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2005.06.30

小説「流れのほとりで」第十七回

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 あの日、英輔は呼び出されて、祇園白川畔に赴いた。辰巳大明神近く、祇園の象徴とも言える吉井勇の歌碑に、菊の花が供えられていたのを見た記憶があり、「かにかくに祭」の翌日、十一月九日だったようだ。
 昼下がりの花街は、まだ眠ったように静かで、ほとんどひと気がなかった。英輔はわざとラフな服装をし、膝の擦り切れたジーンズで大またに歩き、とあるお茶屋の玄関に立った。
 案内を請うと、「仕込み」と思われる化粧気のない少女が取り次ぎに現れ、英輔が名乗ると緊張した面持ちで
「どうぞ、お通りやして」
と丁寧に腰を折り、上がるように促した。
 畳敷きの暗い廊下を進むうち、二・三人の女の笑い声が、襖の中から漏れてくる。やがて坪庭が明るく開け、その向こうに、茶室らしき離れが見えた。
「おかあさん、よろしおすか?」
仕込みの子が細い声で訊ねると、茶室の中から、張りのある女の声が響く。
「さあ、ずっとこちらへおこしやす」
 仕込みの小さな手が襖を開くと、炉の向こうにゆったりと座る五十年配の、大柄な女性が見えた。声はまだ、三十代かと思うほど艶やかである。英輔の目には高級そうとしか判断できない縞の和服を着て、柔和に笑っている。
「こないな商売をしてますよって、朝は遅おすし、夜はなんやかやありますよって、えろう半端な時間にお呼びたてしまして、ほんまにすんまへんことどした」
 屋形(いわゆる置屋)を兼ねたこのお茶屋のあるじらしい風格を滲ませる相手に気圧されまいと、英輔は精一杯気負って挨拶した。
「こちらこそ、無理を言って申し訳ありません。やっとお会いできて、ありがたく思います」
 この女主人に会うために、何度となく電話し、ほとんどが「いま、おかあさんはいやはりゃしまへん」という返事に苛立ってきた英輔だった。今日こそ、と意気込み、勧められた座布団に肘を張って座った。
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2005.06.29

クイズの答え

さて、少し前に出した、クイズというか、間違い探しの答えです。
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御覧の通りでして、このお寺・法住寺は「身代わり不動さん」で知られているのですが、不動産業者にされてしまっていました(^^;)

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せっかくですので、法住寺の紹介も簡単にしておきましょう。以前、紅梅を取り上げたこともありました。
ここは、源平争乱の時代に、後白河院(上皇・法皇)が広大な法住寺殿を築いた地で、今の三十三間堂もそのなかの一つの堂・蓮華王院に過ぎませんでした。しかし戦乱の中に御殿や寺院は焼け落ち、今の法住寺は後白河院の御陵を守護するために建立されたそうです。写真のちょっとエキゾチックな門は旧法住寺御陵の正門で、今の法住寺では、三門と並んで建ち、竜宮門と呼ばれているとか。

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こちらが三門内の写真です(桜の頃に撮影したもの)。小じんまりとした印象のお寺ですが、様々な伝承を持ちます。
まず、本尊について。木曽義仲の襲撃にあって後白河院が逃げるときに、天台座主明雲大僧正が矢を受けて斃れたのを、「不動明王が明雲となって、私の身代わりになってくれた」と後白河院が感謝したことから、本尊を「身代わり不動尊」と呼ぶようになったとのことです。
他に、ここは赤穂四十七士ゆかりの寺の一つでもあり、寺伝によれば大石内蔵助が大願成就を祈願し、本堂には四十七士の木像があるそうです。
さらに、「ソバを啜る親鸞聖人の頂相阿弥陀如来」という、まず他には観られない仏像を所蔵すると聞きますが、わしはまだ、本堂内に参ったことがありません(汗)

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2005.06.26

Musical Baton

突然ですが
「*natural HOME Days」のうさこさんから
「Musical Baton」のご指名がありました。

Musical Batonの説明は上記リンクで(^^;)
つまりは、音楽に関する4つの質問に答えて、自分の音楽の好みを語り、それを次のブロガーにBatonタッチしていく、つうわけですな。
なんか、自分の聴いてるある曲について語りたいという欲求がもたげていたときに、あまりに良いタイミングでご指名貰ったので、喜んで書いてしまうわけです。

★Total volume of music files on my computer (コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量)
えーと、どうやったらその容量ってわかるんでしょ?たいした音楽ファイルは入ってません。北川景子ちゃんの歌くらいかな(笑)
(追記・盟友たっくんに示唆してもらって、調べたところ、こまごましたの含めても80MBくらいのようである)

★Song playing right now (今聞いている曲)
「忘れ咲き」GARNET CROW
 テレビアニメ「名探偵コナン」のエンディング曲に使われました。このグループの曲は非常に抒情的で透明感溢れてます。詞を書いてるazuki nanaさんは、どんな本を読んでるのかな、などと想像を掻き立てられる。

★The last CD I bought (最後に買ったCD)
「YOSUI TRIBUTE」 平原綾香、小野リサ、ユーミン、忌野清志郎といったメンバーが、井上陽水の曲を歌ったアルバム。期待したほどインパクトがなかったのは、わしが陽水にそんなに思い入れがなかったせいかな。

★Five songs(tunes) I listen to a lot, or that mean a lot to me (よく聞く、または特別な思い入れのある5曲)
5曲で収まるやろか・・・
1・「第九交響曲」作曲ベートーベン・指揮フルトヴェングラー・バイロイト祝祭管弦楽団
 壮絶、凄絶、魔界の果てからうねりつつ襲い来る怒涛の旋律に戦慄。

