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2005.10.31

入院してました

しばらくblogの更新が出来ず、コメントくださった方には大変失礼しました。申し訳ありませんでした。
実は、わし、入院していたのです。

10月20日の朝、突然右手右足に力が入らなくなり、立つ事さえ出来なくなったので、覚悟を決めて救急車を呼び、緊急入院。
なんと、脳梗塞でした。入院直後は症状が進行して麻痺が進み、右足は指を動かすことすら出来なくなったのですが、治療を受けると目覚しく回復し、数時間後には全く機能は回復しました。
その後、夕方に一時的に軽い麻痺がありましたが、翌日からはそれも出ることなく、28日に無事退院。
現在は自宅で、体力の回復に努めております。
日常生活に支障はありません。土日と家族で出かけたりもしました。

こうしてまた、blogの記事を書けることに感謝しています。
倒れたとき、真っ先に思ったのは「まだ、小説もほかのことも、書きたいこと、やりたいことが一杯ある、これからなんだ!」という思いでした。
今は、回復できた喜びとともに、これまでの生活や考えを省みています。
今までのようには更新できないかもしれませんが、blogも続けます。
とりあえず、ご報告まで。

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2005.10.19

将軍塚から京都を見下ろす

よく晴れていたので、急に思い立って、東山ドライブウェイを車で駆け上がり、将軍塚に行って、京都を眺望してみました。
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三条蹴上と、五条坂を繋いで、東山の山中を走るドライブウェイのハイライトは、東山連峰の頂上からの大パノラマ。ここからは、京都を眼下に一望できるのです。
「東山山頂公園」の展望台からは無料で見ることが出来るし、ここは夜景見物の名所ですな。
そのすぐ近くにある「青蓮院門跡別院 将軍塚大日堂」にはもっと立派な展望台が二つもあって、眺望はこちらのほうが優れています。ただし、ここは拝観料500円を払う必要があるし、普通は昼間しか開いていません。
しかし、このところ春秋の桜・紅葉の季節には夜間拝観を行うらしく、今年も10月28日から12月4日まで
「第8回 将軍塚 夜の特別拝観」を、午後5時から9時30分(受付は9時終了)まで行うそうです。

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それにしても、こうして見下ろすと、京都市内はほとんどビルばかりとなって、町家の屋根などはまったく判別できません。緑地も、船岡山とか双ヶ丘、吉田山や糺の森とかに限られることがよくわかります。
そんな中、ずば抜けて緑の量が多い御所の存在は、やはり京都にとって大きいなあと、改めて思いました。

このblogでは、あまり横に大きな写真を直接載せることが出来ません。ポップアップにすればいいのだけれど、あえて、こんな風にしてみました(笑)↓
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2005.10.17

塔下秋明

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松風さんの「京・壷螺暮」で、秋明菊(貴船菊)が法観寺(八坂の塔)の境内に咲いていると知り、訪ねてみました。
確かに、塔の真下で、清明な花が秋風に揺れて、爽やかに佇んでいました。

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見上げると、幾多の災火に遭いながら白鳳の様式を伝える五重塔は、秋天に揺るぎなく聳えています。

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残念ながら、わしの腕ではあまり花の美しさは捉えられていません。
それでも、コスモスに似て洒落ていながら、塔の雰囲気によく似合う古雅な風情も併せ持った花のようです。

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塔の西側に続く石畳の通りは、わしの好きな道の一つです。デジカメの電池が切れ、塔のすぐ下にあったタバコ屋さんで補充。応対してくれたご老人の、のんびりして物柔らかな様子が「よき京都」の象徴みたいで嬉しく、ついつい、関東弁(風)で観光客になりきったわしでした(笑)

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ここには、「塔下(とうのした)商店街」があって、なかなか活気もあるのですが、それだけに商用車がひっきりなしに通るので、要注意。


