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2005.03.31

小説「流れのほとりで」第五回

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 先に立って歩く英輔の背中に、恩田がぶっきらぼうに声を掛ける。
「しかし、なんだね。町家作りの家なんて、そんなに多いわけじゃないんだ。あの宿は立派なモンだったが」
「どんどん減っていきこそすれ、増えることはありませんからね。元通りの形を保ってる家なんか、貴重品です。ほとんどは、窓をサッシにしたり、土間に床を張ったり、土壁にトタン板を貼ったり、住みやすくして、不細工になってしまってますよ」
「寒いからなあ、京都の冬は・・・確かに底冷えがする・・・まだかい?すぐそこだと言ったじゃないか」
 口を尖らす恩田を、妻が笑った。
「まだ、5分くらいしか歩いてないじゃない。あ、鴨川ね?川沿いの灯りが綺麗」
 四条大橋を渡って、繩手通を北上し、祇園白川に出る。道に設置された白熱電球に似た光を放つ照明が、並ぶお茶屋を映し出す。
「これは・・・実に京都らしいな」
嘆声を上げる恩田の横で、妻が呟く。
「でも、なんだか、映画のセットみたい・・・ここだけこんなに、らしくしてると」
 英輔は、意外な感じがして、恩田の妻を振り返った。

 僅かの徒歩で凍えた恩田は、席に着くなり熱いウーロン茶を求めた。
「僕は酒があまり飲めなくてね。でも、美沙子は日本酒がいいんだろ?」
 すぐに先付(さきづけ)に貝柱の和え物が届き、白川に面した座敷で、川面に踊る灯りを見ながら、三人は食事を楽しんだ。
「奥さん、いい飲みっぷりですね、もう、お代わりを頼まないと」
 味噌仕立ての牡蠣の椀がでて来たときには、最初の銚子が空いてしまっていた。美沙子は生き生きと目を輝かせ、次にやってきた向付(むこうづけ)に箸を付ける。鯛と車海老の刺身が古伊万里の絵皿に盛り付けられている。
「お皿も綺麗だけど、お刺身のツマのセンスがいいわね・・・これ、海草?」
 好奇心と食欲を溢れさせて、なおかつ食べ方の涼やかな恩田の妻=美沙子を見ているうちに、英輔は胸の中がほのぼのと暖かくなってきた。
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2005.03.30

もう桜も

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東山界隈、既に桜は咲いている。
上は東山七条の国立博物館の南東角。
下は東山ドライブウェイの将軍塚駐車場付近。
どちらもおそらくソメイヨシノではない。

養源院の枝垂桜などもまだ、蕾だった。
でも、もう、京都が桜花で覆われるのは、すぐであろう。

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雲龍院・はねずの梅

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前に白梅を紹介した、泉涌寺の塔頭・雲龍院で、「はねずの梅」が満開になっていました。
三脚を据えて、熱心に撮っていたカメラマンの話によると、昨日咲き始めたとのこと。この鮮やかな色はほんの数日で薄れてしまうそうです。

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2005.03.27

京都タワー冬景

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tower05-5視界に京都タワーが入ると「今日はどんな風に見えるだろう?」と目を向けずにいられない。この冬の間、結構面白い写真が溜まったと思うので、一挙掲載。
あえて、場所とか説明しませんが、一番下の小さい写真は、東山ドライブウェイの将軍塚展望台から撮ったもので、クリックすると大きくなります。京都タワーは、今、こういう風に街の中に立っています。

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2005.03.26

智積院・障壁画&庭園篇

最初に断っておきますが、智積院所蔵の、国宝である障壁画の数々は、特別に建てられた収蔵庫に収められていて、見学は可能ですが撮影することは出来ません。下の写真は、それらがかつて飾られていた大書院ですが、絵はすべて模写です。

