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2008.05.30

「源氏物語」をどう見るか(2)

Sikibukuyoto

『源氏供養』という言葉、考え方を知り、わしはやっと納得できたことがある。

上の写真は、桜の季節に西陣を回ったとき、引接寺=通称千本ゑんま堂で撮ったものだ。
普賢象桜という、八重桜のふわふわ花弁に囲まれて立っているのは、「紫式部供養塔」である。

どうしてそんなものがここにあるのか?
そもそも、供養塔とはなにか?

その答えは、千本ゑんま堂の開基とされるのが、小野篁(たかむら)であることに隠されていた。
小野篁もまた、紫式部に勝るとも劣らないほど伝説化された人物の一人である。
平安初期の歌人、漢詩人として名を成すと共に、冥界に自由に行き来し、閻魔大王に仕えていたという伝説が有名なのだ。
そう・・・紫式部が地獄へ堕ちたという伝説にも、彼が現れるのである、救済者として。

今昔物語などで小野篁は、顔見知りの貴族が閻魔大王の下へ引き出されてきたとき、これを救ってやったと記される。『源氏供養』を思い立った人々は、紫式部も同じように、小野篁によって地獄行きの運命から救い上げてもらいたいと考えたのだ。つまり紫式部供養塔は、冥府の小野篁に紫式部を救ってくださいと祈る『源氏供養塔』なのである。

この千本ゑんま堂から東へ、鞍馬口通をだいたい800メートルほど行くと、堀川通。そこから北へちょっとあがると、東側になんと、「紫式部の墓」と「小野篁の墓」が並んで存在する。
小野篁の没年は852年、紫式部は1014年?(はっきりしないらしい)ということで、生前にはまったく縁もないふたりであるからして、ここに二人の墓があるのも、『源氏供養』の考えによるものに違いないだろう。

さて、今回いろいろ調べていくうち、『源氏供養』は、物語、謡曲にもなっていることを知った。
謡曲「源氏供養」のストーリーを読むと、紫式部堕地獄説と、紫式部観音化身説が合体していて面白い。
前段で成仏できない亡霊として顕れた紫式部が、後段の最後では地謡によって石山観音の化身であると明かされるのだそうだ。
『源氏供養』を行った人々は、「源氏物語」に反発したというより、この物語の愛好者であり、罪深い物語を読み耽ってしまった自分の罪をあがないたいという意図があったようである。
なんだかそれは、とても人間的で、共感できるなあと思うのだ。

(引接寺=千本ゑんま堂所在地:京都市上京区千本通蘆山寺上ル閻魔前町34番地)

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2008.05.29

「源氏物語」をどう見るか(1)

「『源氏物語』千年紀」というポスターが、今の京都の街には目立つ。
滋賀県大津市の石山寺も、源氏物語執筆の場所と言う伝説で盛り上がっているようだ。

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『源氏物語』という書名が、現在わかっているところで最も古く文書に現れるのが、『紫式部日記」1008年11月1日の項だったから、今年を『千年紀』として祝おう・・・ということなのだそうだ。

というわけで、今は京都の街もメディアも、源氏物語礼賛一色であり、なんとNHKの「みんなのうた」でさえ「光のゲンちゃん」という、光源氏を讃える歌が流れていたりする。

さて、そうなってみるとわし、一言言いたいのであるが、源氏物語はずっと高尚な古典文学と崇拝され、日本文化の精髄と愛好されてきた一方で、これを認めない思想と言うのもずっとあったのである。

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「紫式部堕地獄伝説」

紫式部は、死後、地獄に堕ちた・・・という伝説と言うか考え方が、昔あったそうである。
角川書店の「日本伝奇伝説大事典」は、わしの座右の書のひとつなんだけど、その紫式部の項目に、こんな叙述があるのだ。

「・・・紫式部堕獄説であるが、これはすでに平安末期にはあったようで、『宝物集』(平康頼撰、治承二年以降成立)下には紫式部が人の夢に顕れ、虚言でもって『源氏物語』を書き地獄に堕ち苦しんでいるゆえ供養して欲しいと言ったとあり・・・」

