっていて、すっかり葉桜になった枝垂桜が揺れている。花の頃はさぞかし目を楽しませてくれただろうなあと惜しがる。

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締めは、山科が誇る老舗喫茶店「再会」へ案内。ハナミズキやチューリップが窓を彩り、暖炉や重厚なテーブルがかもし出すお店の雰囲気をTさんも気に入ってくれたようで嬉しかった。

このあとTさんには、息子を迎えに行くのまで付き合ってもらってしまった。短い時間で、覚束ない案内、まことに申し訳なかったが、笑顔で語らってくれた数時間は、わしにとって、久々の愉しさだったのである。

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2006.04.30

京都大仏殿跡

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東山の京都国立博物館、ここの西側の通り、大和大路通りを北上すると、博物館に隣接して豊国神社、方広寺があるが、この神社、お寺を囲んで巨大な石で積まれた石垣がある。その石垣に、八重桜が咲き誇っていた。

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一本だけであるが、艶やかに花開いているその背景は、豊臣秀吉が日本最大の寺を作ろうと築いた、方広寺大仏殿の遺跡である。

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石垣は高さはあまりないのだが、使われている石はどれもすこぶる巨石で、かなりの距離続いているので異様に目立つ。

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八重桜の近くに、「大佛殿石垣」と刻まれた標柱があった。

秀吉がここに大仏殿を築きはじめたのは1588年で、1595年にとりあえず完成するが、この大仏は難儀に遭い続けた。完成間もない大地震で、急造の張りぼてだった大仏は倒壊し、それならちゃんと銅で作りなおそうと鋳造する途中、1602年に失火で大仏殿は焼失。それでも秀吉の息子・秀頼が再建にとりかかり、1612年に第二次大仏殿が出来上がる。しかしその二年後、この大仏殿=方広寺の鐘に刻まれた銘が、徳川を呪うものだと家康が言いがかりを付け、大阪の陣に至って豊臣家は滅亡してしまうのだ。

覇権を握った徳川家は、秀吉の墓である豊国廟を荒廃させるが、大仏殿は生き残り、江戸時代には京都の名所のひとつとして人気を博す。しかしながら、1798年、落雷によりこの大仏殿も失われたのである。その後、天保年間に、旧大仏の10分の1の木造半身像が作られたそうだが、1973年に再び火災に遭ってついに大仏は跡形もなくなった。

それでも、ほんの30年ほど前までは、「大仏」がここに在ったのだ。いまだにここから程近い本町通正面上ルの郵便局は「大仏前局」と名乗る。その正面通も、大仏の正面の道だったからその名前なのだ。

栄華の跡に咲く桜。京都の春の終わりにふさわしい風景の一つではないか。

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2006.04.25

養源院・枝垂桜のアーチ

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もう遅すぎるかと懼れながらも、今日の晴れた空を見たら、行かずにはいられなかった。そしてこの桜は、待っていてくれたかのように見事に咲いていました。

東山区の養源院。三十三間堂の東側にあるお寺です。去年、ここで見た枝垂桜が忘れられず、今年も見に行きたいと思いながら今日まで門をくぐることが出来ませんでした。去年の様子はこちら

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まだ咲いていてくれと、祈りながら足を運ぶ参道は、楓の新緑に覆われ、その向こうに桜色がちらりと見えると胸が高鳴ります。
むむ、少しくすんで、もう盛りは過ぎてしまっているだろうかと眉が曇りました。

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しかし、期待を裏切らない見事さで、まだ咲いていてくれた!感無量でした。

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頭上から雪崩落ちてくるような花の瀑布を仰いで、長いこと佇んでいました。

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本堂の前に、まるで二人の門衛みたいに並んで立つ、二本だけの枝垂桜。北側のほうが少し大きく、兄弟か姉妹かのように仲良く枝を広げていて、参拝者はその花のアーチをくぐるのです。

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一時間余り花を見続けて、緑のトンネルのような参道を戻っていくと、小鳥のさえずりが耳に心地よかった。

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2006.04.23

東山七条界隈 名残の春

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長野県から戻ってきて、もう京都の桜も散ってしまっているだろうと思っていたが、
18日の夕方、駆け足で東山七条界隈を回ってみると、まだ遅咲きの枝垂桜などは充分見応えがあった。
智積院では、簡素な形の門の両脇に立つ二本の桜が荒れ模様の空に映えていた。

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本堂に向かう参道脇の庭園にも一本、清かに咲いていた。


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三十三間堂の東側の楼門や塀は、このところずっと覆いが掛かっていて改修中だったらしいが、この日に終わったようだ。鮮やかに朱と碧に塗られてまばゆいばかりである。

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久々に開いたであろう楼門のなかに、枝垂桜が満開。

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豊国神社はもう、桜は散ってしまっていた。しかし、その近所でこんな花を見つけた。
紅白咲き分けの梅かと思われるが、こんな時期にも勢いよく咲いているのだなあと驚いた。
(25日記・よりりんさんによれば、これは、「源平」という品種の桃の花らしい。よりりんさん、ご指摘感謝!)

東福寺では、22日から「新緑」の言葉を冠した行事をやっているし、もう惜春である。

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2006.04.21

鳩居堂での買い物

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さて、前回の記事から一週間、更新が開いてしまったが、実は鳩居堂での買い物というのは、弔辞を書くための巻紙、畳紙であった。

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わしの郷里で亡くなったある方の葬儀で、弔辞を読んで欲しいと依頼を受けたため、正式の巻紙とそれを包む畳紙を購入しに行ったのである。お香や茶道具も揃っているが、なんと言うても和もの文具ではここほど頼りになるお店はない。
よい香りの満ちた店内でいろいろな文具を見ていくのは楽しいのだが、今回はあんまりその余裕はなかった。

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それでも、鴨川の桜を見に行き、高瀬川の流れでは、ソメイヨシノの花びらが激しく舞い散るのを眺めた。

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葬儀から戻ってきたら、もう葉桜だろうなあと思いつつ、弔辞の文案を練り、この翌日に京都を発ったのである。

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2006.04.15

三条大橋の春

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必要が出来て、寺町姉小路の「鳩居堂」に買い物に行き、久々に寺町・新京極・錦小路などを歩いて繁華街の情緒を味わった。そして鴨川の桜を見ようと三条大橋に来た。

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わしはここに、弥次さん喜多さんの像があるのを知らなかったのだが、説明板を見ると平成6年建立とあるから、うかつにもほどがある(汗) しかしここを歩くのは大抵夜、酔っ払ってだったからなあ(笑)
像の周囲には小さいけれど紅枝垂桜が咲き誇って綺麗だった。しかし最近よく目に付くこの花、樹が小さいとまるで作り物じみていて、浮ついたお飾りに思えてしまう。時間が経って風土に馴染まないと、京都らしさというもんは出来へんのや・・・などと偉そうな感想を持った(苦笑)。
近年、「何とかの道」というタイトルであちこちの京都らしい景観をとどめた地域を整備し、観光地化しているところが目に付くけれど、下手にいじると軽薄な雰囲気になってしまう。あんまり紅枝垂桜ばっかり植えるのもどうかなあと思う。

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ところで、弥次喜多の説明に並んで、三条大橋の擬宝珠に、池田屋騒動当時の刀傷があるという説明板も並んでいる。

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で、早速確認してみた。確かに刀傷っぽい。こういうものが、派手な看板やスターバックスのお店と並んで存在しているのが京都なのである。いや、別にわし、スターバックスは嫌いやないけどね(^^)

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京都に住んでいても、繁華街に出る機会はそんなにないので、行くと物珍しくきょろきょろしてしまう。観光客と変わりない、つーか、いつまでたってもわしは、よそさんなんやろなあ・・・

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橋の上で托鉢する僧は、わしが京都に来た頃、いや、そのはるか以前から変わりないのであろう。

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2006.04.14

大石神社の桜

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今熊野から、東山を越えて山科にでる細い曲がりくねった道があり、「滑石道」と呼ばれているが、江戸時代、ここを通った一番有名な人物が大石内蔵助。山科の寓居から毎晩、洛中に遊びに通ったと伝えられる。
それで、山科の滑石道の入り口近くに、彼を祭神として祀った「大石神社」がある。
山科区挙げての「義士祭」で知られるここ、桜も美しいのだ。訪ねた13日はソメイヨシノが満開だった。

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ここには「大石桜」と名のある大きな枝垂桜があって、今年も2日に「さくらまつり」が行われた。

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残念ながら、わしは今年もこの花の満開に間に合わず、御覧のようにかなり散ってしまっている。

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大石神社の建てられたのは昭和10年で、この枝垂桜はそれ以前からこの近くに生育していたのを境内に植え替えたらしい。
「大石桜」ともてはやされるようになったのは戦後だという。

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小さな境内であるが、なかなかユニークな狛犬が迎えてくれる。狛犬の後ろに見える建物は宝物殿で、赤穂義士の遺品のほか、東映歴代大石役俳優の写真なども飾られている。

武士の鑑とされる赤穂義士と、潔く散る桜がよく似合う・・・と、ここに桜を植えた人々は思ったのだろうか。
しかし、ことさらに人に「散る」ことを賛美・強要した時代は余りに残酷な時代であった。
心穏やかに桜を眺め、美酒を酌み、家族や友と楽しめる日々を、いつまでもと思う。

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2006.04.10

円山公園の夜桜

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京都の桜もすっかり見頃になり、円山公園の枝垂桜も連夜ライトアップされて、妖しくも荘厳な姿を見せてくれている。

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この白い枝垂れ桜は、ここ数年衰えているように見えて、昼間見ると痛々しいのだ。今年見ると、かなり枝が切られたらしく、なん回りも小さくなっているように思えた。それでもかがり火に映えるこの樹の神秘性は魅力的である。

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ほかにも、園内にはかがり火が随所に焚かれ、無粋な灯りはそれほどないのが円山公園の流儀らしい。
だから、枝垂桜以外はあまりライトアップされている樹がなく、フラッシュを浴びせて写した桜はなんとなく魔物じみている。

そんな桜の下の花見客は、多くが暗がりの中でうごめくことになる。電球入りの提灯を張り巡らし、カラオケの歌声に満ちるいわゆる夜桜見物とはかなり違った雰囲気。
もちろん、茶店も何軒もあって、こっちはまあそれなりに明るく営業している。家族で寄って、甘酒3杯ときつねうどん1杯に缶ジュース合わせて2500円という値段だったが、年に一度の夜桜だ(笑)。

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枝垂桜に程近く、喫茶店になっている「長楽館」があるが、夜の洋館はこれもまたロマンチックな想像力を駆り立ててくれた。

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円山公園は八坂神社に接していて、こちらも夜を徹して参拝客で賑わうことだろう。境内には「お化け屋敷」などの見世物があるのが懐かしい。息子にせがまれるまま、ぶどう飴、鶏の唐揚げなどなど、露店で買い食いして帰った。

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2006.03.30

とっておきの梅と桜

3月29日、わしにとっては、とっておきの梅と桜の花が見れました。

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東山の泉涌寺の塔頭・雲龍院の庫裏前にある、「はねずの梅」がついに咲き始めています。
今日はものすごく寒空だったのですが、八重の花を力強く開いていました。静かな境内、綺麗な杉苔と背景も素晴らしく、枝ぶりも整っていて、とても好きな樹です。

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夜、平安神宮の東南、琵琶湖疏水に掛かる冷泉橋西詰を少し南に行ったあたりで、一本の枝垂れ桜がライトアップされていました。ちょっと無粋なフェンス越しになるのですが、見事な大樹で見惚れてしまいます。岡崎界隈で最も早く咲く一本で、毎年心待ちにしているのです。

ココログの具合がなんか不安定で、コメントを書くにもいつもと違う妙な画面だったりしますので、とりあえず写真一枚ずつ紹介し、本格的な記事はまた改めて載せます。

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2006.03.21

鴨川の柳

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このところ、京都は雨が多いですが、一雨ごとに鴨川の岸に立つ柳は黄緑色の芽を吹いて鮮やかになって行きます。
写真は川端四条上ルから、斜め対岸の「純北京料理 東華菜館」に向けてシャッターを切りました。
やがては、

見渡せば 柳桜をこきまぜて みやこぞ春の錦なりける
(古今和歌集 素性法師)

という景色になっていくでしょう。

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2006.03.15

東福寺の涅槃会

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東山区本町の東福寺で、3月14日・15日・16日と涅槃会が行われています。
今日15日、晴れ渡った空の下、去年に引き続いて訪ねてみました。
この巨大な本堂の中に、「大涅槃像」が掲げられているのです。

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ここは、写真撮影が禁じられていなかったので、写真を掲載してみます。
画僧として著名な、兆殿司(ちょうでんす)が、1408年に描いた雄大な絵で、横7.4メートル、縦14.5メートルもあります。画面下部の動物群のなかに、猫が描かれているのが珍しいそうで、「古よりこの猫は魔除の守護ありと伝えられる」とのこと。「白像の前足の辺りに描かれている」と案内のお坊さんが言っておられたのでしげしげと見てみましたが、遠目で暗い堂内のことで、はっきりとはわかりませんでした。
スケールの大きい絵ですが、釈迦の入滅を嘆く天人や人間、禽獣が丁寧に描かれ、その悲しみの表現はとても人間味溢れて優しい絵柄です。

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本堂天井には、堂本印象画伯が描いた巨大な龍がいて、これは、「京に棲む龍」でとりあげます。
ちなみにこの本堂は昭和9年に出来たもの。、明治14年に焼失した仏殿と法堂を、一つにして再建したものだそうです。焼失した仏殿には、高さ15メートルの釈迦如来像があって、東福寺は「新大仏寺」とも呼ばれていたとか。その亡き大仏の左手だけが、本堂の内部、大涅槃像に向かって右端にひっそりと奉られていました。どんなに大きな仏像だったか、これを見るだけで想像できます。

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国宝の三門や龍吟庵も特別公開されています。去年見た時の記事はこちら
大涅槃像を拝して本堂を出ると、東側の塔頭・最勝金剛院の参道入り口に、白梅・紅梅が綺麗に咲いていました。

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そしてその梅の樹の横では、甘酒接待が行われていて、一杯頂きました。晴れてはいてもまだ寒く、本堂内はかなり冷えたので、熱い甘酒がとてもありがたかった。
写真で甘酒の横に置いてあるのは、「花供御」と書いて「はなくそ」と読む、涅槃会のお供えとして本堂内で売られている「あられ」です。中身はもち米のあられのほか、バターピーナッツ、そして黒大豆!が入っていました(笑)。どう考えたって「鼻糞」と思ってしまいますが、そういうユーモアも仏教にはあって、おおらかで良いなと思うのです。

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2006.03.14

智積院の梅、花盛り

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13日は大変寒かったのですが、時おり晴れ間もあり、東山七条の智積院を訪ねてみると、青空にまぶしいほどに梅が咲き誇っていました。

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東山通から見える、庭園の西南角に、珍しい梅が咲いています。一本の樹なのに、枝によって白梅と紅梅が分かれて咲いているのです。
「京都あちらこちら」のpiitaさんは昨年から注目されていました。
そしてこれは「思いのまま」という種類ではないかと、「関西おいしいもの♪」のよりりんさんに教えていただきました。

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智積院の広い入り口には、ユニークな狛犬?が一対あって、紅白咲き分けの梅は南側狛犬のずっと奥にあり、近くまで踏み込むことは出来ませんが、外の生垣越しに間近に見ることが出来ます。

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早く咲いた紅梅が既に散っているのも、風情がありました。

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法住寺の枝垂れ梅

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3月13日はなんと京都でも雪が風花となって舞い、大変寒かったです。
そんな中でも、先にちょっと触れた東山の法住寺の枝垂れ梅は、見頃を迎えていました。

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門前の紅梅・白梅の香りを嗅ぎながら境内に入ると、塀際に高く聳える枝垂れ梅に圧倒されました。

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三寒四温というにはちょっときつすぎる寒の戻りですが、梅の花は屈せずに薫り高く咲いています。

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2006.03.11

法住寺の白梅

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先に竜王門前の紅梅を紹介した、東山の法住寺。9日には、その竜王門のすぐ北側にある山門前で、白梅がほぼ満開になっていました。

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それほど大きくない樹が一本あるだけで、何気なく見過ごしてしまうかもしれません。でも、わしにとってはここの紅と白の梅は、春の訪れを告げてくれる、待ち焦がれる花なんです。

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一気に花開いたばかりらしく、馥郁とした香りが素晴らしかったけれど、そればかりは、写真でも言葉でも伝えられませんね(^^)
境内には枝垂れ梅も幾つか花開いていました。

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2006.03.08

東福寺塔頭の椿

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毎日、車で通っている東福寺の境内、霊源院という非公開の塔頭の塀越しに、大きな椿の樹があり、桃色の花をいっぱい付けています。

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わしは今まで、椿の花というのがどうもごてごてして野暮ったく感じられ、好きではなかったんですが、この歳になるとどんな花もいのちの輝きをいとおしく感じます。そしてこの花の色は清らかで艶があって、好きになりました。

