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2005.07.30

僕が僕であるために

このblogを始めた頃は、なんの方針も持っていなくて、ただ思いついたことを記していました。
やがて、小説をここで連載し始めました。
まだ自称小説家の域を出ないわしのでも、多くの人に読んでもらえるからです。
なかなか、書くことへのテンションを維持できない怠惰なわしでも、反応がもらえると励みになると、
「背水の陣」で始めたつもりでした。
自分で撮影したデジカメ写真と組み合わせることで、思いもかけぬ作品が生まれて、わしは夢中になりました。

同時に、デジカメを通して、自分の住む京都の魅力を再確認しました。
京都の写真を掲載するblogが幾つもあったことに大いに刺激されたこともあります。
中でもilikewalkingさんの「京都・哲学の道案内」の作り方に影響されました。
わしもそれに習って、京都の美しい景色や風物を発信すると、敏感に反応が返ってきて手応えを感じました。
そんな中では、「わしにしか書けないモノ、独自の視点」と突っ張って、存在感を主張してきたつもりだったのです。

気がつくと、blogに載せる写真を撮ることを最優先に考えている自分がいました。
なかなかそれが出来ないことに苛立っていました。
わしがなすべきこと、わしが、最優先すべきことから逃避して、京都の写真を撮りに行きたがっていました。
京都の写真を載せると、何よりも・・・小説よりもずっと、たくさんの反応が返ってくるからです。
その、快感に取り付かれて、わしがわしであるためになすべきことから、目をそらしていました。

ほったらかしにしていた、書くと約束した小説があります。
ひとつは、ここで連載している「流れのほとりで」ですが、
もうひとつは、歴史・時代小説です。
枚数は四百字詰め原稿用紙500枚。
それを、なんとしても書き上げなければなりません。
それこそが
「僕が僕であること」の証なのです。
わしの志は、小説家として立つことにあるのです。

このblogを見てくださった方、コメントやトラックバックを下さった方々、
深く感謝しています。
しかし、怠惰なわしは、皆さんとの交流の楽しさに「逃げて」しまっていました。
小説を書くことは、自分の力量の限界と、真っ向から向かい合うことで、
大変苦しいのです。
書くたびに、もっと上手く書けるはずだと、原稿を破き、煩悶し、諦めと戦い続けるのです。
そのしんどさから、目をそらして、
「今日だけは楽をしよう」と、blogに浸り、約束の原稿にはいつまで経っても取り掛かれず。

そんな中、最近交流した「コトモノBLOG」のモヨコさんが、blogを締めて、新たな出発をされたことに衝撃を受けました。
「僕が僕であるために」の歌が、わしの胸に響き始めたのです。

今は亡き歌手・尾崎豊が作った歌です。
歌詞を紹介したいところですが、著作権侵害になるので、まだご存じなくて、知りたい方はCDを買うか、レンタルして下さい(苦笑)

僕が僕であるために、わしは、小説の完成に向けて、もがきながら突き進みます。
しばらく、このblogは休止します。
でもほどなく、わしの文章を、お目に掛けることが出来るようにしたいと思います。
逃げない自分を、確信できたら、戻ってきます。

このblogを見てくださった方
コメント、トラックバックを下さった方
本当にありがとうございました。

祇園祭の七月も終わります。
京都の華やかさと陰翳に魅かれて
ここを住処と定めたわしです。
ここで、小説を書いていきます。

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2005.07.26

随想・祇園祭 その五

祇園守(ぎおんまもり)
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 炎暑の中に出かけるとき、首に手ぬぐいを掛けるとなにかと助かる。汗が拭けるし、首筋の日焼けを防げる。
タオルよりも軽くて暑苦しさがないので、とてもいい。
 この間、東京在住の妹から貰ったこの手ぬぐい、洒落た紋様が付いているが、これ、「祇園守」というそうだ。

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 歌舞伎の名門・成駒屋の家紋として有名で、江戸時代、歌舞伎役者関係の図柄は「粋」の極みとしていろいろなものに使われ、手ぬぐいの柄としても定番となったらしい。
 祇園守というからには無論、「祇園社のお守り」という意味なのだが、起源はあまりはっきりせず、巻物がクロスしている柄から、キリシタン信仰との関連も考察されている。
 祇園社=八坂神社の祭神は恐怖の疫病神「牛頭天王」であり、異国の神であったのを、日本のあらぶる神・スサノオノミコトと習合。以来、様々な神や仏を取り入れて複雑な信仰を形作っているので、想像力が掻きたてられるのだろう。中には祇園祭は古代イスラエルのシオン祭が伝播してきたもの、という説まである。
 そうした幾多の考察や想像を呼ぶのも、祇園祭の持つ豊穣な力のなせるものに違いない。

