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2008.05.29

「源氏物語」をどう見るか(1)

「『源氏物語』千年紀」というポスターが、今の京都の街には目立つ。
滋賀県大津市の石山寺も、源氏物語執筆の場所と言う伝説で盛り上がっているようだ。

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『源氏物語』という書名が、現在わかっているところで最も古く文書に現れるのが、『紫式部日記」1008年11月1日の項だったから、今年を『千年紀』として祝おう・・・ということなのだそうだ。

というわけで、今は京都の街もメディアも、源氏物語礼賛一色であり、なんとNHKの「みんなのうた」でさえ「光のゲンちゃん」という、光源氏を讃える歌が流れていたりする。

さて、そうなってみるとわし、一言言いたいのであるが、源氏物語はずっと高尚な古典文学と崇拝され、日本文化の精髄と愛好されてきた一方で、これを認めない思想と言うのもずっとあったのである。

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「紫式部堕地獄伝説」

紫式部は、死後、地獄に堕ちた・・・という伝説と言うか考え方が、昔あったそうである。
角川書店の「日本伝奇伝説大事典」は、わしの座右の書のひとつなんだけど、その紫式部の項目に、こんな叙述があるのだ。

「・・・紫式部堕獄説であるが、これはすでに平安末期にはあったようで、『宝物集』(平康頼撰、治承二年以降成立)下には紫式部が人の夢に顕れ、虚言でもって『源氏物語』を書き地獄に堕ち苦しんでいるゆえ供養して欲しいと言ったとあり・・・」

「虚言好色な物語」「虚妄の好きがましい書」と源氏物語を非難し、作者の紫式部を、罪深い者と断じる人々が、すでに平安時代から居たそうである。
その罪によって地獄に堕ちた紫式部を救済しようと『源氏一品経』『源氏物語願文』などが編まれて、『源氏供養』というものが鎌倉期にかけて行われたというのであるから、半端な潮流ではなかったようである。

そうした流れに反発して、
「いや、『源氏物語』は仏の道へ導くモノなんや!」という一派も同時期に在って、こちらはさらに
「こんな素晴らしい物語を書いてくれた紫式部は神、いや仏の化身」
とエスカレート。
紫式部が近江の石山寺に参篭して源氏物語を執筆したという説は、これらの論客によって、式部を仏に結びつけるために出来上がってきたらしいのである。
その結果、この説は
「紫式部は石山観音の化身である」というところに行き着いたのであった。

どっちも、紫式部が聞いたら
「そないおもわはるんやったら、そなんちゃいますか」
てなものであるが・・・

ともあれ、道徳的、宗教的にこの物語を見る人々は、昔から多かったのである。

この項の写真3枚はどれも石山寺。(2月末に行ったときの撮影で、よく観ると雪があります)

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