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2005.01.30

小説・「残光」第八十二回

saigosinpan

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 異様な緊張が走り、健二が竜生に向かって足を踏み出す。竜生が激しく叫んだ。
「健二、動くんやないで!一階にな、仕掛けがしてあるんや。おれが、この部屋の鍵を掛けて、下へ降りたら、ガソリンのポリタンク、蹴倒して、このライターで火を点ける。よう乾燥しとるしな、火の手が回るんは、あっちゅう間や」
 竜生の手には、真鍮の鍵とジッポーが握られていた。景子が静かに言った。
「みんなを眠らせておいて・・・うちも一緒にして、全部焼いてしまうつもりやったん?一人だけ、逃げて・・・」
竜生は汗のしずくにまみれた顔を、横に振る。
「おれらが書き直した遺書を、健二や駿や真那がそのまんま、納得したら、おれもワイン飲んで、みんなで一晩過ごして、そのまんま、明日を迎えるつもりやった・・・けど、あかんかったな。景子・・・お前が、お芝居につきあいきれへんで、ほんまのことを、ばらしてしもうて、わやになってしもたら、全部終りにするつもりやった。そんときは、おれも一緒に火の中に消えよ、おもてた。」
 竜生は言葉を切り、微かに笑った。
「そやけど、それもあかんかったな・・・おれは景子のために全部やってきたのに、景子がほんまに好きやったんは、詩織やったなんて、もう、おれには何にもあらへん。死ぬ理由さえもあらへんわ!ほんま・・・二十年も、なにをあほなことやってきたんやろ!もう、ええわ、なんもかも!」
 竜生の全身が震え、一気に振り向いてドアに走った。健二がダッシュした。蒼白な顔で、駿が何かを叫ぼうとした。竜生の手がドアに掛かり、力いっぱい開く。健二は、間に合いそうもない。
 だがその瞬間、竜生が凍りついた。言葉にならない絶叫が竜生の口から噴き上がり、彼の身体はよろめいて後退し、部屋の中にあとじさってきた。
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2005.01.29

小説・「残光」第八十一回

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 景子は、竜生の声を無視して、真那の肩を揺さぶる。
「辛かったんは真那かて一緒やろ!みんなが、真那が健二を好きやいう事、わかってた。けど健二は、真那とつきおうてるように見せながら、詩織とくっついてたんやで!そやのに、あのあとも、真那は健二のことずっと好きで、それを無理して忘れようおもうて、駿と結婚したんやんか!」
 竜生が茫然とドアにもたれて、呻いている。
「ほな・・・景子も、詩織のことを忘れようおもうて、おれと婚約、したんか?」
「そうじゃないわ・・・それは、違うよ、景子も、竜生も!」
真那が、力を振り絞って、悲痛に叫ぶ。
「ちごうてへんよ・・・」
真那の髪を撫でながら浮かべた景子の笑いが壮絶で、竜生も健二も金縛りにあったように動けない。
「うちとパパは、竜生を地獄に巻き込んだんや。京都の人間やのに、裏表のない竜生を、利用したんや。いくらうちらが悪党でも、少しは竜生に、ええ目見せたらな、可哀想やん・・・そうおもて、婚約した。けど、うちは、どんどん駄目になっていくばっかで、竜生も怯んだやろ。婚約破棄したんは・・・だから、お慈悲や。それがわかってたから、すぐに竜生も、今の奥さんもろうて、家庭を持って、京都から逃げたんやろ」
 景子の言葉に、竜生がヒステリックに笑い声を上げる。
「あはは・・・景子が言うてる通りや、いう気がする。けど、それが全部やあらへん!なにがほんまもんやったか、もう・・・わからんようになってしもた!もう、どうでもええわ!」
 竜生は仁王立ちになり、狂的に輝くまなざしで、部屋の中の全員を見据えた。
「あの夏の終り、蝶類研究所を、とうとう潰したあの日・・・おれはものすごく、寂しかった。ほんで、みんなを、このうえのう、いとおしく思うた。あの日に、帰りたいと何度思うたか・・・そやし、こうするしかないんや!」
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2005.01.28

おらが街の漬物(今熊野商店街1)

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これは、知る人ぞ知る京都の漬物、ニシダやの「おらがむら漬け」である。
一見してわかるとおり、シバ漬け系なのだが、大原に行っても決して売っていない。
みやげ物店でも、わしは見かけたことがない。
実は、これ、買って食べたことはないのである!
妻が、職場だの、行きつけのマッサージ屋さんだのでよく貰うのである。
地元の人が地元の知人に贈るモノというのは、あまり高価でも気兼ねがあるし、かといって安かろうまずかろうは論外。その辺のバランスが絶妙な、高くないけど美味しい逸品なのである。

