« 2006年9月 | トップページ | 2006年11月 »

2006.10.28

「ねじりまんぽ」という奇妙な空間

Nejirimanpo

左京区の南禅寺や都ホテルの近く、「蹴上」というなんやら物騒な地名の場所に、この「ねじりまんぽ」という奇妙な物件がある。
琵琶湖疏水の「インクライン」は、春には桜の名所であるが、この「ねじりまんぽ」はその傾斜軌道の下をくぐるトンネルなのである。

「ねじりまんぽ」とは、煉瓦をねじって積んで作る、アーチ構造のことで、この場合、インクラインと下をくぐるトンネルが直角に交わっていないため、下から少しずつ斜めにずらして煉瓦を積んで行き、トンネル最上部でインクラインと煉瓦が直交するようにして上からの重さを支える工法らしい。

で、国内に現存が確認されているねじりまんぽは25箇所くらいあるらしいのだが、この琵琶湖疏水インクライン下に設けられた一か所以外は、すべて鉄道関係の構造物だそうだ。

単なるトンネルと思って、昔は気にも留めずに通っていたのだが、この「ねじりまんぽ」という名前を案内板で見つけてから、「へえ~」と思った。とりわけ、夜に覗くと不思議な感覚に陥る。
ここを抜けたら、時空を超えたりして・・・などと想像してしまうのは、大昔「タイムトンネル」というテレビのSF番組を見ていた名残かな(笑)。

| | コメント (13) | トラックバック (1)

2006.10.27

京都国立博物館で特別展「京焼」を見た

Kyoyaki_0151
東山七条の京都国立博物館で、11月26日までやっている特別展覧会「京焼 みやこの意匠と技」を見に行った。

もともと清水焼には興味があって、知り合いにもふたり陶芸家がいたし、今までに幾つか清水焼にまつわる小説も書いているのである(まだ日の目を見てませんけど・涙)。
そして、京都検定1級再挑戦の勉強にもと、京都の焼き物=京焼の精華を一挙に見れるこの展覧会は、気合を入れて見に行った。場当たり的なわしにしては稀有なことに、生協の共同購入で前売り券を手に入れるという周到さ(笑)。

Kyoyaki_0111
この博物館、建物自体が重要文化財で、見どころ満載なのであるが、それはまた別の機会に。

わしとしては初めて、京焼を系統的に学ぶことの出来た展覧会。
創始者にして最高の出来である、野々村仁清の色絵陶器が山ほど観れて、実に目の保養であり、大満足。
16世紀から大正時代に至るまでの全部で300点近くの陶器が陳列されているのである。
やきものとしては、歴史が浅いのに、その「意匠と技」で高い地位を築き、流行をリードしてきた京都のやきもの。大変勉強になりましたが、一日では消化不足でした(@@げっぷ)。

Kyoyaki_0141
観終えて、西の空を仰ぐと、秋空に雲が美しかった。

| | コメント (5) | トラックバック (1)

2006.10.25

06東福寺紅葉情報1

061025_0021
去年(05)ほど頻繁には行けませんが、今年も東福寺の紅葉の様子を順次掲載しようと思います。
写真は10月24日午後4時、臥雲橋から、通天橋を見たもの。
雨がぽつぽつ降り出す直前の曇り空で、色彩感乏しいですが、御覧のようにほとんど紅葉は見られません。

061025_0051
橋の下の渓谷「洗玉澗」に、2000本のカエデがあり、紅葉見物の中心となるわけですが、まだ緑の谷間です。

☆東福寺含めて、過去の紅葉の記事は新たに「京都の紅葉」というカテゴリーを作ってまとめてみました。紅葉見物の参考にしてください。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2006.10.19

教師による「いじめ」

自殺した中学生が、教師による「いじめ」に遭っていた事が発覚してニュース、ワイドショーに連日取り上げられている。

「あってはならない」なんて言うてるが、んなもん、わしかて体験したぞ(怒)

中学時代、体育・保健・社会などを担当していた○○先生、あんたはわしが、あんたの知識の間違いを指摘して以来、ねちねちねちねちねちねち・・・と連日苛めてくださいましたねえ
わしが風邪で数日休んで登校したら、あんた、みんなの前でなんて言うたか覚えてます?
「どうせ蒲団の中で、マスターベーションばっかしとったんだろ?」
そんなあんたが、のちに校長になったと聞きましたが、一度訪ねて行きたかったと今も思います。とっくに定年やろけど。