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収蔵庫は照明を暗く抑え、空調の音だけが響く静寂の空間。
絵の迫力は、素晴らしいもので、太い幹を豪快に描いた松と、葉の緑の鮮やかさが、金の襖に鮮烈である。
長谷川一門の総帥、等伯の筆の勢いは凄まじく個性的。夭折した息子久蔵描く桜の図は繊細にして優美。
だが、歳月のもたらす絵の具の剥落や色褪せが傷ましい。そして、様々な事情から、これらの絵は元の四分の一の大きさしか残っていないのだそうだ!
更に口惜しいのは、絵の前に無骨な柵がどっかりと据えられていて、座った位置からでは絵がちゃんと見れないのである。絵に触られるのを防ぐには仕方ないかもしれないが、元の大書院に飾られた姿を見たい!
と思って、大書院に行くと、鮮やかに模写した絵が飾られていた。が、本物の迫力に遠く及ばないのは言うまでもない。あくまで、「描かれた当初はこんな雰囲気か・・・」という参考になるだけである。畳も真新しくて、どうも雰囲気がいまいちであった。

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しかし、その大書院の庭園は素晴らしい。
説明を読むと、かなり狭いものらしいのだが、土を盛って背景の東山に雄大に連なり、池は建物の床下までも食い込んでいる。

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植木の刈り込みの大胆さが見ものだ。

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濡れ縁の上にカメラを置いて、シャッターを押してみた。
いつまでも見飽きない庭であったが、サツキが咲く頃は殊に美しいそうである。

庭の美しさに満足して、講堂のほうへ回ると「四国八十八箇所霊場お砂踏み」というものをやっていた。(期間限定特別行事らしい)
お遍路さんが回る八十八箇所のお寺の砂が、一箇所ごとに袋に詰められて一室に置いてあり、その一つ一つを礼拝して踏むことで、八十八箇所巡りをしたのに似た功徳を授かる、というもの。案内役の若いお坊さんに勧められ、何事も体験と思ってやらせていただいた。20分くらいはかかったが、なにやら身体が温まり、心が充足したのは確かである。

このお寺は、もともと豊臣秀吉が、幼くして失った子・鶴松の供養にと建てた「祥雲寺」を、徳川家康が奪って、秀吉に焼き討ちに遭った根来寺に与え、「智積院」になったといういきさつを持っている。しかしそんないわくは、翳りとならず、残った絵は桃山時代のたくましい生命力を伝え、境内は明るく伸びやかだった。

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智積院・梅林篇

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24日、雨の晴れ間に、初めて智積院を訪ねてみた。毎日横目で見ていた梅林?を確かめようと思ったのである。
七条通りの東の突き当たり、思っていたよりも遥かに広い境内に、梅の木々が妍を競って咲いていた。
おそらくまだ、植えられて間もないと思われる樹が多く、どれも背丈はそれほどないし、樹の間隔が遠い。あと数年もすれば梅の名所として名高くなるのは間違いないだろう。
まだ梅を見に来る人は少ないと思われるが、それだけに伸びやかな景色を独り占めできた。(注☆)

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金堂は昭和50年に建てられた大きなもので、東山を背景に威容を誇る。風に翻る彩り鮮やかな飾り布が雄渾だ
周りの空間も広大で明るく、気持ちがいい。
しかし、一般に智積院で知られているのは、桃山美術の粋といわれる長谷川等伯とその一門が描いた障壁画と、利休好みの庭園であろう。(障壁画・庭園篇に続く)

(注☆)独り占め・・・と思ったら、sunaさんの「見たままに切り取る京都」でも、同じ日の智積院が取り上げられていました。
また、piitaさんの「京都あちらこちら」でも、3月19日に記載され、紅白咲き分けの梅の麗しい写真が見られます。(トラックバックいただいたのでたどられたし)

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2005.03.24

小説「流れのほとりで」第四回

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 玄関を上がると古風な帳場があり、その横が応接間になっている。程なく女将に案内されてやってきたのは、四十歳代とおぼしき夫婦だった。きちんとスーツを着た夫は痩せ型でフチのない眼鏡に理知的な光をたたえている。妻は紬の和服姿に艶やかな黒髪が美しい。
「建築設計事務所をやってはる、恩田さんと奥さんや」
沢井はにこやかに恩田と握手し、英輔を見る。
「ほんで、こっちがガイドの南原です。なんでも融通効く男やさかい、思いっきりわがまま言うてくださいよ」
豪放に笑って肩を叩いてくる沢井に合わせて、英輔は微笑した。頭を下げながら、素早く客の二人を観察する。夜の京都を案内するガイド、通り一遍の観光では飽き足らない客を満足させるのが、英輔の役目であった。