2・「卒業」詞・曲・歌・尾崎豊
 あの頃のわしは、2トントラックを運転して横大路の倉庫に行ってた。付けっぱなしのカーラジオから「卒業の歌特集」といって流れてきたこの曲に、魂震えた。以来、歳のいった尾崎ファンになったのだ。彼の死はけっこーなショックとなった。

3・「真夏の果実」詞・曲・桑田圭佑 歌・サザンオールスターズ
 嫁さんの出産が迫り、わしだけが付き添って病院に行った。準備の個室で陣痛に耐えてる嫁さんを励ましているとき、部屋にあったラジオからこの曲が流れた。なんだか、嫁さんと過ごした青春のエッセンスが一気に脳内に蘇り、忘れられない曲になった。
 しかし、実はあの時流れたのは、サザンの歌声ではなく、英語の歌詞であった。いったい誰が歌っていたのか?と思っていたら、つい昨日、ラジオから流れてきたのはボニーピンクとやらが歌う新バージョン。誰が歌っても心に沁みてくるなあ・・・

4・「Secret of my heart」詞・歌・倉木麻衣 曲・Aika Ohno
 これも、アニメ「名探偵コナン」のエンディング曲なのであるが、わしはこれを小説「六番目の小夜子」(恩田陸・作)を読むときのBGMにしていた。わしがすごした高校時代の雰囲気を見事に想いおこさせてくれるノスタルジックな青春小説にして、甘美と恐怖を誘うミステリアスな展開。そして、NHK教育テレビ「愛の詩」で見事にドラマ化されたものも、わしはこの曲をテーマにして楽しんだのである。

5・「ファイト!」詞・曲・歌・中島みゆき
 「時代」より前から、わしはみゆき姐御のファンで、オールナイトニッポンもず~~~っと聞いていたのである。
恨み節ばかりが彼女の持ち味ではないのは、プロジェクトXの主題歌「地上の星」でも知れ渡ったであろう。そう、凛冽なる闘志と誇りに満ちた雄雄しき歌の数々に、わしは幾度も奮い立ってきたのだ。 

★Five people to whom I'm passing the baton (バトンを渡す5人)
うちに今まで来ていただいた方の中から、特に基準を決めずご指名させていただきます。
お暇でしたらお付き合いください。
当然ながら、全く無視されてもかまいません。

「Day Wind -京都散歩-」のpastorellaさん
「GO!GO!C.K」のたっくん
「書き急げ!時間がない!blog」の遠野阿璃子さん
「Passing Strangers」のRough Toneさん
「華の宴~Life at night~」のfuzikaさん

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2005.06.24

ひと休みしてクイズなど

今熊野界隈をうろついていたら、道端のフェンスに、地域の案内図が掲げられていたので、しげしげと見ていると、とんでもない間違いが一箇所あるのに気付きました。
で、それをネタにしてみようというわけです(笑)

どこが間違っているか、探してみてください。
下の写真はクリックすると大きくなります。しかし、まあ、間違いはデカデカと書かれているので、小さな字を見る必要はないです。
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いかがでしたか?

(以下は、誰に向かってというわけでもない、自分に鞭入れるための宣言)
そろそろ、小説「流れのほとりで」、ラストに向けてリキ入れます。
それから、長いこと構想していた時代小説書き始めます。別のblogを立ち上げて、そっちに連載する形をとるかもしれません。

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2005.06.22

智積院の蓮と桔梗

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毎日前を通る、東山七条の智積院。雨上がりの朝、ちょっと寄ってみたら、蓮が花開いていました。

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不動堂の横に、小さな蓮池があります。朝の光の中で一輪が透明な花弁を輝かせ、何輪かがほころんで、これから見ごろでしょう。

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そして、お寺の紋所に使われている桔梗の花が、金堂に続く参道の両脇に並んで咲いています。

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ここの桔梗は、背が高く、涼やかに風に揺れていました。

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金堂前の梅林近辺は、広々とした明るい雰囲気で、湿り気と陰翳に満ちたいわゆる京都らしさとは遠いですが、それだけに梅雨の季節はさわやかさを味わえるかも。

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これは、おまけ。鉢植えの紫陽花が宿坊のレストラン「ききょう」の前に置かれていて色鮮やかでした。

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巨樹・14 美女伝説の小町ガヤ

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醍醐の善願寺で、不動尊像が彫りつけられているのは樹齢一千年と伝えられる榧=カヤだが、その樹を含めて山科の小野から醍醐一帯に残るカヤの古木は「小町ガヤ」と呼ばれている。

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小町は無論、平安時代を代表する美女・小野小町である。彼女に関する話はほとんどが真贋明らかでない伝説なのだが、その一つに「深草少将の百夜(ももよ)通い」がある。
若き貴族の深草少将が、小町から、百晩続けて通えば想いを叶えてあげると言われ、誠実に通い続けた。最初戯れで言っていた小町もその誠意にうたれ、カヤの木の実を糸に綴って百晩目を待ったのだが、その最後の夜、吹雪に迷った少将はついに小町の元へ行き着けずに斃れる。悲しみに暮れ、小町は糸に通していたカヤの実を大地に撒き、それが育ったのが小町ガヤだったというのである。

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かつては多数存在し、江戸時代には随心院の周囲に43本もあったらしいのだが、1980年代には山科区小野には4本だけ残存。それも2本が枯れて、今や2本のみ。(小野以外、善願寺に一本あるのは確かだが、他にあるかどうかは知らない)
この一本は、外環状線を南下して名神高速の高架下をくぐり、東に分かれる醍醐へ向かう道に踏み込むと、すぐに見える。樹高12メートル、胸高周囲4・3メートル。
田圃脇の狭い土地に立っているが、堂々たる高木で、善願寺の不動尊が刻み込まれていた樹もこんな感じである。
ちなみに、93年に枯れた小町ガヤの一本は、随心院が譲り受けていて、つい先頃、それを使って念珠=数珠を作ったそうだ。大中小あわせて1130製作されたそうだが、非売品で、お寺に寄進した人への記念として渡されるとのこと。(京都新聞6月6日より)