小学校、高校、大学でも、いじめは体験したり目撃した。
そして、
いじめたほうのヤツで教師になってるのも何人もいる。

小学校の修学旅行で、皆からつまはじきにされ、寝る場所すらなかったある少年が、必死に級長の少年の足元に寝場所を作った。級長の○井くん、あんたは彼を一晩中ず~~~っと蹴飛ばしてたね。わしはクラスが違ってたが隣の部屋から、よく見えたんだ。見てただけだったのが今もトラウマだよ。

高校の同級で、ラグビー部の精鋭だった○生くん。あんたにいじめられた級友は何人も居る。わしには連日「本読み小僧」と歯をむき出して威嚇してくれたな。文化祭のファイアーストームでいきなりわしの脚を払って泥の中に転がしてくれた。でもわしなんぞマシな方だったらしい。ラグビー部で毎日いじめられてた少年は、さぞかし今でもあんたを・・・

大学で同じクラスになり、オリエンテーションで隣に座ったら
「うっとうしいから、あっちへ行け」
といきなり言うてくれた中○くん。
その後もわしがよっぽどうっとうしかったらしく、わしがクラスで孤立する策動を嬉々として進めてくだはりました。

あんたら三人、みんな教師になり、今も先生やっとるはずやけど、いじめる側の気持ちは手に取るようにわかるやろな。
どんな教育をしてはんのか、実にまったく、授業参観に行きたいと、うずうずしてんのや、こっちは(哄笑)。

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2006.10.17

久しぶりにゆっくり飲んだ

0610nomi_0211
友人からしばらくぶりに「飲まへんか?」とメールが来たので、日曜の夜に出かけた。

0610nomi_0201
洛中で飲むのは随分久しぶりである。高瀬川に沿って、御池通をあがった上木屋町に赴き、路地の奥深くに入り口のある「左近太郎」という創作料理屋に上がった。

0610nomi_0111
昔は料理旅館だったという落ち着いた建物はまったく和の雰囲気であるが、料理は和洋折衷のモダンな感覚が溢れている。鯛の松皮造りにトマトベースのソースを掛けたカルパッチョ風のもの。友人は「わさび醤油で食いてえ」と呟いたが、わしには香草の載ったこれも美味しかった。

0610nomi_0131
素材にシチュー様のモノを掛ける料理手法を「ブランケット」というそうだが、鴨ロールにホワイトシチューを掛けたのがこれ。シチューに合うフランスパンもちょっぴり添えてある。腹の減っていたわしらは健啖にたいらげ、ビールが進む。


0610nomi_0141
子牛肉とフォアグラのソテーは全く洋風だったかな。これもソースが美味しかった。

0610nomi_0151
ビールに飽きて、日本酒を頼んだ。「お銚子ですか?枡ですか?」と訊くので、枡の方を頼むと、枡にグラスを立てて、なみなみと壜から注いでくれた。隣席の若い女の子たちが目を輝かせて「それ、いいなあ!」と言うてくれた(^^)

0610nomi_0181
松茸御飯がコースの締めだったのだが、飲み足りないわしらは、もち豚の味噌焼きと、漬物の盛り合わせを注文。漬物はいかにも「KYOTO風」に美しく盛られていた。

0610nomi_0271
雰囲気と味には満足したが、やっぱ量が(苦笑)・・・のわしらは、このあと、お気に入りのペールエールを飲ませてくれる暗い小さな店にもぐりこんだ。のだが・・・未だにこの店の名前、覚えてないのである(苦笑)

とりあえず元気で、美味しいものを食べられ、酒が飲めることの幸せを、友人とじっくり味わった夜。

| | コメント (9) | トラックバック (0)

2006.10.15

京都と「作家」 その5 瀬戸内寂聴

0610hajime_0251


京都と関わりのある作家として、避けて通れない存在であるが、できればわしとしては避けて通りたかったのが(苦笑)、瀬戸内寂聴である。

この人の京都との関わりは半端ではない。京都を舞台にした著作も非常に多いし、何より現在、京都に住んでおられるのである。
その嵯峨野の寂庵を、わしはお邪魔したことはない。それよりなにより、わしはこの人の作品を、自分から進んで読もうと思った事がない(汗)。