 恩田氏は、東京郊外に事務所兼用の自宅を持ち、主に住宅の設計をしている。妻はその事務を手伝いながら趣味の水彩画教室を開いているという。二人とも東京出身で、大学時代に知り合ったそうだ。
 沢井は二人を英輔に引き合わせるとすぐに車で去った。英輔は夫妻を案内して宿を出た。
「お食事は、懐石を予約してあります。すぐそこですから、歩いていきましょう」
「南原さんは、京都弁じゃないんですね?」
恩田が、英輔に尋ねる。
「ええ、京都に来たのは二十歳前で、こっちのアクセントはどうにも身に付きません。変な京都ことばを喋るより、元の言葉を通す方がましだと思ってます」
「そのほうが、私には気楽ですわ。京都の言葉って柔らかくて耳に気持ちよく響くけど、どうもなにを思っているのかわからないところがあるもの」
恩田の妻が笑って言う。夜道でもその笑顔は花のように明るい。
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2005.03.23

小説「流れのほとりで」第三回

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「地獄てなんや・・・大層やの」
沢井はハンドルを握りながら、呟くように返す。
「きっと、どんな町にもあるんだと思うさ。京都じゃそれが一目でわかってしまう。あまりにも対照的だからな」
「確かに、俺らの最初に住んだトコは、学生アパートちゅうコンクリートの箱で、夏は蒸し風呂、冬は冷蔵庫やったがな・・・地獄呼ばわりはないやろ」
 沢井は苦笑いしている。
「まあ、そないな御託は、お客さんに披露したらええ。辛口の京都案内いうて、わりと受けとるさかいな。けど、踏み外したらあかんで」
「わかってるさ・・・」
 英輔はシートに身体を埋めて、流れ行く河原町の明かりをぼんやり見た。

 その宿は、四条河原町の賑わいからほんの少し離れただけの場所にあったが、本格的な町家造りが屋並に溶け込み、静謐なたたずまいである。一日三組しか泊めない小さな旅館で、元は日本画家の家だったそうだ。
 沢井は大胆に狭い路地にベンツを乗り入れ、宿のまん前に停車する。素早く車を降りて、英輔を連れて玄関に向かう。
 格子戸を開けると、花と香のかおりが漂った。案内を請う沢井のがさつな声が静寂を破る。
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2005.03.18

勝手に紹介・今熊野商店街 8

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最新のガイド情報雑誌「京都ぴあ」を見ていたら、東福寺の項に、今熊野の超穴場的な店が紹介されていてびっくりした。そして、今検索したら「Yahoo!グルメ」にも載っているではないか。
「とんかつ がんち」
ぴあによれば、”鹿児島の黒豚を使用した本格派とんかつ料理の専門店”なのだが、お店のたたずまいは写真の通り、いたって控えめ。中もカウンター8席だけである。
そして、場所はとても説明しづらい。京都第一赤十字病院の向かい側の細い路地を入ったところ、なのだが、ほんまに狭い道の、目立たないお店。yahoo!グルメの地図を参照あれ。
”隠れ家的に利用する常連客が多い”と、ぴあには書かれているが
「お店自体が隠れ家みたいに見つけにくいやん(笑)」(わしの嫁さん談)
実はここは、個人的なつながりがあって、ずっと以前にお邪魔したことがある。
とんかつとポークソテーがメニューで、どちらも滋味溢れる旨さであった。
日曜定休で、11時から2時半・4時半から8時半の営業だそうだが、結構都合で営業時間が変わるみたいなんで、電話で確認してから行った方がいいかも。


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涅槃会・泉涌寺篇

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東福寺では、甘酒の接待をしていて、一杯貰い、普段見れる方丈や通天橋(紅葉の名所)とかはパスして、泉涌寺へ急ぎました。
皇室の菩提所である「御寺(みてら)」泉涌寺は、多くの天皇や皇族の陵墓に囲まれて、一種独特の雰囲気があります。荘厳、清浄で世俗的な匂いから極めて遠い感じ。