大振りに刻んだキュウリをメインに、ナスとミョウガが少し漬かっていて、酸っぱさが頃合。何よりもキュウリの歯ごたえがぽりぽりと快く、言って見れば「きゅうりのキューちゃん」(東海漬物)のシバ漬け版。

これを製造販売している「ニシダや」さんは、東山の今熊野にある。正確に言うとこの漬物、「志葉漬け風味」であって、シバ漬けではない。ニシダやオリジナルなのだ。
ネーミングもちっとも京都っぽくないし、あくまで地元向けに開発されたものと思われる。
その地元、今熊野には、全然観光客向けでない商店街があり、わしは日々利用し、愛着が深い。恩返しを兼ねて、以後、今熊野界隈を勝手に紹介しよう。新(いま)熊野神社の大楠に守られた、いとおしき街を。

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2005.01.26

京都検定合格通知

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25日に、京都検定の試験結果通知が届きました。
2級だけ受けたのですが、合格しました。
自己採点どおりの79点。受験者数・3870名で、合格者数・1150名。
平均点は59.7点で、合格率・29.7パーセントだったそうです。
やはりかなりの難関だったのですな。
写真は、カード形式の合格証です。

なんだかんだ言いつつも「合格おめでとうございます。」と通知が来ると嬉しく、祝杯を挙げました(^^)

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2005.01.24

醍醐水

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二週間前、五丁石(山頂までの四分の一)で戻ってきた、醍醐山に、再度アタック!
5歳の息子と共に頂上まで登ってきました。あ~、足がへろへろ(××)
五重塔などのある下醍醐から、上醍醐の山上伽藍まで、ガイドブックによれば1時間でしたが、わしらの足では2時間近く掛かりました。開山堂前からの眺望は、あいにくの曇天でも、なかなかの素晴らしさでした。
息子と手をつないで登ってくれた、茨木から来たという4歳の「そよちゃん」、ありがとうね(^^)

で、一番印象に残ったのが写真の「醍醐水」です。
聖宝(しょうぼう)上人が、この山中の泉に、「醍醐味」を感じて、874年(貞観16)に小堂を建てたのが、醍醐寺のそもそもの始まり。醍醐というのはもともと、牛乳から作るヨーグルトのようなもので、平安時代の貴族には殊のほか珍重されたらしいです。
(修正・『らくたび』涼さんからのトラックバックで勉強させていただいたが、どうも実際に平安貴族がそのようなものを賞味していたというより、仏教用語で最上のものを指す言葉として「醍醐」が使われたようです)

息を切らして山道を登ってきた末に、ありがたく飲ませていただいたこの水、実に甘露でありました!写真では左の方に写っていますが、ステンレス製?の水槽に貯めてある澄んだ水を、金属の柄杓ですくって、備えてあるプラスチックコップで飲む仕掛けになっていました。舌に触るところが少しもなく、転がるように喉へ滑っていく霊水!夏だったらきっと、際限もなくガブガブ飲んでしまったに違いない。
醍醐水の湧く傍らには、1434年建立の国宝・清瀧宮拝殿があり、更に上に登ると、1121年に建てられた国宝・薬師堂などもあります。また、醍醐寺では2月23日、有名な行事「五大力尊仁王会」が行われ、巨大な鏡餅を持ち上げて力比べをする大会が、毎年テレビで紹介されます。

