2005.02.12

小説「残光」あとがき

sankakusu
この小説はもとよりすべてフィクションであって、登場人物・団体などの名称は架空のものである。

最終回に添付する写真を撮りに、出町の三角州に行った日、前日からの雪がまだ京都には残っていた。雪景色の京都を舞台にするつもりはなくて、とまどっていたのだが、白く浮き上がる大文字の火床を見て、「これでいい」と思った。
雪を踏んで三角州の突端へ行こうとしていると、突然、二人の少女が立ちふさがった。
「○○小学校の生徒ですけど、アンケートに答えてもらえますか?」
校外学習でやってきているらしい二人は、それぞれに名前を名乗った。一人は明らかに外国人の子女でエキゾチックな容貌をイスラム風にスカーフで包んでいる。幾つかの簡単な質問。
「ここには良く来ますか?」「ここに来るとどんな気分になりますか?」etc
そして最後の質問「30年前と比べて、鴨川はきれいですか?」
僕は破願した。「30年前は知らないけど、20年前なら知っている」
そう言ったら不意に、胸が詰まったが、僕は笑って答えた。
「きれいになってるよ、たしかに、きれいになった・・・」

礼を言って少女たちは、三角州から対岸に続く飛び石を元気に跳ねていった。20年前にはなかった飛び石。
20年前には、あまり見ることもなかった組み合わせの少女たち。
そして、あの日、僕と肩を並べてこの川を見ていた親友の一人は、もう、この世にいない。

この小説は、その亡き友に捧げる、ささやかな供物として、書き始めたことを、ここに書き添えておく。

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2005.02.10

小説「残光」最終回

saishukai

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 健二は、彩夏と肩を並べて、流れる川を見つめた。
 やがて、彩夏はポケットに突っ込んでいた手を動かし、握り締めていたものを取り出す。
 茶色の小さなガラス瓶。
 健二も同じように、右手をポケットから出し、緑の小瓶をかざす。
 どちらからともなく頷いた二人は、小さく言葉を交わした。
「どっちの川を選ぶ?」
「じゃ、うちは賀茂川」「それじゃ、おれは、高野川」
 二人は左右に分かれて、彩夏は三角州の西側を流れる賀茂川に、健二は反対の高野川に歩み寄り、少しだけ流れを遡って、しゃがみこんだ。
 緑の小瓶の蓋をひねり、健二は中身を左の掌にあける。白い粒と細かな灰が掌からこぼれ、川面に散る。沈むことなく浮かんで流れていく、詩織とはるかの遺骨。
 茶色のガラス瓶から、さらさらした白い灰を右の掌に受けた彩夏は、そのまま手を水に漬けた。細く白い手から、雲のように水中に広がっていく、駿の遺灰。
 ひたむきに、壜の中身を掌にあけ、全部を流しきった健二は立ち上がり、流れを追った。彩夏もまた、必死の面持ちで雪のように流れていく灰を追いかけた。
 三角州の先端で、二人はからだをぶつけそうになり、とっさに健二はよろめいた彩夏を抱える。彩夏も健二の胴に、しっかりと腕を回しながら、視線は川面から離れない。
「あ・・・混じり合ってく・・・」
 本当に、そう見えたのだろうか・・・彩夏は泣き笑いの顔でそう呟いているが、健二には、上り行く朝日にきらめく水面で、二つの遺灰がどうなったのか、はっきりは見えなかった。けれども、滔々と流れる鴨川の瀬音と、遥かに続く水脈の豊かさを前に、こみ上げる思いがあった。

 やがて、静かに腕を離し、優しい笑顔で別れを告げる彩夏の顔・・・詩織そっくりだと思っていた彼女の顔は、健二の目にもう、そうは見えない。消えない痛みと、いとおしい思い出を刻んで成長した、他の誰でもない一人の女性の顔である。
 健二も大きく手を振り、雪を踏んで歩き出した。賀茂大橋の上を、雪を蹴散らして市バスが走っていく。
(パンを買って帰ろう、美咲と朝食を食べよう)空になった小瓶をポケットの中で転がしながら、健二はそう思った。最後に鴨川の流れに目をやると、ユリカモメの大群が舞い上がって、流れの果てを隠した。
                                                        (完)

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小説・「残光」第八十八回

yukinodaimonji

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 その朝、京都の街はうっすらと雪に覆われていた。
 (約束の日が来た)と、健二は胸の中で呟くと、まどろむ美咲を起こさないように、そっとワークブーツを履いた。
 その場所まで、かなりの距離があるが、歩いていくつもりだった。
 僅かの雪でも道は、まばゆく輝き、清浄な世界が現れたように感じる。つかの間の幻想に過ぎなくても、この朝はそうあってほしかった。
 約束したもう一人も、きっと、歩いて向かっていると、健二は確信していた。

 鴨川のほとりに出て、ひたすらにその左岸を北上する。右手に、白く火床を浮き上がらせた大文字が見えてくると、目的地は目の前にあった。
 今出川通りの賀茂大橋をくぐり、出町柳駅前で川端通に上がると、河合橋を西へ渡る。右手には下鴨神社の糺の森、そして、左に続く公園は、通称出町の三角州。
 高野川と賀茂川が賀茂大橋の直前で合流すると、鴨川となる。その流れをはるか南に望みながら、鋭く尖る三角の突端に、健二は歩いていった。まだ、誰も踏んでいない白い雪・・・しかし、ひとつだけ小さな足跡が続いていて、渚には、孤影がたたずんでいる。
「待ったか?」
健二が声を掛けると、人影は軽く肩をゆすって振り向き、明るく応えた。
「ううん、うちもさっき来たトコや」
コートの衿に埋まった少女の頬は赤く染まり、白い息を弾ませる。彩夏だった。
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☆思いのほか長く連載してきましたが、次回は最終回です。

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2005.02.04

小説・「残光」第八十七回

tadorituku

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  木枯らしの中、健二はコートのポケットに手を突っ込んで家路を急ぐ。やがて見えてきた家の明かりに、健二の顔がほころぶ。
「目立つなあ、タンタの影は」
 町家というには安っぽい造りの長屋の一軒。玄関の脇の小窓に、でかでかと映し出された猫の影が、みぎゃあ、と健二を迎えた。上りがまちにスーパーの買い物袋を置くと、足にまとわりつくオス猫・タンタを抱き上げて、健二は苦笑する。
「おまえもおれも、美咲に拾ってもらった同志だ、しゃんと頑張ろうぜ、愛想つかされないようにな」
部屋の奥から、美咲の声が呼ぶ。
「ねえ、はよ見て、こたつ、出したんよ」
 もうそんな季節になったかと、健二は感慨を覚える。

 駿の葬儀を終えた夜、健二は美咲の家に来た。
 朝まで、美咲を抱きしめていた。
 その日から、美咲の家が健二の住処になった。

 炬燵の上に乗せた携帯コンロで湯豆腐を食べながら、美咲は健二に葉書を差し出した。塩澤真那からの転居通知だった。
「そうか・・・引っ越すのか?」
 駿の遺骨を抱えて東京に戻った真那は、駿と暮らしたマンションを売って、郊外の小さな家を買ったと告げてきた。
「結局、彩夏と真那さん、二人で駿さんをみとらはったねえ・・・喧嘩もせんと、不思議に仲良う・・・」
「不思議、に見えたか?でもな、彩夏は、駿にとっちゃ、娘みたいなもんだったからな」
「そやろか?ほんまのとこは、本人たちにしかわからへんと思うよ」
そういって、少し寂しげに微笑した美咲は、違う話を思い出したらしく表情を改める。
「そういや、彩夏に昼間会うたとき、伝言頼まれてたんや」
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2005.02.03