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車を停めて写真を撮っていたら、修行僧らしい人たちが急ぎ足で、花の下を通っていきました。

☆piitaさんの「京都あちらこちら」には、この椿のほか、北門の桃桜の美しい写真が載っています。

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2006.03.04

法住寺の紅梅、花開く

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今日・3月3日、東山七条界隈では、三十三間堂が無料公開で、イベントもやっているようでしたが、わしには寄る時間がありませんでした。
代わりと言うては罰が当たりますが(汗)三十三間堂の東隣、その地名も東山区三十三間堂廻り町にある、法住寺の門前、深紅の梅が花開いているのを通りすがりに見せてもらいました。

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去年も紹介しましたが、ここには、白と紅の梅が門前を彩ります。紅梅は、竜宮城みたいな感じの門の手前左に堂々たる枝ぶりです。去年の記事はこちら

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もうしばらくすると満開でしょう。

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接写を試みましたが、肝腎の花にピントを合わせるのが難しく、失敗してます(泣)。
それにしてもこの紅は深く味わいのある色だなあ。

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北側にあるもう一つの門の前には、白梅がありますが、こちらはまだ、数輪ほころんでいる程度でした。

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2006.02.28

智積院の梅、咲き始める

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東山七条の智積院、梅林の梅が咲き始めて、春の訪れを告げていました。

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まだ咲いている樹は少ないですが、花開いている樹はもう、見頃と言っていい美しさです。
☆昨年の花盛りの記事はこちら

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明王殿前のこの紅梅が一番咲き誇っていたかな。

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金堂から苑地を眺めるとこんな感じで、花の盛りはまだまだですが。

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名勝庭園・宝物館への入場切符売り場近くにも、絵になる一樹がありました。

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この写真は、書院西側から、書院の入り口とその隣の法務所を撮ったもの。法務所の屋根には城郭みたいにカッコいい櫓が載っていて惹かれました。これ、北側の女坂を毎日車で通るとき、塀越しに見えていて気になっていたんです。

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境内は随分新しく樹が植えられていましたが、伸びやかな雰囲気は前のまま。明るい日差しがよく似合うところです。

あと、東山界隈、泉涌寺の別院・龍源院では鐘楼横の白梅が咲き始めていました。また、法住寺は門前の紅梅の蕾が膨らんでいます。

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2006.02.27

雨の二条城

25・26日と、学生時代の仲間と、年に一度の同窓会。
今回はわしが幹事を仰せつかり、京都で開催した。
飲み会は洛北の隠れ家のようなスナックで、ふぐ鍋をしたのだがそれはさておき(^^)
翌日の観光で、皆を強引に連れて行ったのが二条城。

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朝から土砂降りの雨(;;)
暗鬱な空、びしょ濡れの足元、にもかかわらず早朝から見物の人は多い。
広大な敷地の中、まずは二の丸御殿へ入る。

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内部は一切撮影禁止なので、残念ながら一枚も写真はない。
雨のうえに照明もなく、障子も障壁画保護のため締め切りなので、中はとっても暗い。
しかし、前夜の深酒でぼけた頭も一瞬で醒めるほどの、豪華な造作と装飾!
天井までもが極彩色の絵画で彩られ、金色の障壁画が延々と続く武家風書院造に圧倒される。
家康・家光が徳川家の威信を賭け、これでもかと金に糸目をつけずに作ったのだな~
歩く廊下の幅だけで、普通の民家が建つぞ~
その迫力は、是非じかに御覧になるか、公式サイトでどうぞ→http://www.city.kyoto.jp/bunshi/nijojo/

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襖の引き手金具にまで、葵の紋章がきらめいていた。
外にでて屋根を見上げると、鬼瓦にも葵。しかし、その下に菊の紋章がもっと大きく据えられている。
二条城は、大政奉還により朝廷の所有となり、府庁舎・陸軍省管轄を経て、宮内庁管轄の「二条離宮」となっていたのだ。京都市に下賜されたのは1939年(昭和14)で、一般公開されたのはそれからである。

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本丸御殿は江戸時代の宮家・桂宮家の建物を明治時代に移築したもので、中には入れないが、公家風の優しい建物。
二の丸御殿を含めて、城塞というより宮殿というイメージが強いのは、天守閣がないせいだろう。
本来は5層の立派な天守閣があったのだが、1750年に落雷で焼失したそうだ。
しかし、天守閣跡に登ってみると、しっかり築かれた石垣や目の高さなど、京都の町に睨みを利かせた城のイメージがよみがえった。

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広い庭園をのんびり散策し、梅や椿の花など楽しもうと思っていた目論見は、遅い開花と当日の雨ですっかりおじゃん(泣)
この写真は蓮華寺に行ったのと同じ日に、外から南東の隅櫓を撮ったもの。この辺や鉄の門扉がいかめしい大手門は、なかなか「お城!」という感じがして、城好きの血が騒ぐのである。

また、休憩所の隣に「築城400年記念 展示・収蔵館」というものが新しく出来ていて、ここは100円別に払って入るのだが、修復された襖絵を順次展示中。間近に見れて迫力である。また、CGで再現した御殿内部を大型画面で流しているのだが、この映像、DVDになっていて売店で買えるそうである。

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2006.02.23

早春の蓮華寺

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一度訪ねてみたいと憧れていた、洛北の蓮華寺に行くことが出来た。
場所は左京区上高野八幡町。国道367号を高野川沿いに花園橋から、大原方面へ少し行ったところの北側、山沿いにひっそりとある小さなお寺である。

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もともと西八条塩小路=現在の京都駅あたりにあった、浄土宗系の古寺だったが、1662年にこの地に移して再興されたそうだ。
その際に石川丈山や狩野探幽ら、江戸初期の錚々たるアーティストが庭やら器物やらに腕を揮い、しかもそれが今に至るも残っているので、小さいながら秘めたる宝石のようなお寺なのだ。
特に有名なのは、本堂前に二基立っている、その名も蓮華寺型燈篭。細長い笠が独特である。
本堂内には15世紀の螺鈿細工の厨子や、狩野探幽が原画を描いた基壇の彫刻があり、天井には西村公朝氏が描いたらしき龍が居た。

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そして、清流を引き込んだ池庭は、山を背景に清雅である。新緑や紅葉の時期の美しさは見事だろう。
今日は春の日差しがあまりに眩く、微妙な陰翳は楽しめなかったが、気持ちを明るくさせてくれた。

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池の中や周囲には、この船石のような名石も据えられているが、それほど自己主張せず景色と溶け合って自然なさまが好ましい。

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そして、この石橋。一見何の変哲もないのだが、よく見ると、橋の中央を支えているような形の石、実は橋との間にすき間があって支えていない。
なんと「人が渡ると石橋がたわむように見せ、石造りの硬い感じを和らげる為の表現」なのだそうだ。
「これは単なる石にさえも、やわらかさやフレキシビリティの感覚を与えうる日本人の文化的営みの見事さである」などと評されているそうだが、そこまで言うとオーバーかと思った(^^;)。でもこういう遊びを秘めた庭は面白い。

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そして今回、わしのお寺拝観にしては珍しく、抹茶を所望した(好い天気すぎて、喉が渇いたのである^^;)のだが、これが大正解!
茶を喫するために通してくださった北側の部屋は、目の前に小川が流れ、すぐそこに山肌。小鳥がさえずり、黄蝶が舞い、まさに別天地。客はわし一人だけで、景色を独占。俵屋吉富のお菓子の添えられたお茶を欣喜して味わったのだった。

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どうもここの抹茶は、山から引いている川の水で点てるので好評らしいのだが、「今日はあいにく工事で川の水が止まってしまってて、すみまへん」とお寺のご婦人に謝られた。そうか、この辺は川の水がそのまま飲めるのである!是非また来て、川の水で点てていただこう。

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そして、蓮華寺を辞し、歩いていると、木蓮らしい木の花芽が、天を指して膨らんでいるのを見つけた。
ああ、春である・・・

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2006.02.18

雨の出町商店街

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雨の木曜日、わしにとっては懐かしの町、出町商店街に行ってみた。
河原町通りと今出川通りの交差点から、西は寺町通り、北は枡形通りからちょっと上まで、南は二筋目くらいまで、結構大きな範囲の商店街である。位置的には御所の北東、同志社大学の東側になる。
やたら京都の中で引越しを重ねたわしは、この近所にも下宿したことがあって、よくうろついていたのだ。

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ここも、あの頃とは大きく変わったが、一番有名なお店、和菓子の「出町ふたば」は店構えも昔どおりである。
となりに洒落た漬物屋さんがあるが、好対照だ。

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なんと言うてもこのふたばの、「豆餅」(写真左側)を知らない京都の人はいないやろし、知ってる人は皆大好きなのである。
息子が花見団子を欲しがったので二本添えたが、ほんまは豆餅ばっかし買いたかったのだ、わしは!これを買うのが目的で、訪れたんである(笑)
もう、数え切れない人がこのお菓子を賛美して紹介してるので、いまさらであるが、赤エンドウ豆の塩味と搗きたての餅の歯ごたえが漉し餡と絡んで、もう(きりがないので略)

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アーケードのある枡形通りは、河原町を越えてさらに鴨川畔まで延びている。ここは昔ちょっとした広場のような感じで、夜になると二軒のラーメン屋の屋台があった。今はここ、地下駐車場になってしまい(わしは今回、ここの地下五階!に車を停めたのである)、地上部分もごたごたとその施設が建ってしまったが、南側に鎮座する「妙音弁財天」だけは、昔どおりに法灯を絶やしていない。
でもわしは、この弁天さんの前の屋台で、じいちゃんばあちゃん夫婦が作ったラーメン啜ってた頃を、たまらなく懐かしく思うのだ。

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2006.02.06

吹雪の東福寺

塔頭の天得院の椿などはどうじゃろ・・・と思って、東福寺に寄ってみたが、今日の京都は一日、吹雪が荒れておりました。

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本堂の大きな屋根の軒下で、しばし、三門に降る雪を茫然と眺めたが、寒くて我に帰る(苦笑)。
「大仏様(だいぶつよう)」と言って、東大寺に伝わる巨大な仏殿建築の様式を採った、東福寺の三門は実に雄大。吹雪に立つさまも、雄壮と言っていい。
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しかし、小さい写真にすると、雪が降ってる様子がほとんどわかりませんね(汗)
クリックすると大きくなって、三門の大きさと雪の降り方がちょっとははっきりします。

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降るそばから雪は解けて行き、ほとんど積もりはしなかったけれど、まだ、春は遠い京都であります。
椿や山茶花も、開いてた花を閉じてしまったかのようでした。

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2006.02.01

夜の下鴨神社

わしが京都にやってきた頃は、毎日、朝夕、下鴨神社(賀茂御祖神社)の境内=糺の森を通っていた。
その頃、境内には全く灯りがなく、日が暮れると糺の森は真っ暗。
古代に「盟神探湯(くがたち)」をおこなったと伝わる闇の森は、魅惑を秘めつつ恐ろしく、何度か深夜、蛮勇を奮って突っ切ったのは印象深い思い出である。
今、夜の下鴨神社はどうなっているか、一月三十日の夜八時、時間が出来たので行ってみた。

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断続的に降っていた雨も、夜になって上がり、参道の入り口の石畳が、街灯に照らされて光っていた。参道には水銀灯らしき街灯が林立して、歩くのに不安はなさそうである。

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参道を北上してすぐ左手に、鴨長明が神官をしていたので知られる河合神社があり、ここは門の提灯を除いて、闇の中に静まり返っていた。

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長い参道の両側、街灯に照らされる樹木には、昼間と異なる、どこか魔性じみた生々しさが感じられたけれど、ほどなく、鳥居と楼門が見えてくる。

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回廊の付いた楼門は、ライトアップされて荘厳に聳えていた。扉は閉じられて、本殿のある内部には入れない。
日課の散歩らしい人を二・三人見かけたほか、全く人通りはなかった。深い木立に囲まれて朱色に輝く楼門は幻想的で、しばし見とれた。
境内は適度に照明があって、もはやかつての「闇」はない。
それでも、神の依り代(よりしろ)ともなる巨木たち、それを縫って流れる小川のせせらぎに、わしはかつてと変わらぬ畏怖と親愛を感じたのである。

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2006.01.17

友あり遠方より来る

インターネットで得た友人の一人が、京都を訪ねてくれたので、冬のひと日、短い時間であるが京都案内をしつつ語らいあった。

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京都駅に出迎えて、早めに昼食。駅ビルのオープンビューレストランの一軒で、加賀の治部煮の付いた膳。
一合の酒を頼んだら、こんな氷漬けで持ってきてくれたが、熱いほうがよかったかな(苦笑)

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八坂神社に詣でて、昼下がりの祇園を散策し、建仁寺に参拝。

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禅寺の庭は、冬にひときわ爽快で清々しく、心を澄ませ、凛然たる気概を与えてくれると思う。

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しかし、この時期のお寺拝観は足がやたら冷える(笑)
辞去して石塀小路に足を運び、路地の奥の密やかな喫茶店で、熱い珈琲をじっくり味わった。わしらのほかに石畳の道にほとんど人影はなく、ちょっと見には住宅にしかみえない喫茶店も独占状態で、しっかり長居した。

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ねねの道から八坂神社へ戻りつつ、摩訶不思議な建物「祇園閣」の説明をしたりした。
友人や知人を案内するときでもないと、なかなかこんなに落ち着いて京都観光する機会はないのである。
穏やかな冬の日、友と京都散策できて、ほんまに心がほっこりしたのだった(^^)。

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2006.01.07

七草せんべい@甘春堂

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遅くなりましたが、あけまして、おめでとうございます。
もう、今日は七草粥の日ですが、東山の京菓子の老舗・甘春堂には、七草せんべいというのがあります。
本物の野菜が焼きこんであり、煎餅というより、クッキーの感じですな。正確には野菜入りせんべい「さいさい(菜々)」の初春バージョン。
春の七草は、セリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ・スズナ・スズシロ、なんですけど
このお菓子には、みつば・大根・青紫蘇・かいわれ・かぶら・菊菜・ブロッコリーが使ってあるそうです。

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「京菓匠・甘春堂」は、慶応元年創業で、本店は川端通正面にあるのですが(前にチラッと紹介しました)、わしが今回訪れたのはそこから正面通を東へ行って、豊国神社にほど近い「東店」。町家造りのお店です。

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初めて中に入ったのですが、瀟洒で趣ある造りになっていました。一階奥では、職人さんがお菓子を作っている様子が眺められるようになっており、その周りの調度品も素晴らしかった。で、感動しつつ、わしは二階の喫茶「茶房 撓(しおり)」へ行きました。

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京町家の二階というのは狭い空間でして、屋根の構造が間近に見えます。ここの屋根裏には一面、葦の茎が張ってありました。

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喫したのは抹茶と上生菓子(写真のものは、初梅)のセット。ほかにはお客がいなくて、贅沢な空間を独り占めし、ゆっくり味わうことが出来ました。珈琲とお菓子をセットすることも出来るそうです。
成人式の日には大変賑わう三十三間堂から、京都国立博物館の西側を北へ上がったところ。この辺、いつも大変静かで、混雑することはほとんどないと思います。お勧めですよ。

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2005.12.27

歳末点描2

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12月22日は、朝7時頃から降り始めた雪が見る見るうちに積もって、山科から洛中に行くのに大変でした。
わしの車はノーマルタイヤなので、バスに乗ろうとしたら1時間待っても来ず、タクシーの空車も来ず、覚悟を決めて五条通を東大路まで山越えして歩き通しました。怪談の噂多い歩行者用東山トンネルをくぐっていたら、天井の照明がひとつ、不意に消えやがって、びびった(笑) 写真は雪に覆われた西大谷から見た、清水寺の門と三重塔です。

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23日には家族で、浜大津アーカスまで出かけ、アニメ映画「あらしのよるに」を観賞。見終わってロビーに出たら、琵琶湖上の遊覧船が浮かぶシャンデリアのようだった。

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24日には、ローストチキンを焼いて家族でパーティー。夏にキャンプで使おうと買ったダッチオーブンをガスコンロに据えて焼きました。青ネギとキャベツの外葉を刻んでなべ底に敷き、チキンとサツマイモ、ニンジンをロースト。上手く火が通り、好評でした。ただ、ネギとキャベツは真っ黒に炭化し、タレの蜂蜜・ごま油と混ざり合って飴みたいになってた(汗)

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26日の朝、寺町三条を通ると、西南角にある肉料理の老舗「三嶋亭」に行列が出来ていました。ここは精肉店でもあり、歳末にはすき焼き用の肉を買い求める人が沢山来店します。知り合いの栄養士さんが並んでいるのを見かけたこともありました。

