2007.05.29

巨樹・15 大徳寺のイブキ

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久しぶりの「巨樹」エントリーは、大徳寺の仏殿前にある、イブキの巨木。
これは、仏殿前から三門の方に向かって見た写真。

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本来は三門をくぐって、仏殿に参拝するのが普通なのだろうが、今は三門は生垣と柵に囲まれて通れず、西側の道が大徳寺内のメインルートとなってしまっている。そっちから見ると、この樹は、周りの緑にまぎれてあまり目立たない。

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しかし、1665年ごろに植えられたらしいというから、樹齢342年くらいということで、樹高22メートル根回り周囲6.6メートルにもなるそうだ。

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幹の感じも風雪に耐えてきた歳月を感じさせる。
ほとんどの拝観の人は仏殿もこの樹も見ずに通り過ぎてしまうが、一人、外国人の女性が仏殿前に座って、熱心にこの樹をスケッチしていた。

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地上3メートルで5つに幹は別れ、その枝は曲がりくねりながら天を突く。
その姿はさながら五つの首を持った龍のようである。
振り返れば仏殿内には、金箔の輝きが渋く残った釈迦如来像。
この樹はその守護龍といったところかな。

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2005.06.22

巨樹・14 美女伝説の小町ガヤ

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醍醐の善願寺で、不動尊像が彫りつけられているのは樹齢一千年と伝えられる榧=カヤだが、その樹を含めて山科の小野から醍醐一帯に残るカヤの古木は「小町ガヤ」と呼ばれている。

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小町は無論、平安時代を代表する美女・小野小町である。彼女に関する話はほとんどが真贋明らかでない伝説なのだが、その一つに「深草少将の百夜(ももよ)通い」がある。
若き貴族の深草少将が、小町から、百晩続けて通えば想いを叶えてあげると言われ、誠実に通い続けた。最初戯れで言っていた小町もその誠意にうたれ、カヤの木の実を糸に綴って百晩目を待ったのだが、その最後の夜、吹雪に迷った少将はついに小町の元へ行き着けずに斃れる。悲しみに暮れ、小町は糸に通していたカヤの実を大地に撒き、それが育ったのが小町ガヤだったというのである。

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かつては多数存在し、江戸時代には随心院の周囲に43本もあったらしいのだが、1980年代には山科区小野には4本だけ残存。それも2本が枯れて、今や2本のみ。(小野以外、善願寺に一本あるのは確かだが、他にあるかどうかは知らない)
この一本は、外環状線を南下して名神高速の高架下をくぐり、東に分かれる醍醐へ向かう道に踏み込むと、すぐに見える。樹高12メートル、胸高周囲4・3メートル。
田圃脇の狭い土地に立っているが、堂々たる高木で、善願寺の不動尊が刻み込まれていた樹もこんな感じである。
ちなみに、93年に枯れた小町ガヤの一本は、随心院が譲り受けていて、つい先頃、それを使って念珠=数珠を作ったそうだ。大中小あわせて1130製作されたそうだが、非売品で、お寺に寄進した人への記念として渡されるとのこと。(京都新聞6月6日より)

☆piitaさんの「京都あちらこちら」では、小野に生き残っている小町ガヤの2本とも写真が見れます。

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2005.06.21

巨樹・13 一言寺のヤマモモ

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醍醐の一言寺、山門を入るとすぐ右手にあるのが、巨大なヤマモモ。
養源院に続いて、またヤマモモの紹介になったが、他にも山科の毘沙門堂や勧修寺にもあり、あちこちで大切にされてきた樹のようだ。

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ここのものは京都市天然記念物に指定されている。樹高9・2メートル、胸の高さの周囲3・28メートルである。
おりしも訪ねた6月19日は、びっしりと実った果実が赤く色づいて美しかった。
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びっくりしたのは、主幹のなかがまるでがらんどうで、ほとんど皮だけで立っているのである。ヤマモモはかなり幹に空洞が出来やすいらしい。養源院のもボコボコだったし、勧修寺のは真っ二つに裂けていた。それでも樹としては元気で、とりわけここのは、葉も旺盛に繁り、いっぱいに実を付けている