小説・「残光」第八十六回

gannkeiji_003

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 車窓を流れていく景色を、駿はいとおしんで眺め、懐かしい場所に通りかかると必ず声を上げた。
「あそこの喫茶店、オープンカフェに改装したんだね!よく漫画読んで何時間もだべったんだ・・・」
「あの古本屋は・・・百円パーキングになってしまったのか」
「日仏会館!張り切ってフランス映画見に行ったけど、字幕がついてなくて全然筋がわからなかったよ」
 相槌を打つ竜生の頬に、涙が流れているのを、健二はバックミラーで見つける。
 熟睡している真那の肩を支えてやりながら、健二は精一杯明るく、乱暴に駿に応えた。
「なんだ、京都で暮らしてるのに、出歩きもせずにいたのか?今度、おれが引っ張りまわしてやるよ。うん、へたばるまで、懐かしい店を案内してやる!」
 楠本蝶類研究所の跡地に近づいたとき、駿は、変わらぬ朗らかな声で告げた。
「わるいな、竜生、あそこ行くの、次にとっておきたくなった・・・僕が退院して・・・・そうだよ、景子も真那もちゃんと起きているときに、みんなで、明るい日差しの下で、行きたい」
「そうだな!」「そやな!」
竜生と健二が同時に答え、車は夜の都大路を走りぬけた。

 二週間後、塩澤駿は、入院先の病院で死んだ。

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2005.02.02

小説・「残光」第八十五回

seibo

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 彩夏に肩を抱えられ、車に乗り込むとき、駿は一瞬、建物を振り返った。市街の明かりに照らされ、木立を背に浮かび上がる、幻影の楠本蝶類研究所、青春の碑を。
 竜生は、景子を支えて、助手席に乗せ、ハンドルを握る。シートベルトをすると、景子は幼子のように頭を竜生に寄せて、寝息を立て始めた。健二は、すでに眠りについた真那を抱きかかえて、二列目に乗った。最後尾の席で、駿が深い疲労の表情でシートにもたれている。、その肩に腕を回し、駿の頭を胸に抱く彩夏の顔が、健二の目には聖母のように見える。
 
 疾走する車の中で、語るのは健二と竜生だけだ。
「その子は・・・詩織じゃないんやな」
「ああ・・・駿は詩織の娘だと思った。でも、そうじゃなかった。それでも、駿にはかけがえのない子だ」
「そやけど、こうしてると、六人揃ってるみたいや」
「もう、決して揃うことはないんだ」
「駿は京都で、その子と生きていくんか・・・健二、じゃあ、お前は、真那と」
「いや、そうはならない。おれは、あの夏を終わらせることにしたんだ。おれは、おれの秋や冬を、生きていくよ」
「おれは・・・どないしたらええんかな・・・」
「竜生の人生を全うするしかないさ。その人生に、景子が必要だったら、手を離さずに、つかまえていればいい。でも・・・景子には竜生が必要のように、思えるがな」
 そのとき、駿が身じろぎし、起き上がって言った。
「竜生・・・頼みがある。ちょっとだけ寄り道してくれないか?」
「あかんよ、駿・・・熱があるみたいや」
気づかう彩夏に、駿は拝むように手を挙げ、続けた。
「そんなに回り道にはならないよ・・・竜生の大学の南キャンパスだ・・・楠本蝶類研究所の跡地を、見て行きたいんだよ」
 健二と竜生は息を飲み、頷いた。
「そうだ、あれきり・・・行ってないな、二十年の間、一度も」
「おれかて、そうや・・・」
 寄り添う三組の男女を乗せて、車は鴨川のほとりを下って行った。
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2005.02.01

小説・「残光」第八十四回

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「さあ、今なら・・・詩織に、言葉は届くさ」
 景子は、詩織に近づこうとしてふらつき、床に跪いた。見上げて、声を絞り出す。
「うちは、詩織が好きやった。なのに、あんなひどいことをした・・・ごめん!それが、言いたかったんや・・・ずうっと、言いたかったんや」
 少女が頷くのを見届けると、景子は床に倒れ臥した。
 竜生が景子の側にしゃがみ、やはり少女を見上げて呟く。
「信じて、くれるかな・・・おれも、あの夏と、みんなが、宝物やったんや。あの想い出を守ろう思うて、かえって、こんなメチャクチャをやらかしてもうた・・・。おれ、まちごうてたわ」
 竜生は鍵とジッポーを部屋の隅へ投げ捨てた。ゆっくりとそれに近づいて拾い上げ、ポケットにしまった健二は、緑の小瓶をかざした。
「ありがとう、詩織。お前が、みんなを、助けてくれたんだな・・・」
 そして、立ち尽くす少女に視線を移し、健二は、はっと顔色を変える。
「君が・・・ここへ来たのは!駿の病気が・・・」
 閃くように顔を向けた健二に、駿はさざなみのように微笑して、頷き、少女に言った。
「この前の検査の結果が、届いたんだね」
「うん・・・。GPSで駿の場所探して、ここに」
少女=彩夏は、震える声で言うと、駿に駆け寄り、手を握る。
「大丈夫や、きっと、きっと治る。いこ!今から、入院や」
 健二が彩夏に訊ねる。
「車はあるのか?美咲は?」
彩夏はかぶりを振る。
「タクシー拾って、この近くまで来て捨てたから」
 健二は、竜生に駆け寄り、引きずり起こす。
「竜生、すぐに車を出せ!駿を乗せて、病院にいく!」
戸惑った竜生は、説明を求めて駿を見る。駿は微笑を崩さず、告げた。
「僕は、治癒する可能性の低い病気に掛かっててさ。悪い兆候が出たらしい。でも、負けやしないよ」
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小説・「残光」第八十三回

ikari

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 竜生の背中に飛び掛り、床に薙ぎ倒し、ねじ伏せた健二は、しかし、相手がまるで抵抗しないのに気付いて不審な表情になる。
 倒れた竜生は目を一杯に見開き、恐怖の叫びを発した。
「嘘や・・・詩織が、死んだはずの詩織が、なんでここに!」
 景子が、よろめきながらテーブルを離れ、ドアに向かって歩み寄る。畏怖と同時に、歓喜の表情が景子の顔にあった。
「詩織!・・・会いたかった!うちを・・・許してとは言えへんけど・・・」
 真那が、朦朧とした表情で呟く。
「これは、きっと、夢なんだよね」
 戸口には、ハイティーンの少女が立っていた。長い髪を肩に垂らし、うす青いTシャツとスカートを着て、サンダル履きで、電灯に照らされるその顔は悲しみに満ちている。その唇が震えて、小さな声がつむぎだされる。
「あかんよ・・・だあれも、死んだらあかんよ・・・」
 その言葉に、駿が深く頷いた。倒れている竜生にかがみこみ、抱き起こし、その耳元に駿は呟く。
「もっと早く、僕たちは、会って話をしなくちゃいけなかったな・・・詩織のことも、景子のことも、相談しあえば、こんなことにならなかったんだ・・・でもね、遅すぎることはないんだ。まだ、なんとかなる!生きてさえいれば!」
 だんだんに力強く話し、駿は竜生を立たせた。振り向いて、健二に泣き笑いの顔を向ける。
「健二も、ひとりで突っ走りすぎだったよ。いつも、そうだったけどさ」
 健二は、詩織の面影を持つ少女を見つめながら、深く息をつき、テーブルの上の小瓶を握った。
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2005.01.30