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2005.01.23

小説・「残光」第八十回

moeruhana

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 景子がテーブルの端を掴んで、無理やり立ち上がる。目は怒りに吊り上がり、凄絶な表情である。
「こんなクスリ・・・うちにはよう効かへんわ・・・言うとかなあかんことがあるんや」
 必死に、健二を振り返る景子の瞳に、涙が溢れた。
「うちは、ナイフで詩織を刺した。それは、間違いのないことや。さっきの遺書には、パパを刺すつもりで、間違って詩織を傷つけたって、書いてあったけど・・・うちは、あんとき、パパなんてどうでもよかった!」
「景子、もうええ、やめえや」
竜生が口を挟むが、景子は聞く耳を持たない。
「うちは、みんなが好きやった。竜生も、健二も、駿も、真那も、詩織も、愛してた!六人で過ごす学生時代が、多分、一生の宝物になると思うて、大事にしてた。それが、あの瞬間に壊れた!うちは、悲しかったんや・・・あの時、うちは、詩織とパパに、メロンを出してあげよ、おもて、皮剥いてた・・・でも、話の中身を聞いてしもうて、夢中で二人のところへ走った。ナイフ持ったままやった・・・あん時うちは、詩織と心中、したかった!」
 涙を流しながら、天井を仰ぐ景子の顔は、凄艶に美しい。
「うちは・・・ずっと、恋したことない女の子やった・・・、別に恋愛なんか必要なかった・・・六人の仲間でいるのが何より楽しかった・・・でも、詩織には、なんか、特別な気持ちがあった・・・あんなん、生まれて初めてやった・・・綺麗な詩織と、時々、黙って見詰め合うことがあると・・・うちは、どきどきした。ふざけて、詩織の肩を抱いたりすると、胸が苦しくなった・・・でも、それだけで幸せやった・・・一生、そんな気持ちを持ちながら、詩織と友だちでいるつもりやったのに・・・」
 竜生すら、景子の言葉に愕然としている。だが、真那は、眠気と戦いながら頷いている。
「知ってたよ、景子。だから、景子は・・・辛かったんだね・・・」
「じゃあ・・・おれと婚約したんは、そんで、それを、破棄したんは・・・」
竜生の声がかぼそく、震えた。
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2005.01.21

NHKは朝鮮中央テレビ並か

NHKが教育テレビで放送した「シリーズ戦争をどう裁くか 第2回 問われる戦時性暴力」について、政治介入があった、なかったで問題になっている。

事実がどうだったのか、NHKと朝日新聞が真っ向から対立しているけれど、この番組の放送前日にNHKの幹部が、政府与党の有力議員・安倍晋三氏と面談していたことは、NHKも認めるところである。
で、こういう場合、今後放送する番組の内容を説明するのが通常業務になっているのだそうだ。

嫁さんがそれを聞いて言うた一言。
「政治家にご意見伺わんと放送できへんなんて、北朝鮮みたいやな」

わしのこよなく愛する「六番目の小夜子」はじめ、NHKの番組はよく観てきた。教育テレビは5歳の息子にとって、朝も夕方も欠かすことができない存在だ。
受信料を払い、視聴するわしらの、NHKでいてくれなくては困る。
時の権力の宣伝機関になっては、たまらない。

ひょっとして、安倍氏とか、中川氏とかは、日本を北朝鮮のような国にしたいのかな?

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小説・「残光」第七十九回

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「先生は、詩織とおれのくそ兄貴に、罪を全部押し付けて、あの場はほっとしてた。けど、それから、ちっとも研究に身が入らへんと、大学での出世も滞った。それを、あの横流し事件のせいや思うて、おれに当たりよる。かと思えば、詩織への罪悪感になやまはって、おれに泣き付く。景子かて似たようなもんやったやろ。フランスに留学に行ったものの、何にも成果はあらへん。遊びに逃避して、あげくに麻薬漬け。困ったときだけ、おれに電話して来よったな」
 景子が、歯を食いしばって呻き声を上げ、竜生を睨む。
「今になって・・・そないなこと、言うやなんて・・・あんたを、見損のうてたわ。」
「おれがどんだけ、破滅を食い止めようおもて、努力してたか、わかるんか?くそ兄貴の悪業をしょわされて、それでも何とか罪滅ぼししよ、おもて、おれは、先生を支え、景子を助けて、自分の家庭を放ってきたんやで。」
 健二が吐き捨てるように口を挟む。
「奇麗事を言うな。でっちあげた遺言書と同じような台詞になってきてるぞ。春川教授も、景子も、竜生も、みんなぐるになって、詩織を傷つけ、神戸に追いやった。震災の起きるあの場所へ行かせたんだ。おれから、ずっと隠し続けて・・・死ぬ前から、葬り去ってしまっていたんだ!」
 真那が、朦朧とした目を必死に見開きながら、叫ぶ。
「みんな、やめて!こんなこと・・・こんなの、詩織だって望んでいないよ!悲しんでるよ!」
 倒れそうな真那の肩を、駿が抱えて、竜生に向かって目を据える。
「そうだよ、竜生・・・いくら言葉を重ねてもね、態度が裏切ってるよ。ワインに睡眠薬入れたなんてね・・・まず、その理由を聞かせて欲しいよ」
 竜生は沈黙した。部屋のレトロな照明が、真夏の夜の熱い空気に点火しそうに赤い。
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2005.01.20