この人の文章は実に巧みであり、京都の描写も通り一遍でない優れものである。京都の風物が単なる背景でなく、登場人物の心象を描くものになっていて、実に味わい深い。
京都を知るためのガイドブックとして読む小説ならば、この人のものが随一、と薦めるにやぶさかでない。

しかし、瀬戸内作品は、徹底して、「女性のための作品」だと、感じるのである。ほとんどすべてが女性を主人公としており、大なり小なり彼女らは、瀬戸内自身が投影されているのであろう。
「愛の絵巻」と称される事が多いが、愛欲の遍歴を綴る作品がほとんどである。そのあたりが、純情なわしには刺激が強すぎて(爆)。

それにしても、瀬戸内作品は京都を隈なく、しかも深く描きつくしており、これから京都を描くには、「二番煎じ」を注意しなければならない。
「女徳」「煩悩夢幻」「京まんだら」「「幻花」「祇園の男」「比叡」「愛の時代」などは、京都を舞台とした小説として見逃せない作品であろうし、「色と欲に徹した男の業を描く」という「色徳」などは、わしが是非読まねばならぬ作品か(笑)。
「古都旅情」「寂聴古寺巡礼」という、タイトルからして京都案内的著作もあり、この人のパワフルな著作(そして風貌と言動)に接すると、「う~~、とてもかなわへん」と、後進のモノ書きとしてはびびるのである。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006.10.12

京都と「作家」 その4 赤江瀑

Sakon1

作家の中には、既存のジャンルに当てはまらない、その人にしか書けない独自の分野で読者を魅了しているオンリーワンの存在がいる。
京都に関わる作家のうち、赤江瀑(あかえ ばく)がそれに当たると思う。

わしが赤江作品を最初に読んだのは、前にも触れた「京都ミステリー傑作選」(河出文庫・昭和60年初版)というアンソロジーに入っていた、「京の毒・陶の変」という短編である。
ほかには山村美紗、阿刀田高、小林久三、和久峻三といった作家が書いている中、わしには赤江作品が最も濃密に京都の雰囲気を描いていると思われ、最高に魅力的であった。
この作品、ミステリー傑作選に入っていると言うても、トリックも推理もない。清水焼の家に生まれた若き陶芸家が、陶芸の道に苦悩する中で京都の魔的な部分に囚われ、ついに破滅していくのを描いた短編である。
陶芸に関する深い造詣、湿度さえ感じさせる濃密な京都の風物描写、華麗にして艶な文体、衝撃的な展開、もうまったく、「こういう京都の小説を探していたんだ!」と、わしは叫んで、赤江の虜になったのだった。

しかしながら、赤江は余りメジャーな存在とは言いがたい。熱狂的ファンがついているユニークな存在というところだろうか。
この人は、1933年に下関に生まれ、今もそこに住んでいるらしい。
シナリオライターとして活躍したのち、1970年に「ニジンスキーの手」で第15回小説現代新人賞を受賞したのが作家としてのデビューである。
その後、第1回角川小説賞、第12回泉鏡花賞を受賞し、2度にわたって直木賞候補となっている。
刊行された本は80冊以上に及ぶが、京都を舞台にした作品がかなりの比重を占める。京都出身でも在住でもないのが不思議なほどに、京都の真髄を抉り出し、京言葉を縦横に駆使し、まさに「京の毒と魅惑」を味わわせてくれるのだ。
立風書房発行の「京都小説集 その壱 風幻」と「京都小説集 その弐 夢跡」に、京都を舞台にした作品が集められているが、ここに収められた作品の題名を目にするだけでも、なんとなく作風がわかるであろう。

「禽獣の門 花夜叉殺し 虹色の翅の闇 花曝れ首 殺し蜜狂い蜜 獣林寺妖変 雪華葬刺し 夜の藤十郎 罪喰い 阿修羅花伝・・・」

耽美、幻妖、伝奇などと形容されるが、それだけでくくりきれない赤江作品の魅力は、こうした紹介ではなかなか伝えにくい。どうぞ一度読んでみてください。

ただし、現在も創作活動を続けている赤江だが、過去の作品を入手するのはなかなか困難である。「京都小説集」もわしは図書館で借りて読んでいるのだ(涙)。
新作歌舞伎の脚本も書いているほど、古典と伝統芸術に詳しく、絢爛たる文章の書ける赤江。彼のような作品を書きたいと思うわしの願いは、身の程知らずだろうか?だろうなあ(嘆息)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.10.06