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ここもつい先日訪れて、楊貴妃観音などは見ていたので、まっすぐに、涅槃像のある仏殿に向かいました。
入り口をくぐり、見上げた途端、「あっ!」と声を出してしまった。
ここの涅槃像は、東福寺のものが横7.3メートル、縦14.5メートルであるのに対し、横は同じだが縦は15.1メートルで、日本最大を誇るはず。
だが、その大きさが容れ物である仏殿に合っていないのです。絵の上部は前傾して天井を覆うようにしてあり、壁面で屈曲して、下部もまた、全部広げきれていない。
上の写真を見ていただければわかるが、この仏殿とて、かなりの大きさ。なのにまっすぐに掛けられない巨大な涅槃像なのでした。
画面は極彩色で、人物は等身大、釈迦は丈六(2.9メートル)に描かれるという壮大さ。
実は建物と絵の大きさが合っていないのは理由があり、もともとこの絵は、奈良の東大寺に納められるはずだったそうです。一度くらいは、東大寺大仏殿で伸び伸びと展開してみたらどうでしょう・・・したことあるのかな?

ちなみに、このとき、涅槃像に隠されていた天井には、狩野探幽の描く龍がいます。体長14メートルとのことですが、ここの天井は特徴的で、垂木が周りから中心に向けて集中していて、視覚的に物凄く天井が高く見え、龍もそれほど大きく見えません。なのに、この龍はぞくぞくするほど迫力に満ちていて、わしは、大好きです。

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他にも見所多い泉涌寺ですが、前に見た本坊や御座所などはパスしました。けれど、疲れたので本坊前に設置されていた接待所で、「厄除けそば」300円を頂きました。静かな東山の山懐で啜ったきつねそばは、しみじみ美味かった。量は少なかったけれど(笑)

駆け足で涅槃会だけに集中したので、東福寺と泉涌寺を共に拝観して二時間余り。京都に暮らして20年以上経つけれど、初めて見ることが出来て充足感一杯でした。

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2005.03.17

涅槃会・東福寺篇


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大涅槃(ねはん)像が公開されるので注目される、東福寺と泉涌寺の涅槃会に行ってきました。
まずは東福寺から。
巨大な本堂に足を踏み入れると、堂内一杯の高さで掲げられた涅槃像に圧倒されます。像といっても彫像ではなく、画です。堂内での撮影は、わしはどこでも遠慮してるので、画像がなくて物足りないが、ご容赦を。
1408年に、明兆=兆殿司(ちょうでんす)という絵に傑出した僧が描いたもので、画中に猫が描かれている珍しいものでもあります。
しかし、その涅槃像も凄かったが、仰ぐと天井一杯にうねる龍の絵!その巨大さはもう、筆舌に尽くしがたいものでした。堂本印象作で、体長54メートルという壮絶な巨龍!ああ、写真撮りたかった!

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涅槃図公開中は、特別に国宝の三門にも登れます。前にも紹介したとおり、最古の三門にして、大仏様で作られた雄大なもの。楼上からの展望は絶景。そして、楼上堂内には、釈迦像、羅漢像、兆殿司描く天女や楽器、そして龍の絵が天井や梁を埋め尽くして壮観でした。

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また、楼上正面の扉をよく見ると、何かで彫った落書きが一杯あります。どれも漢字で古びていて、江戸時代あたりのものだそうです。けしからんヤツはそんな昔からおった様で(苦笑)

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あと、ここの塔頭の一つ、龍吟庵が特別拝観できたのも、得がたい経験。国宝の日本最古の方丈は、こけらぶきで、貴族の住宅である寝殿造のなごりがあるとのこと。

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また、重森三玲作の庭園が、龍吟庵の名にふさわしく、青龍を現す枯山水で、でっかい青石で作られた龍の頭部や、竹垣に稲妻の模様が組んであったりするのが、かなり具象的でアニメチックでかっこよく、面白かったです。