小説・「残光」第七十八回

rakujitu

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 竜生の顔は、泣き笑いの表情である。乾いた目が瞬きもせず、強い光を放っている。
「これやから、京都なんいう土地は、狭苦しくて、うっとおしい縁が絡みまくってて、かなわへんのや!会うたこともあらへん兄貴のけつを、おれがなんで拭かなあかん・・・そやのに、春川先生は、おれをさんざん、下僕みたいにあつこうた挙句、景子と結婚させてくれへんかった!」
 景子が立ち上がろうとしてよろめく。テーブルに手を突いた拍子に、ワイングラスが倒れて砕ける。
「・・・景子?」
支えようとした真那の顔が歪む。激しく瞬きをし、自分の目をこする。
「どうしたんだろ、なんだか、とても・・・眠い・・・」
 景子と真那は、肩を抱き合うようにして、お互いを支えあう。駿がその様子を見て、鋭く竜生に叫ぶ。
「竜生、お前、ワインに、睡眠薬、入れてたのか!」
 健二は深くため息をつき、竜生に一歩、歩み寄る。
「やっぱりな・・・。何のつもりなんだ?」
「わかるやろ・・・おれらのことを、犬みたいにかぎまわったんやろ?」
開き直って笑う竜生に、眉をひそめ、健二は沈痛に言う。
「メフィストフェレスのことを、お前があの頃は知らなかった・・・というのは、本当みたいだな。だがな、春川先生に知らされてから、お前は、なにをした?それからも、お前は春川先生の下僕だったんじゃないか!」
 竜生は鼻で笑い、言葉を続ける。
「ああ・・・おれは、大学から追い出されたら行くトコなかったしな。先生に言われて、詩織の様子を見に行ったりしたで。先生は、はるかが自分の娘やと思いたがってたしな・・・。それに、景子のことを放ってはおけへんかった・・・どんな気持ちで、おれが、春川先生と景子に尽くしてきたか、わからへんやろ・・・沈んでいく夕日を、止める方法もなく見守ってるような、気分やったな・・・」
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2005.01.18

小説・「残光」第七十七回

ranun

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 竜生が立ち上がり、部屋のドアの前まで歩いて、こちらに向き直る。無表情だった景子が顔色を変えて、健二に叫んだ。
「あほなこと言わんといて! あの男は、名字かて竜生と違うたし、年かて、二十くらいも上やったで!兄弟やなんて、嘘や!」
 健二は、景子と竜生を交互に見ながら、上着のポケットから分厚い書類の束を抜き出し、テーブルに投げる。
「DNA鑑定書と、竜生の身辺調査報告書だよ。詩織がいなくなってすぐに、こういうことをやってなきゃいけなかったんだ、俺は。なんて馬鹿だったのかな」
 駿が書類を拾い上げ、ページをめくる。素早く書面に目を走らせ、愕然とした表情になる。景子は座ったまま、テーブルを拳で叩いた。
「竜生、うちにも、隠してたんか!なんで、なんでやの?!」
 ドアに寄りかかり、天井を仰いでいた竜生が、ゆっくりと視線をおろし、景子に微笑した。
「マジで、好きやったからや・・・景子を」
 明らかに変化した竜生の口調に、部屋は静まり返る。
「しょうもない親父やってん・・・おれの父親はなあ・・・西陣の帯問屋の三代目、遊び倒して店潰しよってん。そうや、メフィストフェレスは、おれの腹違いの兄貴や、十八も年上や。上七軒の芸妓に、まだ二十歳くらいの親父が産ませたんや」
竜生は、拳を握り締め、仁王立ちになって叫んだ。
「おれ、知らへんかってん!なんにも、知らへんかったんや!あの兄貴には、会った事もなかったんや!おれは、ただの学生で、春川先生を尊敬してた。健二が、何にも知らんと、詩織を好きになったみたいに、おれは、景子を好きになったんや!」
竜生は口から唾を飛ばし、目を据えて咆える。
「詩織のことかて、健二と同じで裏の事情なんて、全然知らずにいたんや。ずっと、春川先生の下で院生やって、景子とつきおうて、婚約した。けど、先生は、結婚を許してくれへんかった。おれは、土下座して結婚させてくださいて、頼んだのやで!」
嵐のように喚いていた竜生の顔が歪み、唇を噛む。
「そのとき、春川先生が、冷たく言うたんや。『汚らわしいメフィストフェレスの弟と、縁を結びたない』ってな」
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2005.01.17

阪神大震災10年

@nifty:NEWS@nifty:阪神大震災10年、犠牲者の冥福を祈る(ロイター)

追悼の言葉が、テレビから聞こえている

僕は、どんな言葉を贈ることができるだろうか

平凡で、それだけに幸福だった沢山の生活が、あの日に瞬時に崩れ落ちた
絶望と失意が溢れ、悲しみは果てるともなく続いた

あの頃、僕は被災した人々に
何一つ掛ける言葉を見つけることができなかった
そして、被災した地にいた友だち、知人は
今も、あの頃のことを、口ごもる
「わかってもらえるようなもんやない」