京都と「作家」 その3 山村美紗

Umesakura_0011_1

京都を舞台に数多くの作品を書いたということでは、谷崎も川端も遠く及ばず、おそらくは空前絶後であろうと思われる作家がいる。

推理作家・山村美紗である。

彼女こそ、京都で活躍し、京都で生涯を終えた作家の代表と言うことも出来よう。多くの作品が映像化されて広範に鑑賞されたという点でも群を抜く存在だ。

しかし、彼女は最初のうち「京都」を売り物にしていなかったようである。「日本のアガサクリスティ」が彼女の初めのニックネームであり、「女流の本格推理」で勝負していたのだ。
わしの手元にある『京都殺人地図』(徳間書店)という初期の短編集では、舞台になるのは伏見桃山とか長岡京とか、観光スポットと縁のない土地であり、登場人物も主人公の女検視官を除けば地味な一般人ばかりだ。当時彼女は宇治に住んでいて、土地勘のあるところを地道に描いていたのであろう。

ところがやがて、彼女の作品の中では、祗園祭りの鉾が暴走して犯人をひき殺したり、和服美女が八坂神社で矢を突き立てられたりという、絢爛たる展開が売り物になっていく。まさにそれは絵になる場面を要求するテレビドラマにうってつけで、山村美紗ミステリー・サスペンスは2時間ドラマの定番となった。(これを書いている今日の夜も「赤い霊柩車シリーズ」の21作目がオンエアされるのだ。)
彼女自身も住処を東山の豪邸に移し、華やかなドレスを身にまとった姿で、「サスペンスの女王」としてマスコミの寵児となっていった。

夥しいその作品で、京都を殺人の舞台としてきた彼女であるが、その華麗なイメージと裏腹に、彼女の文章は実はちっとも絢爛としていない。抑制が効いているというか、素っ気無いというか、淡々と経過を綴る冷徹なタッチである。
やはり彼女の真髄は巧緻なトリックで読者を唸らせる「推理」にあって、京都の文物や魅力を語るのは添え物でしかなかったのだと思う。彼女の描く京都は紋切り型であり、薄っぺらい印象を抱かせるのだが、これは仕方のないことだろう。
彼女の作品は、あらかじめ読者の抱く「京都らしさ」に迎合して描かれた。改めて京都の魅力を日本中に宣伝した功績は多大であるが、極力血なまぐささ、陰惨さを排除して描かれた死体を京都中に転がしたことで、それらのスポットのイメージが安直になってしまったのは否めない。
恐らく本人もそれは気になっていたのだと思う。『京都ミステリー傑作選』(河出文庫)というアンソロジーの序文に彼女は
「観光客の多くは、ロマンチックな恋の物語で知られる嵯峨野の寺々や、桜、紅葉などの美しい風景、可愛い舞妓さんに代表される華やかな京都しか見て行かない。しかし、観光客の何気なく踏んでいく石の下には、歴史の流れの中で、無念の死を遂げた人たちの屍やどくろ、そして、血や怨念があるのだ。」
と書いている。
しかし、ついに彼女はそうした陰惨さや怨念を描くことはなかった。華やかな舞台と常識的な動機で語られる、安心して読める作品が膨大に残された。
超人的ペースで書き続け、急逝した彼女は、それをどう思っていただろうか。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2006.10.05

京都と「作家」 その2 梶井基次郎

Rojiura_008

セレブな文豪と対極的なアプローチで、京都を題材にした作家の代表は、「檸檬」の梶井基次郎だろう。
(念のためですが、「檸檬」は「レモン」と読みます。)

では、「檸檬」とはどんな小説か?とりあえずまとめると・・・

学業を放擲し、肺を病み、「見すぼらしくて美しいもの」に惹きつけられて京都の街を放浪する学生。寺町二条の果物屋の店先に輝いていたレモンに魅せられて一個買い、河原町の書店「丸善」に行って、画集を広げて積み重ね、ゴチャゴチャな色彩の上にレモンを置いて出てくる。
「丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛て来た奇怪な悪漢が私で、もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなに面白いだろう。」と夢想しながら。