秋明菊について
この花については「京都 花の道をあるく」(松本章男著 集英社新書)で知った。
中国からはるか昔に渡来した帰化植物だそうだ。山東省などで漏蘆(ろうろ)と呼ばれた草花で、別名を秋牡丹。
菊科の植物ではなく、キンポウゲ科アネモネ属の多年草とのこと。平安時代にはクロクサと和名が当てられ、貴船神社あたりに自生するようになったものを「貴船菊」と呼ぶようになり、さらに伊勢では「秋明菊」と呼ぶようになったという。どちらの名前も文献に出てくるのは江戸時代以降らしい。
八重咲きと一重咲きがあり、薄紅か薄紫色で、一重咲きに白の花もある。園芸品種として花屋で入手も出来る。
貴船神社周辺に在った八重薄紅の野生株は、乱獲されて、もう見ることができないというが、西山の善峯寺に自生していたものが、お寺の住職に丹精され、境内を美しく彩ることでしられる。また、京北の周山街道沿いの宗蓮寺でも、同様に住職が熱心に植栽して、見事な群落が見られるという。

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秋のひそやかな足音

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大乗寺からの帰り道、石段を歩いていると、かろん、ころん、と何かが石に跳ね返る音がする。振り仰ぐと、楓と竹の葉の緑がまぶしい。

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音は、このどんぐりの実が、参道に落ちる響きだった。さざ波のような葉ずれのなかで、竪琴をはじくような、澄んだ軽い残響を残して心地よかった。

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旧東海道の坂道を下れば、田圃の畦道の面影を残す山科の隘路に、秋の祭礼ののぼりがはためく。

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我が家の近くまで戻ったとき、路傍の田畑のふちに、コスモスが高く胸を張るように咲いていた。


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2005.10.14

山科大乗寺・名残の酔芙蓉

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ずっと行こうと思っていた大乗寺に、やっと足を運べたのは10月12日の朝。
法華宗大乗寺は京都市山科区北花山大峰町にあり、HPはこちら
ちなみに兵庫県但馬には同じ名前で、円山応挙の絵を所蔵している有名な寺があり、わしも以前紹介したが、山科の大乗寺は、酔芙蓉で知られる小さなお寺である。

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山科区北花山、というところまではわしの住所と同じである。歩いて30分ほどで到着。午前10時、まだ朝日と言っていい陽射しの中、門前の酔芙蓉も輝いていた。

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しかし、もう、花の盛りは過ぎて、わしのほか人影はない。

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地植えのほか、鉢も並んでいて、丈高く伸びた枝葉が、山際の細長い境内を埋め尽くしている。

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数は少なくなっていたが、この日は青空が澄んで、蒼穹を背にした花は輝くばかりに美しかった。

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そして、奇跡の様に黒いアゲハ蝶が舞い来たって、わしは夢中でデジカメのシャッターを押し続けたのである。

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☆同じ日(多分^^;)の大乗寺を紹介されているpiitaさんの「京都あちらこちら」にトラックバックさせていただきました。

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2005.10.12

さらば夏の光よ

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若くして逝った詩人たち、立原道造・矢沢宰・津村信夫の、秋の歌を紹介してきた。
なぜか、いま、そうせずにいられなかった。
僕がそうだったように、今の少年少女たちは、これらの詩を愛してくれるだろうか?
もはや詩は、若き魂をふるわせるものとはなり得ないか?

「さらば夏の光よ」
これは、津村信夫の遺稿を、彼の兄が編纂して出版した詩集のタイトルである。
そしてもう一つ
「さらば、夏の光よ」というタイトルの小説が別にある。
これは、遠藤周作が1965年から翌年にかけて雑誌連載した小説「白い沈黙」を改題したもので、
ボードレールの詩集「悪の華」の一編「秋の歌」の冒頭からとられているという。

その冒頭の一節は、こうだ。
「やがて沈まむ、冷ややかなる闇のさなかに。
さらばよさらば、束の間の夏の光の烈しさよ。
既に聞ゆる 中庭の甃石(しきいし)の上(へ)に
惨(いたま)しき響を立てて 落つる薪(まき)。」
  (岩波文庫「悪の華」鈴木信太郎 訳)

秋の歌はすなわち、青春の挽歌である。
若い生命の輝く季節が去っていくことを悼み、嘆きと哀惜を込めて絶唱する歌である。
夭折の詩人の持つ悲傷のきらめきこそ、その象徴となるであろう。

