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2008.06.14

「源氏物語」をどう見るか(5)

Hakubutukan
(写真は京都国立博物館。1895年(明治28)に竣工)

仏教の立場から、儒教・儒学(朱子学)の立場から、源氏物語を非難する向きがあったのは既に触れた。
明治になっても、そうした空気はあり、また、外国に対して勇ましく士気を高めようという意識が盛り上がったせいか、軟弱なるモノへの風当たりは強まる。源氏物語はしばしばその格好の槍玉に挙げられた。

たとえば、キリスト教の思想家・実践家である内村鑑三などは、こんな風にぶちあげた。

「また日本人が文学者という者の生涯はどういう生涯であるだろうと思うているかというに、それは絵艸紙(えぞうし)屋へ行ってみるとわかる。どういう絵があるかというと、赤く塗ってある御堂のなかに美しい女が机の前に坐っておって、向こうから月の上ってくるのを筆を翳(かざ)して眺めている。これは何であるかというと紫式部の源氏の間である。これが日本流の文学者である。しかし文学というものはコンナものであるならば、文学は後世への遺物でなくしてかえって後世への害物である。なるほど『源氏物語』という本は美しい言葉を日本に伝えたものであるかも知れませぬ。しかし『源氏物語』が日本の士気を鼓舞することのために何をしたか。何もしないばかりでなくわれわれを女らしき意気地なしになした。あのような文学はわれわれのなかから根コソギに絶やしたい(拍手)。」

太字部分はわしが加工しました(笑)それにしても、日露戦争に反対したという内村先生にしては実に好戦的な文章で驚いた。長くなるので引用しなかったのだが、これに続く部分には「文学はわれわれがこの世界に戦争するときの道具である。」という言葉まで。
これは、京都便利堂から明治三十年に発行された「後世への最大遺物」という小冊子の一部分。何度か再版され、「後世への最大遺物・デンマルク国の話」というタイトルで岩波文庫にもある。

さて、この内村鑑三と同時代、芳賀矢一という人が国文学の世界で活躍している。実は活躍などと言う生易しいものではなく、「国文学」というものの成立に絶大な力を発揮したと言うほうが良い。
この人、夏目漱石と同じ船でヨーロッパに留学し、ドイツで文献学を学んで持ち帰り、それまで、「国学」の一分野であった国語や国文に対する研究を「国文学」として成り立たせたのである。
国語国定教科書を編纂したり、文部省唱歌の歌詞を作ったり、後には國學院大學学長に就任。日本の文学研究の基礎を作った大きな存在だった。
「形容動詞」という言葉を作ったのも彼だという。
そんな彼はもちろん日本の古典のほとんどを研究しているのだけれど、源氏物語にはこんな言葉を述べているのである。

「腐敗した社会の有様を書いたものを
 我国文学の第一のもののやうに珍重しなければならぬ
 というのも、実は情けないものです」

また、平安時代の物語全般を評してこう書く。

「而して其文の艶麗緻密に長じて、豪放奔快の事なきもの」
「其載する所多くハ艶話等に過ぎざる」

どうも芳賀先生も内村先生と同様、勇ましいもの=豪放奔快を愛し「艶話」のようなものを毛嫌いしていたようだ。
この人の著作で有名なものに「国民性十論」というものがあり、これは日本人の国民性について述べた本の走りと言うて良い。
その手の本のほとんどと同じように、他の民族や人種と比べて、日本人はこんなに優れているんだぞ!と勝手な印象を並べたものだ。今読んでみると、「ああ、日本人は芳賀先生の述べた美徳のほとんどを裏切っていたんだなあ」と感慨深い。
ただ、その中で「草木を愛し自然を喜ぶ」という項があり、その中で源氏物語の描写も例として引用される。源氏物語のそういう面は自慢したかったらしい。

ともあれ、近代国文学にあっても、発祥の頃から、源氏物語には賞賛と共に批判が向けられていたことは間違いない。
やがて、国粋主義の暴走、天皇の絶対化、神格化が進むと、源氏物語には根本的な非難、弾劾が襲うことになる。

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コメント

幕末から明治にかけて、欧米の文化や技術を取り入れ、中国のように列強の食いものにされないような力をつけようと日本文化の単純化が行われたんでしょうね。そうして、富国強兵・殖産興業にあわせるべく、たおやめぶりを切り捨て、ますらおぶりでいこうとした。
ペリーの黒船に”レイプ”された日本の強迫観念のようなモノだったのかも知れない。
 でも文化ってのはそんな単純に割り切れたり切り捨てられたりできるモノじゃない複雑な化合物だから、後の日本の文化や歴史に歪みを生じさせることにもなった。
 しかし内村鑑三えらい戦闘的やなあw
 ちなみに私は上岡龍太郎氏がいってた。男は本来女々しいからこそ「男らしくしなさい」って言われて育てられるんだっていうはなるほどとそうやなあと思っています。「ますらおぶり」だの「大和魂」だのは、日本人の持つ劣等感の過剰補償だったのかも