小説・「残光」第八十二回

saigosinpan

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 異様な緊張が走り、健二が竜生に向かって足を踏み出す。竜生が激しく叫んだ。
「健二、動くんやないで!一階にな、仕掛けがしてあるんや。おれが、この部屋の鍵を掛けて、下へ降りたら、ガソリンのポリタンク、蹴倒して、このライターで火を点ける。よう乾燥しとるしな、火の手が回るんは、あっちゅう間や」
 竜生の手には、真鍮の鍵とジッポーが握られていた。景子が静かに言った。
「みんなを眠らせておいて・・・うちも一緒にして、全部焼いてしまうつもりやったん?一人だけ、逃げて・・・」
竜生は汗のしずくにまみれた顔を、横に振る。
「おれらが書き直した遺書を、健二や駿や真那がそのまんま、納得したら、おれもワイン飲んで、みんなで一晩過ごして、そのまんま、明日を迎えるつもりやった・・・けど、あかんかったな。景子・・・お前が、お芝居につきあいきれへんで、ほんまのことを、ばらしてしもうて、わやになってしもたら、全部終りにするつもりやった。そんときは、おれも一緒に火の中に消えよ、おもてた。」
 竜生は言葉を切り、微かに笑った。
「そやけど、それもあかんかったな・・・おれは景子のために全部やってきたのに、景子がほんまに好きやったんは、詩織やったなんて、もう、おれには何にもあらへん。死ぬ理由さえもあらへんわ!ほんま・・・二十年も、なにをあほなことやってきたんやろ!もう、ええわ、なんもかも!」
 竜生の全身が震え、一気に振り向いてドアに走った。健二がダッシュした。蒼白な顔で、駿が何かを叫ぼうとした。竜生の手がドアに掛かり、力いっぱい開く。健二は、間に合いそうもない。
 だがその瞬間、竜生が凍りついた。言葉にならない絶叫が竜生の口から噴き上がり、彼の身体はよろめいて後退し、部屋の中にあとじさってきた。
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2005.01.29

小説・「残光」第八十一回

kaitaigo

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 景子は、竜生の声を無視して、真那の肩を揺さぶる。
「辛かったんは真那かて一緒やろ!みんなが、真那が健二を好きやいう事、わかってた。けど健二は、真那とつきおうてるように見せながら、詩織とくっついてたんやで!そやのに、あのあとも、真那は健二のことずっと好きで、それを無理して忘れようおもうて、駿と結婚したんやんか!」
 竜生が茫然とドアにもたれて、呻いている。
「ほな・・・景子も、詩織のことを忘れようおもうて、おれと婚約、したんか?」
「そうじゃないわ・・・それは、違うよ、景子も、竜生も!」
真那が、力を振り絞って、悲痛に叫ぶ。
「ちごうてへんよ・・・」
真那の髪を撫でながら浮かべた景子の笑いが壮絶で、竜生も健二も金縛りにあったように動けない。
「うちとパパは、竜生を地獄に巻き込んだんや。京都の人間やのに、裏表のない竜生を、利用したんや。いくらうちらが悪党でも、少しは竜生に、ええ目見せたらな、可哀想やん・・・そうおもて、婚約した。けど、うちは、どんどん駄目になっていくばっかで、竜生も怯んだやろ。婚約破棄したんは・・・だから、お慈悲や。それがわかってたから、すぐに竜生も、今の奥さんもろうて、家庭を持って、京都から逃げたんやろ」
 景子の言葉に、竜生がヒステリックに笑い声を上げる。
「あはは・・・景子が言うてる通りや、いう気がする。けど、それが全部やあらへん!なにがほんまもんやったか、もう・・・わからんようになってしもた!もう、どうでもええわ!」
 竜生は仁王立ちになり、狂的に輝くまなざしで、部屋の中の全員を見据えた。
「あの夏の終り、蝶類研究所を、とうとう潰したあの日・・・おれはものすごく、寂しかった。ほんで、みんなを、このうえのう、いとおしく思うた。あの日に、帰りたいと何度思うたか・・・そやし、こうするしかないんや!」
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2005.01.23

小説・「残光」第八十回

moeruhana

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 景子がテーブルの端を掴んで、無理やり立ち上がる。目は怒りに吊り上がり、凄絶な表情である。
「こんなクスリ・・・うちにはよう効かへんわ・・・言うとかなあかんことがあるんや」
 必死に、健二を振り返る景子の瞳に、涙が溢れた。
「うちは、ナイフで詩織を刺した。それは、間違いのないことや。さっきの遺書には、パパを刺すつもりで、間違って詩織を傷つけたって、書いてあったけど・・・うちは、あんとき、パパなんてどうでもよかった!」
「景子、もうええ、やめえや」
竜生が口を挟むが、景子は聞く耳を持たない。
「うちは、みんなが好きやった。竜生も、健二も、駿も、真那も、詩織も、愛してた!六人で過ごす学生時代が、多分、一生の宝物になると思うて、大事にしてた。それが、あの瞬間に壊れた!うちは、悲しかったんや・・・あの時、うちは、詩織とパパに、メロンを出してあげよ、おもて、皮剥いてた・・・でも、話の中身を聞いてしもうて、夢中で二人のところへ走った。ナイフ持ったままやった・・・あん時うちは、詩織と心中、したかった!」
 涙を流しながら、天井を仰ぐ景子の顔は、凄艶に美しい。
「うちは・・・ずっと、恋したことない女の子やった・・・、別に恋愛なんか必要なかった・・・六人の仲間でいるのが何より楽しかった・・・でも、詩織には、なんか、特別な気持ちがあった・・・あんなん、生まれて初めてやった・・・綺麗な詩織と、時々、黙って見詰め合うことがあると・・・うちは、どきどきした。ふざけて、詩織の肩を抱いたりすると、胸が苦しくなった・・・でも、それだけで幸せやった・・・一生、そんな気持ちを持ちながら、詩織と友だちでいるつもりやったのに・・・」
 竜生すら、景子の言葉に愕然としている。だが、真那は、眠気と戦いながら頷いている。
「知ってたよ、景子。だから、景子は・・・辛かったんだね・・・」
「じゃあ・・・おれと婚約したんは、そんで、それを、破棄したんは・・・」
竜生の声がかぼそく、震えた。
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2005.01.21