小説「さらば、夏の光よ」もまた、青春の挽歌だった。映画(1976年松竹・郷ひろみ・秋吉久美子主演)やテレビドラマ(1984年CBC・岡田奈々・柳沢慎吾主演)にもなった哀切の物語。
僕は既にぼろけて疲れた中年男だが、秋になると、たまらなくこれらの詩や小説が呼びかけてくる。
そしてまた、物語を書こうと決意する。
まだ、小説も詩も、死に絶えてはいない。その力を信じて、僕はあがく。

あがきながら、また、呟く。
さらば夏の光よ
永遠にいとおしい青春よ

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2005.10.11

津村信夫詩集より

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詩集・愛する神の歌

     抒情の手
       ―夏のいやはての日娘たちが私に歌ってくれた―

美しい日和は あと幾日つづくだらう。夏の終り、日のをはり。

人は去る。私たちのさしのべた手、優雅に、又うち戦き、人は去る。またの日の想いのなかで。
空なる馬のいななき、うち振るたて髪に、「秋の歌」が聞えるやう。

美しい日和は、ほんたうに幾日つづくだらう。
美しい日和は、こと切れた私たちの胸ぬちで。

それを信じないのはお前だけだ。
それを知らないのはお前のみだ。


☆作者・津村信夫について
1909年、神戸に生まれる。室生犀星に師事し、堀辰雄らと「四季」を創刊。立原道造らに影響を与えたが、1944年、鎌倉にて35歳で死去。

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2005.10.10

第6回楽陶祭2日目の様子

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一日目は雨でさんざんだったようですが、今日二日目は良く晴れたので、家族で行って見ました。

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橘大学の学生さんたちが企画に大勢参加し、演奏会などもやっているほか、カフェも元気に主催していました。
「タコライス」という、タコスの具をご飯に載せたランチを食べさせてもらいました。会場には、花街の節分に行われる「お化け」が出没。しかし・・・天気がいいのにあまりに人出が少ないのが気になったなあ。

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一番の問題は、陶器の出店などがほとんどないこと。団地内の協賛店がお店を開いて、廉価の品を売っているものの、活気がないのは否めません。
そんな中、お茶席は楽しめました。写真は5歳の息子のために、特別に薄く立てていただいた抹茶。茶碗はもちろん清水焼ですが、絵柄の可愛さに顔もほころびます。

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2005.10.09

矢沢宰詩集「光る砂漠」より

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光る砂漠

   そして終わりに
     (一)
いい人になってください。
幸せになってください。

私だってあなたに負けないぐらい
いい人になります。
幸せになります。

     (二)
しかし
私は予感していた。
首飾りをした美しい
あなたが
黙って椅子にかけていた と。
とおい国を想っていた と。

     (三)
秋の日の中で
あなたと会う約束はもうはたせない。
風は泣くだろう。
野菊は飛行機雲を見あげないだろう。

     (四)
俺が悪かったな
欲情な言葉
愚劣な行為
俺が悪かったな
悪いことをした
利己主義だった

     (五)
よくわかった。
私はよくわかった。
私はまだやれる。
私はやってみせる。
そしていつかきっと帰ってくる。

     (六)
それでも秋の夕暮れに淋しいときは
夏の日のよみがえる想いを許してください。


☆作者・矢沢宰(おさむ)について
1944年、中国江蘇省で生まれる。父の現地応召で日本に引き上げるが、小学校二年にして腎結核を発病。
療養生活を繰り返し、新潟県立三条結核病院小児科に入院。14歳から詩や日記を書き始める。
病を克服し、新潟県立栃尾高校に入学するが、2年生で結核を再発。1966年、21歳の若さで永眠。
詳しい年譜や詩・日記などの遺稿は、こちらで見れます