 ところで、祇園守は、槿(むくげ)の花の品種名にもなっている。
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          大仙祇園守
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           赤祇園守 

 槿の咲く中、7月31日の疫神社夏越祭をもって、祇園祭の行事は終わる。疫病や災いから免れて、楽しい夏を過ごせますようにと、祈ろう。

☆ 槿の祇園守については、
 yumeさんの「yume_cafe」「目疾地蔵さん・祇園守のむくげ」
 piitaさんの「京都あちらこちら」「祇園守」
で紹介されています。

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ちょっと避暑

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山科に住んでいて良いことの一つは、すぐに琵琶湖へ行けることです。
大津市の湖畔に立つ「浜大津アーカス」は、京都中心部に行くよりも便利に映画が観れることに最近気がつきました。で、これはその四階からの眺め。

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出航していく観光船・ミシガンを噴水がお見送り。

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琵琶湖畔から、比叡山ドライブウェイに駆け上れば、涼風に吹かれてこういう景色も楽しめるのです。通行料は高いけど(^^;)

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ミシガンとか、ビアンカとかの観光船は、まだ乗ったことがありませんが、観ているだけでも楽しい。
かつては、京都から水泳に行く人で夏の琵琶湖は賑わい、湖西にはいまも水泳場がいくつもあります。今は「バーベキュー」を楽しみに行く人が多いのではないかと思われ、夏の琵琶湖畔は、京都の庶民の手軽な避暑地なのです。

☆ポレポレまるこさんの「まるこの京都散策日記」に、琵琶湖の水泳場のことが書かれています。

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2005.07.24

大和大路七条上ル・百日紅の道

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三十三間堂と京都国立博物館のある、大和大路七条を北へ上がると、百日紅(さるすべり)の並木が続いていて、梅雨明けから鮮やかな花を咲かせています。

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大和大路の西側の歩道に沿って、豊国神社の前まで赤、ピンク、白の花が暑い日ざしに輝いています。また、豊国神社前から西に向かう正面通にも、中央分離帯に百日紅が植えられていますが、こちらの樹はまだ若く細いです。

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くらくらするような、真夏の陽射しの下で見る百日紅の赤は、なんだか南国じみているのですが、京都の夏の過酷さを象徴するにはいいかもしれません。

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いかめしい国立博物館の建物と百日紅の花は、不思議と似合うような気がします。


松風さんの「京・壷螺暮」では、京都御苑の百日紅が紹介されています。

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2005.07.22

随想・祇園祭 その四

宵山追慕

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 宵山も山鉾巡行も過ぎてしまったけれど、僕の胸の中にはまだ、祇園囃子が鳴り続けている。
 そして、忘れられない歌声が響いている。
 七月のあいだ中、祇園囃子とあの歌声は、僕の胸をうずかせるのだ。

 「・・・常は出ません、今晩限り
 ご信心の、おん方さまは・・・
 ろうそく一本献じられましょう
 ろうそく一本、どうですか~」

 宵山に、粽やお守りを売る、鉾町の子供たちが歌う歌だ。
 けれど、僕の耳に残るその歌は、乙女の声なのである。
 可憐な容姿に、強い意志を秘めて、なおかつ優しかった人だ。

 京都で学生生活を始めたばかりの僕に、あの人は「京おんな」の理想と映った。手もなく心惹かれ、憧れた。あの人が主催していたサークルに入り、文学を論じた。コンパに繰り出し、酒を飲んだ。酔ってあの人にからむ奴には鉄拳で応じた。いつもあの人を見ていた。あの人に認められたいと、背伸びして沢山の本を読んだ。
 そして、あの人が活動していたから、学生運動にも身を投じたのである。

 ささやかなる疾風怒濤の時代。
 高揚もあれば挫折も経験した。友情も培ったが裏切りもあり、傷もいっぱい残る。
 その、どちらかといえば苦かった「青春」の只中で
 蒸し暑い夏の夜に、あの人がこう言った。
「そういえば、今日は宵山やなあ・・・うちも、子供の頃、浴衣着て粽売ったことあるんよ」
 そして、あの人の唇から流れた、あの歌。
 細く、透き通った声が、どんなにか甘く、僕の心に染み透って行っただろう。
 その頃、僕は知っていた。
 あの人に恋人がいることを。