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この実は、かなり酸っぱいけれどジューシイで、かつては珍重されたのだと思う。
「木に触らないで」と立て札があって、わしもここの実を味わうのは控えたが、地面に散り敷くように沢山実が落ちているのを見て、少しもったいないなあと指をくわえた(苦笑)
改良されたフルーツに比べれば、甘さが全然足りないが、かつて故郷で桑の実を一杯食べた記憶のあるわしには、野趣溢れるまあまあの美味と感じられるのである。

山に近いこのお寺には、沢山の鳥や動物が訪れて、この実を味わい、伸び伸び過ごしているようだ。

☆追記・Bachさんのコメントを見て、検索してみたら、ヤマモモの実は徳島県あたりでは、お店で売られていることもあるようだ。平地で育った樹の実は酸っぱく、山地の樹の方が甘い実を付けるという話もある。

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2005.04.15

巨樹・12 養源院のヤマモモ

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さて、養源院には、咲き誇る枝垂桜の隣に、神と祀られている名木があるのだ。
樹齢400年を超えると伝えられる、ヤマモモである。

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木の前には鳥居・祠が建ち、幹には注連縄が張られ、御覧の説明版も設置されている。
鳥居正面には「白鷹龍神・白玉明神・赤桃明神」と書かれた額があって、赤桃明神というのがこの樹そのものを指すと思われる。

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ヤマモモ、という木は、桃と違って、飴玉のような小さな実を付けるが、去年とある公園に成っていたものを食べてみた。酸っぱいけれどジューシィで美味だった。この樹は雄株なのだろうか?
実の成る雌株で、秀吉もこの樹の実を食べた・・・のなら想像が広がっていいのだけれど。

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山科の毘沙門堂にも、ヤマモモがあってかなり有名らしいのだが、そっちの樹は周りのヒノキなどに圧されて「日陰者」という風情で可哀想である。それに比べてこちらは、樹の洞も魁偉にたくましく、陽光を一杯に浴びながら、古刹に風格を与えているのであった。

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2005.04.08

巨樹11・東福寺のイブキ

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涅槃会に参拝したときに気がついたこの樹は、巨樹というよりも銘木と言ったほうがふさわしい。
三門と仏殿との間、仏殿寄りに立っていて、高さ16.5メートル、胸高の周囲3.36メートルである。

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東福寺開山の僧である聖一国師が、宋の国から持ち帰ったという由来を持つが、そうだとしたら境内のどの建物よりも古く、樹齢750年を超えることになる。
1700年ごろ描かれた境内図にも堂々たる姿が載っているし、江戸時代から古樹として有名だったそうだ。

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明治時代に仏殿が焼失した際、北側の枝が損傷を受けて、切断痕が多数あるとのこと。しかし、樹勢は衰えを見せず、苔の色なのか、木肌の色彩に実に深みがあって見惚れてしまった。
京都にはこういう、ドラマを秘めた樹が数え切れないほどあって、風韻に深みを与えていると思う。


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巨樹10・朽ちゆくものと咲くいのち

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京都御苑の西北角は児童公園になっていて、子供たちの歓声が絶えない。
その中に、大きな丸太が横たわって、子供たちの遊び相手になりながら、土に還りつつある。

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この枯れ樹を挟んで、二本の太い樹が立ち、その横には切り株もある。
大人は桜や桃の花にばかり目を奪われるが、子供たちは太い幹に触れ、穴をほじり、樹の香りを嗅ぐ。

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御苑には古木老木巨樹も多い。その緑陰に憩いを求める季節も、すぐだ。

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2005.03.15

巨樹9・巨獣の脚

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東大路通と丸太町通の交差点、その北西角に熊野神社がある。この神社の境内に接しつつ、東大路通に面して「本家西尾八ッ橋」熊野店があるのだが、その店内を写した写真がこれ。
ガラスの向こうに立つ、巨獣の脚のようにたくましいのは、ムクノキ。そして店の床上に盛り上がった根は、今なお成長を続けて、固めた床にヒビを入れているのだ。
それほどの巨樹ではないのだが、なにしろ、こんな賑やかな場所にそびえているので良く目立つ。いつも、前を通り過ぎながらじっくり見たいと思っていた。
今回、店で買い物をし、緋毛氈の腰掛でお茶を飲ませてもらいながら、写真も撮らせてもらった。この季節にはまだ葉を落としたままで、大きな箒のような樹冠が空を掃いている。お店と隣家の狭い空間に立っているが、熊野神社ゆかりの神木と、大切にしてもらっているようだ。