☆piitaさんの「京都あちらこちら」では、小野に生き残っている小町ガヤの2本とも写真が見れます。

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2005.06.21

善願寺の榧の木不動尊像

一言寺もあまり知られていないお寺であるが、善願寺となるともっとマイナーで、ほとんどの観光ガイド本には載っていないと思う。
場所は伏見区の醍醐寺から南へ旧奈良街道を進んでいくと、一言寺へ行く途中にある。道路に面して西側に建っているお寺である。

息子を連れて愛車マーチを乗り入れた駐車場は、小さな墓地に面した真新しい建物の裏手。庫裏?かと思われるその建物の玄関脇に、受付があって絵葉書などが並んでいるのだが、ひと気がない。建物の玄関が網戸になっているので声を掛け、出てきた女性に来意を告げると、本堂のほうへ案内された。
修復中らしくシートが壁に掛かっている本堂の、脇の小さな入り口から入り、説明を受ける。

ここは安産祈願、子授けの「腹帯地蔵」として信仰を集めてきたお寺だそうだ。
江戸時代に再建された本堂には、飛天や雲龍図、120面もの花を描いた天井画など、結構見応えあるものが多い。
さらに、本道を抜けて、庭に出ると、本尊の地蔵菩薩を祀る新築のお堂がある。収蔵庫っぽいガラス張りの建物のなかにおわす坐像は、平安時代後期に作られた丈六(高さ268.2センチ)の端正な木像で、堂々たるもの。腹部に裳の結び目があって、これが腹帯に見えるので、安産の守護佛となったとか。

しかし、ここでわしがなんとしても見たかったのは、「榧(かや)の木不動尊像」であった。

地蔵堂の手前、狭い庭の隅に、太い榧の木が立っている。すぐ塀の向こうは奈良街道である。もっと荘厳な雰囲気を予想していたのでちょっと拍子抜けして、榧の木の前まで行ってみた。
壮烈なものを感じて、全身が震える。
生きている榧の木の幹、目の高さに、不動明王の像が直接彫りこまれているのである。
1メートルほどの大きさの坐像は、力感に満ちてわしを圧倒した。
これは、今から50年前に、西村公朝という仏師が、たったの一日で彫りつけたそうだ。
この樹は樹齢1千年と伝えられ、当時の住職が夢でこの樹に不動明王が立ったので、西村師に依頼したという。

神木にノミを当てるには、凄絶な覚悟が必要だったに違いない。樹の生命力を損なわぬよう、植物学者にも意見を求めての壮挙だったと聞く。
撮影禁止の張り紙もあったし、カメラは取り出さなかった。
この像の凄さは、じかに見ないとわからないと断言できる。
樹は今もたくましく根を張り、風が吹く度にはらはらと葉が、わしの髪に降って来る。不動尊像の周りには、再生した樹皮が巻いてきていて、像はいつか樹の中に隠れてしまうだろう。
これを彫った西村師は二年前に逝かれたそうだ。

髪を逆立て、口から牙をのぞかせる憤怒形の像を見て、息子が説明を求める。
「剣をもってるけど、これ、ヒーローなん?」
「悪いヤツをやっつけ、正しい道へ連れて行ってくれる、強い仏様や」
「世界最強?」
「うん、世界最強のヒーローやで」
この力強さ、荘厳さ・・・こんなにパワーをくれる仏様は、めったにおられるものではない。
是非、見に行かれることをお勧めする。

住所は京都市伏見区醍醐南里町33番地
電話・FAX 075-571-0036
行きかたは、京都市営地下鉄「醍醐駅」下車、徒歩15分。
もしくはJR・京阪「山科駅」や京阪「六地蔵駅」発の京阪バスで「醍醐和泉町」バス停下車徒歩2分。

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巨樹・13 一言寺のヤマモモ

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醍醐の一言寺、山門を入るとすぐ右手にあるのが、巨大なヤマモモ。
養源院に続いて、またヤマモモの紹介になったが、他にも山科の毘沙門堂や勧修寺にもあり、あちこちで大切にされてきた樹のようだ。

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ここのものは京都市天然記念物に指定されている。樹高9・2メートル、胸の高さの周囲3・28メートルである。
おりしも訪ねた6月19日は、びっしりと実った果実が赤く色づいて美しかった。
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びっくりしたのは、主幹のなかがまるでがらんどうで、ほとんど皮だけで立っているのである。ヤマモモはかなり幹に空洞が出来やすいらしい。養源院のもボコボコだったし、勧修寺のは真っ二つに裂けていた。それでも樹としては元気で、とりわけここのは、葉も旺盛に繁り、いっぱいに実を付けている

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この実は、かなり酸っぱいけれどジューシイで、かつては珍重されたのだと思う。
「木に触らないで」と立て札があって、わしもここの実を味わうのは控えたが、地面に散り敷くように沢山実が落ちているのを見て、少しもったいないなあと指をくわえた(苦笑)
改良されたフルーツに比べれば、甘さが全然足りないが、かつて故郷で桑の実を一杯食べた記憶のあるわしには、野趣溢れるまあまあの美味と感じられるのである。

山に近いこのお寺には、沢山の鳥や動物が訪れて、この実を味わい、伸び伸び過ごしているようだ。

☆追記・Bachさんのコメントを見て、検索してみたら、ヤマモモの実は徳島県あたりでは、お店で売られていることもあるようだ。平地で育った樹の実は酸っぱく、山地の樹の方が甘い実を付けるという話もある。

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2005.06.20

醍醐の一言寺

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伏見区醍醐、ほとんど醍醐山の裾に抱かれて、一言寺(いちごんじ)がある。
空梅雨の暑い日曜日、息子を連れて出かけたが、ほとんど参詣の人影はなかった。

