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2006.07.26

光明院 波心の庭

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さて、過日、枯山水が水浸しになっていて驚かされたお寺は、東福寺の塔頭のひとつ・光明院(こうみょういん)です。東福寺本坊から少し南へ下がり、東山山麓を背にしています。

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とにかく、枯池のはずが、連日降り止まない雨のおかげで本物の池となっており、不思議な趣があって見とれてしまいました。

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この日、門に足を踏み入れてから辞去するまで、境内では誰にも会うことがなかったのです。拝観料を受け取る人もおらず、玄関に太い竹筒があって、志(こころざし)を入れるようにと書かれてあっただけ。それでも、隅々まで掃除が行き届き、手入れも行き届いた寺院でした。

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「波心(はしん)の庭」は、1934年に、鬼才・重森三玲によって築かれたもの。庭園、生花に革新的手法を導き、今もなお多大な影響を及ぼし続ける彼については、また改めて論述したいと思います。東福寺やその塔頭には、彼の手による庭園がたくさんあり、ここもそのひとつ。

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波心、という言葉はどのような意味を含んでいるのでしょう。
この日、白砂で描かれた波紋の上に、澄んだ水が波打ち、雨粒がさらに波紋を広げて、玄妙な味わいでした。
わしにとっては、波立つ心を静めてくれるような効果があったかな・・・

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枯山水としてはわりと広い庭だと思いますが、所狭しと石が立てられていて、最初は目障りなほど異様に感じられたものです。しかし、考え抜かれて配置された効果のためか、次第に目に馴染んできて、背後のサツキやツツジのうねるような大胆な刈り込みとあわせ、重森三玲が目指したという「永遠のモダン」の香気が感じられたような気がしました。

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大胆かつモダンに絵画的手法を盛り込んだというのが、一口に言ってしまえば重森三玲らしさだと思いますが、石の立て方には伝統的な手法をとちゃんと踏まえています。この写真のように、三つの石を中央を阿弥陀如来、左右を両脇侍と見立てる「三尊石(いわ)組み」が要所を引き締めていました。
なにしろ、重森三玲は全国の古庭園四百余りのスケッチ・実測・製図・写真撮影・文献筆写および調査を史上初めて手がけ、二・三人の助手を連れただけで僅か3年ほどで成し遂げたという驚異の人なのです。

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2006.07.24

「祇園祭」か「祗園祭」か?

ずっと、わし、「祇園祭」と打ち出していて、疑わなかったのだが、この「祇」という文字。
今日「京都民報」という週刊新聞に連載している「漢字の落し文」というコラムで、日本語教育研究所副所長の佐藤一男さんが書いているのを読んでびっくりした。

古くから使われてきたのは「示」(しめすへん)に、「氏」と書く字であり、これが常用漢字の正字体であるそうだ。

「祇」は簡易慣用字体というもので、これはJIS漢字による表記混乱の結果なのだという。
そして、ワープロで打ち出そうと思うと、正字体はJIS漢字に入ってないので打てないのである!(怒)

「祗園祭」とは打ち出せるのだが、この「祗」は、「シ」と読み、意味も違うのである。
ゆえに、「祇園祭」も「祗園祭」もともに間違っているのだ!

なんちゅうこっちゃ、悲しいがな、正しい文字も打てへんなんて・・・

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2006.07.22

枯山水も水浸し

余りにも陰鬱な天気が続いて、家に閉じこもっているのも気分が塞ぎまくるので
清らかで峻厳な禅寺の枯山水でも見ようと出かけた。

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ひと気のない、全くわし一人の空間を満喫できたのだが、庭を見て妙な違和感を感じた・・・
・・・「池がある!」

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連日の大雨で、白砂で描いた抽象の波紋の上に、本物の水が溜まってしまっているのである!
唖然として見続けるうち、小止みだった雨はまた激しくなり、枯山水の中の異様な池はさらに波紋に覆われるのであった。

☆さて、この庭はどこの寺院でしょう・・・詳しくは改めて、レポートします。

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2006.07.21

雨の中で

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降り続く雨の中
杉苔の緑は鮮やかにして目に優しい
心の疲れも汚れも落としてくれそうなほど

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2006.07.17

随想・祇園祭 その六

祭囃子遠く

今年の祇園祭、わしは、宵山も行かなかったし、巡行も見に行かずに終わりそうである。
うねる人の波、揺れる駒形提灯、夢幻の音楽のように響く祇園囃子、あの熱気と高揚と、路地裏の闇の懐かしさを味わうのは、年に一度の大いなる喜びだから、本当に残念だ。

祭りの魂は変わることなく受け継がれていると思うけれど、
失われて戻ってこないものもあるのは確かだ。

山・鉾の立ち並ぶのは東は烏丸通、西は油小路通
北は姉小路から、南は高辻通。
それらの中で一番、山・鉾が多く建てられて並ぶのは、烏丸通の一本西側、室町通である。
「室町」と京都で言えば、呉服関係の旦那衆のまちである。
問屋が立ち並んで、長く京都経済の中心、栄華の象徴というべきお金持ちのまちであった。
政治を動かすのも、花街で散財するのも、文化を担うのも、ここの旦那衆だったのである。
宵山の屏風祭りに、秘蔵の屏風絵や陶磁器やらの美術品を飾るのも、そうだった。
その繁栄は、わしの聞く限り、衰退の一途である。

山や鉾や、幾多の神事は、必死の努力で伝えられてきている。
けれど、かつて、わしの目を楽しませてくれた屏風祭りの商家の幾軒が、あのままに生き残っているのだろう。

山科でも、今日は、宵山を楽しみに行く娘さんたちの浴衣姿が目に付いた。
素材も着こなしも、わしの目には珍奇に映る浴衣が多かった。
「室町」の流通ではないキモノなのかもしれない。
いや、おそらくほとんどが、そうなのにちがいない。
祭りは、「ハレ」の一瞬であるが、それを担うのは日々営々と生きている地元の人間である。
いまの祇園祭を担っている人々は、どんなだろう・・・と思う。

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2006.07.14

行って来ました

しばらく書き込みが出来ませんでしたが、
まず、モデムが壊れまして、インターネットが出来なくなりました。
そして、交換のモデムが届く前に、故郷に帰省しなくてはならなくなり、留守にしておったのです。
本日13日、無事に戻ってきまして、留守中に嫁さんがちゃんとモデムを交換し、復旧してくれていたので、ここに久しぶりに記事をアップします。

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故郷の長野県飯田市も蒸し暑かったです。リンゴをイメージしたJR飯田駅で、久しぶりに電車に乗りました。
乗客のほとんど全部が高校生で、なんかくすぐたったくも懐かしかったです。
制服の着こなしなど、もう都会と差はないけれど、少年少女たちの雰囲気はあんまりわしらの頃と変わりなかったような・・・

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飯田の象徴というべき風越山(ふうえつざん)も、ずっと山頂は雲に隠れていました。
毎日、夕立のような短時間の雨がありましたよ。

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忙しくて、観光などする余裕はなかったけれど、親戚のおばさんが名物・五平餅を届けてくれたので喜んで頂きました。飯田の伝統的な形はこの、円盤を複数串に刺すもので、わらじ型はよそが起源のようです。

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京都に戻ってみると、駅の売店の缶ビールにも、鉾の絵柄。祇園祭のさなかでしたね。

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