あの頃、京都を離れることができぬまま、僕は
被災地へ向かう救援の車、ボランティアの人々を見かけると
力いっぱい手を振った
乏しい財布から僅かなカンパをした
そんなことしかできることはなかった

あれからも、僕は自堕落に生き
いろんな大切なことを忘れ
沢山のかけがえのないものを失くして・・・

それでも、いまここに、生きている
言葉をつむいでいる
大切ないのち
かけがえのないもの
それを守り続ける覚悟
僕の言葉に、魂を刻む 決意
                  2005年1月17日

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2005.01.16

町家で飲んだ一夜

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あまり食べ歩き、飲み歩きなどしなくなって久しいので、すっかりその方面の情報に疎くなっていたのだが、
このところ、京都の町なかでは、「町家(まちや)」を改造、再生した店が大流行のようである。
で、友人T君と飲みに行くにあたり、その方面の店を希望し、金曜の夜に出かけた。

まず、T君お勧めの創作料理店「うしのほね」。
繁華街から、ほんの少し外れた場所の、ほんまに、ふつーの路地(きょうとでは、ろーじ、というそうだ)にあり、外観は写真の通り。
中は、町家のテイストを生かした地味な造りで、掘りごたつ風にできたカウンターと、座卓が4つほど。カウンターに座って、予約しておいた「1月のおまかせコース」3150円をいただく。
前菜に本マグロ酒盗和え・菜の花とクリームチーズわさび和え、などが出て、揚げ物はふぐの唐揚げ。実に美味でビールを飲み干し、焼酎のお湯割りに移る。海老芋と生麩煮、丹波和牛ロースの味噌焼き、冬大根の梅サラダ仕立て、と来て、「名代・うしのほね風シチュー」が出る。その濃厚でまろやかな味わいに陶然とした。和風料理の中でもまったく違和感はない。
店の衆は皆、二十代に見える若さだが、その仕事振りの真剣さには舌を巻いた。まったく無駄口を叩かず、カウンターと壁に挟まれた狭い調理場で、一瞬の遅滞もなくきびきび動いている。
ただ、難を言えばそのぴりぴりした緊張感が目の前から伝わってくるので、食べているわしがいまいち寛げなかった(苦笑)。ここはかなり人気店で、姉妹店が幾つも出来ているそうである。

次は、わしの希望でT君を引っ張って、「祇園辰巳NEXUS」。
ネクサスと言うても、ウルトラマンとは関係ない(笑)。場所は祇園白川の巽橋、お茶屋の並ぶ、景観の京都らしさでは随一の土地柄。
町家利用の店の草分けらしいここは、江戸時代からのお茶屋「井筒屋」を89年に改造し、外観だけそのままで、中はコンクリート造りの斬新な建物を叩き込んだ、ギャップを楽しむお店である。
通された一階は、コンクリートうちっぱなしの壁に、扇を貼った屏風などが立てかけてあり、入り口の側にはパイプオルガンのような巨大なビールサーバーが輝いている。和洋折衷・多国籍の創作料理でビールを飲ませてくれるお店なのだ。
地下はモンゴル風の造りだそうだが、残念ながら見れず。見回すと、若い女性二人で飲んでいるテーブルがあり、彼女たちは手話で会話していた。臆せず飲み、生き生きと手話で語る姿は爽やかだった。生ハムを肴に飲んでいると、たちまちオーダーストップの11時になってしまった。外に出ると、祇園の渋くも豪奢な町並み。ここでこんなに気軽に飲めるのは、確かにありがたい。

そのあと、なんと歩いて祇園から山科まで、T君としゃべりながら帰ってきてしまうという、学生時代のままの暴挙をやってしまったのだが(笑)わしとしては、大満足の一夜であった。

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2005.01.13

原爆投下目標・京都!2

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それではなぜ、京都は原爆投下を免れたのか?