 やがて、あの人は卒業し、数年して僕も社会に出た。
 消息を知るすべはあったけれど、特に連絡などもしなかった。
 歳月は流れて、ある春の日の円山公園野外音楽堂。
 人込みの中に、あの人の姿があった。
 生き生きした目の光も、小鹿のような容姿も変わっていなかった。
 僕はその頃、結婚したばかりだった。
 そう伝えるとあの人は笑顔を見せて、屈託なく話した。

 それから、どれほど経っているだろう。
 宵山を彷徨い、子供たちの歌声を耳にするたび
 僕の胸は甘美にも痛い。おそらく、いつまでもそうだと思う。

 ☆今、本で調べるとあの歌は「占出山」の町内に伝わる歌のようだ。

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2005.07.20

清水焼団地・陶器まつり

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我が家のご近所、山科の清水焼団地で、第31回陶器まつりが開かれているので、今年も行ってみた。
7月18日・19日・20日の3日間の開催である。

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京都の町なかからは、五条通を車で東へ走り、東山トンネルを山科へ抜けてしばらく行くと、新大石道交差点があり、ここを南へ下がるとすぐに清水焼団地。窯元や問屋が多く並んでいて、普段は実に静かな街だ。このまつりのときだけは多くのテントが並び、問屋や小売店も戸を開け放って、色とりどりの陶器磁器ガラス器がきらめいている。

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「清水焼」は、現在、地元ではほとんど陶土を産出しない。他から土を買ってきて製作するのだ。使う土はもちろん、焼き方や色の付け方、絵柄などに統一された特色はないのである。窯元ごと、お店ごと、職人、作家ごとに全く違う焼き物を作っている。こんな陶磁器の産地は、日本、いや世界でも稀なのではあるまいか。
では、どこに「清水焼」の特色があるのか?
今は亡きわしの友人で清水焼の作家・イシさんが言っていた。
「京都で作るから清水焼なんや」
京都の街の風土、それに培われた感性が作る焼き物。伝統と革新のせめぎあいで磨かれた、洗練された感覚があってこその清水焼、であると。

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テントには手軽な価格の品が積まれ、格式あるお店の方では、料亭向けの品をはじめ、花瓶やら大皿やら茶器やらの高級品が特別価格で売られている。
が、我が家のお目当ては、粘土遊びをさせてくれるテント(笑)
係りのお姉さんが親切に息子の相手をしてくれた。

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粘土を無料でくれて、自由に遊ばせてくれるが、本物の型も用意されていて、招き猫やら舞妓さんの人形やら、試しに作ることが出来る。しかし、これは案外難しいのである。オカメの面をやってみたが、しわだらけの顔になってもうた(笑)

清水焼も景気の底にあると言われて久しい。清水焼団地に存続できるのも、大手の体力あるお店ばかりで、「うちはもうあそこにいるのは無理やった」という人の嘆きも聞いた。
京都を彩る美しきモノの一つである清水焼。いつまでも繁栄していって欲しいと思う。

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2005.07.19

何をしていたかというと

祇園祭の宵宵山、宵山、そして山鉾巡行も行かず、どこで何をしていたかと申しますと
滋賀県の山の中で、バンガローを借り、↓こういうことをしておりました。

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夕暮れ迫る松林の中・・・

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まずはバーベキューを!(^^)

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日が暮れれば、近所の温泉へ。途中、アスレチックや雨天運動場の上に輝く月に見惚れ。

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翌日は朝から釣り。5歳の息子も自力でニジマスをキャッチ。

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ルアーでも釣れた。塩焼きやバター焼きにして食べました。

後は温水プールで泳いだり、昆虫採集に朝昼夜と歩き回り、朝市で栃餅や取れたて野菜を買ったり・・・
ずっと観たかった戦慄的に美しい蛾・オオミズアオをついに撮影でき、また甲虫類を何匹も捕まえたりしましたが、そっちの写真は割愛します(^^;)

さんざん祇園祭のことを書きながら、クライマックスのときに京都にいなかった不届き者をお許しください
m(__)m
でもおかげで、リフレッシュできたので、また京都案内と小説を頑張ります!