「虚言好色な物語」「虚妄の好きがましい書」と源氏物語を非難し、作者の紫式部を、罪深い者と断じる人々が、すでに平安時代から居たそうである。
その罪によって地獄に堕ちた紫式部を救済しようと『源氏一品経』『源氏物語願文』などが編まれて、『源氏供養』というものが鎌倉期にかけて行われたというのであるから、半端な潮流ではなかったようである。

そうした流れに反発して、
「いや、『源氏物語』は仏の道へ導くモノなんや!」という一派も同時期に在って、こちらはさらに
「こんな素晴らしい物語を書いてくれた紫式部は神、いや仏の化身」
とエスカレート。
紫式部が近江の石山寺に参篭して源氏物語を執筆したという説は、これらの論客によって、式部を仏に結びつけるために出来上がってきたらしいのである。
その結果、この説は
「紫式部は石山観音の化身である」というところに行き着いたのであった。

どっちも、紫式部が聞いたら
「そないおもわはるんやったら、そなんちゃいますか」
てなものであるが・・・

ともあれ、道徳的、宗教的にこの物語を見る人々は、昔から多かったのである。

この項の写真3枚はどれも石山寺。(2月末に行ったときの撮影で、よく観ると雪があります)

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2008.05.23

府立植物園の薔薇

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5月22日の木曜日、府立植物園を訪れると、洋風庭園の薔薇が、今を盛りと咲いていました。

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300品種、2000株あると、1997年発行のガイドブックには書かれています。
すべての種類にちゃんと名札が立っていて、愛好家にはとても便利だろうと思います。

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南端には、棚が組んであって、ツル薔薇のトンネルになっているのですが、前に比べてちょっと茂り方が寂しいかなと感じました。

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それにしても、薔薇の花というのは、なんとも精妙な造形で感心します。

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色も、あらゆるバリエーションが追求されていて驚きます。

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これは、アンネフランクゆかりの薔薇だとか。


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薔薇園そのものも、ゆったりとした作りですが、何より回りがふんだんに緑に溢れているので、ここは魅力的なのだろうなと思います。

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5月の空の下、綺麗な花をたくさん観ると、とても豊かな気分になれますね。

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2008.05.04

蹴上浄水場のツツジ

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今年、5月1日から4日まで、無料で公開されている、蹴上浄水場に、2日に行ってきました。

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ここはもう、とにかく、ツツジ=躑躅の名所。
永年、三条通を通りすがりに、この花々を見てきたのですが、今回、思い立って場内に初めての突入!です。

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というても、無料で万人に門戸は開かれており、今までわしが不精をしておっただけなのですが(笑)

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1912年(明治45)に完成し、琵琶湖疏水で引いてきた水を濾過して京都の市民に供給し続けているこの施設。まさに市民の命の源です。そこは晩春、花の園となります。

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場内はかなり広大で、これは濾過池の風景。斜面をめいっぱい利用して、沈殿、濾過を繰り返した水を、高地に汲み上げ、配水するシステムです。

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一番東の端になるこの斜面が、一番たくさんのツツジで見事なんですが、どう写真を撮ったら良いのやら・・・

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その斜面をさらに上に登ると、こんどは京都市内を見下ろす景観に眼を奪われます。

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中世ヨーロッパの城塞のような配水池の向こうに、金戒光明寺の伽藍。古刹と近代建築のバランスが、京都らしさをかもし出します。

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この黄色いのは、レンゲツツジというそうで、頂上近くの展望休憩所のあたりに、特別に植えられていましたが、本来は自生種だそうです。

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では、場内を圧倒しているこの花はと言うと、オオムラサキツツジといい、交配によってつくられた品種で、公害に最も強いため、広く植えられているとのことです。初めて知ったわ・・・

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さて、先ほども写っていたこの城塞のような建物は、「第一高区配水池」で、明治45年に建てられたそのままに今も飲み水を蓄え、市内に水を送ってくれているのです。

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そして眼下には、南禅寺の伽藍も見下ろすことが出来ました。
年に一度、ここに訪れてみるのは、お勧めです。
かつてはここに、旅館もあって、与謝野鉄寛、晶子も泊まったとのこと。その歌碑も花に隠れてひっそりとありましたよ。

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