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第六回楽陶祭始まっています

あまりに遅いですが、宣伝です。
京都市山科区にある、清水焼団地で、10月8日(土)から10日(祝)までの三連休に
第六回楽陶祭が行われています。

詳細についてはこちら

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2005.10.08

立原道造詩集より

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詩集 優しき歌
   Ⅱ 落葉林で

あのやうに
あの雲が 赤く
光のなかで
死に絶えて行つた

私は 身を凭せてゐる
おまへは だまつて 背を向けてゐる
ごらん かへりおくれた
鳥が一羽 低く飛んでゐる

私らに 一日が
はてしなく 長かつたやうに

雲に 鳥に
そして あの夕ぐれの花たちに

私らの 短いいのちが
どれだけ ねたましく おもへるだらう か

            
☆作者・立原道造について
1914年、東京日本橋に生まれる。
中・高校生時代は短歌を志したが、のち詩作に転じ、堀辰雄、室生犀星に師事。
処女詩集「萱草に寄す」を刊行して二年後の1939年、25歳で早世。

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2005.10.06

紅玉パイ

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わしの故郷、伊那谷(長野県南部)は林檎の産地であり、この時期、実家の母から毎年届けてもらうのはこの、
紅玉(こうぎょく)である。
かつては一番一般的な品種だったのだけれど、より甘い新品種が市場を圧倒して、いまや青果店でこの林檎を見るのは難しい。生で食べると、この品種、大変酸っぱいのである。

しかし、この酸っぱさが、調理すると活きてくる。我が家では嫁さんがこの林檎を待ちかまえて、アップルパイを焼くのだ。
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紅玉の酸っぱさあっての美味さで、天板一杯の大きさで焼いてもあっという間に食べつくしてしまうのです(^^)

味の酸っぱさ、小粒であること、加えて、すぐに果実が柔らかくなって日持ちがしないことなど、紅玉には弱点が多くて、あまり作られなくなってしまい、何年か前、林檎狩りに訪ねた天竜峡(飯田市)の林檎園では、広い畑の中に僅か一本しか残っていなかった。あとはフジとか、ジョナゴールドばかし。もちろん、これらは甘く果汁たっぷりで美味しいのですけどね。
でも、酸味の強さは、香りの強さにも繋がるようで、紅玉の芳香はわしにとって一番林檎らしく感じられる。
そして、それを生かしてやはり、お菓子用、加工用にはかなり使われているらしい。
小さ目で真っ赤に色づくこの林檎が、わしには懐かしくも愛らしく、秋の味覚の一番手に上げたい。
紅玉よ、永遠なれ!

☆ちなみに、紅玉をインターネットで注文できるサイトを見つけました。
その名も「紅玉屋」さんです。

鎌倉WildLifeさんのところの記事「紅玉」にトラックバックさせてもらいました。

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2005.10.04

夜景拾遺

月末、野暮用の帰り道に拾った夜景です。

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東大路通、百万遍交差点を下がって東側に、割と最近、京都大学総合博物館が出来て、夜間のライトアップがなかなか幻想的。この辺一帯は京大の敷地なのだが、かつてはライトアップなどは無縁な地域でひたすら夜は暗かったな・・・

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そんでもって、もしや・・・と行って見た京大の象徴、時計台のある本部棟。
わしゃ、のけぞりました(笑)こんなに綺麗になってたのね・・・かつては、時計の文字盤だけが暗い空に不気味に光ってたのだが・・・それが結構好きだったんだけど。

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東大路をさらに南下すると、岡崎に至り、平安神宮の南には、京都市美術館がいつも荘厳に照らし出されています。

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その美術館の前に聳える、平安神宮の大鳥居。このぶっとい柱に、夜間、密かにある行為をすると、試験に落ちないというおまじないがあったそうだが、もう、そんなこと覚えてる人はいないやろか・・・

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2005.10.03

10月の府立植物園

京都の花を紹介するのに、ここを取り上げるのは、ほとんど反則技のような気がするが(笑)わしは、とてもここが好きなので、あえて掲載してしまう。

京都府立植物園 京都市左京区下鴨半木(なからぎ)町

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花壇のサルビアと、クスノキ並木の巨木群。よく手入れされた花々と出来るだけ自然のままの樹木が憩わせてくれる。

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初秋らしい花といえば、コスモスだが、まだあまり咲いていない。珍しい白いコスモスが満開だった。
・・・と思ったら、北山門近くのほうには、普通のコスモスの咲き乱れるプランターが一杯あるそうだ(汗)