いよいよ2005年も残りわずか。よき年明けを迎えられますように。

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2005.12.22

歳末点描

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ついこの間まで、紅葉を追いかけていたのに、もう今年も残り少なく、せわしい季節となりました。
そんな中、南座にかかげられた「まねき」を見上げると、しばし華やかな歌舞伎世界を夢見させてくれます。
今回の「顔見世興行」では、上方歌舞伎の大名跡である坂田藤十郎が、231年ぶりに復活。話題となっています。そのうち、教育テレビか衛星放送で襲名披露の演技、放送してくれるかな(苦笑)

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南座の少し東には「目疾(めやみ)地蔵」こと、仲源寺(ちゅうげんじ)があり、四条通の賑わいのなかにあって、落ち着いたたたずまいです。わしは南座の写真を撮り、ここにお参りしてから、忘年会に行きました(^^)

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夕暮れに京都駅ビルから京都タワーを望むと、なかなかロマンチックではあります。じつは雪雲が北から迫っているのに気付いて、慌てて帰ったのですが(笑)

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今熊野商店街の和菓子屋「音羽屋」さんで、クリスマスツリーの形をした和菓子を売っています。
丁寧に作ってあり、もちろん、美味しかったですよ。

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2005.12.16

京都検定1級受検記 その2

試験の説明が終り「質問はありますか?」と試験官が言うと、教室から次々と質問が飛びます。
「合計150点満点だそうですが、要項では8割以上の正解で合格とありました。何点以上で合格ですか?」
「小論文問題が5問あるようですが、下書き用紙には3問分しかマスがありません。もっともらえますか?」
気迫十分のおじさんたちの声に、試験官もたじろぎ気味(^^;)
そして13時45分から、90分間の試験が開始されました。

まず、1問2点の問題が50問あり、例えば

☆寛永5年(1628)再建された南禅寺の三門は、誰の寄進によるものか。
☆六波羅蜜寺の「空也上人立像」の作者である康勝は何派の仏師か。

などというものでした。
また、「()のなかに適当な語句を書きなさい」という形式のものもあり、

☆落語家の祖として、北野天満宮などで落語を行ったことで知られる大名跡(  )が、今年、約300年ぶりに復活した。
☆京都で初めてのクラシック音楽専用コンサートホールとして建設された京都コンサートホールを設計したのは(  )である。

などなど、です。
これらは、選択肢を選ぶわけでなく、自分で考えた答えを正しい漢字で記述しなければなりません。

さらに、最後の5問は各10点で、

☆第二代京都府知事・槇村正直が行った京都近代化政策を(知事就任以前も含む)、具体的に5つ書きなさい。
というような記述問題が2問、

☆平安京について、150字以上200字以内の文章で書きなさい。(平安遷都を行った天皇名、平安京に遷る前の都、モデルとなった中国の都市、大内裏から南に走る大路名、都市区画制度の名称、は必ず含むこととする)
というような小論文が3問でした。

わからぬところは飛ばして よし、これは覚えてる!というところから埋めて行き、小論文を一気に書き進め、残った時間でわからない問題に記憶力を絞る、という作戦を立てて、猛然とシャープペンシルを動かします。教室中に鉛筆の音が響き渡り、それは壮絶なほどでした。

しかし、わからぬところが多すぎる!小論文は関連する知識を盛り込んで、わからぬキーワードを補足して文字数制限いっぱいまで書きましたが、2点50問のほうは渡月橋を観月橋と書いたり、弥勒菩薩の漢字を間違ったり、ぼろぼろでした(涙)そして、記憶力を絞る間もなく、タイムアップでした(無念~)

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メチャ疲れましたが、まっすぐ家に帰るのも惜しく、キャンパスをうろつき、さらに校門を出てからは、平野神社~北野天満宮と足に任せて散歩しました。名残の紅葉が、きれいな落葉になっていました。

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その北野天満宮の参道で、小さな祠と石の鳥居を発見。案内板を見ると「伴氏社」とあります。
するとこれが、受験勉強で覚えた「京都三珍鳥居」の一つと名高い、伴氏社の鳥居か!と思い、まじまじと見ます。そんなわしの傍らに、スーツ姿の50年配と見える男性が、やっぱり感慨深げに佇んでおられます。もしやと思い声を掛けると、やはり京都検定一級を受けた方でした。
「いやもう、難問ばっかでしたな」と嘆きあい、話が弾みました(笑)

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「それにしても、どこがそんな珍しい鳥居なんやろ?」と二人で探しましたが、この鳥居の柱の台座に蓮弁が刻んであるのが珍しいのだそうです。そのうち、またこの鳥居に足を止めた女性の方がひとり。「京都検定受けられましたか?」と訊ねると「はい、玉砕してきました」との返事でした(苦笑)
「もう、学問の神様に頼るしかありまへんな」と笑いあい、「受かってると良いですねえ」と励ましあって別れてきました。
難しくて苦戦したものの、試験勉強や、試験を受けることが「楽しい」と感じられたのは、稀有のことだと感心しています。一緒に受験した方々、みんな良い顔をしておられました。年かさの人ほど、そうだったと思います。

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2005.12.15

京都検定1級受検記 その1

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今年も受験した、「京都文化観光検定試験」。昨年の2級合格に気をよくして、1級に挑みました。
受験場所は、昨年と同じ、立命館大学・衣笠学舎。

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わしが学んでいた頃、感銘を受けた「未来を信じ 未来に生きる」の碑文は、紅葉に彩られていました。
この言葉、いまになってますます、噛み締めたくなっています。

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さて、昨年は以学館で受けたのですが、今年受験したのは、清心館です。
ここは、わしが所属していた文学部の拠点でして、受験教室は、学生時代何度となく授業を受けた部屋でした。
しかし、この建物と教室、無機的&無個性の典型のような建造物でして、懐かしさというものがかけらも感じられないのでした(苦笑)

遅刻しそうになった去年を教訓に、かなり早くに教室に入り、最後のあがきでテキストやノートを見まくっているうち、受験生が続々入室。欠席者はほとんどいませんでした。年配の方が圧倒的で、40歳代のわしなど、ほんまに若造。13時30分に説明が始まりました。(続く)

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2005.11.24

京都検定1級に挑む

昨年、2級に合格した「京都・観光文化検定試験」、今年は1級に申し込んだ。
昨年の2・3級以上に、どんな問題が出るのか見当もつかないので、試験の主催者が開催する「1級対策講習会」を受けてみることにしたが、10月10日に行われたⅠコースには申し込みが間に合わず、昨日・11月23日のⅡコースを受講することになった。

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講習会の会場は、北区にある大谷大学本部キャンパス。
休日のため、学生の姿をほとんど見ることのない、静かなキャンパスだった。
地味ではあるが、良い感じに色づいた樹木を見つつ、随分前にここに足を踏み入れたこともあったと、だんだんに思い出した(苦笑)

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構内の建物はほとんどがコンクリート造りだったが、この「尋源館」はレンガ造りで風格があり、魅了された。

講義は午前10時~午後6時まで、昼食、休憩を挟みつつも、一挙に全範囲をやってしまうハードスケジュール!
受講生は、ほとんどがわしよりも年配の方々で、(というか、わしより若そうな人は、170人の定員中5人くらいしかいなかったのではないか?)かなりこたえたのではないかと思われる。
かく言うわしも、午後4時頃になるとクラクラめまいがし、脳梗塞の再発作かと恐怖したが、おやつにと買っておいた餡ドーナツをほおばって持ち直した(笑)
講義を受けては小論文の練習問題をやるという繰り返しで、大変に手ごわい中身だった。それでも、講義は内容豊富でユーモアに溢れ、講師の「京都への愛」がみなぎっていて、面白かったのである。

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受講を終えて、北大路通りに出てみると既に真っ暗。北大路タウンのイルミネーションが疲れた目に沁みた。
いまさらながら、1級合格は、かなりの難関だと感じたが、取り組む意欲は大きくなった。
小説執筆も再開している中ではあるが、こっちも精一杯頑張ってみるつもりである。
乞うご期待!(笑)

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2005.11.12

大石神社

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わしの居住している山科は、忠臣蔵の大石内蔵助が一時期隠棲していた地として知られ、そこには「岩屋寺」があるのですが、その北隣にある「大石神社」は内蔵助を祭神として、昭和10年に創建された神社です。
くわしくは、大石神社のHP参照。

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ふだんは山裾の静かな神域で、色づく秋をしみじみ味わうのによろしい。

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しかし、12月14日の「義士祭」は、山科区を挙げての盛大なお祭りで、義士の行列が区内を練り歩きます。昨年の様子はこのblogでも取り上げました。→こちら
洛中の洗練とは違った、鄙びた味のある山科へも、是非おいでください。

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2005.10.19

将軍塚から京都を見下ろす

よく晴れていたので、急に思い立って、東山ドライブウェイを車で駆け上がり、将軍塚に行って、京都を眺望してみました。
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三条蹴上と、五条坂を繋いで、東山の山中を走るドライブウェイのハイライトは、東山連峰の頂上からの大パノラマ。ここからは、京都を眼下に一望できるのです。
「東山山頂公園」の展望台からは無料で見ることが出来るし、ここは夜景見物の名所ですな。
そのすぐ近くにある「青蓮院門跡別院 将軍塚大日堂」にはもっと立派な展望台が二つもあって、眺望はこちらのほうが優れています。ただし、ここは拝観料500円を払う必要があるし、普通は昼間しか開いていません。
しかし、このところ春秋の桜・紅葉の季節には夜間拝観を行うらしく、今年も10月28日から12月4日まで
「第8回 将軍塚 夜の特別拝観」を、午後5時から9時30分(受付は9時終了)まで行うそうです。

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それにしても、こうして見下ろすと、京都市内はほとんどビルばかりとなって、町家の屋根などはまったく判別できません。緑地も、船岡山とか双ヶ丘、吉田山や糺の森とかに限られることがよくわかります。
そんな中、ずば抜けて緑の量が多い御所の存在は、やはり京都にとって大きいなあと、改めて思いました。

このblogでは、あまり横に大きな写真を直接載せることが出来ません。ポップアップにすればいいのだけれど、あえて、こんな風にしてみました(笑)↓
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2005.10.17

塔下秋明

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松風さんの「京・壷螺暮」で、秋明菊(貴船菊)が法観寺(八坂の塔)の境内に咲いていると知り、訪ねてみました。
確かに、塔の真下で、清明な花が秋風に揺れて、爽やかに佇んでいました。

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見上げると、幾多の災火に遭いながら白鳳の様式を伝える五重塔は、秋天に揺るぎなく聳えています。

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残念ながら、わしの腕ではあまり花の美しさは捉えられていません。
それでも、コスモスに似て洒落ていながら、塔の雰囲気によく似合う古雅な風情も併せ持った花のようです。

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塔の西側に続く石畳の通りは、わしの好きな道の一つです。デジカメの電池が切れ、塔のすぐ下にあったタバコ屋さんで補充。応対してくれたご老人の、のんびりして物柔らかな様子が「よき京都」の象徴みたいで嬉しく、ついつい、関東弁(風)で観光客になりきったわしでした(笑)

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ここには、「塔下(とうのした)商店街」があって、なかなか活気もあるのですが、それだけに商用車がひっきりなしに通るので、要注意。


秋明菊について
この花については「京都 花の道をあるく」(松本章男著 集英社新書)で知った。
中国からはるか昔に渡来した帰化植物だそうだ。山東省などで漏蘆(ろうろ)と呼ばれた草花で、別名を秋牡丹。
菊科の植物ではなく、キンポウゲ科アネモネ属の多年草とのこと。平安時代にはクロクサと和名が当てられ、貴船神社あたりに自生するようになったものを「貴船菊」と呼ぶようになり、さらに伊勢では「秋明菊」と呼ぶようになったという。どちらの名前も文献に出てくるのは江戸時代以降らしい。
八重咲きと一重咲きがあり、薄紅か薄紫色で、一重咲きに白の花もある。園芸品種として花屋で入手も出来る。
貴船神社周辺に在った八重薄紅の野生株は、乱獲されて、もう見ることができないというが、西山の善峯寺に自生していたものが、お寺の住職に丹精され、境内を美しく彩ることでしられる。また、京北の周山街道沿いの宗蓮寺でも、同様に住職が熱心に植栽して、見事な群落が見られるという。

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2005.10.14

山科大乗寺・名残の酔芙蓉

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ずっと行こうと思っていた大乗寺に、やっと足を運べたのは10月12日の朝。
法華宗大乗寺は京都市山科区北花山大峰町にあり、HPはこちら
ちなみに兵庫県但馬には同じ名前で、円山応挙の絵を所蔵している有名な寺があり、わしも以前紹介したが、山科の大乗寺は、酔芙蓉で知られる小さなお寺である。

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山科区北花山、というところまではわしの住所と同じである。歩いて30分ほどで到着。午前10時、まだ朝日と言っていい陽射しの中、門前の酔芙蓉も輝いていた。

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しかし、もう、花の盛りは過ぎて、わしのほか人影はない。

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地植えのほか、鉢も並んでいて、丈高く伸びた枝葉が、山際の細長い境内を埋め尽くしている。

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数は少なくなっていたが、この日は青空が澄んで、蒼穹を背にした花は輝くばかりに美しかった。

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そして、奇跡の様に黒いアゲハ蝶が舞い来たって、わしは夢中でデジカメのシャッターを押し続けたのである。

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☆同じ日(多分^^;)の大乗寺を紹介されているpiitaさんの「京都あちらこちら」にトラックバックさせていただきました。

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2005.10.10

第6回楽陶祭2日目の様子

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一日目は雨でさんざんだったようですが、今日二日目は良く晴れたので、家族で行って見ました。

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橘大学の学生さんたちが企画に大勢参加し、演奏会などもやっているほか、カフェも元気に主催していました。
「タコライス」という、タコスの具をご飯に載せたランチを食べさせてもらいました。会場には、花街の節分に行われる「お化け」が出没。しかし・・・天気がいいのにあまりに人出が少ないのが気になったなあ。

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一番の問題は、陶器の出店などがほとんどないこと。団地内の協賛店がお店を開いて、廉価の品を売っているものの、活気がないのは否めません。
そんな中、お茶席は楽しめました。写真は5歳の息子のために、特別に薄く立てていただいた抹茶。茶碗はもちろん清水焼ですが、絵柄の可愛さに顔もほころびます。

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2005.10.09

第六回楽陶祭始まっています

あまりに遅いですが、宣伝です。
京都市山科区にある、清水焼団地で、10月8日(土)から10日(祝)までの三連休に
第六回楽陶祭が行われています。

詳細についてはこちら

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2005.10.04

夜景拾遺

月末、野暮用の帰り道に拾った夜景です。

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東大路通、百万遍交差点を下がって東側に、割と最近、京都大学総合博物館が出来て、夜間のライトアップがなかなか幻想的。この辺一帯は京大の敷地なのだが、かつてはライトアップなどは無縁な地域でひたすら夜は暗かったな・・・

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そんでもって、もしや・・・と行って見た京大の象徴、時計台のある本部棟。
わしゃ、のけぞりました(笑)こんなに綺麗になってたのね・・・かつては、時計の文字盤だけが暗い空に不気味に光ってたのだが・・・それが結構好きだったんだけど。

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東大路をさらに南下すると、岡崎に至り、平安神宮の南には、京都市美術館がいつも荘厳に照らし出されています。

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その美術館の前に聳える、平安神宮の大鳥居。このぶっとい柱に、夜間、密かにある行為をすると、試験に落ちないというおまじないがあったそうだが、もう、そんなこと覚えてる人はいないやろか・・・

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2005.10.03

10月の府立植物園

京都の花を紹介するのに、ここを取り上げるのは、ほとんど反則技のような気がするが(笑)わしは、とてもここが好きなので、あえて掲載してしまう。

京都府立植物園 京都市左京区下鴨半木(なからぎ)町

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花壇のサルビアと、クスノキ並木の巨木群。よく手入れされた花々と出来るだけ自然のままの樹木が憩わせてくれる。

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初秋らしい花といえば、コスモスだが、まだあまり咲いていない。珍しい白いコスモスが満開だった。
・・・と思ったら、北山門近くのほうには、普通のコスモスの咲き乱れるプランターが一杯あるそうだ(汗)

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珍しいといえば、日本産で絶滅危惧種の「オニバス」が、温室前の池で咲いている。

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さすがに蓮の花はもう見当たらない。枯れ始めた蓮葉の下に、アオサギの孤影があった。

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宿根草・有用植物のコーナーでは、スイフヨウ(酔芙蓉)が見事。夕方に行ったので良く色づいていた。

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スイフヨウの近くにはこの、パンパスグラスが、巨大なススキみたいに風になびいている。渡された「きまぐれ園だより55号」には、「秋を感じます。でもブラジルでは困った雑草とのこと」と書いてあった。

この「きまぐれ園だより」のほか、「樹木マップお宝編」なども出ていて、園の積極性、「やる気」を前よりも感じた。園のHP(上記リンク)も充実していて、情報更新も頻繁にされているようだ。
ただ、非常に残念だったのは、子どもの遊び場「未来くん広場」にあった木造の大きなアスレチックが撤去されて、どこの公園にもありそうなちっぽけなアスレチックに代わってしまっていたこと(痛憤!)
前のは、三階建ての「巨大秘密基地」みたいで、子どもの冒険心を満足させてくれ、我が家が植物園に通う大きな動機だったのである。