泉涌寺篇も一気にアップするつもりでしたが、力尽きたので、明日にします(^^;)。

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2005.03.16

おじゃこさん

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京都案内とは別に、京都に関するいろんな考察、愚痴などを書くカテゴリー「京都随想」を作りました。んで、第一回です。

 京都の言葉は、男女差があまりないという。特に親しい間柄では、全く同じような言葉遣いになるそうだ。
 その結果、よそさんが聞くと「京都の女の人は実にもの柔らかで女らしい。でも、男の人は、柔弱で頼りない」という印象を持ってしまう。

 学生時代、京都生まれ京都育ちの友人を、下宿に招いたことがあった。当時、わしの妹も京都に来て学んでいたので、三人で晩飯を作って歓談していたのだが、そのとき、友人がふと使った言葉。
「おじゃこさん」
 じゃこ=雑魚である。ちりめんじゃこ、などという風に使う。
 妹がそれを聞いて爆笑した。大柄で筋骨たくましい友人が、雑魚に「お」と「さん」を付けて喋ったのがひどく不似合いで、可笑しかったのだ。
 友人は、何で笑われたのかわからず茫然としていたが、わしが説明すると憮然とした。彼は、妹とわしの笑いに、
「標準語を話す(と自分では思っている)人間が方言を話す人間に持つ優越感」を感じ取ったのだろう。でも友人は特に怒りも抗弁もしなかった。

 今、わしはあの友人にすまないことをしたなあと思う。彼は闊達でユーモアに溢れ、なおかつ剛毅なところも持った青年だった。男の言葉に「おじゃこさん」はおかしいと思ったのは、わしと妹の無知と偏見であった。
 慣れない習俗に触れて、違和感を持つのは仕方がないが、馬鹿にして笑うことは自分の浅薄さの表明である。

 「おじゃこさん」と、わしも今では胸張って言うで。 

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2005.03.15

小説「流れのほとりで」第二回

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 その時、黒い風を巻くようにして一台のメルセデス・ベンツが橋を渡ってきた。英輔の眼前を通過し、三角州の公園の入り口で停まる。運転席の窓が開き、顔を突き出した男が、抑えた声で叫ぶ。
「さっぶいなあ、はよ、乗りや!」
 英輔は顔をしかめ、車に歩み寄ると、助手席のドアを開いて乗り込んだ。
 運転席の男は、丸顔に口髭を生やしているが、英輔と同年輩である。タートルネックのセーターにスーツを着込んでいる。そのよく光る目が、英輔のくわえている煙草に留まった。
「まだ、そないな時代遅れのモン、吸うてんのかいな」
 英輔は唇から煙草をむしりとり、フロントパネルの灰皿に押し付けて消す。その煙を露骨に迷惑そうに避けながら、男は車を発進させた。出町橋を渡り、豆餅の「ふたば」の前を南へ下がって、今出川通を渡ると、河原町通を南下する。
「時代遅れで悪かったな。けど、そういうお前だって、古臭い町家で儲けようとしてるんじゃないか」
「そうやで。けどそれがいま、京都では一番、新しい商売なんや」
得意げに男は笑う。その笑顔はひどく愛嬌がある。髪を短く刈り、小太りなので余計にそう見えるのかもしれない。
「まちや、に憧れてる『よそさん』に、適当なボロ家を改装して、カフェでもやらはったら、言うて貸し付ける。ごっつ、喜んでもろてるで」
「いったいその幾つが、一年もつのかな」
「ええ夢を見てもらうんやんか。その夢が続くかどうかは、ご本人さんの才覚やな」
陽気に喋り続ける男は、名前を沢井道男という。信号待ちになったとき、沢井はふと、英輔に顔を向けて聞いた。
「お前、橋の上で高野川の上の方を見とったな。俺は、三角州の前で、言うたやろ。さぶいのになんでや?」
 英輔はフン、と鼻から息を吐いて呟いた。
「俺たちが、伊那谷から出てきて、初めて京都に下宿した町を見てたのさ。お前が忘れたがってるモノをさ」
 沢井は顔を前に向けなおし、青信号で車を発進させる。英輔は言葉を続ける。
「天女の舞う極楽を描いた絵が、長い年月を経て地獄絵みたいに見えてくる。それでなくても、京都には極楽と地獄が背中合わせに存在しているってな」
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巨樹9・巨獣の脚