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2005.07.15

祇園祭・鉾の周り

祇園祭の頃は、鉾や山だけでなく、周りのいろいろなものを楽しむことが出来る。

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菊水鉾の近くで、まるで鉾に変身したように飾り付けられている建物があって、なんやろと思うたら、菊水鉾の町内行事として、「お茶会」が行われているらしい。古い祇園祭案内書には、このお茶会は「金剛能楽堂」で行われると書いてあるが、今その金剛能楽堂は烏丸一条へ移っているので、その跡地に建てられたビルなのだろう。やはり能の金剛家ゆかりの建物か?

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四条通を一本上がった錦小路は、京都の台所として知られる市場であるが、ここも祇園祭仕様の華やかさ。

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四条河原町の高島屋百貨店は、店に入るなり、駒形提灯が出迎えてくれる。

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京都タカシマヤおすすめの、「京みやげ好適品」は、鉾のミニチュアなどなど。よう出来てはるわ。

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見上げた鉾の屋根の裏で、鳥たち、人形たちがなにやら楽しそうに会話している。
・・・ように見えまへんか(^^)

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2005.07.14

祇園祭・天を衝く十三日の鉾

やっと、祇園祭の鉾を見に行けた十三日の午後。すっかり組み上がった巨大な鉾たちは、つかの間、晴れ上がった空に、勇壮に鉾頭を突き上げていた。
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四条烏丸東、長刀鉾が見えると、いつもわくわくする。祇園祭を象徴する鉾だから。

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現代建築のビルを背景に立つ長刀鉾は、まるで特撮映画の怪獣のようにかっこいい、と思うのはわしだけかな(^^;)

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八十尺の鉾頭にそびえたつ宝剣・守長刀は、三条小鍛治宗近が鍛えたという伝承を持つ。疫病の魔を祓う神剣が、常に巡行の先頭を切る「くじとらず」の栄光の鉾である。

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駒形提灯が灯る夜の風景は、一層心ときめかしてくれるのだが、晴れた空の下、天を衝く鉾たちの勇姿も最高だ。

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というわけで、青空を見上げてはシャッターを切っていたわしである。

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大きな通りより、こういう小路に立つ鉾は一層迫力を感じさせてくれる。室町四条上ル、菊水鉾。

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前掛け、胴掛け、見送りの豪華なタペストリーや、屋根周辺の彫刻などの見事さはもう、言うまでもないけれど、天に伸びる真木もまた、華やかな布で巻かれ、菊水鉾の鉾頭には、菊の飾り金具がきらめく。

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上ばかり見ていて、ふと気付くと、目の前には黒い巨大な車輪。車軸に輝く菊紋様。

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鉾は皆組みあがっているようだが、それより小さい「山」のほうは、これから組み立てるところが多いようだ。
作業する人たちの顔が、とても生き生きしている。辛い労働ではないのだ、楽しい祭りの準備なのだと伝わってくる。室町錦上ル、山伏山。

ちなみに、長刀鉾に掲示されていた説明では、まだ鉾の飾りは仮のもので、15日に本飾りと交換するそうである。

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2005.07.12

ムシキング大会に初参戦

え~、唐突ですが、京都とも小説とも全く関係のない話で申し訳ありません。
興味のない方は、あっさりスルーしてくだされ。

日曜日は、祇園祭の鉾立てを、夕方に見に行くつもりだったのが、とんでもないことになった。
実は、息子が夢中になり、ついに嫁さんもわしもはまってしまった、アーケードゲーム「ムシキング」の大会にこの日の午後、初めて参戦し、それが思いのほか長引いて、鉾立て見物どころでなくなってしまったのである。

ムシキング、については上のリンクを参照してくだされ。
最近、おもちゃ売り場にやたら、この関係のものが増えているのをご存知の方もおられるだろう。
簡単に言えば、コンピューターでCG画像を映し出し、カードを使って戦うじゃんけんゲームなのだが、
戦うキャラクターはすべて、実在のカブトムシ、クワガタムシなのである。
ヘルクレスオオカブトだの、ギラファノコギリクワガタだの、この世のものとは思えぬ巨大な甲虫が熱帯地方にはいるのだが、それらに強さのランク付けをし、ダイシャリンだのハヤブサだのサイクロンホイップだの、プロレス風の派手な必殺技を付与し、画面で戦わせるわけ。
甲虫たちは、画面の中でまるで怪獣のように咆哮を上げ、地響き立てて激突する。じゃんけんで勝つと技が発動し、敵の体力が減少。体力ZEROになると負けなのである。
一般的にはゲーム機のコンピュータ相手に戦うのだが、「ともだちとたたかう」という対戦モードがあって、それを利用してトーナメントや勝ち抜き大会が全国で開かれているわけ。
遅まきながらムシキングにはまった我が家は、ついに近所の●ガワールドで行われた大会に、意気込んで参加したのである。

