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2008.07.11

「源氏物語」を読む(3)

「源氏物語」本文は、一般的には、いわゆる古典文学全集に納められているもので読める。
これを文庫本や軽装版などにしたもののほうが、もっと手に入れやすいということもあるが、注釈や解説の充実を考えると、全集の本がお勧めであろう。

わしの場合、近所の市立図書館へ出かけてみると、二種類の全集に「源氏物語」があった。

「新日本古典文学大系」 岩波書店
「新潮日本古典集成」  新潮社

岩波書店のほうは、源氏物語は5巻本になっており、こっちのほうが新しい分、進んだ研究を取り入れていると思われるが、本がでかくて持ち歩きにくい(苦笑)。
新潮社のほうは、源氏物語の分は全8巻。本が小さめで持ち歩きやすい(笑)
さらに、読むことに関しては、岩波書店のよりもわしにはこっちのほうが容易である。
注釈の付け方が、丁寧で見やすいのだ。

007

写真で見てのとおり、本文の上に、「頭注」と言う形で説明がある。
それに加えて、本文の脇に「傍注」として、赤い色の印刷で書かれているのが、現代語訳とか、誰のことを書いているのかという人物の指示。これが、本文を読むには実にありがたい指針となってくれる。

傍注を助けに、とにかく本文を読み進める。一息ついて、上の頭注を読んで、わからないところを解き明かす。すらすらとはいかないけれど、読んでいくと、校注(校訂・注釈)した人々の工夫が理解できて、面白い。

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2008.07.02

「源氏物語」を読む(2)

Sibi

紫式部直筆の「源氏物語」は失われ、それどころか、平安時代に書写された本も、今は一冊もない。
現在残されているものは、鎌倉時代以降に書写されたものと、それを基にして、江戸時代に木版印刷で刊行されたもの、そして明治時代以後、活字で刊行されたものである。

平安時代に書き写されていくうち、いろんなかたちになってしまった「源氏物語」。それを原典に戻そうとして作られた「青表紙本」と「河内本」。
このうち、鎌倉時代は「河内本」が広く読まれていたらしい。
それが、戦国時代に至って、藤原定家の子孫である三条西家が、「青表紙本」の宣伝に努めて、やがてこちらが主流となり、「河内本」は陰に隠れた・・・というのが大雑把な流れ。
このくらいまでは、「源氏物語」を手にとって読める階層というのは、上流階級に限られていた。
ただ、室町時代からは、あら筋や名場面をまとめたもの、解説書みたいものもたくさん書かれて、連歌師などの必携本として普及していたらしい・

それが江戸時代になり、様々な本が木版印刷されて、多くの人々が読めるようになる。
「源氏物語」も
「絵入源氏物語」、「首書源氏物語」、「源氏物語湖月抄」
などの本で、広く普及された。
これらは、ただ本文を印刷しただけではない。
「絵入」はもちろん挿絵を入れ、読点、濁点、振り仮名、注釈などを入れて読みやすくしたものである。
「首書」も、「湖月抄」も、絵こそなかったが、あとのことを取り入れて、とりわけ「湖月抄」は、それまでの「源氏物語」の評釈の集大成といった本になった。

ん?・・・ちょっと待て。
読点、濁点て、江戸時代になって入ったの?

そうなのだ、元々伝わってきた「源氏物語」の写本の、本文というのは、たとえば次のようなものなんである。

「衛門のかむの君かくのみなやみわたり給事なをなをゝこたらてとしもかへりぬおとゝきたのかたおはしなけくさまを見たてまつりにしゐてかけはなれなんいのちかひなくつみをもかるへきことをおもふ心はこゝろとしてあなかちにこの世にはなれかたくをしみとゝめまほしき身かはいはけなかりしはとよりおもふ心ことにてなに事をも人にはいまひときはまさらんとおほやけわたくしの事にふれてなのめならすおもひのほりしかとそのこゝろかなひかたりけりとひとつふたつのふし事に身ををもひをしてしにこなたなへての世中すさましうおもひなりてのちのよのをこなひに・・・」
(中山本・柏木帖より)

うあああ、どこで切って読むのか、全然わからへん!
句読点、濁点、そして仮名を適宜漢字に直してもらわないと、手も足も出ない。

江戸時代の人々もわしと同じだったようで、読んで楽しむ人々ばかりでなく、専門家である学者も、「源氏物語」を読むのは注釈付きのものを頼りにしていたらしい。とりわけ「湖月抄」がみんなの共通テキストみたいになっていたそうだ。
こうした刊行本のほとんどが、三条西家流「青表紙本」を基にしていたとされ、「河内本」は幻の本と思われていた。

明治になってもしばらくは同じ状況で、「青表紙本」系の写本や、「湖月抄」などで「源氏物語」は読まれ、またそれらを基にして活字本になっていたのだけれど、国文学の研究が進むにつれ、「青表紙本」の不備・・・文のつじつまが合わなかったり、「青表紙本」系同士なのに文章が違ったりすること・・・を解消するために、「河内本」探しが始まる。
そしてついに大正時代になり、大阪の平瀬家所蔵本が「河内本」とわかった。
以後、かなりの「河内本」が発見されて、それまでの「青表紙本」と付き合わせての研究が始まる。

ところが、そうしてみると、今まで「青表紙本」とされていたものの多くに、なんと「河内本」の影響が見られることがわかってしまったのだ。「湖月抄」や「首書」もまた、そうなのであった。
えええ?じゃあ、もっと純粋な「青表紙本」はないのか?
ちなみに、藤原定家直筆の原「青表紙本」はとっくに散逸してしまって、現在残っているのは、ばらばらの状態の4帖分しかない。(残っていたのが奇跡のようなもの)
改めて「青表紙本」探しもまた、始まり、あちこちに秘蔵されていた本が、昭和初期に掘り起こされたそうである。
その中で、佐渡の旧家から昭和4年(1929年)ころ大島雅太郎氏が買い取って世に出した「大島本」というのが、どうやらもっとも「青表紙本」の原型に近く、しかもほぼ全巻揃っているため、頼りになるということになった。

この「大島本」は戦国時代に、飛鳥井雅康という公家が、守護大名大内氏の求めに応じて書写したもの。

現在、わしらが手にすることの出来る「源氏物語」本文は、この「大島本」を基に、句読点、濁点を打って読みやすくしたものが多い。
・・・はあはあ、やっと、読むところまでたどり着いたぞ。(笑)

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