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2004.04.27

チャンバラ幻想

「ラスト・サムライ」という映画がかなりヒットして、世界中でたくさんの人が観ているらしい。
わしは、映画館で「キル・ビルVol.1」を楽しんだときに、こいつの予告編を観ただけなのだが、腰を抜かした。
「キル・ビル」も、御覧になった方はわかるだろうが滅茶苦茶間違った日本が描かれておる。だがこっちの方は、誰にだってそうわかるからかまわん。
しかしなあ、「ラスト・サムライ」を観た外国人、いや、日本人でも若い層は、これを史実だと思う奴がほとんどだろう?
先にアニメ「犬夜叉」を、こんな戦国時代はありえんと書いたが、まったく同様に
「ラスト・サムライ」みたいな明治初頭は、全然ありえないんだぞ!

とはいえ、これまで日本映画も限りなく歴史考証の間違いを映像化し、一般に広げ続けてきた。わしもどっぷりそれに浸ってきた。
細かいことを挙げるときりがないし、単なるウンチクに過ぎんのでやめるが、一番危険なのは
「昔の日本人は、日本刀を主な武器に戦争をしていた」
というチャンバラ幻想である。
「ラスト・サムライ」も、抜刀した騎馬武者がくつわを並べて突撃しておったし、黒澤明の「影武者」などもそうだったが、ああいう光景は日本戦史上、ほぼ100パーセント、見られなかったらしい。
平安時代から鎌倉辺りまで、武士の主な武器は弓矢。大鎧を着た騎馬武者はもっぱら弓で戦った。
やがて南北朝時代辺りから歩兵の集団戦に移行するが、これも主たる武器は弓矢。接近戦では槍を主武器とするようになる。そして戦国時代、鉄砲が渡来すると、瞬く間にこれが戦場の主人公となるのである。
考えてみれば当たり前で、敵が矢を射てくる中で、誰だって刀だけ持って突撃したくはないだろう。
射程というか、有効距離の長い武器を持った方が有利に決まっておる。
にもかかわらず、江戸時代に平和が続く中で「刀は武士の魂」とか、「大和魂は不敗」とか幻想が跋扈するようになり、ついには「大和魂の保有者である忠勇無双のわが将兵が、万邦無比の霊器である日本刀を振りかざしてゆけば、向かうところ敵なしであるといった妄想」(「刀と首取り」鈴木眞也著 平凡社新書)にまで至るのである。
これが日本にどれだけ悪影響を与えたかは、半世紀前の大惨敗を見ればわかると思う。
今はまた戦前?という雰囲気が芽生えているこの時代、またぞろ、そんな妄想が復活するのは御免なので、わしは断固「チャンバラ幻想」を打ち砕く側に回ろうと思うぞ。

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2004.04.23

敗れし者に

敗れ去りながらも、歴史の流れに一瞬の光芒を残している者に、愛着を覚えてきた。
島左近、という侍がいた。生まれた年は定かではない。戦国末期の大和(奈良県)にあって、筒井順慶という武将に仕え、松蔵右近とともに「筒井家の右近左近」と並び称されたいくさ上手だったらしい。やがて筒井家から離れ、石田三成の懇願でその家老となり、徳川家康に対抗する。そして関が原における奮戦は、敵方の侍たちに語り継がれるほどのものだった。しかし、その最期は不明である。戦死説とともに、落ち延び、生きながらえたという説が幾つもある。
独立した武将でもなく、名乗りも清興、勝猛、清胤、友之などと、文献によって幾つもあって、その足跡もまた断片しかわからないのであるが、ずっと惹かれて来た。
圧倒的な「勝ち組」である家康に、敢然と立ち向かい、義戦に命を賭けた生き方が清冽に思えるのだろう。
ただし、彼も負けることを覚悟して闘ったわけでは無論ない。敗者の無残は身に沁みてわかっていたはずだ。
関が原に敗れ去った石田三成の城、佐和山城は、押し寄せる敵軍に包囲され、留守を預かっていた三成の父・兄をはじめとする一族は自刃。女子供もむごい運命にさらされたに違いない。
戦場で花と散ることだって、言葉のようには美しくない。誰だって、勝って、豊かに暮らして、平穏に余生を送りたい。
しかし、敗れ去るリスクを知りつつも、闘うことを選んだ心意気に、わしは憧れる。
それをかっこいい、と思うからこそ、わしは小説などを書けるのだと思う。
現実追認と「勝ち組」になることだけに意味を見出すひとには、わかってもらえないのかなあ・・・

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