小説・「残光」第七十九回

honoo

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「先生は、詩織とおれのくそ兄貴に、罪を全部押し付けて、あの場はほっとしてた。けど、それから、ちっとも研究に身が入らへんと、大学での出世も滞った。それを、あの横流し事件のせいや思うて、おれに当たりよる。かと思えば、詩織への罪悪感になやまはって、おれに泣き付く。景子かて似たようなもんやったやろ。フランスに留学に行ったものの、何にも成果はあらへん。遊びに逃避して、あげくに麻薬漬け。困ったときだけ、おれに電話して来よったな」
 景子が、歯を食いしばって呻き声を上げ、竜生を睨む。
「今になって・・・そないなこと、言うやなんて・・・あんたを、見損のうてたわ。」
「おれがどんだけ、破滅を食い止めようおもて、努力してたか、わかるんか?くそ兄貴の悪業をしょわされて、それでも何とか罪滅ぼししよ、おもて、おれは、先生を支え、景子を助けて、自分の家庭を放ってきたんやで。」
 健二が吐き捨てるように口を挟む。
「奇麗事を言うな。でっちあげた遺言書と同じような台詞になってきてるぞ。春川教授も、景子も、竜生も、みんなぐるになって、詩織を傷つけ、神戸に追いやった。震災の起きるあの場所へ行かせたんだ。おれから、ずっと隠し続けて・・・死ぬ前から、葬り去ってしまっていたんだ!」
 真那が、朦朧とした目を必死に見開きながら、叫ぶ。
「みんな、やめて!こんなこと・・・こんなの、詩織だって望んでいないよ!悲しんでるよ!」
 倒れそうな真那の肩を、駿が抱えて、竜生に向かって目を据える。
「そうだよ、竜生・・・いくら言葉を重ねてもね、態度が裏切ってるよ。ワインに睡眠薬入れたなんてね・・・まず、その理由を聞かせて欲しいよ」
 竜生は沈黙した。部屋のレトロな照明が、真夏の夜の熱い空気に点火しそうに赤い。
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2005.01.20

小説・「残光」第七十八回

rakujitu

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 竜生の顔は、泣き笑いの表情である。乾いた目が瞬きもせず、強い光を放っている。
「これやから、京都なんいう土地は、狭苦しくて、うっとおしい縁が絡みまくってて、かなわへんのや!会うたこともあらへん兄貴のけつを、おれがなんで拭かなあかん・・・そやのに、春川先生は、おれをさんざん、下僕みたいにあつこうた挙句、景子と結婚させてくれへんかった!」
 景子が立ち上がろうとしてよろめく。テーブルに手を突いた拍子に、ワイングラスが倒れて砕ける。
「・・・景子?」
支えようとした真那の顔が歪む。激しく瞬きをし、自分の目をこする。
「どうしたんだろ、なんだか、とても・・・眠い・・・」
 景子と真那は、肩を抱き合うようにして、お互いを支えあう。駿がその様子を見て、鋭く竜生に叫ぶ。
「竜生、お前、ワインに、睡眠薬、入れてたのか!」
 健二は深くため息をつき、竜生に一歩、歩み寄る。
「やっぱりな・・・。何のつもりなんだ?」
「わかるやろ・・・おれらのことを、犬みたいにかぎまわったんやろ?」
開き直って笑う竜生に、眉をひそめ、健二は沈痛に言う。
「メフィストフェレスのことを、お前があの頃は知らなかった・・・というのは、本当みたいだな。だがな、春川先生に知らされてから、お前は、なにをした?それからも、お前は春川先生の下僕だったんじゃないか!」
 竜生は鼻で笑い、言葉を続ける。
「ああ・・・おれは、大学から追い出されたら行くトコなかったしな。先生に言われて、詩織の様子を見に行ったりしたで。先生は、はるかが自分の娘やと思いたがってたしな・・・。それに、景子のことを放ってはおけへんかった・・・どんな気持ちで、おれが、春川先生と景子に尽くしてきたか、わからへんやろ・・・沈んでいく夕日を、止める方法もなく見守ってるような、気分やったな・・・」
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2005.01.18

小説・「残光」第七十七回

ranun

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 竜生が立ち上がり、部屋のドアの前まで歩いて、こちらに向き直る。無表情だった景子が顔色を変えて、健二に叫んだ。
「あほなこと言わんといて! あの男は、名字かて竜生と違うたし、年かて、二十くらいも上やったで!兄弟やなんて、嘘や!」
 健二は、景子と竜生を交互に見ながら、上着のポケットから分厚い書類の束を抜き出し、テーブルに投げる。
「DNA鑑定書と、竜生の身辺調査報告書だよ。詩織がいなくなってすぐに、こういうことをやってなきゃいけなかったんだ、俺は。なんて馬鹿だったのかな」
 駿が書類を拾い上げ、ページをめくる。素早く書面に目を走らせ、愕然とした表情になる。景子は座ったまま、テーブルを拳で叩いた。
「竜生、うちにも、隠してたんか!なんで、なんでやの?!」
 ドアに寄りかかり、天井を仰いでいた竜生が、ゆっくりと視線をおろし、景子に微笑した。
「マジで、好きやったからや・・・景子を」
 明らかに変化した竜生の口調に、部屋は静まり返る。
「しょうもない親父やってん・・・おれの父親はなあ・・・西陣の帯問屋の三代目、遊び倒して店潰しよってん。そうや、メフィストフェレスは、おれの腹違いの兄貴や、十八も年上や。上七軒の芸妓に、まだ二十歳くらいの親父が産ませたんや」
竜生は、拳を握り締め、仁王立ちになって叫んだ。
「おれ、知らへんかってん!なんにも、知らへんかったんや!あの兄貴には、会った事もなかったんや!おれは、ただの学生で、春川先生を尊敬してた。健二が、何にも知らんと、詩織を好きになったみたいに、おれは、景子を好きになったんや!」
竜生は口から唾を飛ばし、目を据えて咆える。
「詩織のことかて、健二と同じで裏の事情なんて、全然知らずにいたんや。ずっと、春川先生の下で院生やって、景子とつきおうて、婚約した。けど、先生は、結婚を許してくれへんかった。おれは、土下座して結婚させてくださいて、頼んだのやで!」
嵐のように喚いていた竜生の顔が歪み、唇を噛む。
「そのとき、春川先生が、冷たく言うたんや。『汚らわしいメフィストフェレスの弟と、縁を結びたない』ってな」
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2005.01.12

小説・「残光」第七十六回

dna

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 テーブルの上に置かれたのは、小さな薄緑色の壜である。健二はその蓋を開けた。中には白い粒状の物が半分ほど詰まっていた。
「俺は神戸に行ったよ、真夜中にな。詩織の墓をこじあけて、骨を取り出した」
 真那が小さく悲鳴を上げ、腰を浮かせた。全員の目が、壜に張り付いている。
「詩織と、娘のはるかは、焼け跡で見つかったって、その文にも書いてあったな。多分抱き合っていたんだろう。そして、焼けて・・・骨は砕けて混じり合って・・・しかも、完全には焼けていなかった。そうさ、墓の中にあったのは骨壷じゃなかった。棺さ。焼け死んだ二人をもう一度焼きなおすのはむごいと・・・葬儀をした近所の人・・・近所の人たちだったんだぞ!」
健二は絶句し、壜を握り締める。
「その親切な人たちは思ったんだ。だから、そのままに、混じり合った骨を棺に納めて、葬ったんだ。俺は、その一部を取り出して・・・DNA鑑定をしてもらった!」
 畏怖の表情で真那は凍りつき、駿も目を見張って脂汗を額に浮かべている。景子はまったくの無表情になり、そして竜生は、唇を引き結んで健二を睨みつけている。
「完全に焼けていない骨だったから、結果は明瞭に出た。その骨の中から、二人のDNAが見つかって、一人は」
努めて冷静に喋ろうとしていた健二だが、激情で声が詰まった。
「一人は・・・俺と98,7パーセントの確率で親子関係だ!」
 駿が、唾を飲み込む音が大きく響き、真那の目から、涙が流れ落ちた。
「この骨は・・・詩織と、俺の娘の骨なんだ!一度も会えなかった、俺の娘の」
 壜を突きつけられた竜生は、歯を食いしばりながら、反論する。
「健二のことだから、そのDNA鑑定とやらは確かなところでしてもろたんやろな。ほんま、気の毒や。けどな・・・それと、春川先生の遺書がでっちあげやいうことが、どう関係するんや?」
 健二は壮絶に笑った。
「とぼけるなよ、竜生・・・全部、メフィストフェレスを黒幕だったことにして、自分は春川教授の遺産を手に入れる。見え透いた筋書きじゃないか。」
健二の表情が怒りに燃える。
「なにが、メフィストフェレスだ!そいつは、お前の兄貴じゃないか!竜生、ええ、ばれないと思っていたのか!おまえはメフィストフェレスの弟なんだよ!」