ここには、山城盆地の原生林を再現した森をはじめ、銘木、巨木、ユニークな花壇など、見所がいっぱい。半日かけてじっくり見て回って損はない。出来れば老後は、この近所に住んで毎日散歩したいなどと思うわしである(^^)

☆winter-cosmosさんの「緑の森を楽しく歩いた」にも、「この実、何の実?」というタイトルで、京都府立植物園のことが載っていました。

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2005.10.01

霊雲院の不思議な庭

京都案内の再開は、東山区本町にある東福寺の塔頭のひとつ、霊雲院。
毎日、東福寺の境内を通っているわしだが、ここはちょっとメインルートから外れている感があり、まだ拝観してなかった。
長い石畳の道の奥にひっそりとあって、「別天地」の風情がある。

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さて、ここは書院の前の「九山八海の庭(霊の庭ともいうらしい)」と称する庭園が見所なのだが、第一印象は、かなり雑然として見え、「もう少し石や樹木を減らしたほうが・・・」などと思った。

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しかし庭園の中央、白砂のなかに異様なものがあるのである。

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これは、「巍々として聳える須弥山」を象徴する石だそうだが、なんとも無機的な土台と受け皿に乗っかっているではないか。最初、コンクリートで作ったのかと思った。
渡された説明リーフを見てみると、これは「遺愛石」というもの。この塔頭の第七世の住職と親交があった大名・肥後の細川家が、庭にあった貴石に台と石舟を作ってセットにして贈ってきたものだという。
この石が珍重され、名高い庭だったものの、後年すっかり荒廃してしまったのを、東福寺のあちこちの庭の作成、修復を手がけた異才・重森三玲によって、ここも復活したのだそうだ。

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そういわれて見ると、九山八海の庭も、その西に続く「臥雲の庭」も、砂紋や石組みに、まさしく重森三玲らしいモダンな感覚が滲んでいる。

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書院庭園の隣には、「観月亭」という日本でも数少ない二階建ての茶室がある。写真では隠れてしまっているが一階の端には丸窓もあり、桃山時代の「北野大茶会」当時のものだという。実に味わいある建物で是非中に入ってみたいものだが非公開。庭といいこの茶室といい、もうすこし整備して宣伝すれば、ここはかなり注目を浴びるのではと思うが、わしの拝観中、他には一人しか拝観者がこなかった閑寂さだった。

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あと、特筆すべきものは、これ、日露戦争で捕虜となったロシア兵が作った楽器である。
なんと、当時、東福寺には1500人もロシア兵捕虜が収容されていて、霊雲院には50人が寝起きしていたという。8ヶ月の収容生活のなか、彼らは日用品から楽器まで手作りし、異国の禅寺の暮らしに耐えたのである。
こんな歴史の断片が埋まっているから、京都のお寺めぐりはこたえられない。

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2005.09.01

鴨川の床

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8月最後の日、逝く夏を惜しんで友と二人、鴨川の床で飲んだ。
風はもう涼やかで、耳を澄ますと河原で鳴いている虫の音が聞こえた。
古びた店に灯る灯り・・・遥か昔にも、ここに揚がったような気がして仕方がなかった。
維新の志士ででもあったのだろうか、わしは(笑)

輝く陽射しの中、思い出を貯めた夏。
さあ、実り多き秋にしよう。


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2005.08.16

五山送り火

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5歳の息子を肩車して、高野川の歩行者しか渡れない橋の上で、大文字の点火を観た。
そのあと、息子と手を繋いで河原を歩いて、法の字の火を観た。
夏が終わる。

わしのたたかいは、まだ始まったばかりである。

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2005.07.24

大和大路七条上ル・百日紅の道

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三十三間堂と京都国立博物館のある、大和大路七条を北へ上がると、百日紅(さるすべり)の並木が続いていて、梅雨明けから鮮やかな花を咲かせています。

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大和大路の西側の歩道に沿って、豊国神社の前まで赤、ピンク、白の花が暑い日ざしに輝いています。また、豊国神社前から西に向かう正面通にも、中央分離帯に百日紅が植えられていますが、こちらの樹はまだ若く細いです。

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くらくらするような、真夏の陽射しの下で見る百日紅の赤は、なんだか南国じみているのですが、京都の夏の過酷さを象徴するにはいいかもしれません。

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いかめしい国立博物館の建物と百日紅の花は、不思議と似合うような気がします。


松風さんの「京・壷螺暮」では、京都御苑の百日紅が紹介されています。

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2005.07.20

清水焼団地・陶器まつり

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我が家のご近所、山科の清水焼団地で、第31回陶器まつりが開かれているので、今年も行ってみた。
7月18日・19日・20日の3日間の開催である。

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京都の町なかからは、五条通を車で東へ走り、東山トンネルを山科へ抜けてしばらく行くと、新大石道交差点があり、ここを南へ下がるとすぐに清水焼団地。窯元や問屋が多く並んでいて、普段は実に静かな街だ。このまつりのときだけは多くのテントが並び、問屋や小売店も戸を開け放って、色とりどりの陶器磁器ガラス器がきらめいている。

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「清水焼」は、現在、地元ではほとんど陶土を産出しない。他から土を買ってきて製作するのだ。使う土はもちろん、焼き方や色の付け方、絵柄などに統一された特色はないのである。窯元ごと、お店ごと、職人、作家ごとに全く違う焼き物を作っている。こんな陶磁器の産地は、日本、いや世界でも稀なのではあるまいか。
では、どこに「清水焼」の特色があるのか?
今は亡きわしの友人で清水焼の作家・イシさんが言っていた。
「京都で作るから清水焼なんや」
京都の街の風土、それに培われた感性が作る焼き物。伝統と革新のせめぎあいで磨かれた、洗練された感覚があってこその清水焼、であると。

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テントには手軽な価格の品が積まれ、格式あるお店の方では、料亭向けの品をはじめ、花瓶やら大皿やら茶器やらの高級品が特別価格で売られている。
が、我が家のお目当ては、粘土遊びをさせてくれるテント(笑)
係りのお姉さんが親切に息子の相手をしてくれた。

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粘土を無料でくれて、自由に遊ばせてくれるが、本物の型も用意されていて、招き猫やら舞妓さんの人形やら、試しに作ることが出来る。しかし、これは案外難しいのである。オカメの面をやってみたが、しわだらけの顔になってもうた(笑)

清水焼も景気の底にあると言われて久しい。清水焼団地に存続できるのも、大手の体力あるお店ばかりで、「うちはもうあそこにいるのは無理やった」という人の嘆きも聞いた。
京都を彩る美しきモノの一つである清水焼。いつまでも繁栄していって欲しいと思う。

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2005.07.15

祇園祭・鉾の周り

祇園祭の頃は、鉾や山だけでなく、周りのいろいろなものを楽しむことが出来る。

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菊水鉾の近くで、まるで鉾に変身したように飾り付けられている建物があって、なんやろと思うたら、菊水鉾の町内行事として、「お茶会」が行われているらしい。古い祇園祭案内書には、このお茶会は「金剛能楽堂」で行われると書いてあるが、今その金剛能楽堂は烏丸一条へ移っているので、その跡地に建てられたビルなのだろう。やはり能の金剛家ゆかりの建物か?

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四条通を一本上がった錦小路は、京都の台所として知られる市場であるが、ここも祇園祭仕様の華やかさ。

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四条河原町の高島屋百貨店は、店に入るなり、駒形提灯が出迎えてくれる。

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京都タカシマヤおすすめの、「京みやげ好適品」は、鉾のミニチュアなどなど。よう出来てはるわ。

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見上げた鉾の屋根の裏で、鳥たち、人形たちがなにやら楽しそうに会話している。
・・・ように見えまへんか(^^)

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2005.07.14

祇園祭・天を衝く十三日の鉾

やっと、祇園祭の鉾を見に行けた十三日の午後。すっかり組み上がった巨大な鉾たちは、つかの間、晴れ上がった空に、勇壮に鉾頭を突き上げていた。
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四条烏丸東、長刀鉾が見えると、いつもわくわくする。祇園祭を象徴する鉾だから。

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現代建築のビルを背景に立つ長刀鉾は、まるで特撮映画の怪獣のようにかっこいい、と思うのはわしだけかな(^^;)

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八十尺の鉾頭にそびえたつ宝剣・守長刀は、三条小鍛治宗近が鍛えたという伝承を持つ。疫病の魔を祓う神剣が、常に巡行の先頭を切る「くじとらず」の栄光の鉾である。

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駒形提灯が灯る夜の風景は、一層心ときめかしてくれるのだが、晴れた空の下、天を衝く鉾たちの勇姿も最高だ。

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というわけで、青空を見上げてはシャッターを切っていたわしである。

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大きな通りより、こういう小路に立つ鉾は一層迫力を感じさせてくれる。室町四条上ル、菊水鉾。

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前掛け、胴掛け、見送りの豪華なタペストリーや、屋根周辺の彫刻などの見事さはもう、言うまでもないけれど、天に伸びる真木もまた、華やかな布で巻かれ、菊水鉾の鉾頭には、菊の飾り金具がきらめく。

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上ばかり見ていて、ふと気付くと、目の前には黒い巨大な車輪。車軸に輝く菊紋様。

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鉾は皆組みあがっているようだが、それより小さい「山」のほうは、これから組み立てるところが多いようだ。
作業する人たちの顔が、とても生き生きしている。辛い労働ではないのだ、楽しい祭りの準備なのだと伝わってくる。室町錦上ル、山伏山。

ちなみに、長刀鉾に掲示されていた説明では、まだ鉾の飾りは仮のもので、15日に本飾りと交換するそうである。

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2005.07.10

これも祭りの景色

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いつものように車を運転して東大路通りを走っていると、道端に見慣れない看板。
ちょうど信号待ちで止まったので見ると、祇園祭の行事のため、交通規制を予告するものだった。

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祇園や四条通には遠いこの辺りでも、こんな感じで祭りの雰囲気を感じることが出来る。
さあ、明日は何年ぶりかで、鉾立てを見に行こうか・・・

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2005.07.03

高台寺の七夕会

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七月二日、宵闇深まる午後七時半の東山。
高台寺で七夕会が開かれているので、家族で行ってみました。

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綺麗にライトアップされ、カキ氷などの屋台もあるのですが、基本的にとても内輪の祭りです。
東山一帯の保育園、小学校などの子供たちが書いた短冊を飾っての七夕なのです。暗がりの中、幻想的に浮かぶ笹飾りや高台寺、霊山観音の夜景を楽しむのは、親子連ればかり。

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しかし、短冊を吊るしてあるこれ・・・笹じゃなくて堂々たる竹と言ったほうがよく、このどこかに息子の書いた短冊があるはずなのですが・・・高く掲げすぎてて、到底見えません!(苦笑)

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花灯路を見逃して残念だったわしとしては、ここぞと夜の高台寺、ねねの道界隈を撮りたかった。
しかし、走り回る息子を追いかけながらの余裕のない撮影・・・ブレブレ失敗写真の山でした(涙)

それにしても、夜の「ねねの道」、雰囲気が良かったです。高台寺、圓徳院が夜間拝観している土曜日でしたが、人が少なく、歩いているとなんと「ホッホー、ホッホー」と、フクロウの鳴き声が高く響いてきます。小型の「アオバズク」というフクロウだと思います。
一軒くらい、茶店が開いてないか・・・とうろつきましたが、懐石料理店の渋い店構えが提灯に浮かび上がるばかり。子連れでは庭園の夜間拝観も見送らずを得なかったので、また改めて、じっくりと散策に来ようと固く誓いました。

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2005.07.01

智積院の蓮と桔梗2

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ずっと空梅雨だったけれど、7月に入った今日は梅雨らしい空模様。
智積院の蓮も開いている花が増えているだろうと思って寄ってみました。

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確かに沢山の蕾が開いていたものの、昨日の夕立めいた土砂降りのせいか、花の形が整っていませんでした。
でも葉に溜まった露が清らかに美しい。

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桔梗のほうも、数多く咲いています。

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前に比べると、白の桔梗が目に付きました。


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2005.06.29

クイズの答え

さて、少し前に出した、クイズというか、間違い探しの答えです。
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御覧の通りでして、このお寺・法住寺は「身代わり不動さん」で知られているのですが、不動産業者にされてしまっていました(^^;)

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せっかくですので、法住寺の紹介も簡単にしておきましょう。以前、紅梅を取り上げたこともありました。
ここは、源平争乱の時代に、後白河院(上皇・法皇)が広大な法住寺殿を築いた地で、今の三十三間堂もそのなかの一つの堂・蓮華王院に過ぎませんでした。しかし戦乱の中に御殿や寺院は焼け落ち、今の法住寺は後白河院の御陵を守護するために建立されたそうです。写真のちょっとエキゾチックな門は旧法住寺御陵の正門で、今の法住寺では、三門と並んで建ち、竜宮門と呼ばれているとか。

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こちらが三門内の写真です(桜の頃に撮影したもの)。小じんまりとした印象のお寺ですが、様々な伝承を持ちます。
まず、本尊について。木曽義仲の襲撃にあって後白河院が逃げるときに、天台座主明雲大僧正が矢を受けて斃れたのを、「不動明王が明雲となって、私の身代わりになってくれた」と後白河院が感謝したことから、本尊を「身代わり不動尊」と呼ぶようになったとのことです。
他に、ここは赤穂四十七士ゆかりの寺の一つでもあり、寺伝によれば大石内蔵助が大願成就を祈願し、本堂には四十七士の木像があるそうです。
さらに、「ソバを啜る親鸞聖人の頂相阿弥陀如来」という、まず他には観られない仏像を所蔵すると聞きますが、わしはまだ、本堂内に参ったことがありません(汗)

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2005.06.24

ひと休みしてクイズなど

今熊野界隈をうろついていたら、道端のフェンスに、地域の案内図が掲げられていたので、しげしげと見ていると、とんでもない間違いが一箇所あるのに気付きました。
で、それをネタにしてみようというわけです(笑)

どこが間違っているか、探してみてください。
下の写真はクリックすると大きくなります。しかし、まあ、間違いはデカデカと書かれているので、小さな字を見る必要はないです。
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いかがでしたか?

(以下は、誰に向かってというわけでもない、自分に鞭入れるための宣言)
そろそろ、小説「流れのほとりで」、ラストに向けてリキ入れます。
それから、長いこと構想していた時代小説書き始めます。別のblogを立ち上げて、そっちに連載する形をとるかもしれません。

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2005.06.22

智積院の蓮と桔梗

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毎日前を通る、東山七条の智積院。雨上がりの朝、ちょっと寄ってみたら、蓮が花開いていました。

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不動堂の横に、小さな蓮池があります。朝の光の中で一輪が透明な花弁を輝かせ、何輪かがほころんで、これから見ごろでしょう。

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そして、お寺の紋所に使われている桔梗の花が、金堂に続く参道の両脇に並んで咲いています。

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ここの桔梗は、背が高く、涼やかに風に揺れていました。

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金堂前の梅林近辺は、広々とした明るい雰囲気で、湿り気と陰翳に満ちたいわゆる京都らしさとは遠いですが、それだけに梅雨の季節はさわやかさを味わえるかも。

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これは、おまけ。鉢植えの紫陽花が宿坊のレストラン「ききょう」の前に置かれていて色鮮やかでした。

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2005.06.21

善願寺の榧の木不動尊像

一言寺もあまり知られていないお寺であるが、善願寺となるともっとマイナーで、ほとんどの観光ガイド本には載っていないと思う。
場所は伏見区の醍醐寺から南へ旧奈良街道を進んでいくと、一言寺へ行く途中にある。道路に面して西側に建っているお寺である。

息子を連れて愛車マーチを乗り入れた駐車場は、小さな墓地に面した真新しい建物の裏手。庫裏?かと思われるその建物の玄関脇に、受付があって絵葉書などが並んでいるのだが、ひと気がない。建物の玄関が網戸になっているので声を掛け、出てきた女性に来意を告げると、本堂のほうへ案内された。
修復中らしくシートが壁に掛かっている本堂の、脇の小さな入り口から入り、説明を受ける。

ここは安産祈願、子授けの「腹帯地蔵」として信仰を集めてきたお寺だそうだ。
江戸時代に再建された本堂には、飛天や雲龍図、120面もの花を描いた天井画など、結構見応えあるものが多い。
さらに、本道を抜けて、庭に出ると、本尊の地蔵菩薩を祀る新築のお堂がある。収蔵庫っぽいガラス張りの建物のなかにおわす坐像は、平安時代後期に作られた丈六(高さ268.2センチ)の端正な木像で、堂々たるもの。腹部に裳の結び目があって、これが腹帯に見えるので、安産の守護佛となったとか。