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寺伝によると、建礼門院(平清盛の娘で、高倉天皇の中宮・安徳天皇の母)に仕えた阿波内侍(あわのないし)が建立したとのことで、そうなると、源平争乱ゆかりのお寺ということか。本尊は千手観音で、「一心に祈れば言下に願いが叶う」ので、一言寺の名が起こったそうだ。しかし、明治になって醍醐寺の塔頭のひとつ、金剛王院がここに移転してきて合併。正式名称は金剛王院のほう、らしい。

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門を入るとすぐに目に付くのが、巨大なヤマモモの樹で、ちょうど一杯に実が付いていた。詳しくはカテゴリー「巨樹」のほうで触れるのでしばしお待ちを。

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境内には紫陽花がかなり沢山見受けられたが、二年ほど前に3000本植えられたようだ。これから紫陽花の名所になっていくのかもしれない。

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本堂は江戸時代を代表する寺院建築の一つだそうだが、そのきざはしに座っていた、ご住職らしいお坊さまが、気さくに声を掛けてくれ、すっかり話しこんでしまって、内部を拝観するのを忘れた(^^;)

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静かな境内に、何度も澄んだウグイスの声が響く。醍醐寺から程近く、奈良街道を横道に入って、坂道と石段を登ればすぐなのだが、本当に山懐にいるような感じだ。夜になるとイノシシがやってくるそうで、タヌキなどは昼間から見ることが出来るとか。

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周りは深い竹林で、太い竹が高く伸びていた。
実は息子に「カブトムシとりたい」とせがまれて、山に行こうとこの辺にやってきたのである(汗)が、ご住職に「カブトムシは7月になってからやな、セミはそろそろ鳴き始めてるけど」と笑われた。
でも、来てよかったと思った。古い彫刻に飾られた本堂のきざはしに座り、森の息吹を吸い、ウグイスの声を聴いただけで十分に値打ちがあった。

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2005.06.18

小説「流れのほとりで」第十六回

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 恩田と美沙子が去って、翌日は寒波が訪れ、京都は薄い雪に覆われた。
 英輔はまた、出町柳で川を見ていた。ふさいだ気持ちを少しは晴らそうと、歩いてやってきたのである。
(ここから仰ぐ比叡山は、故郷飯田の風越山に似ている、と思うのは、自分だけだろうか・・・)
 共に飯田から京都に来た沢井は、故郷を捨てている。言葉も京都弁を使い、京都人になりきろうとしている。だが、英輔にそれは出来ない。
(あいつのやり方は、間違っている。どんなに金を稼いで、京都に人脈を作っても、あいつは京都を好きなわけじゃない。京都に溶け込もうとしているわけではないんだ)
 しかし、省みて自分はどうなのか、という問いが、英輔をさいなむのだ。
 美沙子を見て思い出した、かつて自分が恋した舞妓・・・彼女とは無残に訣別を迎えるしかなかった。その時点で英輔は京都を去っても良かった・・・いや、そうすべきだったかもしれない。
 亀の形の飛び石を、無邪気に跳ねて行く少女たちを眺めながら、英輔は、封印していた記憶を掘り起こす。
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2005.06.16

京の雪舟寺・芬陀院

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天得院で桔梗を見た後、近くにあるやはり東福寺塔頭の一つ、芬陀院(ふんだいん)を訪ねてみた。かねてから「雪舟寺」と案内が出ていて気になっていたのである。

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元享年間(1321~22)に、時の関白・一条内経が創立し、以来一条家の菩提所となっている・・・とのことで、建物は桃園天皇(在位1747~62)の皇后の御所を一棟下賜され、明治の末に改築したものだそうだ。

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さて、ここが雪舟寺と呼ばれるのは、画家として著名な雪舟が築いたと伝えられる庭園を持つからである。わしは最初、雪舟の絵があるものとばかり思って探し回った(苦笑)
作られたのはかの、応仁の乱の辺りで、長く荒廃していたものを、昭和12年(1937)から重森三玲氏が復元し、更に昭和30年代に白砂などを整備して往年の面影を取り戻したという。
写真右の亀を模した石組みは、夜中に這い回ったので雪舟が背の甲羅に大石を突きたてて動かないようにしたという伝説を持つ。枯山水としては京都最古で、雪舟が作った庭としては近畿で唯一残存、とのこと。

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その枯山水の庭も、閑雅でよろしいのだが、隅っこに建つ茶室が、わしの興味をいたく引いた。

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図南亭(となんてい)といい、茶道愛好家として知られる一条昭良が好んだものだが、宝暦5年(1755)に焼失。それを昭和44年(1969)に再建したそうだ。掲げられている額には、詩仙堂のあるじ、石川丈山の名が刻まれているではないか。

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茶室というものにあまり縁がないので、しっかりと見せていただいた。無駄のない空間に美的洗練が研ぎ澄まされていて、さすがである。

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そして、この茶亭の円窓が、なんとも印象深かった。ここから覗くと、なにやら別世界、異次元を見るような気がするから不思議だ。

知らなかった京都のベールを、またひとつめくることが出来たと嬉しかった。まだまだ京都には、わしの知らない世界が幾重にも待っているんだ・・・

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2005.06.14

桔梗の寺・天得院

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京都市東山区本町の、東福寺の塔頭の一つ、天得院は、桔梗の寺として知られている。
今、その青と白の花が咲きそめて、特別拝観(7月9日まで)を行っているので訪れてみた。

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南北朝時代に開創され、安土桃山時代、ここの住持である文英清韓という僧が、例の方広寺の「国家安康 君臣豊楽」の銘文を作ったために、豊臣家滅亡のいくさを招いたと罪を着せられ、一度この寺は取り壊されたそうだ。
今の建物は天明9年(1789)に再建されたもの。華頭窓がかつての栄華の跡であるかのよう・・・

