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2005.01.07

戦火を免れて

sanmon京都市内に残る平安時代の建物は、かつての「洛中」から遠く離れた醍醐寺にある、五重塔だけである。次に古いのは西陣の千本釈迦堂が鎌倉時代の遺構。
「京都らしさ」を形作る建物の圧倒的多数は、戦国時代が終わったあとに建てられたものだ。「伏見城の遺構」という伝承を持つ建物が幾つもあるのが象徴的。
落雷や失火で焼失した物も多いが、なんと言うても戦火が京都を幾度も焦土にした。とりわけ応仁の乱と戊辰戦争の業火は、京都を嘗め尽くしたのである。
写真は、戦火を生き延びた東福寺の三門。1425年に建てられ、現存する日本最古の三門だそうだ。

そして、京都は、最大の戦火、太平洋戦争の空襲を免れた。
決して、アメリカ軍が京都の文化財を尊重したからではない。京都は原爆投下の有力候補地であった。馬町という一角に小規模の空襲もあった。軍の基地や大規模工場などの、軍事目標がすくなかったから後回しになっただけだろう。

「七度の飢饉よりも一度のいくさが怖い」と、戦国時代の民衆は言い伝えたそうだ。
戦争は比類ない破壊である。
おびただしい人命を失わせ、かけがえのない歴史の遺産を灰にしてきた。
未曾有の惨禍をもたらした、太平洋戦争への道、戦前の教育を肯定するような、そんな意見には断固与しないぞ、わしは!

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コメント

私の祖父は空襲を避けるため、京都から一族郎党つれて田舎に疎開したんだな。
 私は「京大に湯川秀樹がいて、粒子加速器がある以上原爆の研究ができる。攻撃の対象にならなかったはずはない」と主張するんだが誰も信じてくれない。
アメリカの占領政策はうまくいっているようです。
占領軍が日本に上陸して真っ先にやったのは、広島長崎での原爆の破壊力の調査と京大の粒子加速器を破壊することだったんだがなあ。

投稿: Bach | 2005.01.07 03:25

Bachさん、コメントおおきに!
そうか、京大の原爆研究は、大きな軍事目標だったでしょうな。
あと、京都にも軍事施設がなかったわけじゃなく、今、伏見の聖母女学院本館になってる建物は、かつての第16師団指令本部。師団街道、第一軍道、なんつう地名も残ってますしね。
祇園の元芸妓さんの回顧録読んでいたら、祇園史上、一番景気の良かったのは太平洋戦争の始まる前で、軍人と軍需関係者が上客だったとか・・・

投稿: 龍3 | 2005.01.07 15:17

ここでは「初めまして」のzuisenです。
龍3さん、お元気ですか?

京都への空襲が少なかったのは、龍3氏
ご指摘のとおり、原子爆弾の投下目標の
有力候補だったため、「キレイなまま」に
しておかねばならなかったからで、
それは広島も同様でした。

 朝日文庫の吉田守男・著『日本の古都は
なぜ空襲を免れたか』は、微細に研究した
力作です。

 目次を付記しておきます。 
 
第1章 ウォーナー博士は古都を救った
恩人か?(志賀直哉のハガキ/『ウォーナー
伝説』の定着 ほか)
第2章 京都に原爆を投下せよ!(第一目標は
京都/投下目標の“予約” ほか)
第3章 京都の運命(京都案をめぐる確執/
『スチムソン恩人説』批判 ほか)
終章 『ウォーナー伝説』を創出したのは
だれか?(占領軍からの呼び出し/民間情報
教育局の使命)

投稿: zuisen | 2005.01.10 19:55

zuisenさん、コメントおおきに!
実は、貴兄、初めてじゃないんですよ(笑)

頼もしき資料のご提示、ありがとうございます。
京都にはいろんな「幻想」がまとわりついていまして、それは夢をくれるものも多いのですが、邪な意図から作り出されたものもあります。
そんなものをひっぺがしつつ、麗しくいとおしい京都を、守って行きたいと思っております。

投稿: 龍3 | 2005.01.10 23:09

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