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東大路通と丸太町通の交差点、その北西角に熊野神社がある。この神社の境内に接しつつ、東大路通に面して「本家西尾八ッ橋」熊野店があるのだが、その店内を写した写真がこれ。
ガラスの向こうに立つ、巨獣の脚のようにたくましいのは、ムクノキ。そして店の床上に盛り上がった根は、今なお成長を続けて、固めた床にヒビを入れているのだ。
それほどの巨樹ではないのだが、なにしろ、こんな賑やかな場所にそびえているので良く目立つ。いつも、前を通り過ぎながらじっくり見たいと思っていた。
今回、店で買い物をし、緋毛氈の腰掛でお茶を飲ませてもらいながら、写真も撮らせてもらった。この季節にはまだ葉を落としたままで、大きな箒のような樹冠が空を掃いている。お店と隣家の狭い空間に立っているが、熊野神社ゆかりの神木と、大切にしてもらっているようだ。

ちなみに、「本家西尾八ッ橋」で買ったのは、「チョコバナナあんなま」と「ごま餅」。この聖護院辺りにはとても「やつはし」のお店が多い中、「京で一番古い八ッ橋屋さん」を誇るこのお店も、新製品開発に頑張っている(商品を買うと、店紹介のミニパンフレットがついてくるが、なんと中身は6ページに及ぶ漫画だ!)。ムクノキともども栄えていって欲しい。

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2005.03.13

小説「流れのほとりで」第一回

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 なだらかな山々に囲まれ、街中でも鮎が獲れる清流に潤された京都は、さながら全体が美しい庭園である。
 しかし、京都の幾つかの名園は、もともと墓地であったり、古墳の石組みを庭石に流用したという、知られざる一面をもつ。
 極楽浄土を地上に再現したと思われる庭が、実は地獄の上に築かれたものなのかもしれない。

 南原英輔(みなみはら えいすけ)は、疲れた足で、高野川に掛かる河合橋の欄干に寄りかかっていた。
 橋を東に渡れば、叡山電鉄出町柳駅の賑わいがあるが、川は暗く灯りを吸い込み、橋の西たもとは北方の糺の森の闇に繋がっている。
 二月の末、観光客の最も少ない京都。英輔はコートの衿を立てて、煙草の煙を吸い込んだ。三十代に掛かろうとしている男の顔が、火口に照らされて浮かぶ。
「遅いな・・・」
焦れた言葉が漏れる。寒風に背を向けて、英輔は歯噛みした。こんな場所を待ち合わせに指定した相手にも、それに従うしかない自分にも腹が立っていた。
 そして、腹が立つといえば・・・この橋の上から見る光景だと、英輔は思う。今は夜の闇に隠されているが、高野川の左岸、つまり東側と、その反対側は、あまりに対照的だからだ。
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☆例によって、構想不足のまま、強引に書き始めます。流れの行方はまだ、わしにもわかっておりませんが、できるだけ鮮烈に、わかりやすく、面白く、そして、少々痛い小説にしたいと思います。よろしく!

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2005.03.10

香住の土産・小説新連載のお知らせ

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曇天に霰。荒海と断崖が壮絶。日本海の冬の光景の典型かな。

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但馬の自信!銘酒「香住鶴」。汽車の旅には、ワンカップに限る(おっさんクサ~;;)。

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余部(あまるべ)の鉄橋はやはり、壮観。しかしこれも、架け替えの計画が進んでいる。

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安く買ってきたカニ。残念ながら香住産ではなく北海道産。足も一本ない。でも味には満足。

というわけで、かなり精神はリフレッシュできたので、そろそろ、新たな小説連載を始めます。
舞台は京都ですが、長野県伊那谷とも関わっていきます。
あまり長くはしないつもりです。(原稿用紙30枚が目標)