しかし、ここでわしがなんとしても見たかったのは、「榧(かや)の木不動尊像」であった。

地蔵堂の手前、狭い庭の隅に、太い榧の木が立っている。すぐ塀の向こうは奈良街道である。もっと荘厳な雰囲気を予想していたのでちょっと拍子抜けして、榧の木の前まで行ってみた。
壮烈なものを感じて、全身が震える。
生きている榧の木の幹、目の高さに、不動明王の像が直接彫りこまれているのである。
1メートルほどの大きさの坐像は、力感に満ちてわしを圧倒した。
これは、今から50年前に、西村公朝という仏師が、たったの一日で彫りつけたそうだ。
この樹は樹齢1千年と伝えられ、当時の住職が夢でこの樹に不動明王が立ったので、西村師に依頼したという。

神木にノミを当てるには、凄絶な覚悟が必要だったに違いない。樹の生命力を損なわぬよう、植物学者にも意見を求めての壮挙だったと聞く。
撮影禁止の張り紙もあったし、カメラは取り出さなかった。
この像の凄さは、じかに見ないとわからないと断言できる。
樹は今もたくましく根を張り、風が吹く度にはらはらと葉が、わしの髪に降って来る。不動尊像の周りには、再生した樹皮が巻いてきていて、像はいつか樹の中に隠れてしまうだろう。
これを彫った西村師は二年前に逝かれたそうだ。

髪を逆立て、口から牙をのぞかせる憤怒形の像を見て、息子が説明を求める。
「剣をもってるけど、これ、ヒーローなん?」
「悪いヤツをやっつけ、正しい道へ連れて行ってくれる、強い仏様や」
「世界最強?」
「うん、世界最強のヒーローやで」
この力強さ、荘厳さ・・・こんなにパワーをくれる仏様は、めったにおられるものではない。
是非、見に行かれることをお勧めする。

住所は京都市伏見区醍醐南里町33番地
電話・FAX 075-571-0036
行きかたは、京都市営地下鉄「醍醐駅」下車、徒歩15分。
もしくはJR・京阪「山科駅」や京阪「六地蔵駅」発の京阪バスで「醍醐和泉町」バス停下車徒歩2分。

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2005.06.20

醍醐の一言寺

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伏見区醍醐、ほとんど醍醐山の裾に抱かれて、一言寺(いちごんじ)がある。
空梅雨の暑い日曜日、息子を連れて出かけたが、ほとんど参詣の人影はなかった。

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寺伝によると、建礼門院(平清盛の娘で、高倉天皇の中宮・安徳天皇の母)に仕えた阿波内侍(あわのないし)が建立したとのことで、そうなると、源平争乱ゆかりのお寺ということか。本尊は千手観音で、「一心に祈れば言下に願いが叶う」ので、一言寺の名が起こったそうだ。しかし、明治になって醍醐寺の塔頭のひとつ、金剛王院がここに移転してきて合併。正式名称は金剛王院のほう、らしい。

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門を入るとすぐに目に付くのが、巨大なヤマモモの樹で、ちょうど一杯に実が付いていた。詳しくはカテゴリー「巨樹」のほうで触れるのでしばしお待ちを。

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境内には紫陽花がかなり沢山見受けられたが、二年ほど前に3000本植えられたようだ。これから紫陽花の名所になっていくのかもしれない。

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本堂は江戸時代を代表する寺院建築の一つだそうだが、そのきざはしに座っていた、ご住職らしいお坊さまが、気さくに声を掛けてくれ、すっかり話しこんでしまって、内部を拝観するのを忘れた(^^;)

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静かな境内に、何度も澄んだウグイスの声が響く。醍醐寺から程近く、奈良街道を横道に入って、坂道と石段を登ればすぐなのだが、本当に山懐にいるような感じだ。夜になるとイノシシがやってくるそうで、タヌキなどは昼間から見ることが出来るとか。

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周りは深い竹林で、太い竹が高く伸びていた。
実は息子に「カブトムシとりたい」とせがまれて、山に行こうとこの辺にやってきたのである(汗)が、ご住職に「カブトムシは7月になってからやな、セミはそろそろ鳴き始めてるけど」と笑われた。
でも、来てよかったと思った。古い彫刻に飾られた本堂のきざはしに座り、森の息吹を吸い、ウグイスの声を聴いただけで十分に値打ちがあった。

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2005.06.16

京の雪舟寺・芬陀院

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天得院で桔梗を見た後、近くにあるやはり東福寺塔頭の一つ、芬陀院(ふんだいん)を訪ねてみた。かねてから「雪舟寺」と案内が出ていて気になっていたのである。

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元享年間(1321~22)に、時の関白・一条内経が創立し、以来一条家の菩提所となっている・・・とのことで、建物は桃園天皇(在位1747~62)の皇后の御所を一棟下賜され、明治の末に改築したものだそうだ。

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さて、ここが雪舟寺と呼ばれるのは、画家として著名な雪舟が築いたと伝えられる庭園を持つからである。わしは最初、雪舟の絵があるものとばかり思って探し回った(苦笑)
作られたのはかの、応仁の乱の辺りで、長く荒廃していたものを、昭和12年(1937)から重森三玲氏が復元し、更に昭和30年代に白砂などを整備して往年の面影を取り戻したという。
写真右の亀を模した石組みは、夜中に這い回ったので雪舟が背の甲羅に大石を突きたてて動かないようにしたという伝説を持つ。枯山水としては京都最古で、雪舟が作った庭としては近畿で唯一残存、とのこと。

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その枯山水の庭も、閑雅でよろしいのだが、隅っこに建つ茶室が、わしの興味をいたく引いた。

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図南亭(となんてい)といい、茶道愛好家として知られる一条昭良が好んだものだが、宝暦5年(1755)に焼失。それを昭和44年(1969)に再建したそうだ。掲げられている額には、詩仙堂のあるじ、石川丈山の名が刻まれているではないか。

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茶室というものにあまり縁がないので、しっかりと見せていただいた。無駄のない空間に美的洗練が研ぎ澄まされていて、さすがである。

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そして、この茶亭の円窓が、なんとも印象深かった。ここから覗くと、なにやら別世界、異次元を見るような気がするから不思議だ。

知らなかった京都のベールを、またひとつめくることが出来たと嬉しかった。まだまだ京都には、わしの知らない世界が幾重にも待っているんだ・・・

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2005.06.14

桔梗の寺・天得院

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京都市東山区本町の、東福寺の塔頭の一つ、天得院は、桔梗の寺として知られている。
今、その青と白の花が咲きそめて、特別拝観(7月9日まで)を行っているので訪れてみた。

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南北朝時代に開創され、安土桃山時代、ここの住持である文英清韓という僧が、例の方広寺の「国家安康 君臣豊楽」の銘文を作ったために、豊臣家滅亡のいくさを招いたと罪を着せられ、一度この寺は取り壊されたそうだ。
今の建物は天明9年(1789)に再建されたもの。華頭窓がかつての栄華の跡であるかのよう・・・

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枯山水の庭は、決して広くなく、桔梗の可憐さに会わせたような繊細な雰囲気である。
しかし遠景では、桔梗が貧弱に見え、最初は、正直がっかりしたのだ。

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軒に立って眺めても、桔梗の美しさはわからない。花の高さまで視線を落とさなければ。
杉苔のなかに、凛として立つ桔梗が、なんとも清しい。

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出来ることなら庭に降り、はいつくばって写真を撮りたかった(^^;)が、これが限界。

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庭園の門には、桔梗紋が彫りこまれていた。初夏だけでなく、秋にも桔梗は咲くという。

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杉苔と桔梗の取り合わせは、京都のお寺ならでは、だと思う。

ちなみにこのお寺は「東福寺保育園」も運営していて、すぐ隣から賑やかな音楽が響いていた。

piitaさんの「京都あちらこちら」でも同じ日の「天得院の桔梗」が紹介されています。
らくたび 涼さんの「京都の旅『らくたび』コラム」では、桔梗を紋所にした明智光秀や、桔梗名所のお寺が紹介されています。

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2005.06.13

紫陽花の三室戸寺へ

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この季節、あじさいを観に行かないと!と、唐突に嫁さんが言い出し、家族で出かけたのは、宇治市莵道滋賀谷にある、三室戸寺(みむろとじ)でした。

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車で出かけたわしらは、11時頃に着いたのですが、既に駐車場(旧来の参道をよけて恐ろしく回り道をさせられる)は満車状態。あじさい園は、本堂に登る坂道の右手の谷にあって、杉木立の中で鮮烈にして幽玄な別世界を作っています。その紫陽花の数、1万株!しかし今日は、人のほうが多かったのではないだろうか(苦笑)

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咲き始めらしく、どの花も瑞々しかったです。そして、紫陽花ってこんなに青かったのか!と嘆声を挙げずにはいられません。青の次には白い花が多かったです。

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ところどころ、こんな緋色めいた花もあって、いいアクセントになっていました。

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紫陽花に埋もれて堪能したあと、急な石段を登ると、新緑の山をバックに、優美な本堂があり、前庭には、沢山の鉢や水槽が並んで、蓮の葉が鮮やかな緑。蕾も伸びていて、花が咲けばまさに極楽の景色かもしれません。

それにしても、沢山の参拝客・・・というか、花見客の中で疲れてしまい、本堂前の休憩所で休みました。いちおう境内は飲食禁止ですが、休憩所の隣にはなぜか、ハーゲンダッツのアイスクリーム自販機が(^^;)。
あじさい園の中にも、「花の茶屋」があって、茶そばなどもメニューにあります。わしらは、ひやしあめやカキ氷(あじさい氷と銘打ってた)をいただきました。

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昨日の雨のおかげで、紫陽花たちも、カタツムリもご機嫌のようでした。

で、午後1時過ぎに帰ることにし、駐車場を出てびっくり!
駐車場へ入るために待っている車が物凄い列を成しているのです。その反対車線をとばしながら、どこまで行っても終わらない渋滞に、恐怖しました。
「この人たち、お寺の閉門時間に間にあうんやろか?」
「夜間拝観もあるから、大丈夫やとは思うけど」
「バスも立ち往生やね・・・」
「早めに来て、ほんまによかったな!」

あじさい園の公開は7月10日までだそうですが、休日の車の渋滞は恐るべきものとご留意のほどを。

らくたび涼さんの「京都の旅『らくたび』コラム」「厚い雲に覆われた季節」では、京都のアジサイ名所について知ることが出来ます。
松風さんの「京・壺螺暮」でも「三室戸のアジサイ」が詳しく紹介されています。

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2005.06.11

東本願寺

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京都駅を出て、ほんの目と鼻の先にある、広大なお寺が、真宗大谷派本願寺=東本願寺である。

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烏丸通に面して堀があって、白い睡蓮の花が咲いていたが、人目を引くほどではない。

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なんと言ってもここで目を見晴らされるのは、伽藍の巨大さだ。振り仰ぐ御影堂門は天を突かんばかりである。

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伽藍の中心をなす御影堂(大師堂)は、世界最大級の木造建築であるが、現在、御覧の通り大修復中。2011年の親鸞聖人750回忌に向け、2008年末に竣工を予定しているそうだ。(西本願寺の御影堂も同様である)

西本願寺や興正寺については、巨樹や梅花などをとりあげたことがある。だが、『京都案内」として取り上げた寺社で、宗教に関して触れた事はほとんどない。しかし、今回はあえて書いてみたい。
東本願寺も含め、浄土真宗のお寺は観光臭が薄く、今も信仰が強く息づいている印象を受ける。東も西も、信仰や教義について説くパンフレットや書籍が、他の寺院とは比べ物にならないほど充実していると思う。
そして、その内容は、鋭く宗教の核心を突いて、瞠目させられるのである。

「『五代前の先祖がたたっていますよ』と言われると、ドキッとする人は多いかもしれません。しかし『亡くなったお母さんがたたっていますよ』と言われればどうでしょう。ほとんどの人は、『私のお母さんはそんな人ではありません』と怒り出すのではないでしょうか。つまり、先祖が迷っているとか、祟っているというのは、亡くなった人のことをはっきりと受け止められていない私たちの心のすき間につけ込んでくるものなのです。そして、ほとんどの場合、それにはお金がからんでいます。(中略)亡くなった人は、自らの身をもって、人は必ず命を終えていかねばならないということを教えてくれています。限りある人生をどのように生きるかと呼びかけているのです。(後略)」(大谷大学助教授・一楽真)
・・・東本願寺の総合案内所に置かれていた『真宗本廟教化リーフレット」より

「浄土真宗では、霊や魂といったことは申しません。名前を書いた木の板に、あなたの大切な家族や親しい方がたの魂が宿るなどと、本当に考えられるものでしょうか。(中略)絶対にお仏壇の中に位牌を置かない、という努力をしていただきたいと思います。でなければ、位牌を通じての霊魂崇拝、死者儀礼的なものが中心となって、お釈迦さま、親鸞さまの教えとまったくかけ離れた形になってしまうからです。」
・・・西本願寺の「ブックレット基幹運動No.11 真宗の葬儀」より

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巨大な伽藍も、決して人を威圧するために作られたものではなく、多くの人々の信仰が集まった、祈りの形なのだろう。
広い境内の隅で、巨樹の根方に、黒猫が憩っていた。
どこから来て、どこへ行くのか、どう生きていくのが本物なのか、まだわかりはしないけれど、
猫もわしも、地球に生きる同朋・・・そんな風に思った。

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2005.06.07

正面通

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正面通、という通(とおり)をご存知だろうか?
豊臣秀吉が、天正14年(1586)に、東山の地に大仏殿を擁する方広寺を建立したとき、その参道として作られた、文字通り、寺の正面に伸びる道である。
鴨川に掛かる「正面橋」から、大仏殿跡までのおよそ250メートルを、紹介してみよう。
橋の東のたもとからは、ごらんのように京都タワーがうかがえる。

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なぜかこの橋、鴨川に直角に掛かっていないで、地図で観ると右肩上がり。五条大橋と七条大橋の間で交通量も少なく、のんびり渡れる細い橋である。

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陽射しも明るい気温31度の今日、正面橋の橋桁近くには、体長50センチもあろうかというニゴイ(鯉に似て頭部が長く、身体も細長い淡水魚)が、婚姻色も鮮やかに群れていた。産卵期なのだろう。

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橋の東側、川端通を渡って、正面通南側には、「京菓子司 甘春堂本店」が瀟洒な店構えを見せている。甘春堂さんは、正面通にもう一軒「東店」を持つほか、「嵯峨野店」「京都ホテル店」もあるそうだ。
ところで、このご近所には「京菓匠 七條甘春堂」というお店もあって、こっちは「本店」「七条店」と七条通に二軒もお店を出してはる上に、伏見大手筋店などもあり、さらには東京にも進出しておられるようだが、どないな関係にあられるのか、よう存じ上げません(^^;)

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甘春堂さんから東に、ほんのわずかな長さで「正面通商店街」が続くのだが、その中で断然重厚な風格を放つのは、「京料理 道楽」である。なんと、石田三成の軍師であった島左近の屋敷跡に、寛永年間に創業したという老舗中の老舗!是非一度訪ねてみたいと思っております(つまりまだ行ってない^^;)
京町家とはまた違う、古い作りの店構えは、「京都市指定歴史的意匠建造物」。

道楽さんのはす向かいには、超モダンな建物の銭湯「正面湯」があるが、でかくて上手く写真が撮れなかった(;;)
正面通商店街は、正面橋の川向こうに「七条新地」という遊郭があった頃が最盛期で、呉服屋などが賑わっていたそうだ。今はかなり景気がしんどそうであるが、超レトロに続けているお店と、新展開を図るお店とが入り混じり、小さい商店街だけれど面白い雰囲気がある。

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本町通まで来ると、正面通は急に広くなる。そして南側にそびえる小高い土盛と石の五輪塔は、「耳塚」。
秀吉が晩年に起こした朝鮮侵略のいくさで、敵兵の首級代わりに持ち帰った耳・鼻を埋めたという、酸鼻な歴史の遺跡である。時折、韓国からの旅行客らしい団体さんが参拝しているのを見ると、胸が痛むのである。
塚にはいつも花が供えられ、今はサツキが咲いていて美しい。

そしてこの東の突き当たりには、豊国神社、方広寺が秀吉の夢の残光を放っているのである。

sunaさんの「見たままに切り取る京都」、「大和大路正面・豊国神社」の景色を観ることが出来ます。

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2005.06.06

夏の京菓子・金魚鉢

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緑茶が苦手だったわしだが、京都の和菓子の繊細で奥深い味わいには魅力を覚えてきた。
初夏になると、夏向きの涼しげな和菓子がいろいろと眼を楽しませてくれる。
これは中でも見て楽しいモノの筆頭、幸楽屋さんの「金魚鉢」である。

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澄んだブルーの寒天の鉢に泳ぐ、二匹の餡で出来た金魚。水草らしき緑も添えられたこの和菓子は、一口で食べてしまえるほどの可愛らしさ。でもなかなか、食べてしまうには惜しくて、端から切ったり何とか金魚だけ出せないかとつついたり・・・(笑)