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珍しいといえば、日本産で絶滅危惧種の「オニバス」が、温室前の池で咲いている。

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さすがに蓮の花はもう見当たらない。枯れ始めた蓮葉の下に、アオサギの孤影があった。

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宿根草・有用植物のコーナーでは、スイフヨウ(酔芙蓉)が見事。夕方に行ったので良く色づいていた。

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スイフヨウの近くにはこの、パンパスグラスが、巨大なススキみたいに風になびいている。渡された「きまぐれ園だより55号」には、「秋を感じます。でもブラジルでは困った雑草とのこと」と書いてあった。

この「きまぐれ園だより」のほか、「樹木マップお宝編」なども出ていて、園の積極性、「やる気」を前よりも感じた。園のHP(上記リンク)も充実していて、情報更新も頻繁にされているようだ。
ただ、非常に残念だったのは、子どもの遊び場「未来くん広場」にあった木造の大きなアスレチックが撤去されて、どこの公園にもありそうなちっぽけなアスレチックに代わってしまっていたこと(痛憤!)
前のは、三階建ての「巨大秘密基地」みたいで、子どもの冒険心を満足させてくれ、我が家が植物園に通う大きな動機だったのである。

ここには、山城盆地の原生林を再現した森をはじめ、銘木、巨木、ユニークな花壇など、見所がいっぱい。半日かけてじっくり見て回って損はない。出来れば老後は、この近所に住んで毎日散歩したいなどと思うわしである(^^)

☆winter-cosmosさんの「緑の森を楽しく歩いた」にも、「この実、何の実?」というタイトルで、京都府立植物園のことが載っていました。

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2005.10.01

霊雲院の不思議な庭

京都案内の再開は、東山区本町にある東福寺の塔頭のひとつ、霊雲院。
毎日、東福寺の境内を通っているわしだが、ここはちょっとメインルートから外れている感があり、まだ拝観してなかった。
長い石畳の道の奥にひっそりとあって、「別天地」の風情がある。

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さて、ここは書院の前の「九山八海の庭(霊の庭ともいうらしい)」と称する庭園が見所なのだが、第一印象は、かなり雑然として見え、「もう少し石や樹木を減らしたほうが・・・」などと思った。

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しかし庭園の中央、白砂のなかに異様なものがあるのである。

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これは、「巍々として聳える須弥山」を象徴する石だそうだが、なんとも無機的な土台と受け皿に乗っかっているではないか。最初、コンクリートで作ったのかと思った。
渡された説明リーフを見てみると、これは「遺愛石」というもの。この塔頭の第七世の住職と親交があった大名・肥後の細川家が、庭にあった貴石に台と石舟を作ってセットにして贈ってきたものだという。
この石が珍重され、名高い庭だったものの、後年すっかり荒廃してしまったのを、東福寺のあちこちの庭の作成、修復を手がけた異才・重森三玲によって、ここも復活したのだそうだ。

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そういわれて見ると、九山八海の庭も、その西に続く「臥雲の庭」も、砂紋や石組みに、まさしく重森三玲らしいモダンな感覚が滲んでいる。

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書院庭園の隣には、「観月亭」という日本でも数少ない二階建ての茶室がある。写真では隠れてしまっているが一階の端には丸窓もあり、桃山時代の「北野大茶会」当時のものだという。実に味わいある建物で是非中に入ってみたいものだが非公開。庭といいこの茶室といい、もうすこし整備して宣伝すれば、ここはかなり注目を浴びるのではと思うが、わしの拝観中、他には一人しか拝観者がこなかった閑寂さだった。

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あと、特筆すべきものは、これ、日露戦争で捕虜となったロシア兵が作った楽器である。
なんと、当時、東福寺には1500人もロシア兵捕虜が収容されていて、霊雲院には50人が寝起きしていたという。8ヶ月の収容生活のなか、彼らは日用品から楽器まで手作りし、異国の禅寺の暮らしに耐えたのである。
こんな歴史の断片が埋まっているから、京都のお寺めぐりはこたえられない。

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