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2005.01.11

小説・「残光」第七十五回

mefist

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 沈黙が部屋を支配していた。どこからか舞い込んだ蛾が、電球の周囲を飛び回り、小さな身体に不似合いな巨大な影を部屋中に撒き散らす。やがて蛾が荒壁に止まったとき、低い笑い声が湧いた。
「・・・奇麗事に、書き直したな、まったく、下手な作文を!」
笑いながら、吐き捨てるように言ったのは、健二だ。
 竜生が胸を反らし、細めた目で健二を見下すようにする。
「書き直した?作文?なにを根拠に、そないなこと・・・」
 健二はゆっくり立ち上がり、壁に片手を突いて寄りかかると、深く嘆息する。
「景子と竜生だけさ、春川教授の文章を読んだり、書いた文字を見たことがあるやつは・・・。二人ででっち上げればなんとでも書ける。そうする時間も十分あっただろうさ」
「健二・・・そんな・・・」
真那が、遺書をテーブルに落とし、悲痛に顔を歪める。駿も蒼白になっている。だが、景子は変わらず平然とした表情で、竜生もまた、傲然としていた。
「健二、おまえ、なんでそんなにひねくれてもうたんや。俺ら、友だちやろ。黄金の六人やったやんか」
竜生の言葉に、健二は壁に拳を叩きつけ、咆えた。
「ああ!黄金だと信じていたさ!けど、メッキだったんだ!俺は、そいつを剥がしちまったんだよ!」
 振動した壁から、蛾が再び飛び立ち、狂ったように舞う。健二はポケットから何かを取り出し、テーブルに音高く置いた。
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2004.12.27

小説・「残光」第七十四回

akaihi

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 真那の朗読が途切れ、彼女を含めて全員が、景子に視線を向けた。景子は静かな表情をしていた。
「続けて、真那。最後までパパの遺書を、読んで。それから、言うべきこと言うし」
 健二が口を挟む。
「景子が、この前の宵山に俺に言った事と、遺書の内容に違いが出てきたぞ。どっちが、ほんとうなんだ、景子?」
「だからそれ、あとで言うし、今は待ってや」
あくまで平然としている景子に促され、真那は再び、遺書に向かう。

「詩織は産んだ子に、はるか、と名づけた。私は、その成長した姿を観る事が出来なかった。一九九五年一月十七日、詩織とはるかは大震災の犠牲者となった。倒壊した家の下敷きとなり、そして火災によって焼かれて、遺骨となって発見されたそうだ。
はるかが、私の子であったかどうか、確かめることのないままに、彼女たちは短い生を終えてしまった。二人に、そんな人生を強いた責任の大部分は、私にある。
その罪の報いというべきだろうか・・・フランスやイタリアで暮らし続ける景子の生活が無軌道になっていったのは。詩織のことを、景子とまともに語り合ったことはない。お互いに避けてきた。あまりに衝撃が強かったからか、景子は私に切りかかったことを覚えていないようだ。だが、深層の記憶に、詩織を刺したことが刻まれていて、景子を苦悩させているようだと、やがて私は気付いた。
景子は薬物に溺れて、どうにもならなくなっている。
私が出来ることは、詩織とはるかに対する、我が罪を認めてひれ伏し、景子の更生のために、君たちに力を貸して欲しいと、希うことしかない。
とりわけて、柳田君。
君には、取り返しの付かないことをしたと思う。君が若者らしい純な愛情を詩織に注いだことは、知っていた。詩織もまた、君を愛していた。言葉少ない彼女だったが、君と過ごす時間こそ、彼女にとって何ものにも代えることの出来ない、青春、だったと思う。
そんな君たちを、無残に引き裂いたのは私だ。傷ついた詩織を、君から引き離し、神戸に送った。実行したのはメフィストフェレスたちであり、彼等の提言に、私が頷いた形だったが、まぎれもなくそれが、私の保身のための悪行だったのは、言い逃れできない。

これがすべての真相である。
重ねて言う。私の罪は許されることはないだろう。
だが、伏して乞いねがう。景子を救ってくれたまえ。
そのために、私の遺産はすべて使ってくれてかまわない。
既に、溝口君に、財産譲渡の手続きを済ませている。
汚れた私の財産だが、それをもってしか、誠意を表すすべを知らないのである。」

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2004.12.26

小説・「残光」第七十三回

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 真那は、駿に見向きもせず、執り憑かれたように読み続ける。
「事は、汚れた思惑の通りに進んだ。純朴だった学生の君たちは、詩織の身分詐称の衝撃から、たやすく彼女の犯行を認めていった。その間、詩織には、代償として私もメフィストフェレスも様々な甘言を囁いた。
 だが、予想外のことに、彼女はそれに従わなかったのだ。
 あの、祇園祭の宵山に、詩織は私の家にやってきた。アルバイト仲間に真実を告げると言った。私は驚愕し、彼女を責め、脅し、ついに懇願した。そんなことをしたら、私は破滅し、留学の決まった景子の将来も暗黒になると。
 そのときだ、景子が果物ナイフを手に、突然部屋に入ってきたのは。
 話の断片を立ち聞きし、景子は錯乱していた。

 景子は、怒りのあまり、私を刺そうとしたのだ。
 
 混乱の中で、そのナイフが、詩織の浴衣の背中に突き立った。
 私は、救急車を呼ばなかった。応急処置をして、幼馴染の経営する個人病院に、詩織を運んだのだ。
 詩織は重症だったが、命はとりとめ、二ヵ月後には退院した。
 だが・・・病院で、彼女が妊娠していることがわかった。
 その子供の父親の名前を、詩織はついに、言わなかった。
 私は、せめてもの責任を果たそうと、彼女の言うがまま、神戸に彼女の家を借り、住まわせた。
 傷が癒え、やがて翌年、詩織は女の子を産んだ。
 そして、彼女は私の送金を拒んだ。一人で、子供を育て、生活していった。
 私は・・・以来、なにもしなかった。
 メフィストフェレスは、詩織のことを知っているようだったが、やはり何も言わず、やがて彼との交際も立ち消えた。
 消せない傷だけが、詩織と、私と、景子に残った」