幸楽屋さんは、北区の鞍馬口通烏丸東入ルにあって、金魚鉢は要予約の季節限定商品。
(問い合わせ電話番号:075-231-3416)
でも、消費税込み一個210円で気楽に買えます。
実はわしは、予約もせずに買うことができました(^^)
四条河原町の高島屋デパートの地下特別売り場では、6月7日まで、お一人様六個限りで売ってくれるんですよ。

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2005.06.03

勧修寺の睡蓮・おまけ

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梅雨空っぽくなると、睡蓮も一層生き生きしているような気がします。
JR東海のポスター「そうだ 京都、行こう。」で、勧修寺が紹介され、
「桜のあと、ここはモネの睡蓮の絵のようになります」云々と書かれていたと思います。
さて、その通りかどうか・・・でも池の睡蓮はたしかに魅力的で、もっと写真を載せたくなったのです。

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2005.06.01

勧修寺の睡蓮

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山科区の勧修寺で、睡蓮が花の盛りを迎えている。

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観音堂が氷室池に映って美しい。受付で400円払うとチケット代わりに渡してくれる絵葉書には、紅の睡蓮とこの観音堂がバランスよく写っているのだが、同じ写真を撮るには、池の中に踏み込まなければならないとわかった(苦笑)

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望遠レンズと三脚の重装備でベストショットを狙うカメラマンが多い中、コンパクトデジカメのサイバーショットではなかなか苦戦を強いられる。睡蓮の花は結構岸から遠いのである。

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白と紅の睡蓮に加えて、花菖蒲も豊かな花びらを広げていた。

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白の睡蓮の真ん中で、狩猟中のアオサギ。殺気に満ちた精悍な身ごなしがかっこよかった。
この写真、特殊技を用いて、コンパクトデジカメでは不可能なはずの望遠写真になっている(笑)無茶なやりかたなんで、秘密にしておきます(^^;)

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2005.05.31

夜の神宮道

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野暮用で月末になると、夜の街を車で走る。用事が済んで、時間があると、平安神宮の前に行き、そこから南に続く、「神宮道」をゆっくり行く。

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黒くそびえる大鳥居の東には、京都市美術館がひそやかにライトアップされていて幻想的だ。

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そして、三条通を越えると、街灯の明かりよりも闇のほうが濃くなり、大楠に護られた青蓮院の門に、提灯が灯っている。

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細い道は弓なりに曲がって、すぐに知恩院前で広くなる。道の端にはタクシーが何台も停まっている。別に客待ちをするでもなく、運転手さんたちの姿はあまり車内にない。時間つぶしの場所なのだろうか。
見上げれば巨大な三門は、東山に溶け込むようでいて、頭上に圧倒的な威容でのしかかってくる。

まっすぐ行けば円山公園。車では入れない。西に知恩院道を下がっていき、石畳にタイヤを揺らせて新門をくぐれば、そこは祇園。青蓮院や知恩院の静寂からすぐそばにある、盛り場の賑わい。青白い光でライトアップされている八坂神社西楼門の前を走り抜けて、一瞬の夜の散策は終わる。
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2005.05.15

魔王の城・・・じゃないよ

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ちょっとおどろおどろしい感じなのだが、これは、京都市役所の夜景である。
はるか昔、わしは労働者として、5月1日のメーデーに、市役所前広場に行った。
何をするのかとまごまごしていると、労働組合の大先輩の女史が、
「なめられたらあかんで!」と叫び、バルコニーにいる市長に向かって、デモンストレーションするやりかたを教えてくれたものだった。
ううむ、あのバルコニーは、支配者が民衆を見下ろすものだったのだな!と思った(^^)

sunaさんの「見たままに切り取る京都」が、京都市役所を取り上げていたのに、古い記憶を呼び覚まされました。

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2005.05.02

晩春の勧修寺

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桜の時期に行き損ねた、山科区の勧修寺(かじゅうじ)に、ようやく行くことができた。
ここ、地名は同じ字で「かんしゅうじ」と読むが、お寺の名前は「かじゅうじ」という、ややこしいところ。
連休の合間、観光バスもいなくて静かな境内。門をくぐるとすぐ右手に、江戸時代に明正天皇(日本に数少ない女帝です)の御所の建物を移したという宸殿がある。

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日本の宮殿建築らしい清々しさは、新緑によく似合うが、向かって左手には、カエデの赤い新芽が紅葉まがいで、秋の景色も同時に見れて、お得な気分(笑)

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宸殿の裏には書院が続き、書院の前の枯山水庭に、水戸光圀寄進という、勧修寺型燈籠が、樹齢750年のハイビャクシンの樹に埋もれるように立っている。
とは言っても、水戸のご老公が、助さん格さんに背負わせて水戸から運んできたわけではないので、誤解のないように(笑)

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枯山水から南へ芝生が続き、その端には観音堂がなかなか美しい姿を見せていた。

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そして、勧修寺の中心ともいえるのが、平安時代に築かれたという庭園。
池泉舟遊式といい、平安貴族が池に舟を浮かべて、詩歌管絃の宴にふけるための庭である。池は「氷室の池」と呼ばれていて、平安時代には1月2日にここの氷を割って宮中に献上し、その厚さで豊作か凶作か占っていたとのこと。
カキツバタが咲き始め、池のほとりには藤棚もあった。もうすこしして、スイレンが花開くと見事だろう。

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池にはたくさんの鯉が泳いで、産卵なのか、浅瀬でもがいている魚もいた。そして、池の中ノ島には、沢山のサギが巣を掛けて子育て中。写真は左から、ゴイサギ、アオサギ、そしてチュウサギかコサギとみられる白鷲(足先が黄色かったらコサギとわかるんだけど)。

☆pastorellaさんの「Day Wind -京都散歩-」には、山科・勧修寺の、桜の時の様子が載っています。氷室の池の周りや、サギのコロニーのことも詳しく書かれています。

☆piitaさんの「京都あちらこちら」では、勧修寺の沿革や紅葉の景色も見ることができます。

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2005.04.26

お姫様路線バス

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東山七条から、豊国廟まで続く坂道は、通称「女坂」。なぜそう呼ぶのかというと、ここには「京都女子学園」があり、この学校は、通称「京女=きょうじょ」として知られる、幼稚園と小学校が共学で、あとは中学、高校、短大、4年制大学、大学院まで女子だけの学校なのである。
さて、わしは息子を保育園に送迎して、朝晩その女坂を通るのだが、ここで最近深紅のバスをよく見かけるようになった。
ボディに「Princess Line」と大書した華やかなバス、京都駅八条口から、東山七条、そして京都女子学園前を循環しているのである。

「親鸞聖人の体せられた仏教精神によって、自己中心でない豊かな人格を育てようとする建学の精神」を持つこの学校は、伝え聞くところでは、教室の黒板をガラガラと開けると、中に仏壇があるのだそうだ。
その学風にして、プリンセス、とはなかなか大胆な・・・と思っていたら、どうもこのバス、学園とは直接関係がないらしい。ここを参照。
京女(きょうじょ)の姫君たちからは、どう評価されているのでしょうかね?

☆4月26日追記
25日に尼崎で起きたJRの快速電車脱線事故で、京都女子大学の学生さんも一人亡くなったと聞いた。
突然に断ち切られた青春の無念さを思い、追悼の思いやまない。

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2005.04.20

西陣・桜巡り

今日、4月19日は光柔らかな春の好日。もうこんな日は、憧れの桜に会いに行こう!
いろんなものをうっちゃって、西陣目指して走っていってしまった。

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一番観たかったのが、「引接寺(いんじょうじ)=通称・千本ゑんま堂」の「普賢象桜(ふげんぞうざくら)」だった。
ゑんま堂はちょっと雑駁な感じがする庶民的なお寺であるが、紫式部供養塔を覆うように咲くこの花は、見ていると魂を吸われるような気がするほどに魅惑的である。

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花の中心に二本伸びている雌しべを、普賢菩薩の乗り物である、ゾウの牙に見立てて名づけられたそうだ。花びらの数は一つの花に100枚以上!そしてこの花は花びらが散らず、椿のようにぽとりと落ちるという。まだ、一つも落ちていなかった。

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ゑんま堂の北に、「上品蓮台寺(じょうぼんれんだいじ)」=通称・十二坊」があり、紅枝垂桜がまだ美しかった。静かで、観光臭のほとんどない境内は清々しかった。

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また千本通を南に戻り、ゑんま堂を通り過ぎて、千本上立売を東へ行くと、「雨宝院」。かつては広大なお寺だったそうだが、今はとても境内が小さい。だが、そこには溢れんばかりの花々。まず観たのは「御衣黄(ぎょいこう)」。珍しい緑色の花を咲かせるのである。

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八重の「歓喜桜」は、まさに花吹雪を散らして、見惚れる我らは歓声をあげるばかり。

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千本通に戻って、五辻通を西に向かうと、「大報恩寺=通称・千本釈迦堂」。花の檻のように枝垂れる「阿亀桜(おかめざくら)」はすっかり葉桜となっていた。だが、醍醐寺の五重塔の次に古い京都市内の建築物である本堂(1227年建立)の前には、八重桜が花開いて艶やかだった。「手弱女桜(たおやめざくら)」だろうか?

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上七軒を抜けて、北野天神を通り、平野神社へ。多種の桜で知られるここは、まだ幾種類も桜が競い合っている。
その中でこの「白雲桜(はくうんざくら)」は、実に清爽な感じで、晴れた空に似合っていた。

デジカメの記録メディアも電池も使い尽くすほど、沢山の名花を撮りまくっても、全行程2時間で回れる西陣は、すごいところである。
そして、この西陣・桜巡りは、京都をそれぞれの視点で鮮やかに写しているblogの方々に刺激を受け、沢山の示唆と教授を頂いた成果である。心からお礼を申し上げたい。

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2005.04.19

東山七条界隈の春景色

花に浮かれていて、小説を書くのがすっかりおろそかになってましたが、そろそろ本腰入れます。
その前に、撮り貯めた東山七条界隈の春景色を。

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京都国立博物館では、「曾我蕭白~無頼という愉悦」展をやっております。
「円山応挙がなんぼのもんじゃ!」と書かれたのぼりが何枚も翻っておりまして、ぎょっとしたりします(笑)

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その博物館から七条通を隔てて南、三十三間堂の東隣は日本赤十字社京都府支部で、血液センターとして機能しております。「血天井」で知られる養源院に並んで血液センターがあるのは、何かの因縁かと思ったりもしますが、その前の枝垂桜はなかなか見事でした。

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博物館の北には秀吉を祀る豊国(とよくに)神社があり、国宝・唐門の黒と金に、桜がよく映えていました。

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豊国神社から西へ正面通を行くと、すぐ左手にあるのが耳塚。
凄惨な歴史を埋めた供養塔も、春の花に囲まれて憩っています。

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豊国神社の西側には、秀吉が建立した方広寺大仏殿の石垣が残っていますが、巨石の隙間から春草が芽吹いていました。

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2005.04.18

春景色・点描

ソメイヨシノは散りゆき、枝垂桜、八重桜が彩る京都の春です。
日々の行き来に、横目で撮ってきた風景を並べてみます。

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4月15日午後、賀茂川西岸の加茂街道の車窓から、「半木(なからぎ)の道」の枝垂桜

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4月16日午前、岡崎の京都市動物園から、疏水を望む

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上に同じ、疏水の桜

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動物園内、イワトビペンギンのプール

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4月15日午後、わしのほか、誰一人訪れる者なき、山科神社
山影に玲瓏と咲く一樹
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4月17日昼下がり、醍醐と小栗栖の間を流れる山科川の岸辺

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2005.04.13

養源院の枝垂桜

東山区の三十三間堂の東側に、養源院というお寺がある。
伏見城の遺構を移したという本堂は、俵屋宗達描く迫力ある襖絵や杉戸絵に飾られる。
さらに、その廊下の天井は、関ヶ原の役に先立つ伏見城攻防戦で自刃した鳥居元忠たちの血の滲み込んだ床板を張ったもので、「血天井」と名高い。
薄暗い本堂内で、血天井を見上げ、魁偉とも言うべき杉戸絵に面すると、ぞくぞくするのである。
しかし、時は春、その本堂前には、素晴らしい二本の枝垂桜が咲き誇っているのだ。

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修学旅行シーズンで、制服姿の少年少女たちが、途切れることなく枝垂桜のカーテンをくぐってやってきていた。
彼らの記憶に、このお寺はどんな風に残っていくだろう。

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2005.04.12

桜に雨の智積院

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雨に濡れる東山の智積院。朝の勤行の声が響く中、桜の花が盛りでした。

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決して桜の樹は多くないけれど、明るく澄んだ花の色です。

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この生垣の紅の新芽の鮮やかなこと・・・

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ここのお坊さんたちは黄色の袈裟をまとい、すれ違うと必ず会釈をしてくれます。

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2005.04.11

醍醐寺の花見

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すごい人出だとは聞いていましたが、この日曜日(4月10日)、家族と弁当持って醍醐寺へお花見に。
わしは勧修寺に行くつもりだったのですが、家族の要望で、半分やけで、突撃しました(笑い)
案の定、五重塔などのある中心ゾーンの入り口である仁王門前は長蛇の列であっさりあきらめました(;;)

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しかしそこへ入らなくったって、いくらでも桜は観ることが出来ます。築地塀と桜がよく似合います。

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霊宝館と雨月茶屋の間の道は、息苦しいまでに濃密な花空間でした。

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総門から仁王門に向かうまでの、左に三宝院を見ながら行く道を桜の馬場というそうですが、その名の通りの華やかな桜ロード。もう、これだけで満腹になり、桜と人出に酔って戻ってきました。

帰り道、醍醐団地の公園で息子を遊ばせていると、醍醐寺関係らしい警備のガードマンさんが疲れ果てて、ベンチに座っておられました(^^;)大変だったと思います。

中心ゾーンや、三宝院、霊宝館などはすべて、入れなかったので、後日再訪する予定。続編にご期待ください(^^)


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2005.04.10

山科疏水・五分咲きの桜

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京都市山科区の、JR山科駅を出て、北に15分ほど歩くと、琵琶湖から流れてきている山科疏水にぶつかる。
山際を行く流れに沿って遊歩道があり、そこには桜が植えられていて、今日・4月9日は五分咲き。
それでも、弁当を持って桜の下に急ぐ人で賑わっていた。

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水面に伸びた枝に開く花が水に映えて、ここでの一番特徴的な景色といえるだろう。

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毘沙門堂へ向かう道に掛かる橋(安朱橋というらしい)の、少し東に、様々な花の競い合うスポットがある。
菜の花が溢れるほどの匂いを散らし、桜の下に黄色の列を作る。

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更に木瓜の花が鮮烈な赤を加え、ここには映っていないが白い木瓜、雪柳も色を重ねるのである。

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これはおまけ。我が家のご近所の、新幹線に並ぶ国道一号線の脇で見上げた夜桜(^^)

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2005.04.07

高野川の春

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わしの愛して止まぬ高野川にも春が訪れた。
正面に見える五山送り火の「法」を、川岸に連なる桜が彩りはじめている。

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流れに置かれた飛び石は亀の形。水と戯れる嬉しい季節が始まった。

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いつでも必ず水鳥が見られる。冬はユリカモメ、鴨やサギ類は通年。アオサギをこんなに近くで見たのは初めてだ。

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川端通を下っていくに連れて、桜はより花を開いていた。今日一日で随分咲いたようだ。満開になると、高野河畔は切れ目なしに2キロほども桜が連なる壮観さ。

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鴨川まで下がっていくと、枝垂桜が満開。宮川町のぼんぼりに明かりが灯る夕暮れ、桜の向うに京都タワーがひょっこり顔を出していた。

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2005.04.04

京都御苑・桃林

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久しぶりに御苑を散歩しましたが、この広さは魅力的。敷かれた砂利には、自転車の轍が出来ています。一般市民が気楽に出入りして楽しんでいる証拠です。でも、最近「迎賓館」が出来たんですな。「貴賓客」が泊まるときには、チェックが厳しくなるのだろうか。この日は迎賓館の方には足を向ける余裕なかったけど。

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西側中央の蛤御門を入って、すぐ南に桃林があります。
いや、こんなに一杯桃の花を見るのは初めてのような気がします。なんという濃厚で華やかな樹花なんでしょう。

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この桃のぎっしりと付いた花びら、色の濃さと比べると、梅は楚々としたものだなあ・・・随心院のはねずの梅さえも。

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ちなみに、5歳の息子は花にはほとんど興味を見せず、友達になった一歳上の「そら君」と、肩を組んで御苑の中を闊歩しておりました(笑)

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京都御苑・糸桜

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京都御所を囲む京都御苑、今までわしにはあまりなじみがなかったのですが、松風さんの壺螺暮にあまりに麗しい桃林が紹介されていたのに刺激され、かつ、息子を遊ばせる場所に最適と思い、4月1日に出かけてみました。するとなんと、枝垂桜が見事で圧倒されました。

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御所、御苑には数々の銘木があるのだそうですが、これは御苑北部、今出川御門を入った西側にある、近衛邸跡に咲き誇る「糸桜」。

