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2006.11.25

勧修寺も紅葉の盛り

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山科区勧修寺(かんしゅうじ)仁王堂町にある、真言宗山階(やましな)派の総本山・勧修寺(かじゅうじ)。
去年は、睡蓮や蓮を観によく通ったのだが、今年はすっかりご無沙汰していた。
秋はどんな風情なのだろうと訪ねてみたら、驚くほど鮮やかな紅葉が待っていた。

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行ったのは24日の午後3時過ぎ。拝観受付の門をくぐると、書院前の楓が傾いた日差しを浴びて、壮烈なほど燃えていた。

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高く聳える公孫樹の黄色を背にした紅の鮮やかなことに、しばし息を飲む。

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境内の楓は一本一本色づき方が異なって、複雑な綾織りのような美しさ。

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樹齢数百年のヤマモモの古木も、楓の紅をまといながら、午後の陽射しの下で憩っている。

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おりしも、2台の観光バスで乗りつけた団体さんで、このお寺にしては珍しく、歓声と記念撮影の喧騒で賑わっていたが、この方々、ほんの15分ほどしかおられなかった。あちこち回るので一箇所にはそのくらいしか時間が割けないのであろう。きっとあちこちの記憶がごっちゃになって、印象薄れるのではないかなあ・・・と余計な心配をするわし(苦笑)

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たくさんの楓や、ウルシなどの樹も鮮やかに色づく下、杉苔の絨毯のなかに、若い楓が、小さく紅葉している。

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池のほとりの観音堂周りは、広い芝生。すっかり枯れた池の蓮がわびしいが、枝垂れ桜の紅葉が観音堂を彩る。

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午後3時半には境内のほとんどが日陰になってしまって、景色は沈んでしまった。
観光バスのお客さんたちの賑わいもほんのひととき。静かになった境内をあとにして振り返ると、夕暮れの池の上空を、アオサギが優美に舞っていた。

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2006.11.21

06東福寺紅葉情報5(ほぼ見頃)

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11月21日、午後4時半頃の東福寺です。
このところ急速に色が増し、ほぼ、見頃になったと言うて良いでしょう。

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ただし、ほんまの紅葉最盛期はまだまだです。
今は谷底のカエデは緑色ですが、これがやがては壮絶なほどに真っ赤に染まります。

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日没直前のこの時間は、ほんまなら既に閉門なのですが、前売り券を買われた人だけはまだ入山を許されていたようで、通天橋から夕日を望む人がまばらにおられました。

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しかし、ほとんどの人は拝観を終え、参道や臥雲橋を埋めるようにして帰り道を急いでいました。

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まだわしは、通天橋に足を踏み入れておりませんが、塔頭のあちこちにも、深紅に燃えるカエデが目を楽しませてくれます。

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2006.11.20

平安神宮・京都会館周りの紅葉

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岡崎、というと、愛知県岡崎市と間違えられそうですが、京都市左京区岡崎です。
公園地帯のここ、平安神宮、京都会館周りが、今、様々な樹木の紅葉で錦織り成す景色です。

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中でも平安神宮と京都会館の間の冷泉通の街路樹が美しい。
楓に似てもっと大きな葉っぱのこれは、トウカエデ?それともフウ?あるいは、モミジバフウ?

動物図鑑と昆虫図鑑を枕に育ったわしは、動物なら大概の名前がわかるんですが、植物はようわかりません。どなたか教えてくだされ。

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京都会館の入り口、二条通のケヤキの街路樹も雄大に紅葉していて、わしはこの眺めが大好きです。


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そして、京都会館西側の壁には、一面に這ったツタが深紅に染まっています。

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下から見上げるとこんな感じ。

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まろやかな東山も手に届くほど近く、ゆったりと秋の散策にはお勧め。もっとも、永観堂とか南禅寺のほうへ、皆さん目の色変えて殺到しておられますがね(^^;)

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琵琶湖疏水の流れもゆるやかで、桜の紅葉を映しています。
花はよく愛でられるけれど、桜の紅葉もしみじみと綺麗ですよ。
虫食いにやられている樹も多いけれど、中にはほんまに鮮やかな紅の桜葉も見られます。

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2006.11.18

黒谷さんの紅葉

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黒谷さんの三門から見下ろすと、境内のそこかしこに、数は多くないけれど見事な紅葉があった。

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三門のほか、方丈の庭園も特別公開されていたのだが、あまり時間がない。
昔ここで見た三重塔のほうが見たかったので、そちらへ向かう。

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八橋検校のお墓があるという塔頭の前に、石蕗が美しかった。

