「源氏物語」を読む(1)
「源氏物語千年紀」に際して、なんか語ろうという程度で、天邪鬼的に
「『源氏物語』をどう見るか」
などという文章を書いてきたのでであるが、思いも寄らぬほど深入りしてしまった。
やはり、「源氏物語」の持つ力は凄いのだ・・・と、今更ながら気づいた次第である。
そこで、ここからは稿を改め、
真っ向から「源氏物語」に取り組んでみることにする。
「源氏物語」初心者として、読むことを始めたい。
ところで、ここへ来てふと、気づいたのだが・・・
今まで大雑把ながら紹介してきた、賞賛、崇拝から、軽蔑、弾劾に至るまでの、おびただしい「源氏物語」の論評。さて、それらの著者は、一体、どういう「源氏」本文を読んだのであろうか?
そう、本文。
もっとも基本的な、「源氏物語」そのもの。
「原文」という言い方は誤解しやすい。
「源氏物語」は、著者が書いた直筆原稿がちゃんと残っている、現代の小説とはわけが違うのである。
「原文」を、紫式部が書いた直筆原稿と言う意味でとるならば
そんなん、どこにも残ってまへん!!
という、ある意味当たり前で、しかし驚愕の事実を、わしはこの歳になって初めて気がついたのであった。
そして、書かれた当時の状況を想像してみた。
当たり前すぎるが、印刷などはされていない。全部手書き。
作者紫式部が書いたものを、誰かが読み、「これ、凄い!チョー面白いやん!」と書き写して、また誰かに読ませる。それをまた誰かが書き写し、書き写し、広まって行ったのである。
・・・その書き写した本、作者とかが校閲したのか?
・・・まあ、ごく最初は出来たかもしれへんけど、あとは、できるわけがないわな・・・(汗)
写し間違いは当然発生するだろうし、「著作権」などというもの、かけらもない時代であるから、書き写した者が「うちやったら、ここはこうしたほうがエエと思う」と勝手に改変するのも自由自在・・・
うわー、もしかして、「源氏物語」って、中身が違う本が一杯存在するようにならないか?
・・・で、現実はそうなったのである。(大汗)
語句の違い、展開の違い、巻数の違い・・・なかには文の意味の取れない本まで存在するようになったらしい。
「こらあかんわ!紫式部はんが書いた、基のヤツを復元せな!」
と、心ある者は考えるだろう。
それを、実行したのが、藤原定家と、源光行・親行父子であった。
平安時代末期から、鎌倉時代初期に掛けてのことである。
定家と源父子には交流があり、お互いに集めた本を見せ合ったりしつつ、それぞれに、「これぞ決定版・源氏物語」というものを作っていったのであるが、
定家が残したものを「青表紙本」という。青い表紙で装丁されていたからである。
源父子が残したものを「河内本」という。父子とも、河内守を務めて、そう呼ばれていたから。
ここで2種類の「源氏物語」が存在したことになる。協力して一つにすればよかったものを・・・と思うが、どうも双方の「編集意図」が違っていたようだ。
「青表紙本」は、可能な限り元の文章を復元しようとして古い文章を尊重し、意味の通らないところがあってもそのままにした。
「河内本」は、文章の筋が通っていることを第一に考えて編纂し、かなり改変を加えたかもしれない。
・・・というのが、これまでの研究の一般的見解である。
その後、これらの本も、写本段階でいろんな異本が生じている。両系統が混じった本もたくさんあるらしい。また、この2系統にあてはまらないものも存在する。
それでも、定家さんと源父子のおかげで、かなり混乱は収められたわけで、感謝せねばならんやろなあ・・・
ともあれ、平安時代に書かれたと証明できる「源氏物語」写本は、現在一冊も存在しない。青表紙本も河内本も、さまざまに異なるたくさんの「源氏物語」から必死に作り出したものである。
紫式部の手になる「原文」は、遥かな幻のままなのである。
それでは、わしらが今、読むことの出来る「源氏物語」本文とは、具体的にどのようなものなのか?
(続く)
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