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近衛池に雪崩落ちる花の瀑布。

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ちょうど池には、青鷺(アオサギ)が一羽たたずみ、日本画の一幅を見るが如きでした。

そして先の松風さんも同じ日にこの桜を見に来ておられたと知りました(^^)

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近衛池の西側、御苑西北角は児童公園になっています。
枝垂桜、山桜、そして桃など咲き乱れる中で遊ぶ子供たちよ、君たちは幸福だよ。それを見ていた私たちもね。

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2005.04.03

随心院・梅のほか

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さて、随心院は小野小町ゆかりの寺ということで、小野梅園の近くの竹薮に、小町が朝夕使ったという「化粧の井戸」が残っていました。井筒の石組みが古色溢れ、そこに溜まっている水は澄んでいて、それらしい雰囲気。水面に一輪の椿が浮いていたのは、先に来ていたカメラマンの演出でしょうか(笑)

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そしてこの写真、はねずの梅に蜜を求めて来ているのは、もはや希少種となってしまった「ニホンミツバチ」なのです。

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この蜂、なんと随心院の北側の門に巣を作っていて、駐車場から入場すると、ぶんぶんこの蜂たちの舞っている細い道を通過するのです!おとなしい蜂なので危害を加えなければ刺す事はない、と張り紙がしてあるので、近くまで寄って撮影しました。頭や身体に何匹も当たってきたが、無事でした(^^;)

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あと、総門からの道端に咲いていたこのタンポポ、不思議な白い色で、清冽な印象を受けました。

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タンポポの側には、小さなスミレが可憐に咲いていて、なにか、失われた日本の風情が生き残っているような感動を受けました。

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2005.04.01

随心院・はねずの梅

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息子の保育園が春休みになったので、家族三人で、小野小町ゆかりの随心院に、今を盛りと咲く「はねずの梅」を見に行ってきました。

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「小野梅園」と名づけられた梅林は、境内に、方形の二重の生垣に囲まれています。400円払って中に入れば、そこはもう、桃源郷ならぬ、梅源郷とでもいうべき、梅花の色と香りに満ちた別世界。

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どっちを向いてもこんな景色ばかりが続きます。

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「はねず色=薄紅」のものばかりでなく、多彩な色の花々が、園を埋めていました。心悸を沈めようと、遠く山を見やっても、梅花に霞んで、やはり夢心地です。

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梅園を出て、改めて見てみると、生垣はこういう感じに刈り込まれ、梅や背景の森とあわせて、何段にも重なる色の饗宴。

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境内の灯篭に書かれた字を見て、「はねず」とは「唐棣」と書くのだと知りました。
唐という字はわかるとして、木ヘンに逮捕のタイの字のツクリを書いた字は「タイまたはテイ」と読み、「にわうめの一種・にわざくら」の意味だそうです。(新字源・角川書店)
ううむ、わからへん(苦笑)。

梅園は4月3日まで開かれているとのことです。ほんまに、見るなら今!ですね。

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2005.03.30

もう桜も

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東山界隈、既に桜は咲いている。
上は東山七条の国立博物館の南東角。
下は東山ドライブウェイの将軍塚駐車場付近。
どちらもおそらくソメイヨシノではない。

養源院の枝垂桜などもまだ、蕾だった。
でも、もう、京都が桜花で覆われるのは、すぐであろう。

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雲龍院・はねずの梅

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前に白梅を紹介した、泉涌寺の塔頭・雲龍院で、「はねずの梅」が満開になっていました。
三脚を据えて、熱心に撮っていたカメラマンの話によると、昨日咲き始めたとのこと。この鮮やかな色はほんの数日で薄れてしまうそうです。

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2005.03.27

京都タワー冬景

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tower05-5視界に京都タワーが入ると「今日はどんな風に見えるだろう?」と目を向けずにいられない。この冬の間、結構面白い写真が溜まったと思うので、一挙掲載。
あえて、場所とか説明しませんが、一番下の小さい写真は、東山ドライブウェイの将軍塚展望台から撮ったもので、クリックすると大きくなります。京都タワーは、今、こういう風に街の中に立っています。

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2005.03.26

智積院・障壁画&庭園篇

最初に断っておきますが、智積院所蔵の、国宝である障壁画の数々は、特別に建てられた収蔵庫に収められていて、見学は可能ですが撮影することは出来ません。下の写真は、それらがかつて飾られていた大書院ですが、絵はすべて模写です。

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収蔵庫は照明を暗く抑え、空調の音だけが響く静寂の空間。
絵の迫力は、素晴らしいもので、太い幹を豪快に描いた松と、葉の緑の鮮やかさが、金の襖に鮮烈である。
長谷川一門の総帥、等伯の筆の勢いは凄まじく個性的。夭折した息子久蔵描く桜の図は繊細にして優美。
だが、歳月のもたらす絵の具の剥落や色褪せが傷ましい。そして、様々な事情から、これらの絵は元の四分の一の大きさしか残っていないのだそうだ!
更に口惜しいのは、絵の前に無骨な柵がどっかりと据えられていて、座った位置からでは絵がちゃんと見れないのである。絵に触られるのを防ぐには仕方ないかもしれないが、元の大書院に飾られた姿を見たい!
と思って、大書院に行くと、鮮やかに模写した絵が飾られていた。が、本物の迫力に遠く及ばないのは言うまでもない。あくまで、「描かれた当初はこんな雰囲気か・・・」という参考になるだけである。畳も真新しくて、どうも雰囲気がいまいちであった。

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しかし、その大書院の庭園は素晴らしい。
説明を読むと、かなり狭いものらしいのだが、土を盛って背景の東山に雄大に連なり、池は建物の床下までも食い込んでいる。

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植木の刈り込みの大胆さが見ものだ。

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濡れ縁の上にカメラを置いて、シャッターを押してみた。
いつまでも見飽きない庭であったが、サツキが咲く頃は殊に美しいそうである。

庭の美しさに満足して、講堂のほうへ回ると「四国八十八箇所霊場お砂踏み」というものをやっていた。(期間限定特別行事らしい)
お遍路さんが回る八十八箇所のお寺の砂が、一箇所ごとに袋に詰められて一室に置いてあり、その一つ一つを礼拝して踏むことで、八十八箇所巡りをしたのに似た功徳を授かる、というもの。案内役の若いお坊さんに勧められ、何事も体験と思ってやらせていただいた。20分くらいはかかったが、なにやら身体が温まり、心が充足したのは確かである。

このお寺は、もともと豊臣秀吉が、幼くして失った子・鶴松の供養にと建てた「祥雲寺」を、徳川家康が奪って、秀吉に焼き討ちに遭った根来寺に与え、「智積院」になったといういきさつを持っている。しかしそんないわくは、翳りとならず、残った絵は桃山時代のたくましい生命力を伝え、境内は明るく伸びやかだった。

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智積院・梅林篇

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24日、雨の晴れ間に、初めて智積院を訪ねてみた。毎日横目で見ていた梅林?を確かめようと思ったのである。
七条通りの東の突き当たり、思っていたよりも遥かに広い境内に、梅の木々が妍を競って咲いていた。
おそらくまだ、植えられて間もないと思われる樹が多く、どれも背丈はそれほどないし、樹の間隔が遠い。あと数年もすれば梅の名所として名高くなるのは間違いないだろう。
まだ梅を見に来る人は少ないと思われるが、それだけに伸びやかな景色を独り占めできた。(注☆)

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金堂は昭和50年に建てられた大きなもので、東山を背景に威容を誇る。風に翻る彩り鮮やかな飾り布が雄渾だ
周りの空間も広大で明るく、気持ちがいい。
しかし、一般に智積院で知られているのは、桃山美術の粋といわれる長谷川等伯とその一門が描いた障壁画と、利休好みの庭園であろう。(障壁画・庭園篇に続く)

(注☆)独り占め・・・と思ったら、sunaさんの「見たままに切り取る京都」でも、同じ日の智積院が取り上げられていました。
また、piitaさんの「京都あちらこちら」でも、3月19日に記載され、紅白咲き分けの梅の麗しい写真が見られます。(トラックバックいただいたのでたどられたし)

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2005.03.18

涅槃会・泉涌寺篇

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東福寺では、甘酒の接待をしていて、一杯貰い、普段見れる方丈や通天橋(紅葉の名所)とかはパスして、泉涌寺へ急ぎました。
皇室の菩提所である「御寺(みてら)」泉涌寺は、多くの天皇や皇族の陵墓に囲まれて、一種独特の雰囲気があります。荘厳、清浄で世俗的な匂いから極めて遠い感じ。

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ここもつい先日訪れて、楊貴妃観音などは見ていたので、まっすぐに、涅槃像のある仏殿に向かいました。
入り口をくぐり、見上げた途端、「あっ!」と声を出してしまった。
ここの涅槃像は、東福寺のものが横7.3メートル、縦14.5メートルであるのに対し、横は同じだが縦は15.1メートルで、日本最大を誇るはず。
だが、その大きさが容れ物である仏殿に合っていないのです。絵の上部は前傾して天井を覆うようにしてあり、壁面で屈曲して、下部もまた、全部広げきれていない。
上の写真を見ていただければわかるが、この仏殿とて、かなりの大きさ。なのにまっすぐに掛けられない巨大な涅槃像なのでした。
画面は極彩色で、人物は等身大、釈迦は丈六(2.9メートル)に描かれるという壮大さ。
実は建物と絵の大きさが合っていないのは理由があり、もともとこの絵は、奈良の東大寺に納められるはずだったそうです。一度くらいは、東大寺大仏殿で伸び伸びと展開してみたらどうでしょう・・・したことあるのかな?

ちなみに、このとき、涅槃像に隠されていた天井には、狩野探幽の描く龍がいます。体長14メートルとのことですが、ここの天井は特徴的で、垂木が周りから中心に向けて集中していて、視覚的に物凄く天井が高く見え、龍もそれほど大きく見えません。なのに、この龍はぞくぞくするほど迫力に満ちていて、わしは、大好きです。

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他にも見所多い泉涌寺ですが、前に見た本坊や御座所などはパスしました。けれど、疲れたので本坊前に設置されていた接待所で、「厄除けそば」300円を頂きました。静かな東山の山懐で啜ったきつねそばは、しみじみ美味かった。量は少なかったけれど(笑)

駆け足で涅槃会だけに集中したので、東福寺と泉涌寺を共に拝観して二時間余り。京都に暮らして20年以上経つけれど、初めて見ることが出来て充足感一杯でした。

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2005.03.17

涅槃会・東福寺篇


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大涅槃(ねはん)像が公開されるので注目される、東福寺と泉涌寺の涅槃会に行ってきました。
まずは東福寺から。
巨大な本堂に足を踏み入れると、堂内一杯の高さで掲げられた涅槃像に圧倒されます。像といっても彫像ではなく、画です。堂内での撮影は、わしはどこでも遠慮してるので、画像がなくて物足りないが、ご容赦を。
1408年に、明兆=兆殿司(ちょうでんす)という絵に傑出した僧が描いたもので、画中に猫が描かれている珍しいものでもあります。
しかし、その涅槃像も凄かったが、仰ぐと天井一杯にうねる龍の絵!その巨大さはもう、筆舌に尽くしがたいものでした。堂本印象作で、体長54メートルという壮絶な巨龍!ああ、写真撮りたかった!

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涅槃図公開中は、特別に国宝の三門にも登れます。前にも紹介したとおり、最古の三門にして、大仏様で作られた雄大なもの。楼上からの展望は絶景。そして、楼上堂内には、釈迦像、羅漢像、兆殿司描く天女や楽器、そして龍の絵が天井や梁を埋め尽くして壮観でした。

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また、楼上正面の扉をよく見ると、何かで彫った落書きが一杯あります。どれも漢字で古びていて、江戸時代あたりのものだそうです。けしからんヤツはそんな昔からおった様で(苦笑)

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あと、ここの塔頭の一つ、龍吟庵が特別拝観できたのも、得がたい経験。国宝の日本最古の方丈は、こけらぶきで、貴族の住宅である寝殿造のなごりがあるとのこと。

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また、重森三玲作の庭園が、龍吟庵の名にふさわしく、青龍を現す枯山水で、でっかい青石で作られた龍の頭部や、竹垣に稲妻の模様が組んであったりするのが、かなり具象的でアニメチックでかっこよく、面白かったです。

泉涌寺篇も一気にアップするつもりでしたが、力尽きたので、明日にします(^^;)。

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2005.03.07

興正寺の紅梅・白梅

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興正寺(こうしょうじ)は、西本願寺の南隣にあり、真宗興正寺派本山である。
高さ28メートルの御影堂をはじめ、阿弥陀堂、古い鐘楼や経蔵をもつ大規模な寺院なのだが、なにしろ隣の西本願寺が巨大なのであまり目立たない。歴史的にも、室町時代から本願寺とともに歩み、明治9年に独立した一派の本山となったものの、今も西本願寺との関係は良好のようだ。

ここの三門を入ると、右側に紅梅が、左側に白梅があって、清楚に咲いていた。
静かで清らかな境内に佇み、大きな伽藍を背景にした梅花を眺めると、心落ち着く。

お隣の西本願寺の「国宝・飛雲閣」は、西本願寺境内からはほとんど観れないけれど、興正寺の方からは塀越しに良く眺められるのが意外だった。

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2005.03.05

法住寺の紅梅

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東山区の三十三間堂の東隣にある、法住寺というお寺の門の前に、紅梅が咲き誇っていた。
鮮やかな紅が、小さな白壁の門に映えて、見惚れた。もう一つの正門と思われる門の前には白梅もあった、
驟雨に追われてあわただしく写真を撮り、今熊野に向かうと、東山連峰に虹が掛かっていた。

三十三間堂の知名度と大きさに比べると、こちらは小さくてほとんど知られていないだろう。わしも知らなかった。
このお寺の北隣にある、養源院には、「血天井」を見に行き、俵屋宗達のすごい絵が一杯あって息を飲んだことがあった。
地図で見ると、三十三間堂と智積院に挟まれたここには、養源院と法住寺、そして後白河天皇法住寺陵がある。毎日のように行き来している道の傍らにも、わしの知らない景色がいくらでも秘められているのだと痛感した。

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2005.03.04

生き残っている明治の煉瓦造り

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東山通の馬町交差点を西に、狭い道を行くと、東山税務署の隣に、煉瓦造りの建物がある。
「関西テーラー」と看板が出ているのだが、由緒ありげな建物だなあと思っていた。
やがて知ったその由来。明治時代に、紙巻たばこを製造販売して巨万の富を築いた村井吉兵衛という実業家がいたが、彼の成功の源である「村井兄弟商会・たばこ製造工場」だったのだ。彼の残した最も有名な建物は、円山公園内で今も喫茶店として営業している洋館「長楽館」だろうか。
詳しくは、らくたび涼さんの「京都の旅『らくたび』コラム」の「たばこ王」を御覧あれ。

いつ通っても出入り口が閉ざされているので、もう使われていない建物かと思っていたが、足を止めてよく見てみると、張り紙がしてあり、どうやら、折紙サークルの教室として貸し出されているようである。
もともと工場だったせいか、凝った装飾などはないのだが、歳月を重ねてきた煉瓦はなかなか味わいがあって、地味な町並みの中で異彩を放っている。これからも生き延びていって欲しい。

☆「見たままに切り取る京都」さんの開設された「トラックバックピープル『古い建物』」参加記事として記す。

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2005.03.02

雲龍院の白梅

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東山区にある、泉涌寺の塔頭の一つ、雲龍院に梅の花を訪ねた。
東山通の、泉涌寺道交差点から、坂道を登っていく。泉涌寺の総門をくぐると両側は静かな木立と生垣で、非常に荘厳な雰囲気が続く。そして、泉涌寺門前の駐車場に車を置くが、なんと自販機一つない、俗世間と隔絶された雰囲気。
雲龍院はそこからさらに山際に歩き、杉木立の道を抜けるとあった。
玄関の靴箱の上にある木の板を木槌で叩くと、受付のご婦人が現れて案内してくれる。拝観しているのはわし一人だけ。秀吉が建てた方広寺大仏殿の礎石が苔むしている庭は、なかなか見応えがあった。
また、奥書院には、丸と四角の窓があって、それぞれ「悟りの窓」「迷いの窓」と名づけられている。その「悟りの窓」がネスカフェ「香味焙煎」のCMに使われたそうである。
ほかに、ここは、「泉涌寺七福神巡り」の五番・大黒天が鎮座しているのだが、どこにおわすかというと、「台所」である!現役の台所として使われていて、昼餉の用意の牛蒡やごま油のかぐわしい匂いのなかで対面した。「走り大黒」と呼ばれる、珍しい形の像であった。