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2004.12.18

小説・「残光」第七十二回

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「一体どこから話を聞きつけたのか、メフィストフェレスが私に、悪魔の取引を持ちかけてきた。解体作業の一切を、ある業者に落札させること、そして、研究所の所蔵物のうち、金目のものの横流しをさせよと。それと引き換えに、『S』の付けを帳消しにすると。断れば、未成年である詩織とのことを、スキャンダルとして大学に通報すると脅したのだ。
私は、巨大な蜘蛛の巣に絡み獲られた哀れな獲物に過ぎなかった。メフィストフェレスの言いなりに、あの研究所の貴重なコレクションを隠蔽し、ブラックマーケットに売ったのは私だ。」
 真那が震える声でそこまで読んだとき、景子が首をかしげて尋ねた。
「その、メフィスト、とかいうの、どんな意味やったやろ?」
健二が腕を組み、視線をテーブルに落としたまま、答えた。
「ゲーテの書いた『ファウスト』って小説、知ってるだろ?主人公ファウスト博士が快楽を求めて魂を売った悪魔の名前さ。博士の悪行の手引きもした」
「ああ、なんとのう、思い出したわ。パパをよう連れまわしてたあん人が、たぶん、そやったんやな」
 景子は微笑し、真那のグラスの隣にあった、自分のワインに口を付ける。そのしぐさを見つめる竜生の表情が異様に強張っている。
 真那は息をつき、再び朗読を始めた。
「私の大学とあまり関係のないところから、実務のアルバイトを採用したのは、横流しをやりやすくするためだった。そして景子や君たちが集まった。その中に、詩織を見つけたとき、私は息も詰まるくらいに驚いた。『S』やメフィストフェレスの差し金だと思った。
 だが、違っていたのだ。詩織は何も知らず、自らの意思であのアルバイトに参加したのだ。彼女もまた、私を見て驚愕した。私がそのことをメフィストフェレスに告げると、あの男は詩織を利用する方策を考え付いた。
 そうだ。私は、あの男にそそのかされ、詩織を生贄にした。すべての罪を彼女にかぶせて、スケープゴートにしたてたのだ。」
 駿が椅子を鳴らして立ち上がり、窓から外を見て、呻くように言った。
「なんてことだ!初めから、そのために、僕たちは、あの夏を過ごしたのか・・・」
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2004.12.17

小説・「残光」第七十一回

genei

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「私が詩織と出会ったのは、今はない会員制クラブだった。お茶屋などに代表される、花街の表からかけ離れた、夜の底とも言うべき、暗い裏の世界。店の名は『S』としておこう。清楚な装いをした魔窟とでも言えばよかっただろうか。そこにいたホステスたちはあまりに若く、稚く、純潔であり、そして、店は背徳に染まっていた。客は飲んで騒いだ果てに、ゲームで彼女たちの『水揚げ』権を競うのだった。今にして思えば、私があの店に連れて行かれたときのゲームは、仕組まれた罠で、まだ悪に染まっていない私と、処女だった詩織を、もろともに地獄に引きずり込むための出来レースだったのである。
 小心な私は、逃げようと思った。だが、私をあの店に連れて行ったメフィストフェレスとも言うべき、あの男はそれを許さず、私は、詩織とホテルに行ったのである。」
 真那は、脂汗を浮かべ、絶句した。テーブルに置いたワイングラスをつかんで一口のどに流し込んだ。そして、歯を食いしばると、遺書の続きに戻る。
「詩織は寡黙な少女で、ほとんど会話を交わさなかった。私は、酔った挙句の一夜の夢にしたつもりだった。メフィストフェレスはその後も私に付きまとい、私も夜の遊びを続けたが、もう『S』へは行くまいと思った。けれど、月に一度は、顔を出すのが『水揚げ』をした者のルールだと言うのである。私はそのたびに詩織と会い、店の者からは彼女の『旦那』と呼ばれた。詩織との逢瀬に、ときめきがなかったといえば嘘になる。だが、『S』からの請求書は次第に過大な額になり、私は奈落に堕ちていく気分になった。そんなときだ、楠本蝶類研究所の解体が決定し、私がその責任者になったのは」

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2004.12.08

小説「残光」第七十回

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 封書から引き出された紙は、鳩居堂製の和紙の便箋であった。分厚い束を手に取り、真那は緊張のまなざしで唾を飲み込む。やがて、意を決して朗読を始めた。
「この文章が、君たちの目に触れるとき、私は幽明境を異にしている。このような卑怯な形でしか真実を告げられなかった私を、許してくれたまえ。
 すべてを冥界に持っていこうと考えたこともあった。しかし、景子が苦しみ、今のような事態に至ったことは、すべて私の因果の報いだろうか。私が真実を伝えれば、景子を闇から引き出してやれるかもしれない。
 そして、とりわけ、柳田君には、取り返しの付かないことをしてしまった。その責任を取らないままに、私は逝く。せめて、謝罪の言葉を伝えたい。」
 それが、前置きだったらしく、真那はいったん言葉を切り、目を上げて景子と健二を見つめた。景子が凛と胸を張り、促す。
「続けて読んでよ、真那」
「・・・あの夏の日、君たちが楠本蝶類研究所に集まった。私は景子と溝口君を除いて、初対面のように接した。けれど、詩織とは、その一年ほど前に出会っていたのだ。私は、あの頃、教授に昇進して、意気軒昂としていた。交際範囲が劇的に広がり、憧れていた祇園の花街にも踏み入れることが出来るようになった。君たちにとって青春であったあの頃、私もまた、遅すぎる青春を味わっていたのかもしれない。
しかし、私の踏み入れた道は汚れ、まがまがしいものであった。向日葵の咲く研究所で笑う君たちが、どんなにかまぶしく見えたことか。そして、その輪に必死に溶け込もうとする詩織の痛ましさに、私はおのれの罪を意識したのだった・・・」
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2004.12.05

小説「残光」第六十九回

yoruhiei.JPG

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 健二は、景子の瞳を見据えながら、持っていたグラスをゆっくりテーブルに置く。
「無粋は承知で言うんだが、酒を飲む前に、やるべきことをやって欲しいんだよ、竜生」
 ワインに口を付けかけていた竜生は唇を曲げて健二を見る。
「なんで、そないに、急(せ)くねん?」
「うちの用意したお酒やから、信用でけへん、いうわけ?」
景子の顔に、興奮した色が現れ、その眼光は健二を貫かんばかりだ。
 健二は、深く息をつき、首を横に振る。
「いや、景子がせっかくフランスから持ってきた、いい酒なんだろ?気持ちよく飲みたいんだ。俺はまだ、春川先生にも、詩織にも、心の底から鎮魂の挨拶が出来ない。本当のことを知ってから、杯を捧げたいんだよ」
 竜生は、頷いてグラスをテーブルに戻した。
「健二の言うことはもっともや。ほな、春川先生の遺書を、公表するで。みんな、座ってくれや」

 窓はすべて開け放たれていて、かなり涼やかな風が入ってくる。エアコンはなく、天井でゆるやかに大きな扇風機が回っている。そのモーターの微かな音が聞こえるほど、室内は静まり返っていた。
 景子の隣に竜生が座して、提げてきた革の鞄から、封書を取り出す。竜生の反対側に真那が、竜生に並んで駿が座り、景子の正面に健二がいる。
 遺書に蝋で封印がしてあるのを、竜生は示した。真鍮のペーパーナイフを使って封筒を開いた。
「さて、どないしよ。回し読み、いうのも、かったるいしな」
竜生が呟くと、景子がきっぱりと言った。
「真那、あんたが読んでくれへん?学生の頃、サークルで子供に絵本の読み聞かせ、やってたやん」
真那は少したじろいだが、健二が強く頷いたのを見て、遺書を手に取った。
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2004.12.02