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2005.03.08

北但馬の「応挙寺」=大乗寺

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週末に、学生時代の友人たちと年に一度集まっての飲み会。みんな、それぞれ住む場所が散らばってるので持ち回りなのだが、今年は兵庫県の北端、日本海に臨む香住町の民宿でやった。もちろん、カニをいっぱい食べて満喫したのだが、翌日、みんなで拝観した「大乗寺」というお寺が素晴らしかった。

わしが説明するよりも、大乗寺の公式ホームページが充実しているので、是非御覧になることをお勧めしたい。
ここの「円山派デジタルミュージアム」をクリックすると、江戸時代の天才画家、円山応挙と彼の一門が大乗寺に残した傑作の数々が、お寺で鑑賞するような臨場感を持って鑑賞できる。

山陰にも春の気配は届いていて、雪は少なかった。それでも、雪囲いに守られたお寺の建物の脇には、沢山の雪が溶け残っていた。巨樹に囲まれたお寺の中には、豪奢で繊細、華麗な絵が輝いていた。
応挙は京都に住みながら、大乗寺への恩返しのため、何年もここまで通い、幾多の大作を描き、そして最後の作品を描き上げて4ヵ月後に、京都で没した。
重厚な梁の下、障子越しの明かりで見る襖絵は、歳月を超えて鮮やかで力強い。弟子の描いた子犬たちの絵はなんとも愛らしい。実は30年ほど前に、ここの絵はかなり煤けてしまっていたので、京都の工房に頼んで「水洗い」したそうであるが、その折に見えるようになったという天女の絵もある。
ただ、残念なことに、拝観者の息などの影響か、ずっと鮮明だった岩絵の具にも劣化が出てきたため、もうすぐこれらの障壁画はすべて収蔵庫に収められてしまうそうだ。その後は精巧に複製したデジタルレプリカ(製作費・3億円!だとか)が飾られるという。
この傑作群を間近に見られるのは、今のうち!

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2005.03.07

興正寺の紅梅・白梅

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興正寺(こうしょうじ)は、西本願寺の南隣にあり、真宗興正寺派本山である。
高さ28メートルの御影堂をはじめ、阿弥陀堂、古い鐘楼や経蔵をもつ大規模な寺院なのだが、なにしろ隣の西本願寺が巨大なのであまり目立たない。歴史的にも、室町時代から本願寺とともに歩み、明治9年に独立した一派の本山となったものの、今も西本願寺との関係は良好のようだ。

ここの三門を入ると、右側に紅梅が、左側に白梅があって、清楚に咲いていた。
静かで清らかな境内に佇み、大きな伽藍を背景にした梅花を眺めると、心落ち着く。

お隣の西本願寺の「国宝・飛雲閣」は、西本願寺境内からはほとんど観れないけれど、興正寺の方からは塀越しに良く眺められるのが意外だった。

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2005.03.05

勝手に紹介・今熊野商店街 7

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毎日のように今熊野商店街を歩いていたが、このお店、ずっと焼いた魚などを売っているだけと思っていた。
うかつにも度が過ぎた。確かに店頭には焼きはも(鱧)や、はも寿司などが並んでいるが、
「はも料理・今熊野弁当」を看板にする、料理屋さんだったのだ。
お店の名は「魚市」。暖簾などには「う越(変体仮名の『を』)市」と書いてもある。
今熊野弁当は、2000円ほどで、はも落としが付くと3000円少しで食べられるらしい。
ちなみに、はもの旬は夏であって、祇園祭が「はも祭り」と呼ばれることはご存知の通り。
元は川魚も扱っていたらしく、入り口頭上の手書きの古い看板にはそう書かれている。
お店の紋章らしい鶴の絵も古雅で洗練されているし、今熊野商店街が誇る名店の一つに間違いないだろう。
味わってみたことがないのが残念である。
旬の季節に暖簾をくぐってみたい。

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法住寺の紅梅

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東山区の三十三間堂の東隣にある、法住寺というお寺の門の前に、紅梅が咲き誇っていた。
鮮やかな紅が、小さな白壁の門に映えて、見惚れた。もう一つの正門と思われる門の前には白梅もあった、
驟雨に追われてあわただしく写真を撮り、今熊野に向かうと、東山連峰に虹が掛かっていた。