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枯山水の庭は、決して広くなく、桔梗の可憐さに会わせたような繊細な雰囲気である。
しかし遠景では、桔梗が貧弱に見え、最初は、正直がっかりしたのだ。

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軒に立って眺めても、桔梗の美しさはわからない。花の高さまで視線を落とさなければ。
杉苔のなかに、凛として立つ桔梗が、なんとも清しい。

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出来ることなら庭に降り、はいつくばって写真を撮りたかった(^^;)が、これが限界。

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庭園の門には、桔梗紋が彫りこまれていた。初夏だけでなく、秋にも桔梗は咲くという。

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杉苔と桔梗の取り合わせは、京都のお寺ならでは、だと思う。

ちなみにこのお寺は「東福寺保育園」も運営していて、すぐ隣から賑やかな音楽が響いていた。

piitaさんの「京都あちらこちら」でも同じ日の「天得院の桔梗」が紹介されています。
らくたび 涼さんの「京都の旅『らくたび』コラム」では、桔梗を紋所にした明智光秀や、桔梗名所のお寺が紹介されています。

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2005.06.13

紫陽花の三室戸寺へ

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この季節、あじさいを観に行かないと!と、唐突に嫁さんが言い出し、家族で出かけたのは、宇治市莵道滋賀谷にある、三室戸寺(みむろとじ)でした。

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車で出かけたわしらは、11時頃に着いたのですが、既に駐車場(旧来の参道をよけて恐ろしく回り道をさせられる)は満車状態。あじさい園は、本堂に登る坂道の右手の谷にあって、杉木立の中で鮮烈にして幽玄な別世界を作っています。その紫陽花の数、1万株!しかし今日は、人のほうが多かったのではないだろうか(苦笑)

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咲き始めらしく、どの花も瑞々しかったです。そして、紫陽花ってこんなに青かったのか!と嘆声を挙げずにはいられません。青の次には白い花が多かったです。

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ところどころ、こんな緋色めいた花もあって、いいアクセントになっていました。

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紫陽花に埋もれて堪能したあと、急な石段を登ると、新緑の山をバックに、優美な本堂があり、前庭には、沢山の鉢や水槽が並んで、蓮の葉が鮮やかな緑。蕾も伸びていて、花が咲けばまさに極楽の景色かもしれません。

それにしても、沢山の参拝客・・・というか、花見客の中で疲れてしまい、本堂前の休憩所で休みました。いちおう境内は飲食禁止ですが、休憩所の隣にはなぜか、ハーゲンダッツのアイスクリーム自販機が(^^;)。
あじさい園の中にも、「花の茶屋」があって、茶そばなどもメニューにあります。わしらは、ひやしあめやカキ氷(あじさい氷と銘打ってた)をいただきました。

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昨日の雨のおかげで、紫陽花たちも、カタツムリもご機嫌のようでした。

で、午後1時過ぎに帰ることにし、駐車場を出てびっくり!
駐車場へ入るために待っている車が物凄い列を成しているのです。その反対車線をとばしながら、どこまで行っても終わらない渋滞に、恐怖しました。
「この人たち、お寺の閉門時間に間にあうんやろか?」
「夜間拝観もあるから、大丈夫やとは思うけど」
「バスも立ち往生やね・・・」
「早めに来て、ほんまによかったな!」

あじさい園の公開は7月10日までだそうですが、休日の車の渋滞は恐るべきものとご留意のほどを。

らくたび涼さんの「京都の旅『らくたび』コラム」「厚い雲に覆われた季節」では、京都のアジサイ名所について知ることが出来ます。
松風さんの「京・壺螺暮」でも「三室戸のアジサイ」が詳しく紹介されています。

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2005.06.12

入梅(つゆいり)の木陰に

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近畿地方梅雨(つゆ)入りと宣言された。うちのマンションの生垣の下、こんな生き物を見つけた。
写真のネジの長さが大体2センチくらいか・・・可愛いでしょ?
「紫陽花にカタツムリ」が風物詩ともてはやされるけど、ナメクジだって梅雨空の下、生き生きとしてます。

oom
そのナメゴンのすぐ近くにいたのが、この王蟲だ。(笑)
こいつは、上の写真のネジの半分くらいもありました。正式な和名はダンゴムシ。つかまえるとボールみたいに身体を丸めるやつです。

曇り空でも、雨に打たれても、日々の暮らしをしっかり営んでいこう・・・

☆注 
ナメゴン
  =昔「ウルトラQ」という特撮番組に出てた怪獣
王蟲
  =オームと読む。
   「風の谷のナウシカ」に出てくる巨大節足動物

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2005.06.11

東本願寺

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京都駅を出て、ほんの目と鼻の先にある、広大なお寺が、真宗大谷派本願寺=東本願寺である。

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烏丸通に面して堀があって、白い睡蓮の花が咲いていたが、人目を引くほどではない。

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なんと言ってもここで目を見晴らされるのは、伽藍の巨大さだ。振り仰ぐ御影堂門は天を突かんばかりである。

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伽藍の中心をなす御影堂(大師堂)は、世界最大級の木造建築であるが、現在、御覧の通り大修復中。2011年の親鸞聖人750回忌に向け、2008年末に竣工を予定しているそうだ。(西本願寺の御影堂も同様である)

西本願寺や興正寺については、巨樹や梅花などをとりあげたことがある。だが、『京都案内」として取り上げた寺社で、宗教に関して触れた事はほとんどない。しかし、今回はあえて書いてみたい。
東本願寺も含め、浄土真宗のお寺は観光臭が薄く、今も信仰が強く息づいている印象を受ける。東も西も、信仰や教義について説くパンフレットや書籍が、他の寺院とは比べ物にならないほど充実していると思う。
そして、その内容は、鋭く宗教の核心を突いて、瞠目させられるのである。