吉田守男氏の検証によれば、京都への投下を主張するグローブズ陸軍少将に、スチムソン陸軍長官が反対し、原爆投下命令が出される僅か4日前の7月21日、京都の除外が決定。その身代わりとして長崎が選ばれたのだそうだ。
では、このヘンリー・スチムソン陸軍長官は、なぜ京都への原爆投下に反対したのか。

「本人自身の日記によればー
『もし(京都の)除外がなされなければ、かかる無茶な行為によって生ずるであろう残酷な事態のために、その地域において日本人を我々と和解させることが戦後長期間不可能となり、むしろロシア人に接近させることになるだろう』(京都に原爆を投下せよ・149ページ)」

つまり、戦後のソ連との対立を見通し、日本をアメリカの陣営に居させるための、国際情勢判断がその理由だった。
後に1947年になって、スチムソンは回想的手記を雑誌に発表し、その中で

「京都は軍事的には相当重要な目標地ではあったが、そこは日本の旧都であり、日本の芸術と文化の聖地であった。我々はこの町を救うべきことを決めた。(156ページ)」

と書いているが、戦時中には芸術と文化の聖地、などとは一言も言うていないようである。この回想的手記も、原爆投下の残虐性に非難が上がり始めたことへの、政治的弁明であることを、書いたスチムソン自身が、トルーマン大統領への私信で漏らしているそうだ。

そして、京都は最初の2発の原爆の投下は免れたが、3発目以降の標的として、グローブズ少将以下の軍人たちはリストから外してはいなかったのである。通常爆撃を行わずに原爆標的として温存しつつ、作戦部隊のB29に、繰り返し京都への投下リハーサルを行わせていた。

「われわれは、日本の戦争遂行能力を完全に破壊するまで原爆を引き続き使用します。日本の降伏のみが我々を思いとどまらせるでしょう。(ポツダム会談に関する、トルーマン大統領のラジオ報告)196ページ」

まさに、終戦の日に、3発目の原爆をB29に積み込んだという証言がある。
その照準がどこにあわされていたのかは、わからない・・・

梅小路公園には今日も、子供たちの歓声がこだまし、京都は幾多の文化遺産を抱いて息づいている。

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2005.01.12

原爆投下目標・京都!

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写真は、京都駅から少し西にある梅小路蒸気機関車館内のSLである。
ここは、東海道線と山陰本線が交差する地点で、旧国鉄の機関車庫がそのまま、記念館となって、幾つものSLが保存されている。
そして、写真のSLの進行方向には、転車台もかつてのままに残っているのだが、これこそ、太平洋戦争末期、アメリカ軍が京都に原爆を落とす照準点にしたものなのだ。

「戦火を免れて」に寄せてくださったzuisenさんのコメントで教えられた本、「朝日文庫の吉田守男・著『日本の古都はなぜ空襲を免れたか』と同じ中身の「京都に原爆を投下せよ」(吉田守男著・角川書店)を、図書館で借りてきて読んでいる。おそらく最初にこの角川のハードカバーの本が出て、後に朝日文庫から改題して出版されたのだろう。
アメリカの公式文書をもとにして、京都が原爆投下の最有力候補だったこと、文化財保護のために空襲を免れたという説が誤りであったことを、詳細に明らかにしている。
その「文化財保護説」は、歴史と文化を誇りたい日本人と、アメリカ軍の立派さを宣伝しようとするGHQが手を携えて作り上げた幻想の美談だった。

原爆目標選定委員会によって、京都が最も理想的な投下目標とされた理由
①百万の人口を持つ大都市。
②戦時下で罹災工業がこの都市に流れ込んできており、軍事目標を持つ。
③市街地の広さが東西2・5マイル、南北4マイルあり、人口密集地が広い。
日本人にとって宗教的意義を持った重要都市であり、この破壊が日本人に最大の心理的ショックを与えることができ、その抗戦意欲を挫折させるのに役立つ。
⑤三方を山に囲まれた盆地であり、爆風が最大の効果を発揮しうる地形を持っている。
知識人が多く、原爆のなんたるかを認識した彼らが政府に早期降伏を働きかける期待が持てる。
⑦まだ爆撃による被害をこうむっていない。