なんというかまあ、生活が乱れきって、刹那的になってしまったお兄さんの独りよがりの妄想なのだけれど、テロが日常化した現代では、あんまりシャレにならんかもしれないなあ。(苦笑)
わしも二十代、いろいろ挫折しては引きこもりみたいになった時期があって、鬱屈した気分は体験した。また、うらぶれた裏通りの方に惹きつけられる感性は共感できる。しかし、「だからどうやちゅうねん?」という読後感ではある。

なのにどういうわけかこの作品は「青春の憂愁」を象徴する名作、みたいに讃えられていて、主人公がレモンを買ったと目される寺町二条の「八百卯」には、その説明を記したレモンが今に至るもずっと陳列販売されている。そして先頃店を閉じてしまった河原町蛸薬師の「丸善」も名作ゆかりの店として名を売り続けた。確か閉店のときも店内の本の上にはレモンがごろごろしてたはずである。

それでは、梶井はそんなに京都に深く関係しておったのか?

彼は、1901年(明治34)に大阪で生まれ、サラリーマンの父の転勤に伴い、東京、三重県鳥羽と引っ越しつつ育ち、1919年(大正8)に第三高等学校に入学。これは現在の京都大学教養課程にあたるもので、本来3年で卒業のはずが、彼は2回落第して、5年間過ごした。1924年(大正13)には東京帝国大学英吉利文学科に入学して、なんの未練もなく東京へ行くのだ。「檸檬」が発表されたのは東京で始めた同人雑誌「青空」の創刊号である。以後、この同人雑誌に次々と書き、これが休刊となっても他の同人雑誌に書き続けた梶井だが、京都時代から患っていた肺結核が悪化。1931年(昭和6)に創作集「檸檬」が発行されたものの、翌1932年(昭和7)に、31歳の若さで世を去る。

わしの手元にある梶井の本は、「檸檬」(新潮文庫 昭和56年発行 第28刷)であるが、これには20の短編小説が収められている。
京都を舞台にしている作品は、「檸檬」と「ある心の風景」の2作だけなのは、ちょっと驚いた。
「ある心の風景」のほうも、京都の街の描写がかなりあり、夜更けに四条通や新京極を、赤や青の七宝に飾られ、「美しく枯れた音」のする朝鮮の鈴を腰に下げて歩く主人公は印象的だ。でも「街では苦しい」と何度も呟く彼の憂愁の源は「娼婦に移された悪い病気」である。これではやはり、「京都が売り物にする名作」とはなり得まい(苦笑)

梶井の京都での生活は三高生としての5年間であるが、新潮文庫の解説によれば、実に乱暴で「頽廃的」だったということになる。
琵琶湖疏水で仲間と夜中に泳いで震えあがり、寒さしのぎに酒を飲んだ勢いで売春宿に行ったのが始まりで「甘栗屋の鍋に牛肉を投げ込んだり、中華蕎麦の屋台をひっくり返したり、借金の重なった下宿から逃亡したり、自殺を企てたり・・・」「京都で少しは顔の売れていた『兵隊竹』という無頼漢に左の頬をビール瓶でなぐられたり」したそうである。既に肺の病があったのに、そんなことを繰り返しておれば命を縮めるのは当然であろう。
しかし、誰しも青春の日々にはやりきれぬ憂悶があり、破壊、あるいは破戒の衝動を覚えるものである。それを正直に突っ走った梶井に、当時の読者たちには共感と憧憬があったのであろうか。

梶井が居た頃、寺町通りはけっしてみすぼらしい裏通りなどではなかった。むしろ華々しい表通りだったはずである。しかし今、寺町通りは明らかに「表」ではない静けさのなか、不思議に情緒溢れる雰囲気がある。その一端に、「檸檬」のイメージがあるのは、確かだろう。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2006.10.04

京都と「作家」 その1 いわゆる文豪

Gionya_002

「京都在住 小説家 作家」
という検索ワードでググってみたら、わしんとこの、このblogが第1位で出てきて、思わず「げっ?!」とのけぞってしまった。(苦笑)

過去に名を残している作家で、京都に住み続け、京都で亡くなったという人は、わしの知る限り 吉井勇くらいである。祇園の白川のほとりに「かにかくに」の石碑があり、毎年11月8日には、祇園甲部の芸妓さん舞妓さんが花を手向けて舞を奉納する。祇園を愛し、祇園に愛されて昭和35年に肺ガンにより、京大病院で死去。
しかしこの人は歌人であり、都をどりの歌詞なども書き、また戯曲も手がけているようだが、小説は残されていないようである。