「『五代前の先祖がたたっていますよ』と言われると、ドキッとする人は多いかもしれません。しかし『亡くなったお母さんがたたっていますよ』と言われればどうでしょう。ほとんどの人は、『私のお母さんはそんな人ではありません』と怒り出すのではないでしょうか。つまり、先祖が迷っているとか、祟っているというのは、亡くなった人のことをはっきりと受け止められていない私たちの心のすき間につけ込んでくるものなのです。そして、ほとんどの場合、それにはお金がからんでいます。(中略)亡くなった人は、自らの身をもって、人は必ず命を終えていかねばならないということを教えてくれています。限りある人生をどのように生きるかと呼びかけているのです。(後略)」(大谷大学助教授・一楽真)
・・・東本願寺の総合案内所に置かれていた『真宗本廟教化リーフレット」より

「浄土真宗では、霊や魂といったことは申しません。名前を書いた木の板に、あなたの大切な家族や親しい方がたの魂が宿るなどと、本当に考えられるものでしょうか。(中略)絶対にお仏壇の中に位牌を置かない、という努力をしていただきたいと思います。でなければ、位牌を通じての霊魂崇拝、死者儀礼的なものが中心となって、お釈迦さま、親鸞さまの教えとまったくかけ離れた形になってしまうからです。」
・・・西本願寺の「ブックレット基幹運動No.11 真宗の葬儀」より

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巨大な伽藍も、決して人を威圧するために作られたものではなく、多くの人々の信仰が集まった、祈りの形なのだろう。
広い境内の隅で、巨樹の根方に、黒猫が憩っていた。
どこから来て、どこへ行くのか、どう生きていくのが本物なのか、まだわかりはしないけれど、
猫もわしも、地球に生きる同朋・・・そんな風に思った。

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2005.06.10

小説「流れのほとりで」第十五回

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 冬にしては明るい日差しが鴨川を照らしている。英輔は穏やかな気分で、恩田夫妻を連れ、水面を眺めた。
「差し出がましいことをしてしまったかと、内心びくついてたんですけど」
英輔の言葉に、恩田はかぶりを振る。
「いえ、いい勉強をさせてもらいました。美沙子のためにも、しっかり仕事を取って稼がないといけないと思って焦って、危ういことの片棒を担がされるところだった。お礼を言いますよ」
 美沙子が顔を上げて、恩田を見つめる。表情が曇っている。それに気付かない様子で、恩田は上機嫌に続けた。
「今、少し教えていただいて、京町家に改めて興味が持てました。それで、新しいアイデアも浮かんできたんですよ」
「ほう?どんなことでしょう」
相槌を打つ英輔に、恩田は熱弁を振るい始める。
「バブル崩壊と、テロばやりで外国旅行がすっかり下火になって、代わりに京都が大ブームだ。東京のデパートでも毎日のように京都の物産特集をやってるし、ついには、京都の町並みを取り入れた、上品な和風テイストのショップも出来つつある。そして、ご存じないと思いますが、東京にも舞妓がいるようになったんです」
「え?なんですって」
英輔は耳を疑った。恩田はここぞと得意げに声を上げる。
「浅草に芸者がいるのはご存知でしょう?あそこに、振袖さん、というのが出来たんですよ。今まで、京都の舞妓にあたる若い半人前の芸者を半玉と言ってましたが、舞妓とはまるで格好が違ってたでしょ?それを、ほとんど舞妓と同じ姿にしたんです。正確には半玉がそのままなったわけじゃなくて、雇用形態は新しい形らしいんですが、まあ、そんなことはどうでもいい。特に外人客には舞妓そのもので通用します。その振袖さんを、正確に作った京町家に置くことで、一層グレードは上がるじゃないですか」
 唖然としていた美沙子が、恐れをなして口を挟んだ。
「あなた、何を言ってるの?新しいアイデアってまさか・・・」
「東京に、小京都を作るんですよ。もう、それらしいものは既にあるんですが、振袖さんと組み合わせることで集客力は大幅にアップします。舞妓さんのいる京都が東京に出来るんだ。日光江戸村など目じゃない、京都村、これは受けますよ。私がその町家を設計して・・・」
 激しい虚脱感とうそ寒さに身をさいなまれ、英輔は橋の欄干を握り締めた。救いを求めるように向けた視線が、哀しみに満ちた美沙子の目と交錯した。
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補足・京家のコロッケ

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何度も紹介しつつ、コロッケそのものの写真を載せていないことに気付きました(^^;)
さあ、これが京家のコロッケ、6個で300円なり。
パラフィン紙、緑の包装紙、新聞紙でしっかり包んで渡してくれる。揚げ油が紙に吸い取られてべたつかないのです。

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味は、わしにはちょっとだけ甘すぎるかな。オリソースなどを付けたら、ビールのあてにいいな・・・などと思いつつ車のなかで熱々を一個、はふはふと頬張ってしまいました(^^)
残りの5個が、忙しくて料理に手を掛けられなかった今日の夕食のメインおかずに・・・

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2005.06.09

勝手に紹介・今熊野商店街 10

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しばらく今熊野商店街のことを取り上げないでいるうちに、大変な変化が起きていました。
京家のコロッケが、50円に値上がりしていたのです。
どうも、わしが京都を留守にしていた五月の出来事だったらしい。

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このお店、前にも紹介しましたが、1983年出版の「食-京都の誘惑・旧版」(文春文庫 絶版)に「知られざる京都の名店」と書かれ、2003年に出た「京都の値段(2)」(プレジデント社)でも取り上げられている、気取らない京都の食べ物を代表する店の一つなのです。で、「食-京都の誘惑」では、昭和30年代には一個5円、今は30円と書かれているのが、「京都の値段(2)」の時点で、45円でした。
ここんとこずっとその値段で頑張ったはった京家さんですが、ついに50円か!と、感慨深いです。