ちなみに、「本家西尾八ッ橋」で買ったのは、「チョコバナナあんなま」と「ごま餅」。この聖護院辺りにはとても「やつはし」のお店が多い中、「京で一番古い八ッ橋屋さん」を誇るこのお店も、新製品開発に頑張っている(商品を買うと、店紹介のミニパンフレットがついてくるが、なんと中身は6ページに及ぶ漫画だ!)。ムクノキともども栄えていって欲しい。

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2004.11.30

巨樹8・西本願寺の大イチョウ

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これは、イチョウの樹が並んでいるのではない。一本のイチョウなのである!
京都市下京区堀川七条上ル西側に、広大な寺域を誇る、西本願寺。その中心をなす御影堂(ごえいどう)の前にある、著名な巨樹である。
1788年=天明8年の大火のおり、この樹から水柱が噴き上がり、御影堂を守ったという伝説を持つ。樹高は12メートルほどだが、枝張りは東西23メートル、南北26メートルにわたる堂々たるもの(1984年の調査)。
御影堂は現在「平成の大修復」中であり、巨大な仮設屋根で覆われている。大イチョウもその仮設屋根を支える鉄骨で囲われてしまっているのだが、「大イチョウの上は雨水を取り込めるように空けてあります。さらに、夏に鉄骨が暑くなり、その放射熱でイチョウに悪影響を与えないように、鉄骨には断熱材が塗布されています」(本願寺グラフより)とのことだ。
そういうわけで、工事のフェンスにさえぎられ、残念ながら大イチョウの側には寄ることが出来ない。鉄骨の下で窮屈そうにも見える。それでも、大きな教団の本拠地で、篤い信仰の象徴のようにそびえるこの樹には、やはり圧倒されるものを覚えるのだ。

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2004.09.18

巨樹7・夢の浮橋

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京都市東山区の泉涌寺通を西へ坂道を下がって行くと、住宅街の中に思いもかけぬ巨樹を見つけた。その横には石碑があり
「ことはりや 夢の浮橋心して 還らぬ御幸 志ばし止めむ」
と刻まれている。
石碑の前には説明板が倒れて朽ちており、こっちの方は文字が褪せてまったく判別できず。
調べてみると次のようなものであった。

「今は暗渠になってしまった今熊野川に架かっていた『夢の浮橋」』たもとのエノキは今も健在である。『夢の浮橋』は、天生年間(1573~92)に開通した泉涌寺に至る泉涌寺道の今熊野川に架けられた橋である。」
(京都の虚樹迷木 その2 えのき http://www.denpan.org/book/DP-41-1a0-1/)

なんとロマンチックな名前の橋が架かっていたのだろう。しかし、そのような風情は今やどこにもないなか、大きなエノキだけが、緑の葉を繁らせて初秋の空に枝を揺らしているのだった。

ちなみに、源氏物語の宇治十帖の「夢の浮橋」とは直接関係はないらしい。

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2004.08.04

巨樹6・上賀茂の古馴染み

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京都市北区の上賀茂神社から、東に続く道には、社家といわれる古い家々が並び、その門前には明神川が涼やかに流れて、好きな風景の一つだ。学生時代、ここにある施設でアルバイトをしていたのだが、すぐそばに、この古木があった。
樹齢推定500年のクスノキ。樹の根元には[藤木社(ふじのきしゃ)」という祠があるが、この樹そのものが信仰の対象だっただろう。それほどの巨樹ではない。でも、この樹は町のシンボルとして大切にされてきた雰囲気があって、とても親しみ深さを感じる。周りを見回すと、アパートの名前、店の看板にも「楠」の文字が目に付く。町の人々にとって、欠かせない「お馴染みさん」といった感じなのではないだろうか。
そしてわしは、時が止まったような懐かしい町で、変わらぬこの樹に出会えて嬉しかった。

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