ほかに、京都に関わる著名な作家といえば、谷崎潤一郎と川端康成が双璧だろう。

谷崎は昭和20年に京都にやってきて、まず寺町今出川上ルに間借りし、続いて「永観堂の西二丁若王子みち白川の岸」に居を構え、さらに下鴨の糺の森東側にある邸宅に移る。この屋敷は今も谷崎が暮らしていた頃のままに残り、先頃、一般公開もされたというニュースをきいた。池泉回遊式庭園が美しく、御殿風の建物があるという豪邸である。
ここがとても気に入って、作家活動も旺盛だった谷崎であるが、夏の暑さ、冬の寒さに耐えかねて昭和31年に熱海に転居したそうだ。

川端は谷崎以上に京都の名所旧跡を作品の舞台に使っている印象があるが、京都に住んだことはない。中京の老舗旅館「柊屋」と、三条蹴上の「都ホテル」(現・ウェスティン都ホテル京都)が定宿であった。
ちなみに柊屋旅館は現在、1泊2食付で30000円から80000円と、HPに出ている。

これらを見る限り、京都は筆名を揚げた文豪が、セレブな楽しみを味わう街だった。
谷崎など「私は三日に一度は美食をしないと仕事が手に付かない」と言い、川端の書いた色紙や掛け軸は、市内の一流どころの料亭、割烹には山と残っているようである。
彼らの小説に、今熊野商店街をうろつき、タコヤキを子供と分け合って食うような描写は間違っても出てこない(笑)。
祇園の御茶屋で舞妓さんを揚げて遊び、超高級料亭で京料理の粋を味わい、柊屋だの俵屋だの都ホテルだのを定宿にする・・・それは素晴らしいことである。
しかし、望んでできることではない。このどれ一つとっても、自腹で出来ますか?

わしは、そんな特権階級とはほぼ、無縁である。
そんなわしが、ここでどんな小説を書けるのか。精一杯あがいてみようと思う。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2006.10.01

京都人気取りのよそさん

京都にいると、どうでも、「よそさん」であることを思い知らされてびびって控えめに生活し続けているわしである。(嘘つけ・笑)
しかし、「よそさん」でありながら、京都人以上に京都らしい生活を謳歌満喫し、それをエッセイなどに書きながら華々しく活躍なさっているお方もいる。
わしなど、到底真似はできないので嫉妬するばかりだが、こういうお方を、京都原住民の方々はどう思っておられるのか、興味があった。
ただ、京都生まれ京都育ちの人の多くは、自分らの街を余り語りたがらないような気がする。考えてみれば、慣れ親しんだものよりも異風のもの、自分にとって目新しいもののほうが情熱を持って表現しやすいのではないだろうか。
だからこそ、わしなども熱意込めて京都のことを書き綴っているのだろう。
そして、そんな「よそさん」をどう思っているのか、本音を明かさぬ京都の人から聞くのは難しい。

そんな中で、入江敦彦さんという京都人は、英国に惹かれ、現在はかの国で生活しておられるが、同時に「京都人だけが知っている」シリーズはじめ、本音の京都案内で、わしの目を大いに開いてくれている。
その著作を片っ端から読んでいるうち、今読んでいる「KYOのお言葉」(発行・マガジンハウス)のなかで、ついに痛快な一節に出くわした。

「京都で育った者はあまり他人を羨ましがらない。羨望は品のない行為だ、己(の利害)に関係ないことはドーでもいいことだと親に叩き込まれるからだ。よそさんが京都人気取りでキモノ着て町家に住んで自分の特別扱いをひけらかそうと歯牙にもかけない。

なるほど!わしが、かの「キモノ着て町家に住んで」活躍されておるよそさんに感じた反発は、嫉妬だけではなかったのだ。
「自分の特別扱いをひけらかしている」姿勢にあったんだなあ。

大阪に行ったりすると、こんなわしでも京都人扱いを受けたりする。「さすが京都人は、京都時間で、約束の時間にルーズやなあ」などと、大体はマイナスイメージなんだけどさ(大苦笑)
まあ、まちがってもわしは京都人気取りなどは出来ないが「自分だけが京都のこんな穴場を知ってるんだ」などと思いあがらぬように気をつけようっと。

| | コメント (10) | トラックバック (0)

« 2006年9月 | トップページ | 2006年11月 »