小説「残光」第六十八回

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 竜生も、先の二人も二階に行ったようである。オレンジ色の電燈の光の下、健二はきしむ階段を登り始めた。ワックスと朽ちた木の混じったような、それでいて不快ではない懐かしい匂いが身体を包んで、健二は眩暈を覚える。
 女性の声が二階の部屋から漏れてきた。
「・・・じゃあ、もう身体の方は、大丈夫なのね」
「心配掛けてごめんなあ。真那は、ちょっとも、あの頃と変わらへんねえ、うらやましいわ、ほんまに」
 健二の脳裏に、二十年前の光景がフラッシュバックした。暑く埃っぽい部屋の中で、生き生きと会話する真那と景子。古い木の建物の中で、交わしていた若い声が耳にかぶさってきて、思わず健二は階段を一気に駆け上がっていた。
 真鍮のドアノブに手を伸ばして、引き開ける。室内はやはり、オレンジ色の光に満たされていて、楕円形の木のテーブルには、ワイングラスが並んで光っていた。テーブルの周りには背もたれの付いた椅子が囲み、その一つに、黒く長いスカートの裾を曳いて、景子が座っている。彼女の肩に手を回し、頬をすり寄せんばかりにしているのは真那だ。
「これで、みんな、揃うたね」
健二の顔を見た景子は、テーブルの中央に置いてあった赤ワインのボトルを掴んだ。そして重いビンをしっかりと持って、赤い酒をグラスに注いでいく。ワイングラスは六個あり、そのすべてに、景子は酒を満たした。白い手はいささかも震えなかった。
「亡き人のために・・・」
静かにそう言って、景子の横に立つ竜生がグラスを掲げると、景子が腰掛けたままそれに合わせてグラスを高く差し上げる。駿と景子も、グラスを手にして立っている。
 最後にグラスをとった健二は、残った六個目のグラスに目を落としながら言った。
「亡き人・・・景子のお父さん、そして、詩織のために!」
きっぱりとそう、口にして、健二は景子に視線を向ける。
 景子の顔は、やつれて細くなっていたが、美しさを取り戻していた。黒目勝ちの大きな瞳は、強い光を湛えて魅力的な輝きを放っていた。
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2004.11.25

小説「残光」第六十七回

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 微かな残光を浴びて、山塊の前に浮かび上がるのは、板を外壁に張った、古い小学校の校舎に似たシルエット。健二と駿、真那は、言葉もなく立ちすくむ。あの夏、六人で過ごし、夏の終わりと共に潰え去った、忘れることの出来ないかたちが、突如眼前に蘇ったのである。
「ふふ、驚いたやろ。これ、あの研究所とほぼ同時期に建てられたんやそうな。多分、設計・施工した業者は一緒やと思う。双子の建物の生き残り、言うところやろな」
いたずらっぽく笑う竜生の言葉に、興奮した駿の声が重なる。
「すごい!よく、よく残ってたね。よく見つけたね!ああ、窓の形も、玄関も、まるで同じだ。幻を見ているようだよ」
 我を忘れ、駿は建物の玄関に駆け寄っていく。戸惑い気味に、真那が続いた。扉のガラスに滲むオレンジ色の灯に吸い寄せられるように、駿は迷うことなくその光の中に踏み込んでいった。
「これは、何のつもりなんだ?」
 真那のスーツケースを下げて歩いていく竜生の背中に、健二は鋭く問いかける。振り向いた竜生の顔は逆光で表情が読めない。
「とにかく、入れや、健二。ゆっくり喋ろうや」
竜生は少し笑ったようだったが、そのまま建物に踏み込んでいく。舌打ちして、健二は三人の後を追って、低い石垣に刻まれている石段を駆け上がった。
(そっくりだ、気味が悪いくらい、同じだ)
 うそ寒い感覚を覚えた健二だが、扉の形、玄関から階段に続く石造りの床、漆喰塗りの内壁と黒ずんだ腰板などに目を移していくに連れ、圧倒的な郷愁が沸き起こってくるのを押さえ切れなかった。
(あの、磨り減った階段の手すりにもたれて、詩織がこっちに笑いかけて来そうだ)
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2004.11.24

小説「残光」第六十六回

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 やがて車は、東鞍馬口通りとの交差点に差し掛かり、瓜生山の斜面に建つ京都造形芸術大学の、神殿のような校舎の下を過ぎる。
「ここも、変わったなあ・・・」
駿が、見上げながら嘆息する。すると、車は右にウインカーを出し、細い道を山に向かって登り始める。
「なに?そろそろ着くの?」
揺れる車内で、真那がやや顔をこわばらせて竜生に訊く。
「ああ、一応、山荘なんや。趣味でこさえたやつやねん。こういうときに使わな、思うて。掃除しといたさかい」
 街灯もない坂道はすっかり闇に閉ざされ、つい今までの白川通りの賑わいが嘘のようだ。四輪駆動の力強さで車はやすやすと走っていくが、道は狭くなる一方である。側溝の上にかぶせた鉄板がガタガタと鳴る。道端に伸びた木の枝や笹が、車の窓を擦る。
 強引だが自信に満ちた運転で、車は曲がりくねった坂を登りきった。眼下に京都の夜景を見下ろす、比叡山に続く山肌の中腹である。砂利を踏みしだいてオフロード車は停止した。窓から見える景色に真那が嘆声を漏らす。
「すごい、こんなとこに、学生時代に来たかったな!」
 健二は、夜景と反対側を見て、愕然としていた。そこには、木造二階の小さな建物があり、ガラス窓から灯りが漏れている。そのたたずまいは・・・
「おい、これは・・・なんだ?あの、楠本蝶類研究所、そのまんまじゃないか!」
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2004.11.22

小説「残光」第六十五回

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 残光はひと時もとどまることなく変化していく。雲は流れ、光は薄れ、輝きははかない。
 竜生の運転するオフロード車は、神宮道を北上し、疏水を渡って平安神宮をかすめ、丸太町通りに出ると、右折して天王町に向かい、その角からまた北へ折れて、白川通りを疾走する。
「どこまで行くの?」
昔話に和んでいた真那が、ふと真顔に戻って訊ねた。
「すぐそこや。それにしても、みんなでこうやって喋ると、ほんま、あの頃に戻ったみたいな気分や。真那もちっとも変わってへんなあ」
竜生の嘆声に、真那はまた顔をほころばせる。
「あのスキーのとき、板持って行ったの、景子だけだったでしょ。ウェアも、彼女は新品、私は友達に借りたのよ。ずっと景子はお嬢様だったのよね」
駿も笑う。
「まだバブル景気の前だったからね。だから、あんなアルバイトに僕ら、とびついたんだ。3Kなんてものじゃない労働だった」
 景子の名前が出たとき、竜生の表情が僅かに動いたように、健二は感じた。
「ずっと、気になってたんだけど、景子の具合はどうなんだ?」
健二の問いかけに、竜生は間髪をいれずに答える。
「ずいぶん良うなったで。けど、大勢の人前に出れるにはしばらくかかるやろな。でも、大丈夫や」
 真那が遠慮がちに、竜生に聞く。
「景子は・・・もう、クスリに頼らずにやっていけそうなの?」
「当たり前や、あの景子やで。俺らの誰より強かったあいつや。ほら、明石の海に泳ぎに行って、鮨に全員あたったことがあったやんか」
「あったあった!みんなひどい目にあったのに、景子だけぴんぴんしてたね。鋼鉄の胃腸だって呆れたんだよ」
はしゃぐ駿から、顔をそむけて、健二は消えていく残光を追っている。
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小説「残光」第六十四回

