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2004.09.15

関ヶ原のこと

慶長5年(西暦1600年)、9月15日、国内における日本史上最大の野戦が行われた。関ヶ原の合戦である。
徳川家康が勝利し、覇権を得て長き江戸時代の繁栄を築く決定的な契機になった戦いであるが、「家康が勝つのは自明だった」「そもそも石田三成ごときは敵ではなかった」「家康勝利は歴史の必然」などと言う意見を目にすると、やたら腹の立つわしである。
結果がわかっているから、そんなことがほざけるのである。
家康は、強大な実力をかさに着て、秀吉の遺命を踏みにじり続け、ついには豊臣家を滅ぼした、不義の覇王ではないか。たかだか20万石にも足りない身で、敢然と家康の野望に立ち向かい、雄大な戦略を立てて、家康に対抗できる勢力を糾合し、ついに決戦に持っていった石田三成、そしてその股肱として命を賭けた島左近に、わしは断固肩入れする。そして、西軍が勝つ可能性もいくらでもあった。「勝敗は時の運」なのである。
「勝ち組」でなければ何の価値もない、そういった考えには、なんとしても同意しかねるのである。

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コメント

同じ頃、私の住む北部九州では、黒田官兵衛なる人物がズボン履きにビスケット携帯(炊き物の煙が上がらぬよう)という最新装備軍を率いて挙兵。大友を下した勢いで関ヶ原が一ヶ月続いていさえすれば天下を掌握できる目算も立てていた。一日勝利は只の偶然。又佐の死を待ったのは老獪であるとしても、天下を狙ったのが家康ひとりではなかった事実からして「歴史の必然」とは呼べない。ましてや、その子孫たる水戸の御老公は「三成悪しからず、その意気や鑑とすべし」と言葉を残している。

投稿: P東海 | 2004.09.26 02:16

P東海さん、コメントおおきに!
黒田官兵衛が野心満々に頑張っていたのは知っていましたが「ズポン履きにビスケット携帯」だったとは、勉強になります。
老獪家康も、まさか決戦のとき、息子秀忠率いる主力部隊が真田の小城に釘付けにされているとは予想できなかったでしょう。おかげで関ヶ原戦後も、徳川が覇権を確立するにはさらなる紆余曲折が生じました。
それにしても、水戸のご老公はさすが、名君でありますな。その公平な史観と勤皇の熱血が、やがては、徳川幕府を崩壊に導くという、これも歴史の皮肉なのでしょうか

投稿: 龍3 | 2004.09.28 02:21

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