熱心に遊ぶ息子は、ゲーム機相手だとほとんど負けを知らないまでに習熟。
しかしまだ保育園児なので、一人だけでエントリーは難しかろうと、「親子タッグ」トーナメント大会に申し込んだ。
エントリーは一週間前で、「リングネームを付けてください」というので、「チームひっさつ(必殺、ね^^;)」と付けた。
タッグを組むのはわしであるが、息子のほうが強いのはもちろん、実は嫁さんのほうがわしより、強いのである。
「おとうさんは、じゃんけん弱いからなあ、足引っ張らんといてや」
とほざく息子と嫁さんに、くそーと思いつつ、しかしどきどきしながら大会の日を迎えた。

32組が参加していて、わしら「チームひっさつ」の一回戦は最後から3番目の試合だ。待つこと一時間半・・・常連らしい出場者たちは、慣れたふうに淡々とゲームをこなしているが、わしらは初めて見る試合の雰囲気に興奮。息子は緊張に唇をきっと結んでいる。
大丈夫だ、最強の虫「ヘルクレスリッキーブルー」で戦うんだろうが、と励まし、ついにわしらのデビュー戦。
息子のリッキーブルーと組むわしの虫は「グラントシロカブト」である↓
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相手も父子タッグである(母子タッグも結構多い)。そして先攻はどっちも子供。おないとしくらいの男の子だ。
対戦するのは、おお、息子のリッキーブルーの通常タイプ、ヘルクレスオオカブト。どっちも強さは最高の200。
さあ行け!
あ、何でそんなに早くスイッチを押すのだ(汗) もっと落ち着け。そうだ、タッチするタイミングをはずすな・・・げ!負けっぱなしではないか。
ほとんど良いところのないまま、敵の「合体必殺技」を食らって、息子の虫は撃沈されてしまった。青ざめてわしにタッチする息子。敵は二匹ともほとんど無傷である。既に相手は交代してパパがわしの相手だ。
敵の虫は「ヒルトゥスヘラヅノカブト」で、わしの「グラントシロカブト」よりも強さのランクは上。タッグの相性(相性が良いと合体技のパワーがあがるのだ)を優先して、強さでは少し不利な虫を選んだわしだったが、一匹だけになってしまった今は、圧倒的に不利だ。

ところが、わしのグラントシロカブトは、鬼神の如き奮戦を始める!
なんと、ほとんどじゃんけんに負けずに、ヒルトゥスヘラヅノカブトをあっさり撃破。頭をかいて子供と交代する相手のパパ。
さあ敵は、強さがこちらの倍もあるヘルクレスオオカブトだ。めらめら闘志を燃やして、わしは必死に敵の手を読む。
あいこを挟んで、こちらの究極必殺技「スーパートルネードスロー」が連続して炸裂。
黒マントの司会者(ゲームセンターの従業員のお兄さん)が、「すごいぞ!グラントシロカブト、大奮戦だ!」とマイクで絶叫する。
うしろから息子が必死に叫ぶ「おとうさんがんばれえ!」
しかし、敵の技も決まるとダメージが大きい。わしの方は体力がレッドゾーンに突入。あと一回、じゃんけんで負けたら終りだ。しかし、特殊技「あいこやぶり」「特殊ふうじ」も発動させて勇戦力闘。再びスーパートルネードスローが決まって、ついに敵もレッドゾーンへ。そして、あいこの連続。あいこやぶりのために、こっちの体力は減らず、敵の体力だけが減っていく。
隣の試合が終わってしまっているため、会場中の視線がこっちに集まっている。どよめきが背中を打つ。
「いい勝負やなあ」
なに、わしは賞賛されている?なんて晴れがましさ・・・
あと一撃、あと一撃決まれば、勝てる。
「あいこでもおとうさんの勝ちだ!」息子の叫び。

最後は、チョキでグーに敗れたのか、それとも究極必殺技を狙ったパーがチョキに撃たれたのか、よく覚えていない。
観戦用大画面に火花を散らして、わしのグラントシロカブトは散っていった。
茫然と画面を見上げる息子の頭を撫でて、観戦していた嫁さんのところへ戻る。
「すごい、よく頑張ったね!」
興奮とか感激とかにはいつもほとんど縁のない嫁さんが、目を輝かせ声を弾ませて迎えてくれた。
その懐へ飛び込んで、息子は泣き出した。
全精力を使い果たし、へろへろになりながら、わしは近来稀な満足感でいっぱいだった。
一回戦敗退。でも、最後のじゃんけん大会まで残り、誇らしくわしらは、会場をあとにしたのである。