目的の白梅は小ぶりだったが、鐘楼の脇に満開で、香りに陶然とした。
だが、庫裏の玄関に、見事な紅梅の写真が飾ってある。受付のご婦人に聞くと「まだつぼみが固うて、いつもお彼岸の頃に咲きます」とのことだった。写真家・水野克比古氏が、ここでよく撮影している水仙のことも訊ねてみたが「今年は伸び過ぎて倒れてしもうて、もう、咲いていません」と気の毒そうに言われた。残念がって帰ろうとすると呼び止められ、ご好意で、裏庭の満開の梅の古木を見せていただいたりして、恐縮であった。

そして更に裏手を散策していると、墓地で「美」の一文字が刻まれた石を見つけた。
まだ活躍が記憶に新しい、京都在住だった女流作家のお墓だった。

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2005.02.24

醍醐寺・五大力さん

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伏見区の醍醐寺で、今日(2・23)行われた、五大力尊仁王会(にんのうえ)。千百余年の伝統を持つ行事で、「仁王経(にんのうきょう)」に説かれる五大力菩薩の功徳をひろめ、鎮護国家・万民豊楽(ぶらく)を祈願する仁王会法要、である。
と、書いても全然ピンと来ないが、この日だけに授与される「五大力の御影(みえ)さん」という、災難・盗難除けの護符を求めて、多くの人々が参詣するのだ。この護符、京都の家ではごく一般的に出入り口に貼ってある物らしい。
そしてもう一つのハイライトが、巨大な紅白の鏡餅を持ち上げ、その滞空時間を競い合う「餅上げ力奉納」。必ずテレビのニュースにも取り上げられるイベントなのだが、終戦後に始まったそうだ。

広い境内を埋め尽くす華やかな幟と、人の波。いっぱいの露店。
金堂前は、餅上げの舞台と、見守る人々のどよめき。
となりの不動堂前は、修験者の方々が結界を張り、護摩をたきつつ、どうやら「御影さん」にさらに念を込めてくれている模様。
五重塔前は、お土産のテントだらけで、こんにゃく餅とかお茶とか試食試飲しまくり、綺麗な五色の「五大力餅」と「春日の局も賞味した湯葉の巻き寿司・すもし」を買った。
池の前に座り、一人のんびりと、「すもし」を味わいながら、参詣の人々はほとんどが、わしより年齢が上であることに気付く。無論皆、護符の「御影さん」を頂きに来られた信心の方々であろう。
わしは、それを頂かなかった。今まで、この行事の由来をほとんど知らなかったわしには、「御影さん」をありがたいと思う気持ちがない。おそらく、わしから下の年代は、信仰心などあまりなく、楽しいイベントとしか「祭り」を捉えられないのではないかな・・・外国の人の「見物客」も結構いた。わしは、どっちかというと、この外国の人たちに近いかもしれないな・・・
清明な境内の雰囲気と、祭りの賑わいの対照を味わい、ついでに名物の「精進コロッケ」も茶屋で買い求めた。筍と椎茸の具を湯葉で巻いた「すもし」も美味しかった。

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2005.02.23

わしの京都へのスタンス

このblog(ココログってんだけど)を始めて、そろそろ一年。下手な写真を景気よく貼り付けてきたので、早くもディスク容量の82パーセント以上を使ってしまった(汗)
当面は、過去の記事を整理して、要らんやつを削除し、容量復活を図ろうと思う。

そしてこれからの編集方針。

☆京都を舞台にした小説
☆わし独自の視点で語る京都案内
が柱となる。今後ともよろしゅうお願いします。

そこで「わし独自の京都への視点」つうものはなんなのか?

長野県の高校を卒業し、京都にやってきたとき、わしの耳に「京都弁」はあまりに馴染みない言葉であった。
面と向かって話していれば、まあ理解できるのだが、電話で早口で喋られると、わけわからん。
同時にわしの話す言葉は、京都の人にかなり耳障りだったらしい。
「~ではない(標準語?)」「~やない(関西弁)」を「~じゃねえ」と話す語尾などを、嘲笑されたこともある。
一時期、わしはどう喋ったらいいか戸惑う恐怖症に近い状態にあった。
ここでは、わしは「よそさん」なんだなあ・・・と痛切に思い続けてきた。
「ぶぶづけ」体験こそした事はないが、京都人の空気が読めないで、馬鹿にされた経験は数知れない。

大学を卒業したり、仕事を辞めたり、何度も京都を離れるかもしれない機会はあった。
だが、わしはずっとここで暮らすことを選んだ。
京都が好きなのである。
おそらく、京都生まれの京都育ちの人にはない「憧れ」をずっと抱きながら
京都で暮らして知った良さが加わって、わしは、昔よりもずっと京都が好きである。
無論、嫌な体験も数多く味わった。「よそさん」だからわかる、京都の嫌なところ。
それでも、魅力の方がずっと上回るのである。

いつまで経ってもわしは「よそさん」で、京都人にはなれないと思い続けてきた。
出身地の南信濃人であることに誇りも持ちつづけてきた。
けれど、今、わしは「京都在住の人間」なのである。
京都のことが好きで、京都をもっと知りたい。
そして、わしの好きな京都を、人に伝えたい。
おそらく無理なことではあろうが、京都の嫌なところを告発し、少しでも変えたい。
わしはきわめて情緒的な人間であって、論理的な書き方が出来ないけれど、これが、正直なところである。

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2005.02.21

瀧尾神社

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東山区の今熊野商店街を西へ入り、このblogのカテゴリー・巨樹で紹介した「夢の浮橋」の近くに、瀧尾神社という小さな神社がある。
藤森神社に属し、その御旅所であるというが、神域に欠かせない「森」がほぼ失われてしまい、周囲の住宅や駐車場、工場?に圧迫されて、縮こまっているような雰囲気を感じる。
しかし、ここの社殿は、驚くほどの濃密な彫刻で埋め尽くされ、小さいけれど実に個性的なのである。
「建築MAP京都」(TOTO出版)によれば、建立は1839年(天保10)。
「蟇股や懸魚も元の輪郭を残さず、彫刻に置き換えられていく過剰な装飾方法は、京都市内では珍しい」そうである。
らくたび 涼さんのblog「京都の旅『らくたび』コラム」で紹介された、那須与一の墓のある即成院も、今熊野界隈にあり、隠れた名所を多く秘める今熊野界隈、なかなかではないか、と思う。

また、この神社のお祭りは、観光情報などには載らないけれど、なかなかいい味を出していることを
牧野匡洋さんのblog「京都でつまづいてみる」で観ることが出来る。ぶらりと散歩していてこんなお祭りに出会えることも、京都の醍醐味の一つであろう。

☆追記
松風さんから「日光にも瀧尾神社があり、関係はないのだろうか?」とご指摘を受け、ネットで検索しているうち、えらいモノがあることがわかった。拝殿の天井には、こんなものがいたのだ!
あと、「福助」というものが瀧尾神社と深い関わりがあるらしい。詳しくは瀧尾神社のHPをどうぞ。
しかし、今のところ、日光とのつながりはわからないままである。どなたかご存知だろうか?

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2005.01.26

京都検定合格通知

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25日に、京都検定の試験結果通知が届きました。
2級だけ受けたのですが、合格しました。
自己採点どおりの79点。受験者数・3870名で、合格者数・1150名。
平均点は59.7点で、合格率・29.7パーセントだったそうです。
やはりかなりの難関だったのですな。
写真は、カード形式の合格証です。

なんだかんだ言いつつも「合格おめでとうございます。」と通知が来ると嬉しく、祝杯を挙げました(^^)

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2005.01.24

醍醐水

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二週間前、五丁石(山頂までの四分の一)で戻ってきた、醍醐山に、再度アタック!
5歳の息子と共に頂上まで登ってきました。あ~、足がへろへろ(××)
五重塔などのある下醍醐から、上醍醐の山上伽藍まで、ガイドブックによれば1時間でしたが、わしらの足では2時間近く掛かりました。開山堂前からの眺望は、あいにくの曇天でも、なかなかの素晴らしさでした。
息子と手をつないで登ってくれた、茨木から来たという4歳の「そよちゃん」、ありがとうね(^^)

で、一番印象に残ったのが写真の「醍醐水」です。
聖宝(しょうぼう)上人が、この山中の泉に、「醍醐味」を感じて、874年(貞観16)に小堂を建てたのが、醍醐寺のそもそもの始まり。醍醐というのはもともと、牛乳から作るヨーグルトのようなもので、平安時代の貴族には殊のほか珍重されたらしいです。
(修正・『らくたび』涼さんからのトラックバックで勉強させていただいたが、どうも実際に平安貴族がそのようなものを賞味していたというより、仏教用語で最上のものを指す言葉として「醍醐」が使われたようです)

息を切らして山道を登ってきた末に、ありがたく飲ませていただいたこの水、実に甘露でありました!写真では左の方に写っていますが、ステンレス製?の水槽に貯めてある澄んだ水を、金属の柄杓ですくって、備えてあるプラスチックコップで飲む仕掛けになっていました。舌に触るところが少しもなく、転がるように喉へ滑っていく霊水!夏だったらきっと、際限もなくガブガブ飲んでしまったに違いない。
醍醐水の湧く傍らには、1434年建立の国宝・清瀧宮拝殿があり、更に上に登ると、1121年に建てられた国宝・薬師堂などもあります。また、醍醐寺では2月23日、有名な行事「五大力尊仁王会」が行われ、巨大な鏡餅を持ち上げて力比べをする大会が、毎年テレビで紹介されます。

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2005.01.16

町家で飲んだ一夜

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あまり食べ歩き、飲み歩きなどしなくなって久しいので、すっかりその方面の情報に疎くなっていたのだが、
このところ、京都の町なかでは、「町家(まちや)」を改造、再生した店が大流行のようである。
で、友人T君と飲みに行くにあたり、その方面の店を希望し、金曜の夜に出かけた。

まず、T君お勧めの創作料理店「うしのほね」。
繁華街から、ほんの少し外れた場所の、ほんまに、ふつーの路地(きょうとでは、ろーじ、というそうだ)にあり、外観は写真の通り。
中は、町家のテイストを生かした地味な造りで、掘りごたつ風にできたカウンターと、座卓が4つほど。カウンターに座って、予約しておいた「1月のおまかせコース」3150円をいただく。
前菜に本マグロ酒盗和え・菜の花とクリームチーズわさび和え、などが出て、揚げ物はふぐの唐揚げ。実に美味でビールを飲み干し、焼酎のお湯割りに移る。海老芋と生麩煮、丹波和牛ロースの味噌焼き、冬大根の梅サラダ仕立て、と来て、「名代・うしのほね風シチュー」が出る。その濃厚でまろやかな味わいに陶然とした。和風料理の中でもまったく違和感はない。
店の衆は皆、二十代に見える若さだが、その仕事振りの真剣さには舌を巻いた。まったく無駄口を叩かず、カウンターと壁に挟まれた狭い調理場で、一瞬の遅滞もなくきびきび動いている。
ただ、難を言えばそのぴりぴりした緊張感が目の前から伝わってくるので、食べているわしがいまいち寛げなかった(苦笑)。ここはかなり人気店で、姉妹店が幾つも出来ているそうである。

次は、わしの希望でT君を引っ張って、「祇園辰巳NEXUS」。
ネクサスと言うても、ウルトラマンとは関係ない(笑)。場所は祇園白川の巽橋、お茶屋の並ぶ、景観の京都らしさでは随一の土地柄。
町家利用の店の草分けらしいここは、江戸時代からのお茶屋「井筒屋」を89年に改造し、外観だけそのままで、中はコンクリート造りの斬新な建物を叩き込んだ、ギャップを楽しむお店である。
通された一階は、コンクリートうちっぱなしの壁に、扇を貼った屏風などが立てかけてあり、入り口の側にはパイプオルガンのような巨大なビールサーバーが輝いている。和洋折衷・多国籍の創作料理でビールを飲ませてくれるお店なのだ。
地下はモンゴル風の造りだそうだが、残念ながら見れず。見回すと、若い女性二人で飲んでいるテーブルがあり、彼女たちは手話で会話していた。臆せず飲み、生き生きと手話で語る姿は爽やかだった。生ハムを肴に飲んでいると、たちまちオーダーストップの11時になってしまった。外に出ると、祇園の渋くも豪奢な町並み。ここでこんなに気軽に飲めるのは、確かにありがたい。

そのあと、なんと歩いて祇園から山科まで、T君としゃべりながら帰ってきてしまうという、学生時代のままの暴挙をやってしまったのだが(笑)わしとしては、大満足の一夜であった。

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2005.01.13

原爆投下目標・京都!2

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それではなぜ、京都は原爆投下を免れたのか?

吉田守男氏の検証によれば、京都への投下を主張するグローブズ陸軍少将に、スチムソン陸軍長官が反対し、原爆投下命令が出される僅か4日前の7月21日、京都の除外が決定。その身代わりとして長崎が選ばれたのだそうだ。
では、このヘンリー・スチムソン陸軍長官は、なぜ京都への原爆投下に反対したのか。

「本人自身の日記によればー
『もし(京都の)除外がなされなければ、かかる無茶な行為によって生ずるであろう残酷な事態のために、その地域において日本人を我々と和解させることが戦後長期間不可能となり、むしろロシア人に接近させることになるだろう』(京都に原爆を投下せよ・149ページ)」

つまり、戦後のソ連との対立を見通し、日本をアメリカの陣営に居させるための、国際情勢判断がその理由だった。
後に1947年になって、スチムソンは回想的手記を雑誌に発表し、その中で

「京都は軍事的には相当重要な目標地ではあったが、そこは日本の旧都であり、日本の芸術と文化の聖地であった。我々はこの町を救うべきことを決めた。(156ページ)」

と書いているが、戦時中には芸術と文化の聖地、などとは一言も言うていないようである。この回想的手記も、原爆投下の残虐性に非難が上がり始めたことへの、政治的弁明であることを、書いたスチムソン自身が、トルーマン大統領への私信で漏らしているそうだ。

そして、京都は最初の2発の原爆の投下は免れたが、3発目以降の標的として、グローブズ少将以下の軍人たちはリストから外してはいなかったのである。通常爆撃を行わずに原爆標的として温存しつつ、作戦部隊のB29に、繰り返し京都への投下リハーサルを行わせていた。

「われわれは、日本の戦争遂行能力を完全に破壊するまで原爆を引き続き使用します。日本の降伏のみが我々を思いとどまらせるでしょう。(ポツダム会談に関する、トルーマン大統領のラジオ報告)196ページ」

まさに、終戦の日に、3発目の原爆をB29に積み込んだという証言がある。
その照準がどこにあわされていたのかは、わからない・・・

梅小路公園には今日も、子供たちの歓声がこだまし、京都は幾多の文化遺産を抱いて息づいている。

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2005.01.12

原爆投下目標・京都!

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写真は、京都駅から少し西にある梅小路蒸気機関車館内のSLである。
ここは、東海道線と山陰本線が交差する地点で、旧国鉄の機関車庫がそのまま、記念館となって、幾つものSLが保存されている。
そして、写真のSLの進行方向には、転車台もかつてのままに残っているのだが、これこそ、太平洋戦争末期、アメリカ軍が京都に原爆を落とす照準点にしたものなのだ。

「戦火を免れて」に寄せてくださったzuisenさんのコメントで教えられた本、「朝日文庫の吉田守男・著『日本の古都はなぜ空襲を免れたか』と同じ中身の「京都に原爆を投下せよ」(吉田守男著・角川書店)を、図書館で借りてきて読んでいる。おそらく最初にこの角川のハードカバーの本が出て、後に朝日文庫から改題して出版されたのだろう。
アメリカの公式文書をもとにして、京都が原爆投下の最有力候補だったこと、文化財保護のために空襲を免れたという説が誤りであったことを、詳細に明らかにしている。
その「文化財保護説」は、歴史と文化を誇りたい日本人と、アメリカ軍の立派さを宣伝しようとするGHQが手を携えて作り上げた幻想の美談だった。

原爆目標選定委員会によって、京都が最も理想的な投下目標とされた理由
①百万の人口を持つ大都市。
②戦時下で罹災工業がこの都市に流れ込んできており、軍事目標を持つ。
③市街地の広さが東西2・5マイル、南北4マイルあり、人口密集地が広い。
日本人にとって宗教的意義を持った重要都市であり、この破壊が日本人に最大の心理的ショックを与えることができ、その抗戦意欲を挫折させるのに役立つ。
⑤三方を山に囲まれた盆地であり、爆風が最大の効果を発揮しうる地形を持っている。
知識人が多く、原爆のなんたるかを認識した彼らが政府に早期降伏を働きかける期待が持てる。
⑦まだ爆撃による被害をこうむっていない。

現実はこのように非情だったのである。

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2005.01.11

醍醐寺五重塔

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京都府下で現存する最古の建物であり、国宝に指定されている、醍醐寺の五重塔である。
杉木立の中に静かに佇む姿は端正で、少しの歪んだところもない。951年(天暦5)に建てられたとのことで、1054年も経っているのだが、清新な印象すらある。
醍醐寺は、醍醐山上の「上醍醐」と、ふもとの「下醍醐」に別れ、五重塔は下醍醐に建っている。上醍醐への山道を少し登