現実はこのように非情だったのである。

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小説・「残光」第七十六回

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 テーブルの上に置かれたのは、小さな薄緑色の壜である。健二はその蓋を開けた。中には白い粒状の物が半分ほど詰まっていた。
「俺は神戸に行ったよ、真夜中にな。詩織の墓をこじあけて、骨を取り出した」
 真那が小さく悲鳴を上げ、腰を浮かせた。全員の目が、壜に張り付いている。
「詩織と、娘のはるかは、焼け跡で見つかったって、その文にも書いてあったな。多分抱き合っていたんだろう。そして、焼けて・・・骨は砕けて混じり合って・・・しかも、完全には焼けていなかった。そうさ、墓の中にあったのは骨壷じゃなかった。棺さ。焼け死んだ二人をもう一度焼きなおすのはむごいと・・・葬儀をした近所の人・・・近所の人たちだったんだぞ!」
健二は絶句し、壜を握り締める。
「その親切な人たちは思ったんだ。だから、そのままに、混じり合った骨を棺に納めて、葬ったんだ。俺は、その一部を取り出して・・・DNA鑑定をしてもらった!」
 畏怖の表情で真那は凍りつき、駿も目を見張って脂汗を額に浮かべている。景子はまったくの無表情になり、そして竜生は、唇を引き結んで健二を睨みつけている。
「完全に焼けていない骨だったから、結果は明瞭に出た。その骨の中から、二人のDNAが見つかって、一人は」
努めて冷静に喋ろうとしていた健二だが、激情で声が詰まった。
「一人は・・・俺と98,7パーセントの確率で親子関係だ!」
 駿が、唾を飲み込む音が大きく響き、真那の目から、涙が流れ落ちた。
「この骨は・・・詩織と、俺の娘の骨なんだ!一度も会えなかった、俺の娘の」
 壜を突きつけられた竜生は、歯を食いしばりながら、反論する。
「健二のことだから、そのDNA鑑定とやらは確かなところでしてもろたんやろな。ほんま、気の毒や。けどな・・・それと、春川先生の遺書がでっちあげやいうことが、どう関係するんや?」
 健二は壮絶に笑った。
「とぼけるなよ、竜生・・・全部、メフィストフェレスを黒幕だったことにして、自分は春川教授の遺産を手に入れる。見え透いた筋書きじゃないか。」
健二の表情が怒りに燃える。
「なにが、メフィストフェレスだ!そいつは、お前の兄貴じゃないか!竜生、ええ、ばれないと思っていたのか!おまえはメフィストフェレスの弟なんだよ!」

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2005.01.11

醍醐寺五重塔

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京都府下で現存する最古の建物であり、国宝に指定されている、醍醐寺の五重塔である。
杉木立の中に静かに佇む姿は端正で、少しの歪んだところもない。951年(天暦5)に建てられたとのことで、1054年も経っているのだが、清新な印象すらある。
醍醐寺は、醍醐山上の「上醍醐」と、ふもとの「下醍醐」に別れ、五重塔は下醍醐に建っている。上醍醐への山道を少し登ってみたが、かなりの難路であきらめて引き返した。5歳の息子は「まだ行ける!」と大張り切りだったものの、下りの道で何度もこけた(苦笑)
でも、また挑戦してみるつもりである。


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祇園始業式・後記(反省と表明)

先の記事でも書いたが、1月7日の祇園・花見小路でのカメラマンの殺到ぶりは、始業式へと向かう芸妓さん、舞妓さんたちへの多大な迷惑であり、花街の行事そのものに重大な支障を与えていたと思われる。
わし自身、迷惑を与えた一人として責任を感じる。
あそこにいたカメラマンのほとんどが、わしより年配の、分別盛りの方々だった。だが、同好会・サークル仲間と思われる人数で大挙押し寄せ、車の通行は邪魔するわ、向い側の家の塀際に登るわ、その行状は目に余った。さらに、芸妓さん、舞妓さんたちがやってくると、もう他のことは目に入らない。他人を押しのけ、被写体に突進するのである。道に立ちふさがる無数のカメラマンに、芸妓さん、舞妓さんたちは恐怖を感じたに違いない。なにしろ、お茶屋から出るに困難なほど「出待ち」をしているのだ。
そのような行状は、わしとて同様だった。いいアングルで写真を撮ろうとする、本能みたいなものに突き動かされて、前に立つほかのカメラマンの間に、身体をねじ込んでいたのであった。

そうやって撮った写真を、得意げに公開したものの、どうも頭が冷えるに連れ、忸怩たる思いが増す。
素人のへたくそな写真ではあるが、これに触発されて、花街の行事に写真を撮りに行こうとする人が増えたら、罪は大きい。
よって、熟考の結果、ここに表明する。
今後、芸妓さん、舞妓さんたちの写真を、街角で撮る事はしないし、blogに掲載もしない。

被写体としての芸妓さん、舞妓さんは、そりゃあ、とても魅力的である。
彼女らを思う存分に撮ることの出来る撮影会も、数多く開かれているようだ。
例えば「全日写連府本部主催・恒例の新春舞妓撮影会」、というのが23日に松尾大社であると、後援している朝日新聞に広告が載っていた。おそらく意図したことであろうが、祇園の始業式の記事と写真を載せた、同じ紙面に。入会金500円、年会費5000円を払えば、その場で入会させてもらえるとのこと。プラス当日の会費、1500円。
お願いですから、高級な機材を抱えたカメラマンの皆さん、こういう場で撮影してくれ。