・・・そのおかげで、物凄い渋滞に巻き込まれ、鉾立てを見にいけなかったばかりか、夕食を摂ったのは9時近くになるという目にあったのだが、充実した一日だった(笑)
 あほな自慢話を最後まで読んでくださった方に、深く深く感謝します。

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2005.07.10

これも祭りの景色

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いつものように車を運転して東大路通りを走っていると、道端に見慣れない看板。
ちょうど信号待ちで止まったので見ると、祇園祭の行事のため、交通規制を予告するものだった。

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祇園や四条通には遠いこの辺りでも、こんな感じで祭りの雰囲気を感じることが出来る。
さあ、明日は何年ぶりかで、鉾立てを見に行こうか・・・

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2005.07.07

随想・祇園祭 その参

幻の映画「祇園祭」
kodaiji77_0231 先に紹介した小説「祇園祭」は、映画化され、1968年11月に公開された。
 しかし、企画からそこに至るまで7年もかかり、様々な紆余曲折と困難が伴ったのである。
 詳しいことは、「猟さんのシネエッセイ」「数奇な運命に翻弄された『祇園祭』」で知ることが出来た。
 東映の時代劇スターだった中村錦之助(後の萬屋錦之助)が主演し、また彼自身が、自主制作組織「日本映画復興協会」の陣頭に立って作り上げた力作である。わしはまだ見たことがないのだが、原作の力強いストーリーをほぼそのままに、超豪華な配役が揃っていて、「間違いなく傑作と呼べる作品」と綴る「猟さん」の言葉に頷ける。

 時代劇からやくざ映画路線に変わろうとする東映と役者魂をかけて戦っていた当時の錦之助は、この作品でそれまでのチャンバラ・アイドルから脱皮を遂げたと言われる。さらに共演は「七人の侍」で日本映画の金字塔たる演技を見せた三船敏郎、志村喬、物凄い美貌だったと聞く若き日の岩下志麻、もうそれだけでも、「見たい!」と思わせるのだが、ビデオにもDVDにもなっていないらしい。テレビで上映されたというのも聞いたことがない。幻の映画となってしまっているのは、痛恨の限りだ。
 しかし、唯一見れるのが、京都文化博物館の映像ホールで、毎年祇園祭の頃に上映されるのである
 残念ながら、今年もわしはそれを見に行けないのだが(;;)

 京都が「映画の都」と言われた時代もあった。「東映太秦映画村」や「大映通り」にその栄華の名残がある。市川雷蔵や、錦ちゃんと呼ばれて愛された中村錦之助が闊歩していた頃の京都は、どんな風だっただろうと、わしは思いを馳せるのである。

 早世した雷蔵はもちろん、西口克己も、萬屋錦之助も今は故人である。それでも、祇園囃子は彼らの聴いたものと同じ音色を奏でる。そして、残された小説には熱い情熱が脈打ち、フィルムに躍動するスターのきらめくオーラは、これからも沢山の人々を魅了し続けるだろう。

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2005.07.04

随想・祇園祭 その弐

小説「祇園祭」
 西口克己という、京都出身、在住だった小説家がいる。
 年譜によれば、1913年(大正2)に、伏見中書島の娼家に生まれ、京都三高(旧制第三高等学校)から東大文学部に進み、1946年(昭和21)に日本共産党入党。1950年の党分裂の際、「除名」され、義母名義の娼家の片隅に逼塞しながら書いた小説「郭」が、1956年(昭和31)にベストセラーとなり、小説家として認められる。
また、1955年(昭和30)には、日本共産党の統一と同時に党へも復帰。1959年(昭和34)に京都市会議員に当選し、四期勤めて、京都府会議員に当選。これも三期に渡って活躍した。
 小説の代表作は「郭」のほか、「文殊久助」「山宣」「祇園祭」「新幹線」「Q都物語」などがある。
 1986年3月15日永眠。

gionmaturito_0021 小説「祇園祭」は最初、1961年に中央公論社から出版されたが絶版となり、その後弘文堂からの再刊もまた絶版、わしが買ったのは1968年に東邦出版社から出されたもので、表紙の絵は滝平二郎の切り絵によるものである。
 内容は、室町末期、祇園祭復興に自らの誇りと平和に生きる権利を求めた京都町衆のたたかいを描いたもので、ラストの天文二年の祇園会山鉾巡行に至るまでのダイナミックな筆致は壮烈である。