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斜面の広大な墓地の上に、三重塔があった。
清水寺の三重塔、子安の塔、とこの塔の3基が、京都市内にある重要文化財の三重塔だそうだ。

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三重塔の北側へ行くと、会津藩の人々の墓地もある。多くが神式のお墓である。塔の前からは三門にも増して京都の町並みが遥かに望める。ここまで来る人はほとんどいなくて、荘厳な気持ちになるなか、紅葉は一際、目に沁みた。

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金戒光明寺=黒谷さんの三門

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日頃は登らせてもらえない、三門の楼上を見せてもらえるというので、左京区の金戒光明寺、通称黒谷さんへ行ってみた。

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特別拝観というので団体さんも来ていたが、いつもよりはかなり人が多い、というくらいか。

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行列があるほどでもなく、楼門の足元に紅白の幕が張ってあるので、ああここが入り口なんだなとわかる。

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何しろ幕末に会津藩本陣となったここは、幕府方の軍事拠点。楼門はその見張り台となったわけで、やたらといかめしいのである。

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お寺の入り口にある門の付近がもっと城塞っぽくて、石垣などの勾配はお城そのもの。ただしそんなに高くはありません。

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楼の上から見た景色は素晴らしいものだった。
が、写真撮影は一切禁止!
建物の中はともかく、外の景色くらいええやんかと思うが、それを許すときりがないのだろうな・・・
西には御所、南には都ホテルや八坂神社、八坂の塔、南西方向に視界が開けて、平安神宮の鳥居も京都会館も目の下。
黒谷さん、というてもここは谷ではなくて小高い丘である。
じゃあ、なんで黒谷なのかというと、念仏道場としてこのお寺を開いた法然が修行した、比叡山の地名に由来するのだという。

楼内には釈迦三尊像、十六羅漢像がおわしましたほか、天井には墨絵の巨大な龍がおった。なかなかの迫力だが、震えがくるようなほどではない。達者な絵ではあったけれど。
上り下りする梯子のような階段と、楼の上に到着する直前の狭い回廊がとても印象的。物凄い急勾配で、普段の生活では味わえないドキドキ感を満喫できます(^^;)

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2006.11.17

06東福寺紅葉情報4

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11月16日、午前9時40分頃の東福寺です。
前回と光の方向はほぼ正反対、臥雲橋から見ると逆光になり、やはり写真は撮りづらいです。

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逆に通天橋から望むと、光線の具合は良いのではないでしょうか。

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しかし、驚いたことに朝のこんな時間でも、続々と拝観を終えた人々が帰っていく、のです。

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臥雲橋も御覧の混み具合で、写真を撮るのもなかなか難しいほど(汗)

近辺の道路は狭いので大型バスが入れません。それで、東大路に路上駐車するのが、延々智積院のあたりまで並んでおります。
まだ、紅葉見物には早いのに、こないに仰山やってきて、どないしはりますのん!?
と、叫んで回りたいくらいです(苦笑)

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境内に膨らむ人の熱気を放出するかのごとく、いつもは閉まっている臥雲橋北側の門が開いておりました。中から、紅葉の錦が漏れ出でておりました。

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2006.11.14

06東福寺紅葉情報3

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11月14日、午後4時半頃の、東福寺、臥雲橋からの眺めです。
時雨たあとで、空はもう暗くなって、あまり色彩が冴えません。日中陽光の下では、もっと鮮やかなはずです。

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思ったよりも紅葉は進んでいて、部分的にはとても鮮やかで見頃と言って良い樹もあります。

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とりわけ紅く見えたのはこの画面中央から右よりの一本。

4時半といえばもう閉門の時間でしたが、平日なのに驚くほど観光客の団体さんが居て、旗をかざした添乗員に率いられて急ぎ足でバスに向かっていました。
場所によってはかなり色づいているものの、まだ最盛期には程遠い紅葉。ほとんどの方が心を残して、というか残念がって去っていかはったんやろなあ・・・

とにかく、わしが撮影したのは時間帯が遅すぎ、腕も悪くて写真がみすぼらしいです(汗)
よりりんさんの「関西おいしいもの♪」で、11月13日、日中のもっと素晴らしい様子が見れますので、是非そちらを御覧下さい。