投稿: Bach | 2008.06.15 15:04

☆Bachさん、本居宣長さんは、きちんと日本の心の「めめしさ」を肯定的に捉えていたようなんです。あの人の「大和心」は源氏物語を賞賛する気持ちと何の矛盾もなかったみたいですな。
それが、神懸り国学に「攘夷」思想が加わって、やたらますらおぶりを強調するものになっていってしまった。
次元ジプシーさんのおっしゃる「儒教倫理とのアマルガム」も大きいかも。
内村鑑三さんも、ちょっと調べてみると一筋縄じゃいかない人でした。あの人にとっては、朱子学も陽明学も国学すらも、「キリスト教」に包含されてしまうかもしれない。
「武士道」を世界に宣伝した新渡戸稲造さんも、キリスト教信者でした。

投稿: 龍3 | 2008.06.16 01:11

小ネタ
意外だが、「決意」「祝祭」「出合」という言葉を造語したのは、芳賀矢一の嫡男で独文学者の芳賀檀(まゆみ)。この人、造語が趣味だったらしい。日本浪漫派で一緒だった保田與重郎によると、戦中は軍部や右翼が芳賀の勇ましい造語を随分使い、戦後になると同じ言葉を共産党が使うようになったそうだ。
「芳賀が作った、「何々を決意する」って、最初なんのことか判らんかったが、戦争になるとみんな使うようになった。そんな調子で現代語をギョウサン作りましたな。えらい功績ですわ」と皮肉っている。
芳賀は表層的には、自由主義者(戦前)→ナチス賛美者(戦中)→反ナチ抵抗文学の紹介者(戦後)という昭和の多くの独文学者と同じ処世の道程をたどったように見える。しかし内実はそんな連中とはかなり異なる。小生はこういう人たちを歴史の高みから声高に断罪する気にはなれない。

投稿: 次元ジプシー | 2008.06.16 02:59

☆次元ジプシーさん、芳賀矢一の息子さんについては、初めて知りました。
ナチス賛美から、ケストナー紹介へと変節したような「昭和の多くの独文学者」を描いた「文学部をめぐる病い」という本があるそうです。読まれましたか?わしはちょっと、読んでみようかと思いました。

投稿: 龍3 | 2008.06.16 08:31

>「文学部をめぐる病い」という本があるそうです。読まれましたか?

読みました。実は、小ネタのネタ元がその本です。
内容は、主に昭和の東大独文科をめぐるアレコレですね。10代の頃、ヘッセの「デーミアン」やT・マンの「トニオ・クレーゲル」を耽読し、萩尾望都の一連のギムナジウム物に入れ上げていた小生には興味深い内容でした。ケストナーやヘッセの翻訳で知られ、戦中は大政翼賛会文化部長、戦後は日本ペンクラブ会長を歴任した高橋健二なんかがヤリ玉にあがってます。
かつて小生も、高橋健二の経歴(本人も出版マスコミも、戦中の事は意識的に隠してました)を知ったときは、案外、上昇志向の強い俗物かもなという印象を漠然と抱いたものでした。
この本を読んでいて、小学生時代のある体験が鮮明に思い出されました。遊びに行った友達の家で、そこのおばあちゃんが選挙チラシを見ながら、「この山口淑子って、昔は李香蘭いう中国人の名前で映画女優やってたんや。今は名前変えて代議士に納まって、ほんまに世渡りの上手い人や」と語っていたのでした。
ま、世評というのはそんなモンです。高橋氏や山口氏にも批判すべき点(批判精神は絶対に大切です)はあるにせよ、後世の目で声高に糾弾するのは(逆に同情を寄せたり、ヒーロー視するのも)小生は好きではありません。この本は批判の後ろから、俎上に乗せた文学者たちへの著者の裏返された愛情が伝わってくる処が妙味でした。

投稿: 次元ジプシー | 2008.06.16 18:07

☆次元ジプシーさん、李香蘭改め山口淑子さんのことは、わし、自分のお袋に教えてもらいましたよ。
「後世の目で声高に糾弾」せぬよう、自戒したいと思います。
とりあえず、「文学部をめぐる病い」、某図書館より取り寄せてもらってます。
あと、橘純一さんのその後も知りたく、「源氏物語と戦争」と言う本も。

投稿: 龍3 | 2008.06.16 22:58

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