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小説・「残光」第七十五回

mefist

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 沈黙が部屋を支配していた。どこからか舞い込んだ蛾が、電球の周囲を飛び回り、小さな身体に不似合いな巨大な影を部屋中に撒き散らす。やがて蛾が荒壁に止まったとき、低い笑い声が湧いた。
「・・・奇麗事に、書き直したな、まったく、下手な作文を!」
笑いながら、吐き捨てるように言ったのは、健二だ。
 竜生が胸を反らし、細めた目で健二を見下すようにする。
「書き直した?作文?なにを根拠に、そないなこと・・・」
 健二はゆっくり立ち上がり、壁に片手を突いて寄りかかると、深く嘆息する。
「景子と竜生だけさ、春川教授の文章を読んだり、書いた文字を見たことがあるやつは・・・。二人ででっち上げればなんとでも書ける。そうする時間も十分あっただろうさ」
「健二・・・そんな・・・」
真那が、遺書をテーブルに落とし、悲痛に顔を歪める。駿も蒼白になっている。だが、景子は変わらず平然とした表情で、竜生もまた、傲然としていた。
「健二、おまえ、なんでそんなにひねくれてもうたんや。俺ら、友だちやろ。黄金の六人やったやんか」
竜生の言葉に、健二は壁に拳を叩きつけ、咆えた。
「ああ!黄金だと信じていたさ!けど、メッキだったんだ!俺は、そいつを剥がしちまったんだよ!」
 振動した壁から、蛾が再び飛び立ち、狂ったように舞う。健二はポケットから何かを取り出し、テーブルに音高く置いた。
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2005.01.07

祇園始業式

今日、1月7日は、京都の花街の始業式(上七軒だけは9日)。
芸妓さん、舞妓さんたちは、正装である黒紋付を着て、本物の稲穂を髪に挿す。
式では、「芸妓・舞妓の誓」を斉唱し、前年の売り上げ優秀だった芸妓さん、舞妓さんの表彰や、舞い初めなどが行われるそうだ。

祇園甲部の始業式会場である女紅場学園に向かう芸妓さん、舞妓さんの写真を撮ろうと、花見小路はカメラマンで一杯であった。
カメラを手にすると、もうまったく傍若無人に立ちふさがって、至近距離でシャッターを切る方々が多く、芸妓さん、舞妓さんたちはさぞかし、うっとおしいと思います。僭越ながら、わしが代表してお詫び申し上げます(苦笑)。今、午後3時やけど、まだ「出待ち」のカメラマンたちが、花見小路には一杯いるのだろうか・・・


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戦火を免れて

sanmon京都市内に残る平安時代の建物は、かつての「洛中」から遠く離れた醍醐寺にある、五重塔だけである。次に古いのは西陣の千本釈迦堂が鎌倉時代の遺構。
「京都らしさ」を形作る建物の圧倒的多数は、戦国時代が終わったあとに建てられたものだ。「伏見城の遺構」という伝承を持つ建物が幾つもあるのが象徴的。
落雷や失火で焼失した物も多いが、なんと言うても戦火が京都を幾度も焦土にした。とりわけ応仁の乱と戊辰戦争の業火は、京都を嘗め尽くしたのである。
写真は、戦火を生き延びた東福寺の三門。1425年に建てられ、現存する日本最古の三門だそうだ。

そして、京都は、最大の戦火、太平洋戦争の空襲を免れた。
決して、アメリカ軍が京都の文化財を尊重したからではない。京都は原爆投下の有力候補地であった。馬町という一角に小規模の空襲もあった。軍の基地や大規模工場などの、軍事目標がすくなかったから後回しになっただけだろう。

「七度の飢饉よりも一度のいくさが怖い」と、戦国時代の民衆は言い伝えたそうだ。
戦争は比類ない破壊である。
おびただしい人命を失わせ、かけがえのない歴史の遺産を灰にしてきた。
未曾有の惨禍をもたらした、太平洋戦争への道、戦前の教育を肯定するような、そんな意見には断固与しないぞ、わしは!

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2005.01.06

碧空

konpeki

碧空に白雲 旗の如く翻り
我が行く手を鼓舞す
奮起せよ

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2005.01.04

わが谷は真白なりき

masiro
帰省した日に雪が積もり、翌日、もっと積もり、わが谷は真白でした。

真白になっても、すべてがリセットされるわけではないが、新年を始めるには、嬉しい景色だったかもしれない。
何年ぶり?いや、何十年ぶりかに雪掻きをしたのも、新鮮であった。

本当に大切なものを見つけ出して
余分なものを振り捨てて
真白な道に
勇気を持って歩みだそう

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