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 電話を掛けてきたのは竜生である。
「今、春川先生の家や。ご親戚はついさっき、帰らはった。健二たちは、どこや?」
 健二がホテルの名前を告げると、竜生は少し沈黙したが、すぐに指示する。
「ほな、俺の車で迎えに行くさかい、あと十五分したら玄関に出てくれるか?」
「わかった。で、どこで話をするんだ?春川先生のところか?」
「いや、ちょっと別に場所をとったんや。なに、時間はかからへん。けど、真那には、そこチェックアウトしてもろうたほうがええな」
「え?どういうことだ?泊りがけで喋るってことか?」
「みんなが集まったんは、随分久しぶりや。ゆっくりしよやないか。」

 残光に照らされる玄関に、オフロード車の無骨な車体が横付けになる。身軽に運転席から降りてきた竜生は、真那のスーツケースを荷室に手早く積み込んだ。
「今は、こんな車に乗ってるんだね。あの頃は、竜生の親父さんのセドリックをこっそり借りて、みんなで琵琶湖やら舞鶴やら、ドライブに行ったっけ」
 二列目の座席に収まった駿が、八人乗りのゆったりした車内を見回しながら嬉しそうに言う。
「一編だけやけど、スキーにも行ったで。誰も滑り方知らんと、最高のドタバタ道中やったなあ」
竜生も朗らかに白い歯を見せて笑う。助手席に座った真那も、懐かしそうに微笑んだ。
「ナイターで滑った帰り道に、健二が迷子になって、ホテルに帰ってこなかったわね」
「大騒ぎして、みんなで探しにでようとしたら、健二、雪まみれになって裏庭からスキー履いて食堂に突っ込んできたんだよ」
駿が、腹を抱えて、横に座る健二を指差す。
「笑うな。そのあと、飲めない酒飲んで、風呂場でひっくりかえってたのは駿だぜ」
仏頂面で健二が言葉を返すと、車内はさらに笑い声で満ちた。 
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2004.11.19

小説「残光」第六十三回

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 夕雲を染める残光が、何かを予兆するかのように壮烈である。
「すごい夕焼けだな・・・」
ガラス越しに眺めながら、健二が呟くと、駿と真那も視線を空に上げた。
 数週間前、美咲が仕事で寄っていた東山のホテルである。景子が定宿にしていたここに、今は真那が部屋を取っているのだ。ノースリーブの白いワンピースに着替えてきた真那と、そのままホテルのレストランで夕食を摂っている。駿も真那もあまり食欲はない様子だが、健二は健啖にステーキを食べ、珈琲をお代わりした。
「春川先生の遺書って、なんだかそんなの聞かされるの、気が重いわ」
 ピラフの皿にほとんど手をつけず、真那が口を尖らせる。アイスティーばかり飲みながら、駿も頷いた。
「僕が教えたとおり、神戸に詩織の墓はちゃんとあったんだろ?確認してきたそうじゃないか」
「ああ」
「だったら、別に何もショッキングな内容じゃないよ。大体はもう、予想がつくさ」
「どんな中身だと、駿は思うんだ?」
残光から目を離さすに、健二は問いかける。
「蝶類研究所コレクションの横流しのことだと思うよ。あれは、自分に罪があった、許して欲しい、そんなことが書いてあるんだと思う」
 その時、健二の携帯電話が鳴った。パッヘルベルのカノンは、凄絶な残照のなか、弔鍾のように聞こえる、と健二は思った。
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2004.11.16

小説「残光」第六十二回

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 春川教授が臨終を迎えたのは、お盆の少し前だった。
 教授の夫人は数年前に逝き、一人娘の景子は「入院中」。日ごろはほとんど縁遠いらしい親族が少数集まって看取るなか、葬儀の手筈などを中心になって進めているのは竜生である。
 健二と駿は、廊下に出て、窓の外を眺めた。無残なくらい古ぼけた旧病棟と、新築されたばかりの病棟との間に、焼却炉らしい巨大な煙突が立ち、気のめいるだけの風景だ。
「真那に連絡したか?」
健二が訊ねると、駿はかぶりを振る。
「君がしたほうがいいよ」
 顔をしかめ、健二は公衆電話に歩いていく。ふと振り返って駿に言う。
「真那とは、きちんと話した方がいいぞ。おまえが、病気とまともに向かい合うつもりならな」
駿は口をつぐんだままだが、かすかに、頷いたようだった。

 その晩の通夜、翌日の葬儀ともに、街中の葬儀会社の建物で行われて、形どおりに進行した。大学関係者、教え子たちもかなり参列したが、式が済むと未練もなく人々は散った。
 遺骨を教授の自宅に運ぼうとしている竜生に、健二は歩み寄る。
「さあ、教授の遺言の公表は、どこでするんだ?俺たちも教授の家に行けばいいのか?」
「ご親族がまだいはるさかい、そないなこと、大声で言うたらあかんがな」
叱責する竜生は、しかしすぐに小声で伝える。
「後始末が終わったら、連絡するし、携帯の通じるトコにいてくれや。今、午後四時やし・・・六時には電話する」
 黒塗りのハイヤーに乗って去った竜生を見送ると、健二は駿と真那を振り返る。着替えて軽く食事しながら連絡を待とうと相談が決まった。
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2004.11.13

小説「残光」第六十一回

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 祇園を流れる白川には、緑の柳が枝を垂れ、水底には小魚が群れて、暑熱の中も涼やかである。
 巽橋の欄干に寄りかかり、健二はしばし、憩った。いつも、時が止まっているように感じられるこの界隈・・・お茶屋遊びなどには縁のなかった健二にも、仲間と飲み歩いたり、そして、詩織と寄り添って散策したりした想い出が蘇る。
 これまでは、できるだけ、振り返らないようにしていた、と健二は思う。ことさらに、目の前の些細な事にだけ集中して、あの頃のこと、詩織のことを、まともに思い出さないようにしていた、と。
 今は、甘美な記憶でなく、非情な真実をあばくため、健二は突き進んでいる。
(けど、苦しいな。・・・美咲の声が、聞きたくなる)
 何度か、携帯電話を取り出し、掌でもてあそびながら、健二はかけることなく、またポケットに戻す。
 日傘を差して、普段着の和服を着た舞妓が通り過ぎた。
(あの頃の詩織や、今の彩夏と同じくらいの歳だな・・・)
 素顔に近い舞妓は、幼ささえ感じる顔立ちで、健二にはその足取りもどこか危なっかしく思えた。
(あの子や、彩夏は、精一杯背伸びして頑張ってるのだろうな・・・詩織は、どんな気持ちであの日々を送っていたんだろうか)
 石畳の上に陽炎が立つ。その中に揺らめいて遠ざかっていく舞妓の後姿を、健二はしばし見送った。橋下の水面に魚が跳ねて、小さな音が響く。
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