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2004.07.13

巨樹4・森の主の遺骨

tadasu_0041.JPG

京都市左京区下鴨の、賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ・通称は下鴨神社)は、「糺の森」(ただすのもり)に囲まれている。山城盆地の原初の姿をとどめているといわれるこの森は、12ヘクタールくらいの広さがあるのだが、完全に周囲は市街地。
森の主といわれた樹齢600年のケヤキの巨樹は、既に倒れて、一部は鳥居前の手水の樋になっていた。
写真の倒木が、その巨樹の遺骸かどうかはわからないが、おそらくこれもケヤキ。
威容と生命力を誇った森の巨人も、やがては朽ちて土に戻る。その姿もまた、神々しい。

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コメント

 関東某所の行っていました。関東本来の植生をよく残しているとかで、確かに植林された山とは異なる趣でした。週の初めは筋肉痛でよう歩かんかった。日頃の運動不足を痛感。樹齢何百年という樹は、ねじれていかにも「木霊」が宿るようで、禍々しくも神々しい感じでした。何か「荘子」の「無用の用」とかも思い出しましました。身近に「木霊」を感じる樹というのはあまりありませんねぇ。ある意味、春に咲き誇るソメイヨシノにも人の手による禍々しさを感じますが。街路樹がブロックで四角くなりながらも道を持ち上げようとしてるのは少し感じるだろうか。

 有名な太閤殿下の作ったお土居の残る、京都市立○野中学校という所には、双樹がある。新校舎にするときも切られたり移動されたりはしなかったらしい。グランドの真ん中にあんな樹があっては球技をするのに邪魔だろうにと見ていると北○ルールがあるらしい。子ども達も樹と仲良くやってるらしい。

かつて、人の住む前の京都盆地はどんなだったろうか?川勝らの頃には、もう森ではなかったのだろうか?山の上から京の街を睥睨しつつ、原生林に覆われた京都盆地を夢想してみたりする。

>くすのき
楠公に南方熊楠か、なるほど情念とエネルギー。。。

投稿: Bach | 2004.07.15 04:41

Bachさん、コメントおおきに!
日本の風景の画一化は、ほんとに正気の沙汰と思えない勢いで進んでいますが、それでもそれぞれの土地に独自の景観があるのは、ひとつには、「樹が違う」からでしょうね。
役に立たない、邪魔だ、落ち葉がゴミになる、そんな理由で町なかの木は伐られていきます。でも、巨樹に畏敬を覚える人の心は、まだなくなってはいない。
○野中学校の生徒たち、いい校庭を持ってますね(^^)
「無用の用」の価値を探しながら、これからも、樹を訪ね続けるつもりです。

投稿: 龍3 | 2004.07.15 11:02

倒木がまた森を生かし、自然の営みをつないでいくのだと思います。いい記事をTBしていただきました。

投稿: pastorella | 2005.09.09 21:14

pastorellaさん、いつも美しい写真見せていただいて感謝してます。
自然の営みは見事な連環をなして回って行きますが、人間はそれを引きちぎるようなことをやりがちです。「毎日地球は回っている」ことが奇跡に等しいことを自覚しないと。

投稿: 龍3 | 2005.09.10 00:07

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» 御手洗(みたらし)・直澄(ただす)~下鴨神社 [Day Wind -京都散歩-]
神社には鳥居の前に必ず「手水舎(てみずや)」があり、お参りの際に手と口をすすぎます。 昔から清らかな水は穢れを流すとされ、手水は禊(みそぎ)を略式化したものだそうです。 下鴨神社では、その手水舎を「御手洗(みたらし)」と呼んで、「糾(ただす)」の語源として 「直澄(ただす)」と名付けています。手洗石は神話伝承から舟形の磐座(いわくら)石で、 樋(左側)には、糾の森の主と呼ばれていた樹齢600年のケヤキが使われています。 覆屋(おおいや)は伝承の記録をもとに再現した「透塀(すきへい)」だ... [続きを読む]

受信: 2005.09.09 21:08

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