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紫陽花の咲き始めた東山通を行く托鉢僧のすがたは、昔と変わらないでしょうが、今熊野の時の歯車は、確実にひとつ進んだなあ・・・

☆コロッケの京家さんについては、yumeさんの「yume_cafe」でもとりあげられています。(2005-3-17の記事)

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2005.06.07

正面通

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正面通、という通(とおり)をご存知だろうか?
豊臣秀吉が、天正14年(1586)に、東山の地に大仏殿を擁する方広寺を建立したとき、その参道として作られた、文字通り、寺の正面に伸びる道である。
鴨川に掛かる「正面橋」から、大仏殿跡までのおよそ250メートルを、紹介してみよう。
橋の東のたもとからは、ごらんのように京都タワーがうかがえる。

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なぜかこの橋、鴨川に直角に掛かっていないで、地図で観ると右肩上がり。五条大橋と七条大橋の間で交通量も少なく、のんびり渡れる細い橋である。

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陽射しも明るい気温31度の今日、正面橋の橋桁近くには、体長50センチもあろうかというニゴイ(鯉に似て頭部が長く、身体も細長い淡水魚)が、婚姻色も鮮やかに群れていた。産卵期なのだろう。

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橋の東側、川端通を渡って、正面通南側には、「京菓子司 甘春堂本店」が瀟洒な店構えを見せている。甘春堂さんは、正面通にもう一軒「東店」を持つほか、「嵯峨野店」「京都ホテル店」もあるそうだ。
ところで、このご近所には「京菓匠 七條甘春堂」というお店もあって、こっちは「本店」「七条店」と七条通に二軒もお店を出してはる上に、伏見大手筋店などもあり、さらには東京にも進出しておられるようだが、どないな関係にあられるのか、よう存じ上げません(^^;)

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甘春堂さんから東に、ほんのわずかな長さで「正面通商店街」が続くのだが、その中で断然重厚な風格を放つのは、「京料理 道楽」である。なんと、石田三成の軍師であった島左近の屋敷跡に、寛永年間に創業したという老舗中の老舗!是非一度訪ねてみたいと思っております(つまりまだ行ってない^^;)
京町家とはまた違う、古い作りの店構えは、「京都市指定歴史的意匠建造物」。

道楽さんのはす向かいには、超モダンな建物の銭湯「正面湯」があるが、でかくて上手く写真が撮れなかった(;;)
正面通商店街は、正面橋の川向こうに「七条新地」という遊郭があった頃が最盛期で、呉服屋などが賑わっていたそうだ。今はかなり景気がしんどそうであるが、超レトロに続けているお店と、新展開を図るお店とが入り混じり、小さい商店街だけれど面白い雰囲気がある。

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本町通まで来ると、正面通は急に広くなる。そして南側にそびえる小高い土盛と石の五輪塔は、「耳塚」。
秀吉が晩年に起こした朝鮮侵略のいくさで、敵兵の首級代わりに持ち帰った耳・鼻を埋めたという、酸鼻な歴史の遺跡である。時折、韓国からの旅行客らしい団体さんが参拝しているのを見ると、胸が痛むのである。
塚にはいつも花が供えられ、今はサツキが咲いていて美しい。

そしてこの東の突き当たりには、豊国神社、方広寺が秀吉の夢の残光を放っているのである。

sunaさんの「見たままに切り取る京都」、「大和大路正面・豊国神社」の景色を観ることが出来ます。

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2005.06.06

夏の京菓子・金魚鉢

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緑茶が苦手だったわしだが、京都の和菓子の繊細で奥深い味わいには魅力を覚えてきた。
初夏になると、夏向きの涼しげな和菓子がいろいろと眼を楽しませてくれる。
これは中でも見て楽しいモノの筆頭、幸楽屋さんの「金魚鉢」である。

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澄んだブルーの寒天の鉢に泳ぐ、二匹の餡で出来た金魚。水草らしき緑も添えられたこの和菓子は、一口で食べてしまえるほどの可愛らしさ。でもなかなか、食べてしまうには惜しくて、端から切ったり何とか金魚だけ出せないかとつついたり・・・(笑)

幸楽屋さんは、北区の鞍馬口通烏丸東入ルにあって、金魚鉢は要予約の季節限定商品。
(問い合わせ電話番号:075-231-3416)
でも、消費税込み一個210円で気楽に買えます。
実はわしは、予約もせずに買うことができました(^^)
四条河原町の高島屋デパートの地下特別売り場では、6月7日まで、お一人様六個限りで売ってくれるんですよ。

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2005.06.04

小説「流れのほとりで」第十四回

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 いかにも京都らしいお茶屋の続く前を、英輔は通り過ぎ、恩田と美沙子を招いたのは、あまり古くもない住宅の前である。
「祇園新橋伝統的建造物群保存地区、って言いまして、あっちのお茶屋のほうこそが京町家の典型みたいに見えますが・・・」
英輔は、照れたように顔をほころばせ、説明を始める。
「お茶屋は二階でお客をもてなすんで、普通の町家より、二階が大きいんですよ。で、わかりづらいんで、こっちの方で観てもらいます。二軒の家が、ほとんどくっついて建てられているでしょう?」
恩田と美沙子が、英輔の指差す先を振り仰ぐ。
「屋根を見てください。隣り合った家の屋根の高さが僅かに違っていて、重ねてありますね。あの重なっている部分の屋根を、ケラバって言うそうです。あの小さな屋根で、隙間の壁に雨が降り込むのを防ぐんです。」
恩田が敏感に頷く。
「そうか・・・町家は、こうやって隣り合って続いているから存在しうるんだ。単に統一した綺麗な景観という以前に、それでないと保全が難しい・・・」
「さすが、本職ですね、おれは、本で読みかじっただけなんで、あまりえらそうに講釈するのもなんですが、隣がなくなって、町家が単独で立つと、あの側面の壁が剥きだしになります。防水も何もしてない壁なんで仕方なく板を張ります。焦がした杉板とかなら、格好がつきますが、値が高いし耐久性もあまりないので・・・ほら、あそこみたいにトタン板を張るところが多い。するともう、風情も景観も台無しになっていくわけですよ」
 恩田は空き地に面して無残にトタン板の壁を晒している町家を見て、腕組みをした。
「古ければ、京町家、というわけではないんだね」
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2005.06.03