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2006.11.13

京都と「作家」 その7 水上勉

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わしにとって、水上勉こそ、京都を描いて最も心に沁みる作家である。
若狭に生まれて、九歳で京都の瑞春院に入り、十一歳で得度し、やがて等持院に移って十八歳まで小僧として修行を続けたのち、二十一歳で東京にでた水上は、
「京都の人びとや京都の風光が私にあたえたものは大きく、大きいというよりは、ふかく根づよいものになってしまっている事に気づいている。(中略)はっきりいえば、京都をはなれて私はあり得なかった。」(立風書房刊「京都花暦」収録の「京の人びと」より 以下も引用はこの本より)
と書いている。
そして、彼の視点は、京都に奉公にやってきた地方人、なのである。
「つまり、京はこのような奉公人といえば古風すぎるが、よそからきて、京の風土に培われている人びとの多い街といえるだろう。」
さらに、こう綴るのである。
「谷崎潤一郎も長田幹彦も、近松秋江も、吉井勇も、川端康成も、大仏次郎も京を描いた。もちろん一級の文学もあった。ところが、これらの作品によく目をすえて、今考えてきたような京の土の深さ、根のつよさみたいなもの、地下茎のようなものが、この古都を息づかせている世界に分け入った作品はというと数少ない。明治以後は、ほとんど旅人の目にうつった世界といえぬはない。」
「それでは私はどうか。問われれば、地下茎を踏んまえた上での物語を好んできた。旅人の目にうつった物語には惹かれなかった。」「『金閣炎上』も『五番町夕霧楼』も『雁の寺』も『西陣の蝶』も、私は、いくらかでも旅窓から降りて、地べたを見つめながら書いたつもりだった。」

よそから来て、京都に根づき、地べたを見つめながら生きる庶民の哀歓。それこそが水上勉の京都を舞台にした小説を貫くものである。
彼の文名を確固たるものにした「雁の寺」を読めば、それは一目瞭然だ。

ある日本画家が襖に雁を描いた京都の禅寺が舞台なのだが、一応設定は架空であり、画家も寺院も名称はすべて実在する名前ではない。しかし、描かれる寺院生活の日常はあくまでもリアルである。その寺の和尚は日本画家の死後、画家の妾を寺に引きとって愛人にする。そして、執拗に描かれるのは、水上の体験を基にした小僧の生活の過酷さ。それは、当時の庶民=奉公人たちが共通に味わった苦しみである。厳しい戒律と屈従を小僧に強いながら、自らは欲望をほしいままにする和尚への小僧の敵意は、ついに惨劇を生む。そして、小僧をさいなむのは和尚ばかりでなく、虚弱な身に軍事教練を強いる中学校であり、その背後にある国家権力でもあった。この小説は、権力を持つものに対する弱者の怨念と反逆の文学といっても過言ではないだろう。
その一方で、和尚の愛人である女性は優しく、ある意味母性の象徴のようにも描かれ、小僧がこの女性に母の面影を見ていることも暗喩される。彼女もまた、八条坊城という京都郊外に生まれ、幼い頃から京都の料亭で奉公人として働かざるを得なかった庶民である。

「愛憎もつれあって、悲しみも喜びも、吸いこんでいる冷たい土壌の街」と京都を語る水上。「雁の寺」も「五番町夕霧楼」も結末は非情で哀切だ。その非情と哀切こそ、京都を最もリアルに体感させてくれると、わしは思うのである。

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2006.11.07

06東福寺紅葉情報2

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2006年11月7日、午後4時30分頃の東福寺です。いつものように臥雲橋から通天橋を見ました。
僅かに紅葉が始まった感じでしょうか。

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日が落ちるのが早くなって、洗玉澗の渓谷は既に夕闇の底。楓はまだどれも青いです。

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東山の稜線につらなる高木の梢が赤く、黄色く染まり始めました。

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今日は木枯らし一番が吹いて、落葉が臥雲橋にも吹き溜まっていました。

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その反対側に、初めて見る不思議な形の自転車が2台。
ヨーロッパの人と見える若いカップル(話してるのは英語ではなく、フランス語?かと聴こえた)が、寝そべるようにこれに乗り、前に突き出した足でペダルを漕いで、ゆっくり、のんびりと東福寺界隈を走っていました。なんだか、漕ぎ始める前に転びそうな形だけど、安定は良いらしい。

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2006.11.04

京都と「作家」 その6 長田幹彦

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さて、「祇園」で思い出される作家は、長田幹彦である。

え?知らないって?
まあ、作家・長田幹彦と言われるとなかなか思い出せないであろう。
この人は、「祇園小唄」の作詞者なのである。

 月は朧に 東山
 霞む夜ごとの かがり火に
 夢もいざよう  紅ざくら
 忍ぶ思いを 振袖に
 祇園恋しや だらりの帯よ

を1番として、4番まであるこの歌、京都というと誰もが思い浮かべる歌の一つであろう。(作曲は佐々木紅華)
実はこの歌は、映画の主題歌であった
それも、長田幹彦が書いた小説を原作とした映画だったのである。
小説のタイトルは「祗園夜話」
映画のタイトルは「絵日傘」
昭和5年に作られたそうである。映画と共に歌は全国に流れ、京都の花街を象徴する歌になった。