三十三間堂の知名度と大きさに比べると、こちらは小さくてほとんど知られていないだろう。わしも知らなかった。
このお寺の北隣にある、養源院には、「血天井」を見に行き、俵屋宗達のすごい絵が一杯あって息を飲んだことがあった。
地図で見ると、三十三間堂と智積院に挟まれたここには、養源院と法住寺、そして後白河天皇法住寺陵がある。毎日のように行き来している道の傍らにも、わしの知らない景色がいくらでも秘められているのだと痛感した。

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2005.03.04

生き残っている明治の煉瓦造り

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東山通の馬町交差点を西に、狭い道を行くと、東山税務署の隣に、煉瓦造りの建物がある。
「関西テーラー」と看板が出ているのだが、由緒ありげな建物だなあと思っていた。
やがて知ったその由来。明治時代に、紙巻たばこを製造販売して巨万の富を築いた村井吉兵衛という実業家がいたが、彼の成功の源である「村井兄弟商会・たばこ製造工場」だったのだ。彼の残した最も有名な建物は、円山公園内で今も喫茶店として営業している洋館「長楽館」だろうか。
詳しくは、らくたび涼さんの「京都の旅『らくたび』コラム」の「たばこ王」を御覧あれ。

いつ通っても出入り口が閉ざされているので、もう使われていない建物かと思っていたが、足を止めてよく見てみると、張り紙がしてあり、どうやら、折紙サークルの教室として貸し出されているようである。
もともと工場だったせいか、凝った装飾などはないのだが、歳月を重ねてきた煉瓦はなかなか味わいがあって、地味な町並みの中で異彩を放っている。これからも生き延びていって欲しい。

☆「見たままに切り取る京都」さんの開設された「トラックバックピープル『古い建物』」参加記事として記す。

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2005.03.02

雲龍院の白梅

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東山区にある、泉涌寺の塔頭の一つ、雲龍院に梅の花を訪ねた。
東山通の、泉涌寺道交差点から、坂道を登っていく。泉涌寺の総門をくぐると両側は静かな木立と生垣で、非常に荘厳な雰囲気が続く。そして、泉涌寺門前の駐車場に車を置くが、なんと自販機一つない、俗世間と隔絶された雰囲気。
雲龍院はそこからさらに山際に歩き、杉木立の道を抜けるとあった。
玄関の靴箱の上にある木の板を木槌で叩くと、受付のご婦人が現れて案内してくれる。拝観しているのはわし一人だけ。秀吉が建てた方広寺大仏殿の礎石が苔むしている庭は、なかなか見応えがあった。
また、奥書院には、丸と四角の窓があって、それぞれ「悟りの窓」「迷いの窓」と名づけられている。その「悟りの窓」がネスカフェ「香味焙煎」のCMに使われたそうである。
ほかに、ここは、「泉涌寺七福神巡り」の五番・大黒天が鎮座しているのだが、どこにおわすかというと、「台所」である!現役の台所として使われていて、昼餉の用意の牛蒡やごま油のかぐわしい匂いのなかで対面した。「走り大黒」と呼ばれる、珍しい形の像であった。

目的の白梅は小ぶりだったが、鐘楼の脇に満開で、香りに陶然とした。
だが、庫裏の玄関に、見事な紅梅の写真が飾ってある。受付のご婦人に聞くと「まだつぼみが固うて、いつもお彼岸の頃に咲きます」とのことだった。写真家・水野克比古氏が、ここでよく撮影している水仙のことも訊ねてみたが「今年は伸び過ぎて倒れてしもうて、もう、咲いていません」と気の毒そうに言われた。残念がって帰ろうとすると呼び止められ、ご好意で、裏庭の満開の梅の古木を見せていただいたりして、恐縮であった。

そして更に裏手を散策していると、墓地で「美」の一文字が刻まれた石を見つけた。
まだ活躍が記憶に新しい、京都在住だった女流作家のお墓だった。

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