光明院 波心の庭

さて、過日、枯山水が水浸しになっていて驚かされたお寺は、東福寺の塔頭のひとつ・光明院(こうみょういん)です。東福寺本坊から少し南へ下がり、東山山麓を背にしています。

とにかく、枯池のはずが、連日降り止まない雨のおかげで本物の池となっており、不思議な趣があって見とれてしまいました。

この日、門に足を踏み入れてから辞去するまで、境内では誰にも会うことがなかったのです。拝観料を受け取る人もおらず、玄関に太い竹筒があって、志(こころざし)を入れるようにと書かれてあっただけ。それでも、隅々まで掃除が行き届き、手入れも行き届いた寺院でした。

「波心(はしん)の庭」は、1934年に、鬼才・重森三玲によって築かれたもの。庭園、生花に革新的手法を導き、今もなお多大な影響を及ぼし続ける彼については、また改めて論述したいと思います。東福寺やその塔頭には、彼の手による庭園がたくさんあり、ここもそのひとつ。

波心、という言葉はどのような意味を含んでいるのでしょう。
この日、白砂で描かれた波紋の上に、澄んだ水が波打ち、雨粒がさらに波紋を広げて、玄妙な味わいでした。
わしにとっては、波立つ心を静めてくれるような効果があったかな・・・

枯山水としてはわりと広い庭だと思いますが、所狭しと石が立てられていて、最初は目障りなほど異様に感じられたものです。しかし、考え抜かれて配置された効果のためか、次第に目に馴染んできて、背後のサツキやツツジのうねるような大胆な刈り込みとあわせ、重森三玲が目指したという「永遠のモダン」の香気が感じられたような気がしました。

大胆かつモダンに絵画的手法を盛り込んだというのが、一口に言ってしまえば重森三玲らしさだと思いますが、石の立て方には伝統的な手法をとちゃんと踏まえています。この写真のように、三つの石を中央を阿弥陀如来、左右を両脇侍と見立てる「三尊石(いわ)組み」が要所を引き締めていました。
なにしろ、重森三玲は全国の古庭園四百余りのスケッチ・実測・製図・写真撮影・文献筆写および調査を史上初めて手がけ、二・三人の助手を連れただけで僅か3年ほどで成し遂げたという驚異の人なのです。
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