 「・・・よいか、皆の衆、―ようく聴いてくれ―くりかえしいうが、将軍家の命令は神事停止じゃ。社殿での祈願や、神輿渡御など、つまり神官たちの執り行う儀式は取りやめよというのじゃ―よろしい、どうしても命令にそむけぬというのであれば、一切の神事は取り止めてもらおう―ただし―ただしじゃ―たとえ神事これなくとも、山鉾渡したし!―これば、わしらの決心じゃ!」
 「もともとこの鉾は、京町衆のものなのだ。洛中の数知れぬ人々のためのものなのだ。京都を捨ててかえりみぬ将軍の、一片の命令で左右されるものではないのだ。そんな命令に媚びへつらうような、腐りきった祇園社の神官どもに用はない。まがれ、鉾!八十尺の鉾頭を、堂々と南に向けるがいい!」
 「―山鉾は、―美しい祇園会の山鉾は、戦さぎらいの京町衆が、殺されても、殺されても、ついにその念力で動かしたのだということを、こいつらに見せてやるのじゃ―のう、頼む、―わしを、―わしをもう一度、あの鉾の上に乗せてくれ―笑いながら、鉾の上で死なせてくれぬか・・・・」

 戦乱の中で平和を希求する町衆は、支配階級の妨害をはね返し、平和の祭典たる祇園祭を復興する。その中心人物となった青年、笹屋新吉のロマンスをからめながら描かれる物語は、波乱に富んだ筋立てで、実に面白く読めるものでありつつ、「民衆こそ歴史の主人公」という作者の信念が貫かれているのである。文体も、作者の肉声のように熱情みなぎって、わしは読み返すたびに熱い感動の涙がこらえきれない。
 山鉾巡行の様子を「何千何万もの人波をかきわけてすすむ巨大な艦隊」と描いた西口克己の視点にわしは激しく共鳴する。あの巡行は、豪華絢爛なだけではない。町衆の心意気を高く掲げて進む、勇壮な戦列なのだ。

 そしてこの作品は、映画化されている。しかし、今やそれは「幻の映画」なのである。それについては次項で。

☆現在、小説「祇園祭」は、新日本出版社から出されている「西口克己小説集」の一冊として購入できます。 

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2005.07.03

高台寺の七夕会

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七月二日、宵闇深まる午後七時半の東山。
高台寺で七夕会が開かれているので、家族で行ってみました。

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綺麗にライトアップされ、カキ氷などの屋台もあるのですが、基本的にとても内輪の祭りです。
東山一帯の保育園、小学校などの子供たちが書いた短冊を飾っての七夕なのです。暗がりの中、幻想的に浮かぶ笹飾りや高台寺、霊山観音の夜景を楽しむのは、親子連ればかり。

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しかし、短冊を吊るしてあるこれ・・・笹じゃなくて堂々たる竹と言ったほうがよく、このどこかに息子の書いた短冊があるはずなのですが・・・高く掲げすぎてて、到底見えません!(苦笑)

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花灯路を見逃して残念だったわしとしては、ここぞと夜の高台寺、ねねの道界隈を撮りたかった。
しかし、走り回る息子を追いかけながらの余裕のない撮影・・・ブレブレ失敗写真の山でした(涙)

それにしても、夜の「ねねの道」、雰囲気が良かったです。高台寺、圓徳院が夜間拝観している土曜日でしたが、人が少なく、歩いているとなんと「ホッホー、ホッホー」と、フクロウの鳴き声が高く響いてきます。小型の「アオバズク」というフクロウだと思います。
一軒くらい、茶店が開いてないか・・・とうろつきましたが、懐石料理店の渋い店構えが提灯に浮かび上がるばかり。子連れでは庭園の夜間拝観も見送らずを得なかったので、また改めて、じっくりと散策に来ようと固く誓いました。

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2005.07.02

随想・祇園祭 その壱

祇園祭と市川雷蔵
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 京都の七月を彩る祇園祭は、八坂神社の祭礼であると共に、京都の町衆が誇りとし、心から楽しむ祭りである。
その八坂神社の朱塗りの西楼門をくぐると、すぐ両側に石灯籠が立っている。
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 右側の石灯籠に刻まれている名前は
  三代 市川寿海
  八代 市川雷蔵
であるが、寿海は名門の歌舞伎役者であり、雷蔵はその養子で、歌舞伎役者でもあったが、大映のスターとして一世を風靡した俳優である。
 わしは、銀幕で眠狂四郎を演じた最高の役者であるこの人のファンであるが、彼は1969年、三十七歳の若さで逝った。命日は七月十七日。祇園祭、山鉾巡行の日だった。
 そんな彼の残した下の手記は、祇園祭の宵山について書かれた、おそらく最も美しい文章だと思うのだ。

