祇園祭と八坂神社・2
さて、八坂神社だが、この名前になったのは明治元年のことで、それ以前は「祇園社」「祇園観神院」「祇園天神社」「牛頭天王社」などといろんな名前で呼ばれていたそうだ。
しかも、延暦寺の支配を受ける仏寺だった時代もある。足利義満の命で、延暦寺の支配を離れてからも、神仏習合の、寺とも神社ともつかぬ形であったようだ。
明治元年に名前が変わったのは、「神仏分離令」によるものである。
このことは、祀られている神さまのことに深くかかわってくるので、また詳しく。
あと、もう一つ、わしにとって意外だったことは、東大路に面してランドマークとなっている西楼門が、正面の門ではないこと。
これは、神社の内部の建物配置を見れば一目瞭然で、本殿は南に向いており、そこから、舞殿、南楼門、石の鳥居と続く向きが正面に当たる。
上の写真は、南楼門を内側から見たもの。
西楼門を入ると、小さな祠が幾つかあって、それを迂回する参道を上がっていくと、社務所の前を通って舞殿の西側面が見えてくる。どう考えても横っぱらから進入する経路である。
今でこそ、西楼門の門前が賑やかな祇園町なので、こっちから参る人が多いのだが、かつては全くこのあたりの町並みは違っていたのだ。
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