勧修寺の睡蓮・おまけ

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梅雨空っぽくなると、睡蓮も一層生き生きしているような気がします。
JR東海のポスター「そうだ 京都、行こう。」で、勧修寺が紹介され、
「桜のあと、ここはモネの睡蓮の絵のようになります」云々と書かれていたと思います。
さて、その通りかどうか・・・でも池の睡蓮はたしかに魅力的で、もっと写真を載せたくなったのです。

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小説「流れのほとりで」第十三回

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 彼女も、ふるさとの川の名前を言ったはずなのだが、英輔はそれを記憶していない。あの頃の英輔は、祇園の白川の流れに映る舞妓姿に夢中だった。そしてその景色は、彼女のいなくなった今も、昔のままにあった。
 遠い声のように聞こえたのは・・・白川の瀬音だったのかもしれないと、英輔は川岸でぼんやりと思う。
「ここも、流れのほとりの街だったな・・・」
そう呟いた背中に、聞き覚えのある声が響いた。
「南原さんじゃないですか?京都は狭いって言うけど、たしかにそうだな」
胸に痛みを覚えながら振り返ると、恩田の顔が日の光の下でほころんでいる。その少し後ろには、美沙子が顔を心持ち伏せている。
「ご忠告ありがとうございました。京都で仕事はしたかったんですがね、今日の夕方に新幹線に乗りますよ。で、御覧の通り、土産物を漁ってるところです」
恩田は屈託なく英輔に語りかけ、手に提げたいくつもの紙袋を振って苦笑した。
 なんとなく息苦しくて、英輔は恩田から視線をそらし、美沙子を見る。美沙子の色白の顔に不審の色が浮かぶ。
「南原さん、お顔、腫れてません?」
「あ、いや、ちょっと二日酔いでね・・・」
慌てて恩田の方に向き直り、英輔は無理に笑顔になる
「そうですか、じゃあ、これで、お別れですね」
「うん・・・いや、お願いがあるんですが」
恩田が真面目な表情になり、手にした袋を石畳に置く。
「ニセモノの町家を飾り立てて高く売りつける仕事、と南原さんは今回の件をおっしゃいましたね」
「ええ・・・」
たじろぎながら、英輔は恩田のひたむきな視線を受け止める。
「これでも、建築家のはしくれなのに、京町家についてはあまりに不勉強でした。だからあの沢井氏の魂胆も見抜くことは出来なかった。泥縄で恥ずかしいんですが、本物の町家を、教えてもらえませんか」
「いま、これから、ですか?」
「ええ。厚かましいお願いですが」
 意外な言葉に、美沙子が目を見張っている中、しばし沈黙が流れた。英輔の胸には、どこか爽やかな小さな感動が生まれている。
「いいですよ、喜んでご案内します!」
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2005.06.01

勧修寺の睡蓮

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山科区の勧修寺で、睡蓮が花の盛りを迎えている。

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観音堂が氷室池に映って美しい。受付で400円払うとチケット代わりに渡してくれる絵葉書には、紅の睡蓮とこの観音堂がバランスよく写っているのだが、同じ写真を撮るには、池の中に踏み込まなければならないとわかった(苦笑)

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望遠レンズと三脚の重装備でベストショットを狙うカメラマンが多い中、コンパクトデジカメのサイバーショットではなかなか苦戦を強いられる。睡蓮の花は結構岸から遠いのである。

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白と紅の睡蓮に加えて、花菖蒲も豊かな花びらを広げていた。

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白の睡蓮の真ん中で、狩猟中のアオサギ。殺気に満ちた精悍な身ごなしがかっこよかった。
この写真、特殊技を用いて、コンパクトデジカメでは不可能なはずの望遠写真になっている(笑)無茶なやりかたなんで、秘密にしておきます(^^;)

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小説「流れのほとりで」第十二回

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 暗澹たる気分で、ただひたすら足を動かし、英輔は鴨川を東に渡って、祇園の路地に踏み込んでいた。
 無知と、無鉄砲と、理想とで突っ走っていた若い頃、英輔は奇跡のように一人の舞妓に出会い、恋をした。成就するはずのない想いに燃え上がり、思いあがり、学生生活を棒に振った。
 それから幾年月・・・その舞妓の顔すらも忘れていたつもりだった。なのに、今、鮮明に浮かんでくるのはなぜだと、自問する。
(似ているのか・・・?美沙子が)
 厚い白塗りの下の素顔を、英輔は記憶の彼方からたぐりよせる。そうだ、彼女もまた、京都生まれではなかった。中学まで過ごしたふるさとの話を、隠れ家のように使ってデートした御幸町錦の小さな暗い喫茶店で、無邪気に話してくれたのではなかったか。

「うち、京都に来て、鴨川と比叡山が見えたとき、安心したん。川があって、その向こうにおっきな山が見えるんは、うちのふるさとの景色とおんなじやったから・・・」
「へえ!おれも、そうおもったよ。おれの場合は、鴨川に当たるのが、松川、比叡山は、風越山・・・って、言っても知るわけないよな」
「うん、しらへん。でも、いつか見てみたいな」

 遠い声が耳を打つ。
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