「結婚して以来二人で京都の町へ出かけても、映画館であれ、百貨店であれ、私たちは絶えず周囲からの視線の集中攻撃にあって当惑するのが常でした。なにがそんなに珍しいのか、ジロジロと興味あり気な目で見られると、全く身体まですくむ思いでした。
 ところが数年ぶりで出かけた宵山では、私は全然期待もしていなかった快い気分に浸ることができました。鉾や露店や人出は年々歳々同じことで数年前と変わるものではなかったのですが、かつては一人で歩いたのにくらべて、今度は二人で手をつないで大勢の男女と入りまじって歩いた気分だけはまったく、予期もしない幸福感に溢れる思いでした。
 自分でもよく説明できない気持ちでした。たしかに老若男女さまざまな連れの中にもまれて、私たちの若さ、しあわせといったものをしみじみと感じるような、生まれて初めての宵山情緒だったのです」
(「市川雷蔵かげろうの死」田山力哉著・講談社刊より、引用 ☆下の写真の左の本である)

gionmaturito_0011 複雑な生い立ちを持ち、スターの孤独の中、夭折した彼が、ほんのつかの間味わった、新妻との幸福の象徴が、宵山見物だったのだ。
 祇園祭の宵山には、彼が語ったとおり、老若男女誰もが心華やぎ、生きる喜びを噛み締められるような、不思議な雰囲気があると思う。

☆祇園祭について書かれたblog記事でモヨコさんの「コトモノBLOG」の「祇園囃子が聞こえる」が、わしの書こうとした宵山への思いに近いと思いました。

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2005.07.01

智積院の蓮と桔梗2

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ずっと空梅雨だったけれど、7月に入った今日は梅雨らしい空模様。
智積院の蓮も開いている花が増えているだろうと思って寄ってみました。

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確かに沢山の蕾が開いていたものの、昨日の夕立めいた土砂降りのせいか、花の形が整っていませんでした。
でも葉に溜まった露が清らかに美しい。

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桔梗のほうも、数多く咲いています。

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前に比べると、白の桔梗が目に付きました。


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水無月・みなづき・皆好き

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6月30日は、夏越の祓いということで、あちこちの神社で茅の輪(ちのわ)をくぐったり、紙の人形(ひとがた)を川に流したりということを、京都ではするのだが、我が家で欠かさずやってるのは、この和菓子「みなづき」を食べることくらいである。
老舗はもとより、和菓子屋はどこでもこれを売り出してるが、今回うちのは生協の共同購入で求めたごく安価なもの。それでも十分美味しく、なんか猛暑を乗り越えるパワーを貰ったような気がするのが、年中行事の威力かな。

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みなづきだけでは淋しいので、6月に口にした甘味を並べてみる。これは、京都駅伊勢丹デパート内の「茶寮・都路里」で食べた、「鞍馬」と名づけられた黒糖蜜のカキ氷。適度にコクのある甘さが暑さにバテ気味だった身に嬉しかった。

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都路里はもちろん、パフェをはじめとした抹茶メニューがずらりと揃えられて、平日でも行列が絶えないのである。祇園にある本店は言わずもがなだろう。

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混雑していたといえば、紫陽花を見に行った宇治の三室戸寺もそうだったが、ここの庭園内にある「花の茶屋」で味わったのは「冷やし飴」。
京都に来るまで知らなかった夏の飲み物である。生姜入りの水飴をお湯に溶かし、氷で冷やしたものといえばいいだろうか。三室戸寺門前の土産物のテントで「飴の素」というのを買ってきて楽しんでいる。宇治市にある「岩井製菓」製で、米飴・中双糖・土生姜が原材料だそうだ。ちなみに「花の茶屋」も、この岩井製菓さんが営業していたのだと、たった今HPを見て知った。

いよいよ七月、祇園祭のこの季節はとにかく蒸し暑い。
浴衣・・・いや、おじさんとしては、ステテコで冷やし飴を飲み、さらには梅肉和えのハモを肴に生ビールでもあおって、のらくらとやり過ごしたいものだ(^^;)

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