何しろ無声映画の時代の作品で、映画はわしは見たことがない。
そして、彼の書いた小説もまた、今では書店ではまず、見る事がない。
しかし、長田幹彦は大正時代の売れっ子作家で、「祗園」「祗園夜話」「祗園情話」など、祇園や舞妓さんを題材にした小説をあまた描き、人気を博したそうである。さらに、歌謡曲の作詞家としてもヒットを飛ばし、大家だったらしい。ついには「新金色夜叉」という自作の映画監督までやったとか。
作詞家としてはなんと、わしの故郷、長野県飯田にも関わっている。
飯田の観光名所:天竜峡には、「天竜舟くだり」という、京都の保津川くだりと同じような舟の遊覧があるのだが、天竜峡と船くだりを宣伝しようと作られた歌「天竜下れば」の作詞者が彼だったのだ。(ちなみに作曲は中山晋平)
こっちの歌が作られたのは昭和8年。芸者・市丸という人が歌って大ヒットしたという。

長田幹彦の小説は、大正12年に6巻の全集、昭和11年にも15+1巻の全集まで出ている。しかし、いまや見つけることすら困難である。京都の図書館で検索してみたら、他の作家と一緒に収録されているアンソロジーで、なんとか代表作くらいは読めそうだ。
それでも、祇園は律儀に彼を顕彰し続けている。
昭和36年に円山公園に「祇園小唄」の石碑が建てられ、平成14年からは11月23日に、「祇園小唄祭」が碑の前で行われるようになった。吉井勇を偲ぶ「かにかくに祭」(11月8日)は、祇園甲部の芸妓さん舞妓さんが献花するが、こっちのほうは五花街が毎年交替で行うのだそうだ。
で、いかにも京都らしい、でも凄いことに、長田幹彦が祇園小唄を作詞した場所である、祇園のお茶屋「吉うた」というお店は、創業100年の今も繁盛しており、お店のホームページまであるのだ。祇園小唄の原文もお店に大切に保存されているとのこと。ちなみに長田幹彦の小説も、こちらのHPで少し読む事が出来る。

小説は忘れ去られたが、祇園小唄は京都の花街と共にこれからもあり続けるだろう。
長田幹彦は、円山公園に石碑が建てられた3年後に他界した。

さて、京都と「作家」としてはこれだけ揚げれば十分であろう。
しかし!長田幹彦という人は、それだけでは済まないのである!
この人、なんと晩年は「心霊」に深く興味を示し、「幽霊インタービュー」「心霊」「心霊五十年」「私の心霊術」などという著作を著し、『超心理現象研究会』なるものを主催して、日本有数の心霊研究家だったというのである。
そちらの方面は、今のところわしの関心と知識範囲の及ぶところではないです(^^;)。

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2006.11.01

「祇園をどり」始まる

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10月31日の夜、バスを乗り継いで祇園に降り立ったら、「祗園をどり」の提灯が飾られていた。

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京都の花街の芸の発表会は春に行われるものが多いが、祇園東だけは秋、11月1日から10日まで行われる。
場所は普段、映画館である「祗園会館」。かつては祇園東の歌舞練場だったそうだ。

公演は毎日、午後1時からと3時半からの二部制だそうだが、芸妓さん舞妓さんが舞台であでやかに踊る雰囲気は、夜のものだろう。わしはまだどの花街の舞台も見たことないんやけど、本だの写真だのの記憶が蓄積して、なんだか見たような錯覚に陥って、「ああ、またこの季節か」などと呟いている(苦笑)

ちなみに、他の花街の芸の舞台は
祗園甲部」が4月1日から30日まで「都をどり」を祇園甲部歌舞練場で。
先斗町」が5月1日から24日まで「鴨川をどり」を先斗町歌舞練場で。
宮川町」が4月8日から22日まで「京おどり」を宮川町歌舞練場で。
上七軒」が4月15日から25日まで「「北野をどり」を上七軒の歌舞練場で。

宮川町の京おどりだけが、「をどり」でなく「おどり」と書く。なぜだか知らないけど。

それにしても、この写真だけだと祇園会館、いかにも花街の歌舞練場という風格だけれど、実はこの華やかな入り口の横には、無粋な清涼飲料自動販売機が壁のごとく並んで、雰囲気をぶち壊しているのである(涙)
なんとかなりまへんか・・・

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