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2006.04.30

京都大仏殿跡

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東山の京都国立博物館、ここの西側の通り、大和大路通りを北上すると、博物館に隣接して豊国神社、方広寺があるが、この神社、お寺を囲んで巨大な石で積まれた石垣がある。その石垣に、八重桜が咲き誇っていた。

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一本だけであるが、艶やかに花開いているその背景は、豊臣秀吉が日本最大の寺を作ろうと築いた、方広寺大仏殿の遺跡である。

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石垣は高さはあまりないのだが、使われている石はどれもすこぶる巨石で、かなりの距離続いているので異様に目立つ。

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八重桜の近くに、「大佛殿石垣」と刻まれた標柱があった。

秀吉がここに大仏殿を築きはじめたのは1588年で、1595年にとりあえず完成するが、この大仏は難儀に遭い続けた。完成間もない大地震で、急造の張りぼてだった大仏は倒壊し、それならちゃんと銅で作りなおそうと鋳造する途中、1602年に失火で大仏殿は焼失。それでも秀吉の息子・秀頼が再建にとりかかり、1612年に第二次大仏殿が出来上がる。しかしその二年後、この大仏殿=方広寺の鐘に刻まれた銘が、徳川を呪うものだと家康が言いがかりを付け、大阪の陣に至って豊臣家は滅亡してしまうのだ。

覇権を握った徳川家は、秀吉の墓である豊国廟を荒廃させるが、大仏殿は生き残り、江戸時代には京都の名所のひとつとして人気を博す。しかしながら、1798年、落雷によりこの大仏殿も失われたのである。その後、天保年間に、旧大仏の10分の1の木造半身像が作られたそうだが、1973年に再び火災に遭ってついに大仏は跡形もなくなった。

それでも、ほんの30年ほど前までは、「大仏」がここに在ったのだ。いまだにここから程近い本町通正面上ルの郵便局は「大仏前局」と名乗る。その正面通も、大仏の正面の道だったからその名前なのだ。

栄華の跡に咲く桜。京都の春の終わりにふさわしい風景の一つではないか。

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コメント

小生が下宿していた「千本釈迦堂」には大仏ならぬ、巨大なおかめ像がありました。

投稿: takebow | 2006.04.30 17:02

目が覚めたーっ!

なるほど 栄華の跡に咲く桜ですかぁ
感慨深いですなぁ

投稿: れこりん | 2006.04.30 17:52


この時期、
まだまだ八重桜咲き誇っていますよ。
ここには栄華を夢見た跡と
八重が似合いますね。

投稿: 松風 | 2006.04.30 21:58

前に、もぐらどんと一緒に京博の展覧会にいったとき、古い地図に大仏通というのが書かれてて、「大仏なんてあった?」と聞かれました(笑)。
方広寺の鐘の話は有名で、ほとんどの人は知っているでしょうけど、大仏については知らない人が多いですよね。
京都って、色々な歴史が表に裏にありますよねー!

投稿: よりりん | 2006.04.30 23:04

☆takebowさん、あのおかめ像は、超美麗な「阿亀桜」という枝垂桜に彩られて、この春も微笑んでいたようですよ。

☆れこりんさん、上手い具合に花にピントが合いました。少しは写真の撮り方も進歩したかな、わし。

☆松風さん、ここに建ってた大仏殿のでかさというのは、大阪城天守閣が象の前の馬に見えるくらいのだったらしいです。そんなことを想像しつつ見る八重桜、これこそ京都の醍醐味でしょうか。

☆よりりんさん、わしも「京都に大仏?」といぶかしく思っていました。1973年に焼失した10分の1大仏の古い写真を見たのが、京都大仏を知るきっかけでした。あの写真、いつどこで見たのか気になってるんですが、もう記憶が曖昧です。

投稿: 龍3 | 2006.05.01 09:13

「阿亀桜」という枝垂桜なんてありましたっけ?儂はあの境内の中に住んでいたんすよ、1回生の時。記憶というのは曖昧なモノですね。

投稿: takebow | 2006.05.01 09:52

takebowさん、わしもまだ満開のは見たことがないんですが、大きな枝垂桜で、わりと有名のようですよ。去年の写真ですがこちらで見れます→http://blog.livedoor.jp/matsukaze1/archives/18476567.html

まあ、学生の頃はわしも、花なんてろくに見もせずに日々過ごしてましたがね(^^;)

投稿: 龍3 | 2006.05.01 15:17

写真を拝見して、忘れもしない御本堂は覚えております。参道の右側にあったんですねぇ。左の松の処にお堂がありその裏の小屋に住んでおりました。毎晩、とある活動のため遅くなり、裏から誰もいない境内を一人御本堂を見上げながら小屋に戻ったモノです。桜、あったかも。。。山門も、松も覚えているのに。なぜ覚えてないのだろう。

投稿: takebow | 2006.05.01 23:04

takebowさん、もしかすると、あなたの居た頃、千本釈迦堂には本当に枝垂桜、なかったのかもしれません。わしが結構通ってる智積院などでも、大きな庭木をよそから運んできて植え、突然景観が変わったりしてますからね。
振り返ってみればわしらの学友、いろんなところに下宿してましたね。わしも下鴨の大学教授宅の離れとか、大徳寺の塔頭の隣とか、船岡山の山陰とか・・・しかし、お寺の境内にいたというのは知る限りtakebowさんだけではなかったかな。
誰もいない境内、毎晩洛中最古の本堂を見上げながら帰宅・・・というのは、考えてみると凄いロマンチックなシチュエーションではないですか。

投稿: 龍3 | 2006.05.02 00:40

そうですね。日本史の先輩Nさんの下宿は銀閣寺の隣でした。ホントに入り口の生け垣が下宿の窓から見えていてビックリしました。酔っぱらって、哲学の道を夜中に散歩し、ピンポンダッシュした悪いヤツは僕らです(^^;)。主よ、お許しを。

投稿: takebow | 2006.05.02 04:51

takebowさん、そんな悪事を働いていたとは!(笑)
まあ、わしも「いつか夜中の銀閣寺に忍び込んで、月光に照らされた銀沙壇、向月台(どっちも銀閣寺庭園内の砂盛)を見てやろう」などとたくらんでおったのですが、近年、ライトアップなどされるようになっちまいました(涙)。

投稿: 龍3 | 2006.05.02 23:32

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